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鵯透子エピソードゼロ 犬神、その名はメグちゃん!編
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メグちゃんに尻尾が生えた日から、彼女は私の親友になった。
それまでは手に持って動かしたり、私が考えたセリフを代弁したりしなければ何の意思表示もできないお人形さんでしかなかったのに。
四歳の誕生日の夜のこと。
私は母に買ってもらった、魔法少女アニメのステッキをベッドに持ち込んで眠っていた。
しかし、誰かが私をしきりに揺さぶってきたせいで目を覚ましてしまった。
太陽はまだ上っておらず、それどころか窓からは月の光が差し込んでいた。
「おハよう。おハよう」
私を起こしたのは、家に来て一年のメグちゃんだった。
いくつもの節が連なった尻尾で体を持ち上げ、左右に揺れていた。有り体に言って、ムカデが生えたみたいだった。
メグちゃんの顔は長い髪の毛によって影が落ちていて、真っ黒く塗りつぶされているみたいだった。
「変なのー。夜なのに、おはようはおかしいよ」
私は四歳児なりの常識でたしなめたけど、メグちゃんは気にも留めなかった。
「遊ボう。遊ボう」
「今は夜だよ。寝る時間だから、朝になってからね」
「わかった! 朝になったら、遊ボう!」
「うん。おやすみなさい、メグちゃん」
「メグちゃん! オレ、メグちゃん! メグちゃん、休む!」
メグちゃんは、糸が切れたみたいに床へと落ちた。
朝になってからね、という何気ない一言が私の日常を、ひょっとしたら人生を変えることになろうとは……眠たかっただけの当時の私には知る由もなかった。
翌朝。
母に起こしてもらい、朝食を食べ、早めに出勤する父を見送った。
その後、パートに出る母と一緒に家を出て私は幼稚園へ。
幼稚園バスで隣の席に座った子から「透子ちゃんの鞄、尻尾生えてるね」と言われた。
見れば、夜中に私を起こしたメグちゃんと同じものが鞄から生えていた。夜見たときより短かったが、あの尻尾だと確信した。
そう言えば、約束したのに朝起きてからメグちゃんと遊んでいなかった。
「これね、メグちゃんなの」
私はその子にそう説明したが、その子は首をかしげるだけだった。
鞄の中身を覗いてみたが、中に人形のメグちゃんはいなかった。
「せんせー、透子ちゃんの鞄から、尻尾が生えてるー!」
「えぇ~? もう、ひまりちゃん! そんなこと言っちゃダメでしょ」
「だって、ほら!」
先生は一応、私の鞄に目を落とした。けれど。
「ひまりちゃん、急いでお教室に行ってあげよう? パンダちゃんがひまりちゃんのこと待ってるよ」
「あー! パンダちゃん!」
先生は当時園児に人気だったぬいぐるみをダシに話を逸らし、ひまりちゃんをいなすと私にウインクしたのだった。
びっくりさせられた、という気持ちはたちまちに不快な感情へと変化する。
ぬいぐるみから引きちぎられた黒い腕を持って、天を仰いで泣きわめくひまりちゃんの姿があった。
もう日も傾いてきたというのに、朝からずっと独占してるからだろ。
ひまりちゃんの持つ腕より、なお黒い感情が私の心に広がる。
腕を失くしたパンダちゃんを持って走り回る男子の顔は、虫唾が走るほど得意げだ。
独占したい、というほどではないけれど私だってたまにはパンダちゃんで遊びたかったのに。具体的には次の日くらいに、そういう予定を立てていた。
奪おうとした男子、取られまいとしたひまりちゃん。
両方に対して憎しみが燃え上がる。
どっちもいなくなればいいのに。
「透子、遊ボう!」
スモックから生えたメグちゃんが、犬の尻尾みたいにぶんぶんと振られている。
とてもそんな気分にはなれず、私はそれを無視した。
「透子、怒っているのか?」
メグちゃんの問いに頷いた。
「怒り! 憎しみ! メグちゃん、食う! 食わせろ!」
バチッ、と指先に静電気が弾ける感触があった。
それを皮切りに、何もしていないのに手が痺れる感覚に襲われる。
何かに熱を奪われたかのように、周囲の空気が急激に冷えた。
『わーい! おもちゃを独り占めする女から、パンダちゃんを取り上げてやったぞ! おれはすごい! これでパンダちゃんはおれのものだ!』
『あああああああああああんっ、返してぇ! あたしのおおおおおっ、あたしのパンダちゃああああああああんっ!』
なんだ、これは。
胸糞悪い自分勝手な主張が、その思念が私の頭に流れ込んできた。
思念は耳ではなく脳で聞く声として知覚されたため、それぞれが誰のものか幼児だった私にも理解できた。
別にあんたらの物じゃないでしょうが。
みんなのものなのに、よくもパンダちゃんを壊してくれたなぁ!
