怪物どもが蠢く島

湖城マコト

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第30話 パンドラの箱

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「いよいよですね」

 緊張した面持ちで玲於奈はボウガンに矢を装填した。微かに手が震えているが、それは恐怖というよりは武者震いに近い。
 一行は目的地である研究施設を目視できる距離まで接近していた。
 西の方角には、昨晩激闘を繰り広げた因縁深い三階建ての施設が木々の隙間から見えている。姿は見えないがゾンビの呻き声はあらゆる方向から聞こえており、やはりこの一帯には相当数の個体が存在しているようだ。

「まるで巨大な箱だ。中身は希望かはたまた絶望か」

 黎一の双眸が、最終決戦の場である研究施設の全貌を捉えた。
 研究施設は一階建。昨晩滞在した施設とよく似た、グレーの四角い箱型の建物で、最大の特徴は窓が一つも存在していないことだ。窓という本来あるべき装飾が皆無のため、研究施設は遠目に見るとまさに巨大な箱である。

 端末の情報によれば、あの建物内のどこかに機動キーが存在しているらしいが、不気味なことに、見取り図には壁らしき仕切りは一切存在せず、内部が開けた一つの空間になっている。元研究施設ということを考えれば、部屋の仕切りが無いことはあまりにも不自然だが、窓が存在しない以上、外から内部の様子を伺うことは出来ない。

 何が飛び出すか分からないビックリ箱。外観がグレーのためまだ柔らかい印象だが、もしも建物の外観が黒一色だったなら、巨大な棺を想像しているところだ。

「作戦はどうしましょうか。人数も少ないですし、やれることは限られてくると思いますが」
「見取り図によると出入り口は正面に一ヶ所だけ。中の様子も伺えないとなると、真正面から乗り込む他ないだろうな」
「しかし、出入り口が一か所というのは厄介だ。もしも出入口付近にゾンビが溢れたら脱出は困難になってしまう。いつでも脱出出来るように、出入り口は常に確保しておく必要があると私は思う」
「胴丸さんの言う通りね。キーの探索とゾンビの迎撃。役割分担が必要よ」

 どちらの役割もかなりの危険が伴う。昨晩の施設が近くにあることを考えれば、迎撃役はかなりの数のゾンビを相手にしつつ出入り口を死守し続けなければいけないし、探索役はどのような罠が待ち受けているとも分からない状況で、迅速にキーを見つけ出さねばならない。五人しかいないことを考えれば、誰が欠けても全員の生存率は大幅に低下する。今の五人はまさに運命共同体だ。

「迎撃は俺に任せろ。そっちの方が性に合ってる」
「私も付き合おう。攻撃範囲の広い武器を持つ私は適任だろう」

 鍬形と胴丸が名乗りを上げた。矢を必要とし、攻撃回数が限られる玲於奈と季里では迎撃に不安が残るので、人選としては妥当なところだ。

「それなら諜報員らしく、私は探索に回らせてもらうわ」
「では私も一文字さんと一緒に」
「もしもの場合は俺が護衛します」

 探索は季里、玲於奈、黎一の三人が担当することになった。

「そろそろ、使いどころかもしれませんね」

 そう言うと玲於奈は、これまで一度も抜いたことのなかった狩猟用ナイフを握った。ボウガン程上手くはないが、ナイフの扱いにも心得がある。

「泣いても笑ってもこれで最後だ。いきましょう」

 瞳に覚悟を宿し、黎一は一歩踏み出す。
 役割は決まった。後は行動に移すだけだ。内部の状況が分からないという不安材料はあるが、こればかりは出たとこ勝負で何とするしかない。まずは内部に侵入しないことには何も始まらない。一行は端末の情報を元に、研究施設の入り口がある西側を目指す。現在いるのは正反対の東側なので、建物を半周しなければいけない。

「邪魔だ」

 進行方向を右往左往していた腐敗の進んだゾンビへ黎一が接近し、鉈でその首を刎ね飛ばす。腐敗で体が劣化し、かなり脆くなっていたらしい。軽い力で両断出来た。

「……多いが少ない」

 周辺の林から飛び出してきた新鮮なゾンビを、胴丸は一瞥もくれずに両断しつつ、周辺の様子を訝しむ。研究施設へと向かっている最中から感じていたことだが、気配に対して視認出来るゾンビの数が明らかに少ない。胴丸たちの存在にゾンビが気付いていないとしても、昨日の施設も近くにあるのだし、たまたま周辺をさまよっていた野良のゾンビがもっといてもおかしくはないはずだ。これが幸運ならばいいが、運営側の何らかの意志が働いているのだとしたら油断はならない。

