梅すだれ

木花薫

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相模の国

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滝と桐がいつものように畑で野菜の世話をしていると、
「出かけるぞ」とタカベが声をかけた。手拭いだけ持たせて港へ連れて行く。
「船に乗るの?」
「父ちゃんの船?」
初めて船に乗る二人ははしゃいだが、すぐに船底の荷物置き場へ連れていかれた。
「ここで待ってろ。暗いがしばらくの辛抱だ。声を出しちゃいけねえぞ。父ちゃん以外の奴が入ってきても声を出しちゃいけねえ。隠れてろ。いいな」
そう言うと入口から見えない隅に二人を座らせて、囲うように荷物を置いて出ていった。

しばらくすると船が激しく揺れてたくさんの男の声がする。どれも変わった抑揚の話し方で鴨の鳴き声に似ている。桐がくすくす笑ったが、
「し!声を出しちゃいけない」
と滝が制止するも、ダメと言われると余計に面白い。笑いの止まらない桐であるが、船が動き出したら声は威勢の良い掛け声に変わった。大勢の太い声が一斉に「あいない!あいない!」と叫び始めたのだ。桐はその拍子に合わせて歌い始めた。

鎌倉見たか 城落ちた
どこ行く 北行く 西行く 
八幡様で 花が咲く
なに咲く 梅咲く 桃咲く

「だめ、し!」
滝はお桐の口をふさごうとしたが、真っ暗でどこが口がわからない。「きゃー」と笑う桐に真っ青になった滝は桐の頭を自分の腹へ抱き込んだ。「ぶふっ」と言って静かになった桐。滝は外の様子をうかがったが、何も変わらない。桐が苦しそうに手をばたつかせるので放してやると桐は「ふー」っと勢いよく息を吸いこんだ。ぜーはー息をする桐の腕を滝はきゅっとつねってやった。そのあまりの痛さに滝の怒りは本物だとわかった桐は静かになった。しかし滝が安心したかと言うとそうでもない。どうにも落ち着かない。この暗闇はあの洞窟の暗さに似ているのだ。

(母ちゃんは来ると言いながら来なかった。父ちゃんは言ったとおりに来るだろうか)

不安が体の中をざわざわと駆け巡る。しかし桐は違う。じっとしていたのは束の間で、滝の腕をとんとんとつつき始めた。さっきの歌の節に合っている。歌っているのだと気づいた滝も桐の太ももをつついて歌い始めた。桐と指で歌っていたら滝の不安はどこかにいってしまった。

どれほどの時間が経ったのかはお天道様が見えないからわからないが、突然揺れが収まって声も止んだ。ばたばたと歩き回る足音が聞こえる。滝は緊張した。強張る滝の体がうつったように桐の体も強張る。「ねえちゃん」とささやきながら桐は滝にしがみついた。滝もぎゅっと抱き返す。そこへ入口の蓋がぎぎっと音を立てて開いた。誰かが入ってきた。(父ちゃんでありますように)と祈る滝。そこへ「おまえら無事か?」といつもの声が聞こえた。
(父ちゃんは言ったとおりに戻ってきた!)
と胸をなでおろす滝である。