爪が食い込むほど強く拳を握りしめる。
それでも抑えきれない暴発する負の感情。
わけがわからなくなって頭が痛くなり、私は泣いていた。行き場を失くしたエネルギーが熱い涙となってほとばしる。
「わあああっ!!」
男子の悲鳴、それに共鳴するかのように悲鳴が連鎖する。無数の足音が、めちゃくちゃなリズムで遠ざかっていく。
生物的本能により、危険を肌で感じ取った私も顔を上げる。
「え……?」
男子の持っていたパンダちゃんが、何十倍もの大きさに膨れ上がっていた。
いや、もはやそれは本物のパンダだった。
前脚が一本なく、傷口から血を流す猛獣。
荒い呼吸音は威圧的で、覆いかぶさられた男子はスモックを血で濡らされながらも、動くことができないでいる。
興奮状態のそれは、自分の前脚をもいだ相手を認識しているように見える。
『どっちもいなくなればいいのに』
脳内に、自分の声が響く。
思わず心臓が跳ねた。
メグちゃんが話しかけてくる直前、怒った私が実際に男子とひまりちゃんに対して抱いた感情だった。
この異常な状況には、自分の感情が関係している。そう悟るも、だからどうしろというのだろうか。
『わーい』『独り占め』『取り上げてやったぞ』『おれのものだ』
自分の抱いた気持ちが聞こえたのと同様に、思い出そうともしていない男子の思念が聞こえた。不思議なことに、誰かが編集したように切り貼りされていた。
「いない、いない」
メグちゃんが楽しそうに揺れる。
「バあ!」
瞬間。
パンダは男子の首筋に食らいついた。
耳鳴りがするほどの、断末魔の声に脳が揺さぶられる。
牙が声帯もろとも喉を食い破り、途絶する末期の悲鳴。代わりのように血が飛沫(しぶ)いた。
水音を立てながらパンダは男子の肉を引き裂き、咀嚼する。
軟い骨を噛み砕き、鉄臭い血を舐めとる。
「きゃああああああああああああっ!」
遅れて発された金切り声に、パンダは食事を中断した。
振り向いた顔は鼻先が赤く染まり、歯の間に衣服の切れ端や皮膚片が挟まっていた。
パンダの視線の先にいたのはパンダの剛腕を抱いて立つ、ひまりちゃん。
唯一、取られずに済んだパンダちゃんの腕までもが、本物の獣の前脚と化してしまったようだ。
パンダは隻腕の膂力だけで下半身を引きずり、ひまりちゃんの方へ歩き出した。
ぬいぐるみとは似ても似つかない迫力と獰猛さに、怖気づいたひまりちゃんも踵を返した。
いや、そうしようとはしたのだ。
なのに、手放そうとしたパンダの前脚の重みで、ひまりちゃんはバランスを崩してしまう。
尻もちをついたところに前脚が重しになり、立ち上がれなくなる。逃げ遅れたひまりちゃんに、パンダが追いついた。
『返してぇ! あたしのおおおおおっ、あたしのパンダちゃああああああああんっ!』
まただ。
今度はひまりちゃんの思念が聞こえた。
皮肉なものだ。
パンダちゃんを返してもらいたがっていたのに、リアルパンダの前脚を返し損ねたことでひまりちゃんはパンダに押し倒されてしまった。
追いついたパンダは、ひまりちゃんの頬を血のしたたる鼻で嗅ぎまわる。
私の鼻にまで届く、濃厚な獣臭と鉄臭さ。
独占欲の対象だったぬいぐるみは、今や暴力の権化としてひまりちゃんに立ちはだかっている。
無慈悲なる野生の牙が、柔らかな頬肉に突き立った。
先の男子と同様に、私の目の前でひまりちゃんはパンダに貪り食われた。
喉から食われなかった分、その悲鳴は長く続き、私の鼓膜に今もこびりついている────。
◆
「それが、私が犬神遣いとして覚醒した日の出来事ね」
九年前、メグちゃんに暴走を許してしまった日のことを話し終えて、私はみんなの顔を伺った。
うっとりした目で私の顔を見る者、生唾を飲み込む者、懐疑的な顔をする者、とバラエティ豊かなリアクションをする三人。
いずれも同じクラスの女子、いずれも顔と雰囲気が地味。
中学最初のGWは過ぎ去り、五月も中旬に差し掛かった今日。
放課後に話がしたい、と言われ教室に残ったらこの話をせがまれたのだった。
あのことは世間的には、野犬が幼児を食い殺した、ということで片づけられた。
だが、同じ幼稚園だった同級生たちは教室でパンダを見たと譲らないし、無傷だった私も大人から色々と質問された。
あの後、幼稚園を退園して小学校入学まで“お山”に籠ることになったのは最悪だった。
最悪な話だけどリクエストがあれば、またの機会に話そう。