 玲於奈と季里の矢を節約するべく、建物沿いのゾンビは黎一、胴丸、鍬形が全て蹴散らし、一行は危なげなく施設の西側へと辿り着いた。

「扉すら存在しない。ノックは不要か」

 入口には元は大きな両開きの扉がついていたと思われるが、破損しどこかへ吹き飛んだのか、あるいは何らかの理由で取り払ったのか。外と屋内とを隔てる物は何も無かった。さながら開けっ放しの大口。伏魔殿ではなく、魔物の体内そのものに侵入する気分だ。

「満員電車どころか、ローカル線ですらない」

 出入り口から内部の様子を覗き込み、胴丸は不思議そうに眉根を上げた。箱の中はゾンビがひしめく地獄の満員電車を想像していたのだが、予想に反してゾンビの姿は一体も確認出来ず、見取り図の通り、部屋を仕切る壁も存在しない。内部はガラス片や木片が散乱するだけの、単なる開けた空間となっていた。

 窓が無いので内部は日中でも暗いのではと想像していたが、天井部分には光を取り込むための窓が存在しているようで、内部は日光に照らされ視界は良好。現状、屋内に目に見えた脅威は確認できない。

「流石に入った瞬間に死ぬような、理不尽な罠はないみたいだな」

 周辺を警戒しつつ役割分担の通り、黎一を先頭に玲於奈と季里の三人はキーを求めて施設の内部へと侵入した。胴丸、鍬形は外からゾンビが侵入してこないように、出入り口の外で守りを固める。

「見通しはいいですが、キーらしき物は見当たりませんね」
「どこかに仕掛けでもあるのか?」

 黎一が玲於奈が目配せした瞬間、それは起こった。

 突如として鳴り響く、根源的恐怖を煽るサイレンのような音。何事かと思い一斉に武器を構えるが、サイレンは五秒ほどで鳴りやんだ。直後、サイレンの音の正体を親切に解説するべく、機械音声の持ち主が姿が現す。

『皆様、驚かせてしまい申し訳ありません』

 端末上にお馴染みの鮫のキャラクターが登場。心なしかその表情はいつにも増して意地悪そうに見える。

『たった今鳴り響いたサイレンの音ですが、ゲームを盛り上げるための演出の一環だと思っていただいて結構です。そしてその効果とは――』

「森が騒がしい。やってくれたな!」

 胴丸が憎らし気に端末上の鮫のキャラクターを睨み付けると、最悪な解答が発せられた。

『このサイレンの周波数にはゾンビを引きつける作用があります。音を聞いた周辺のゾンビ達は、音の出所である皆様のおられる研究施設へと群がってくることでしょう』

「結局はこうなるのかよ」

 ネイルハンマーを握る黎一の手にも力が入るが、鮫のキャラクターがもたらした情報は、決して不利益なものばかりではなかった。

『ですが、ピンチはチャンスでもあります。施設の中心部にご注目ください』

 屋内の三人の視線が集まると同時に、中央の床面が振動を伴ってスライドしていき、地下へと延びる白い階段が出現した。

『脱出キーは地下に存在しています。地下には一室しかないので、キーの取得は容易です。もっとも、キーの取得後、無事にこの施設内から脱出出来るかどうかは、また別のお話しですがね』

「迷っている暇はないわね」

 季里が目配せすると、黎一と玲於奈は力強く頷いた。この程度の困難は想定の範囲内。修羅場は何度もくぐりぬけてきた。ここまで生き抜いてきた自分たちならば絶対に乗り越えられる。

「黎一くん。私達がキーを取って戻るまでの間、胴丸さんたちと持ちこたえておいて」

 森中からゾンビが集まってきている。流石の胴丸と鍬形でもあの数は相当な負担がかかる。出入り口を死守するためには黎一の力が必要だ。

「もちろんですよ。これを受け取ってください」

 黎一は自身の所有していた鉈を季里へと手渡す。季里は近接武器を持たぬ身。万が一地下にもゾンビが待ち受けていた場合に備え、彼女にも近接武器が必要だと考えたからだ。

「いいの? 武器を一つ失うということは、それだけ君のリスクを負うということよ」
「大丈夫。いざとなれば格闘戦で圧倒してやりますから」
「ありがとう。すぐに戻って加勢するから、死なないでね」
「生命力と諦めの悪さにはだけは自身があります」

 地下へと潜っていく季里を、黎一は笑顔で送り出す。お互いにこれが今生の別れにならないことを祈るばかりだ。

「黎一さん。ご武運を」
「玲於奈もどうか気をつけて」

 去り際の玲於奈と、お互いの生還を祈って拳を合わせると、黎一は出入り口の防衛に合流した。

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