荷物庫から出るとちょうど夕日が山の端に落ちていくところで、真っ赤な空が広がっている。ここは紀国の東にある志摩の国の港、鳥羽である。
「お姫さんを二人も乗せてたで、伊勢の神さんが早う来いって船をひっぱってくれたわ」
船頭のダツはそう言いながら荷物庫の蓋に大きな錠前をかけた。たっぷりと積んだ鎌倉の工芸品を盗まれてはならない。一晩ここに泊めておく間の見張りも雇った。
「残りは明日の朝払うわ」
と見張りの者二人に半分だけ金を払い船を降りた。
「疲れたやろ。こっちや」
とダツに案内されて宿へ行くと、先に降りた乗組員たちは足を湯につけ寛いでいる。滝と桐も桶に張った湯の中に足を入れた。
「タカベエ、この子らか。あの捜しとったんわ。見つかってよかったなあ」
と乗組員のハモが声をかけてきた。奇遇なこともあるもので、ハモはタカベが三浦の港へ二人を捜しに行った時に話しかけた男だった。タカベのことを「タカベエ」と呼ぶのがおかしくて桐と滝はくすくす笑っている。足湯を終えて部屋へ上がるとすぐに食事が始まった。
「おなかすいたやろ。たっぷり食べえ」
ハモの娘も二人と同じような年頃であることから、にこにこと二人に話しかけてくる。ハモのおかげで怒鳴るように話す海の男たちの中でも、緊張することなく二人の箸はすすんだ。
「タカベエ、雑賀に着いたらどうすんねん?」
「荷の積み下ろしや船を直したりをしたい」
「船にはもう乗らへんのか?」
「こいつら二人を残して海には出られん」
「土佐への船やったら行って帰ってくるんに一刻(二時間)もかからんで。そんな心配しやんでもええんちゃうか?子どもは寺小屋へ行くし」
雑賀では子どもたちは寺へ手習いに行く。タカベの生まれ育った村とは違い、教育というものが普及している。
「まあ、土佐は渦があるでなあ。あれに巻き込まれたらおしまいや。明石へのは銭がええでえ。でも危ないわ。播磨もな。あっちは海賊だらけや」
調子よくしゃべるハモにダツが口を出した。
「海で危なないとこなんてないわ。ま、姫さんたちが大きなるまでは陸におったらええ。どうせまた乗りたなるわ」
「ダッさん、そないなこと言うて。うちらの船に乗ればええねん。なあ」
とハモに顔をのぞかれたタカベは返事をせず酒をくいっと飲んだ。

男たちは浴びるように酒を飲むと、すこんと寝てしまった。タカベも一日船をこぎ続けた疲れで気を失うように寝た。珍しくいびきをかいて寝るタカベの横で滝と桐も寝ようとしたが、船に乗っていた時のように体が揺れて眠れない。
「まだ揺れてる。船に乗ってるみたい」
「姉ちゃんも?私も」
と桐はくすくす笑った。しかし滝は笑う気にはなれない。
(どうしてこの人たちと一緒にいるの?あしたは村へ帰るのかな)
タカベが何をしようとしているのかわからない滝は、不安でなかなか寝付けないのだった。

次の日の朝、タカベはほかの乗組員たちよりも早く滝と桐を連れて船へ向かった。途中滝が「村へ帰るの?」と尋ねると「村へは帰らねえ」と早口で答えた。
「なんで?母ちゃんとセイゴが村で待ってる。帰ろうよ」
と滝が食いつくと、
「母ちゃんもセイゴも死んだ。村のことは忘れろ」
と吐き捨てるように言い船へ乗り込ませようとする。しかし滝は頑として船に乗ろうとしない。ぐずる滝にタカベは「さっさと乗れ」と𠮟りつけたが滝は「いやだ。村へ帰りたい」と駄々をこねるものだから、タカベは滝の手首を掴んでむりやり船へ引っ張りこんだ。その掴んだ強さは滝の腕に指の跡がつくほどである。タカベがそんな乱暴なことをしたのは初めてだ。滝は恐ろしくなって言われるがままに昨日と同じ荷物庫の隅に座った。
(何か悪いことが始まってる)
と体を縮こまらせている。

暗闇の中、指で歌って気を紛らわせようと桐の足をつついたが、桐が突き返してこない。昨日の疲れからか、はたまた昨晩ごちそうを食べすぎたからか、寝息を立てて寝ている。洞窟の時もそうだった。一日目はうるさかったのに二日目はうつらうつらしていて静かだった。そうやって寝てしまえる桐がうらやましい。滝はタカベに掴まれた左腕に右手を当てた。まだじんじんと熱く痛みがある。怪我をするとこうやって母ちゃんが手を当ててくれた。そうすると痛みは消えてしまう。滝は知らない人に思えるほどに手荒く扱ってきた父ちゃんも腕の痛みと一緒に消えて、いつもの優しい父ちゃんになりますようにと祈るのだった。

つづく
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