第四の壁の向こうからリクエストがあればね。
「で? 怖い話が聞きたくて呼び出したわけじゃないんでしょ?」
正直に言って、嬉しかった。
ひまりちゃんからメグちゃんについて聞いていた子や、小学校の頃の教師怪死事件などから、ほとんどの子は私を避ける。腫れ物に触れるように扱う。
「実は、小学校からの友達の茜ちゃんが……」
「私、好きな人ができたんだけど、でもその人には彼女がいて……」
「死んでほしいやつがいるんだけど、そいつの名前は……」
たとえ、私自身ではなくメグちゃんの力が目当てだとしても、私を頼ってくれる人がいることが。
こんな禍々しい力でも、誰かの役に立てるということが。
「メグちゃんはドラえもんじゃないから、何でもはできないよ。大丈夫、やり方は一緒に擦り合わせていくから」
突然、鞄から常人には不可視の尻尾がぬっ、と生えた。
それは節くれ立っており、まるで大きなムカデのようだった。
というか、両側に無数の肢が蠢いているし、完全にムカデだった。
初めて出会った頃に比べると、ずいぶんとメグちゃんも伸びたなぁ。
私は、今更のようにそんなことを思った。
(了)
──────────
お読みいただきありがとうございます。
感想、絶賛募集中です。えびぞりして喜びます。
他にも、以下のような作品も書いておりますので、よろしければ読んで行ってください。
「陰キャだけど力こそパワーなので悪魔と契約して放縦(すき)に生きることにした~現実世界でスロウスライフ~」
https://alphapolis.co.jp/novel/585561695/778557863
(連載中)(R18)現代ファンタジー、能力バトルものです
「教会が暴政を布くので、悪魔を呼び出して対抗しました~早起きは5000兆円の不徳~」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/585561695/518448520
(R15)ショートショート。異世界ファンタジーです。
「三匹のヤギとドンガラガッシャーン」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/585561695/672448286
(R15)ショートショート。三匹のヤギが冒険する不条理コメディです。道中でおとぎ話の登場人物をぶっ殺したりします。
「ひきゅう――霧山滓美はドッジボールで伝奇する」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/585561695/963473588
ショートショート。小学校の体育でのドッヂボールをテーマにした、ナンセンスものです。
「俺の名は。~まさかまさかのゼロ年代転生。前世の知識で無双できたのは小学校だけでした。残念ながら当然の結果です。~」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/585561695/978453894
ショートショート。未来の戦争に従軍している兵士が、ゼロ年代に転生するファンタジーです。
「薔薇の香のする海」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/585561695/523460660
(R18)ショートショート。クトゥルフ神話もののホラーコメディです。ご査収ください。
「ミラージュ~超異能大戦X~」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/585561695/541472759
(R18)(連載中)現代異能バトル伝奇。異能者が怪獣と戦ったら?をコンセプトに“書き出しました”。
「律子の無邪気な最期~ベランダで酒に酔って食べ物を粗末にしていた妻が落ちて死んだ件~」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/585561695/823476601
(R15)子供を亡くしておかしくなった律子は、たらいに入ったすじこを踏み潰す奇行に走る。その足を洗わずにベランダから足を投げ出して座ろうとしたものだから……。
他にも作品がございますので、ご笑覧くだされば幸いです。
では、次回作でお会いしましょう。
それまでは手に持って動かしたり、私が考えたセリフを代弁したりしなければ何の意思表示もできないお人形さんでしかなかったのに。
四歳の誕生日の夜のこと。
私は母に買ってもらった、魔法少女アニメのステッキをベッドに持ち込んで眠っていた。
しかし、誰かが私をしきりに揺さぶってきたせいで目を覚ましてしまった。
太陽はまだ上っておらず、それどころか窓からは月の光が差し込んでいた。
「おハよう。おハよう」
私を起こしたのは、家に来て一年のメグちゃんだった。
いくつもの節が連なった尻尾で体を持ち上げ、左右に揺れていた。有り体に言って、ムカデが生えたみたいだった。
メグちゃんの顔は長い髪の毛によって影が落ちていて、真っ黒く塗りつぶされているみたいだった。
「変なのー。夜なのに、おはようはおかしいよ」
私は四歳児なりの常識でたしなめたけど、メグちゃんは気にも留めなかった。
「遊ボう。遊ボう」
「今は夜だよ。寝る時間だから、朝になってからね」
「わかった! 朝になったら、遊ボう!」
「うん。おやすみなさい、メグちゃん」
「メグちゃん! オレ、メグちゃん! メグちゃん、休む!」
メグちゃんは、糸が切れたみたいに床へと落ちた。
朝になってからね、という何気ない一言が私の日常を、ひょっとしたら人生を変えることになろうとは……眠たかっただけの当時の私には知る由もなかった。
翌朝。
母に起こしてもらい、朝食を食べ、早めに出勤する父を見送った。
その後、パートに出る母と一緒に家を出て私は幼稚園へ。
幼稚園バスで隣の席に座った子から「透子ちゃんの鞄、尻尾生えてるね」と言われた。
見れば、夜中に私を起こしたメグちゃんと同じものが鞄から生えていた。夜見たときより短かったが、あの尻尾だと確信した。
そう言えば、約束したのに朝起きてからメグちゃんと遊んでいなかった。
「これね、メグちゃんなの」
私はその子にそう説明したが、その子は首をかしげるだけだった。
鞄の中身を覗いてみたが、中に人形のメグちゃんはいなかった。
「せんせー、透子ちゃんの鞄から、尻尾が生えてるー!」
「えぇ~? もう、ひまりちゃん! そんなこと言っちゃダメでしょ」
「だって、ほら!」
先生は一応、私の鞄に目を落とした。けれど。
「ひまりちゃん、急いでお教室に行ってあげよう? パンダちゃんがひまりちゃんのこと待ってるよ」
「あー! パンダちゃん!」
先生は当時園児に人気だったぬいぐるみをダシに話を逸らし、ひまりちゃんをいなすと私にウインクしたのだった。
びっくりさせられた、という気持ちはたちまちに不快な感情へと変化する。
ぬいぐるみから引きちぎられた黒い腕を持って、天を仰いで泣きわめくひまりちゃんの姿があった。
もう日も傾いてきたというのに、朝からずっと独占してるからだろ。
ひまりちゃんの持つ腕より、なお黒い感情が私の心に広がる。
腕を失くしたパンダちゃんを持って走り回る男子の顔は、虫唾が走るほど得意げだ。
独占したい、というほどではないけれど私だってたまにはパンダちゃんで遊びたかったのに。具体的には次の日くらいに、そういう予定を立てていた。
奪おうとした男子、取られまいとしたひまりちゃん。
両方に対して憎しみが燃え上がる。
どっちもいなくなればいいのに。
「透子、遊ボう!」
スモックから生えたメグちゃんが、犬の尻尾みたいにぶんぶんと振られている。
とてもそんな気分にはなれず、私はそれを無視した。
「透子、怒っているのか?」
メグちゃんの問いに頷いた。
「怒り! 憎しみ! メグちゃん、食う! 食わせろ!」
バチッ、と指先に静電気が弾ける感触があった。
それを皮切りに、何もしていないのに手が痺れる感覚に襲われる。
何かに熱を奪われたかのように、周囲の空気が急激に冷えた。
『わーい! おもちゃを独り占めする女から、パンダちゃんを取り上げてやったぞ! おれはすごい! これでパンダちゃんはおれのものだ!』
『あああああああああああんっ、返してぇ! あたしのおおおおおっ、あたしのパンダちゃああああああああんっ!』
なんだ、これは。
胸糞悪い自分勝手な主張が、その思念が私の頭に流れ込んできた。
思念は耳ではなく脳で聞く声として知覚されたため、それぞれが誰のものか幼児だった私にも理解できた。
別にあんたらの物じゃないでしょうが。
みんなのものなのに、よくもパンダちゃんを壊してくれたなぁ!
爪が食い込むほど強く拳を握りしめる。
それでも抑えきれない暴発する負の感情。
わけがわからなくなって頭が痛くなり、私は泣いていた。行き場を失くしたエネルギーが熱い涙となってほとばしる。
「わあああっ!!」
男子の悲鳴、それに共鳴するかのように悲鳴が連鎖する。無数の足音が、めちゃくちゃなリズムで遠ざかっていく。
生物的本能により、危険を肌で感じ取った私も顔を上げる。
「え……?」
男子の持っていたパンダちゃんが、何十倍もの大きさに膨れ上がっていた。
いや、もはやそれは本物のパンダだった。
前脚が一本なく、傷口から血を流す猛獣。
荒い呼吸音は威圧的で、覆いかぶさられた男子はスモックを血で濡らされながらも、動くことができないでいる。
興奮状態のそれは、自分の前脚をもいだ相手を認識しているように見える。
『どっちもいなくなればいいのに』
脳内に、自分の声が響く。
思わず心臓が跳ねた。
メグちゃんが話しかけてくる直前、怒った私が実際に男子とひまりちゃんに対して抱いた感情だった。
この異常な状況には、自分の感情が関係している。そう悟るも、だからどうしろというのだろうか。
『わーい』『独り占め』『取り上げてやったぞ』『おれのものだ』
自分の抱いた気持ちが聞こえたのと同様に、思い出そうともしていない男子の思念が聞こえた。不思議なことに、誰かが編集したように切り貼りされていた。
「いない、いない」
メグちゃんが楽しそうに揺れる。
「バあ!」
瞬間。
パンダは男子の首筋に食らいついた。
耳鳴りがするほどの、断末魔の声に脳が揺さぶられる。
牙が声帯もろとも喉を食い破り、途絶する末期の悲鳴。代わりのように血が飛沫(しぶ)いた。
水音を立てながらパンダは男子の肉を引き裂き、咀嚼する。
軟い骨を噛み砕き、鉄臭い血を舐めとる。
「きゃああああああああああああっ!」
遅れて発された金切り声に、パンダは食事を中断した。
振り向いた顔は鼻先が赤く染まり、歯の間に衣服の切れ端や皮膚片が挟まっていた。
パンダの視線の先にいたのはパンダの剛腕を抱いて立つ、ひまりちゃん。
唯一、取られずに済んだパンダちゃんの腕までもが、本物の獣の前脚と化してしまったようだ。
パンダは隻腕の膂力だけで下半身を引きずり、ひまりちゃんの方へ歩き出した。
ぬいぐるみとは似ても似つかない迫力と獰猛さに、怖気づいたひまりちゃんも踵を返した。
いや、そうしようとはしたのだ。
なのに、手放そうとしたパンダの前脚の重みで、ひまりちゃんはバランスを崩してしまう。
尻もちをついたところに前脚が重しになり、立ち上がれなくなる。逃げ遅れたひまりちゃんに、パンダが追いついた。
『返してぇ! あたしのおおおおおっ、あたしのパンダちゃああああああああんっ!』
まただ。
今度はひまりちゃんの思念が聞こえた。
皮肉なものだ。
パンダちゃんを返してもらいたがっていたのに、リアルパンダの前脚を返し損ねたことでひまりちゃんはパンダに押し倒されてしまった。
追いついたパンダは、ひまりちゃんの頬を血のしたたる鼻で嗅ぎまわる。
私の鼻にまで届く、濃厚な獣臭と鉄臭さ。
独占欲の対象だったぬいぐるみは、今や暴力の権化としてひまりちゃんに立ちはだかっている。
無慈悲なる野生の牙が、柔らかな頬肉に突き立った。
先の男子と同様に、私の目の前でひまりちゃんはパンダに貪り食われた。
喉から食われなかった分、その悲鳴は長く続き、私の鼓膜に今もこびりついている────。
◆
「それが、私が犬神遣いとして覚醒した日の出来事ね」
九年前、メグちゃんに暴走を許してしまった日のことを話し終えて、私はみんなの顔を伺った。
うっとりした目で私の顔を見る者、生唾を飲み込む者、懐疑的な顔をする者、とバラエティ豊かなリアクションをする三人。
いずれも同じクラスの女子、いずれも顔と雰囲気が地味。
中学最初のGWは過ぎ去り、五月も中旬に差し掛かった今日。
放課後に話がしたい、と言われ教室に残ったらこの話をせがまれたのだった。
あのことは世間的には、野犬が幼児を食い殺した、ということで片づけられた。
だが、同じ幼稚園だった同級生たちは教室でパンダを見たと譲らないし、無傷だった私も大人から色々と質問された。
あの後、幼稚園を退園して小学校入学まで“お山”に籠ることになったのは最悪だった。
最悪な話だけどリクエストがあれば、またの機会に話そう。
第四の壁の向こうからリクエストがあればね。
「で? 怖い話が聞きたくて呼び出したわけじゃないんでしょ?」
正直に言って、嬉しかった。
ひまりちゃんからメグちゃんについて聞いていた子や、小学校の頃の教師怪死事件などから、ほとんどの子は私を避ける。腫れ物に触れるように扱う。
「実は、小学校からの友達の茜ちゃんが……」
「私、好きな人ができたんだけど、でもその人には彼女がいて……」
「死んでほしいやつがいるんだけど、そいつの名前は……」
たとえ、私自身ではなくメグちゃんの力が目当てだとしても、私を頼ってくれる人がいることが。
こんな禍々しい力でも、誰かの役に立てるということが。
「メグちゃんはドラえもんじゃないから、何でもはできないよ。大丈夫、やり方は一緒に擦り合わせていくから」
突然、鞄から常人には不可視の尻尾がぬっ、と生えた。
それは節くれ立っており、まるで大きなムカデのようだった。
というか、両側に無数の肢が蠢いているし、完全にムカデだった。
初めて出会った頃に比べると、ずいぶんとメグちゃんも伸びたなぁ。
私は、今更のようにそんなことを思った。
(了)
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お読みいただきありがとうございます。
感想、絶賛募集中です。えびぞりして喜びます。
他にも、以下のような作品も書いておりますので、よろしければ読んで行ってください。
「陰キャだけど力こそパワーなので悪魔と契約して放縦(すき)に生きることにした~現実世界でスロウスライフ~」
https://alphapolis.co.jp/novel/585561695/778557863
(連載中)(R18)現代ファンタジー、能力バトルものです
「教会が暴政を布くので、悪魔を呼び出して対抗しました~早起きは5000兆円の不徳~」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/585561695/518448520
(R15)ショートショート。異世界ファンタジーです。
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「薔薇の香のする海」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/585561695/523460660
(R18)ショートショート。クトゥルフ神話もののホラーコメディです。ご査収ください。
「ミラージュ~超異能大戦X~」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/585561695/541472759
(R18)(連載中)現代異能バトル伝奇。異能者が怪獣と戦ったら?をコンセプトに“書き出しました”。
「律子の無邪気な最期~ベランダで酒に酔って食べ物を粗末にしていた妻が落ちて死んだ件~」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/585561695/823476601
(R15)子供を亡くしておかしくなった律子は、たらいに入ったすじこを踏み潰す奇行に走る。その足を洗わずにベランダから足を投げ出して座ろうとしたものだから……。
他にも作品がございますので、ご笑覧くだされば幸いです。
では、次回作でお会いしましょう。
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