犬神遣い鵯透子は邪術を恣に扱う

今野蛇野郎

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暗躍編

犬神遣い鵯透子の邪悪なる奉仕 6

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 金曜の午前には、家庭科の授業もあった。

 しかし、実習ではなく座学だったこともあり特別な事件はなかった。

 仮に実習で、故意でない事故だとしても涌井に何かあれば来栖が責任を負わされる、と鵯は笑った。

 理屈の上ではわかるものの、二コマ連続の授業の間、涌井はずっと気を張っていた。

 そのため、午後の授業では居眠りをしてしまった。

 無理もない。

 給食で腹は膨れ、また五時間目の前に掃除でまた来栖の動向を警戒して気を張った後なのだ。

「お願いね」

 帰りのHRを終えて放課となり、涌井は鵯に念押しした。

「任せて」

 金曜日も諸見沢は欠席。

 誰かと一緒に帰るのは好きではない、と鵯からは木曜日に言われていた。

 仕方なく、涌井は一人で駐輪場へと向かう。

「美桜」

 声をかけて来たのは、美堂だった。

 駐輪場の入り口に、おずおずとした様子で佇んでいる。

「ごめん。怒ってるよね、美桜のこと庇わなかったこと」

 木曜の朝のHR終わりのことを、美堂は詫びているらしかった。

 ばつが悪そうというか、目が泳いでいるように見える。

 終わったことであり、問題を根本的に解決する目途も立った今、涌井にとって心底どうでもよかった。

「そんなこと。いいよ、気にしないで」

 ぱっ、と美堂の顔が明るくなる。

 小走りで自分の自転車に駆け寄り、解錠。ハンドルを押して、美堂は涌井の元にまでやってきた。

「なに」

「え、その。一緒に帰ろうかな、って」

「ふうん」

 どうでもよかったので、涌井はそのまま自転車をこぎ出した。

「ちょっと、待ってよ美桜」

 並走してくる美堂の言葉は、涌井の耳を右から左にすり抜けるばかりだった。

 涌井の家と美堂の家との分かれ道に差し掛かる頃。

 まともに涌井が受け答えしなかったせいで消沈していた美堂が、久しぶりに口を開いた。

「またね」

「うん、さよなら」

 心ここに在らず。

 既に涌井の意識は、来週の全校集会へと飛んでいた。

 

 せっかくの土日も、涌井にとってはただ早く起きなくていい日でしかなかった。

 宿題を適当にこなし、漫画を読み、ゲームのストーリーを進めるでもなくレベリングだけする。

 誰かと遊ぶでもなく、一人でただ漫然と過ごして月曜日を迎えた。

 いつもは憂鬱な月曜日も、今日だけは一味違う。

 登校すると、変わらぬ教室の雰囲気。

 先に来ていた鵯と目が合う。

 口の端を吊り上げる鵯を見るに、魔術だか呪術だかはうまくいったようだ。

 後は結果を待つばかり。

 そして、全校集会のために校庭へと出る時間が訪れた。

 整列して、来栖の姿を探す。

 すると、目を引く三つ編みをたなびかせる来栖の姿があった。

 後頭部から蛇を垂らしたようなそれが、しかし周りには見えていないようで、誰も気に留めていない。

 鵯は妖気を噴出させた際、三つ編みをその耳の後ろから伸ばした。

 術にかかった状態として、涌井にだけ見えるようにしているのだろう。

 やがて、全校集会が始まった。

 校長の話を聞き流し、涌井は今か今かとそのときを待ち受ける。

 壇上を降りた校長が教頭にマイクを渡しかけたときだった。

 それを横から奪い取るものがいた。

 来栖だった。

 驚き、どよめきが教師陣を中心にして波紋となって広がっていく。

 教頭の制止に目もくれず、マイクを手に来栖が壇上へ上がる。

「校長先生、教頭先生、先生方、そして全校生徒の皆さん。私、来栖陽菜(はるな)は、どうしても謝らなければならないことがあります」

 横領かな、と近くで聞こえた。

 なるほど、と涌井は思った。何も知らない生徒の予想としては、素直なものだったからだ。

 淫行を隠蔽するために生徒を脅す教師が、魔術呪術の影響もなく大勢の前でそんな自供をできるかどうかを別にすれば、だが。

 校庭での全校集会だ。まして、マイクを使えば辺りを通りがかった人や近隣の家にも聞かれる。

 男子の列に並ぶ強羅が、明らかに挙動不審になっているのを見て、涌井はほくそ笑んだ。

 強張った顔の来栖と対照的に、長い三つ編みは地上に引きずり出されたミミズのようにのたうっている。

 長いからそう見えるだけで、実際には犬が尻尾を振るのに近い感情(?)表現だと涌井は受け取った。

「私、来栖陽菜は、教師でありながら、二年D組の強羅健蔵君と不健全な関係を築き────」

 いよいよだ。

 涌井が期待に胸を膨らます一方で、壇の下で控える他の教師たちの顔は真っ青になる。

 男性の教師たちが慌てて壇に上がり、来栖を引きずり降ろそうと手を伸ばす。

 一方、二年と強羅を知る者たちの視線は、強羅に集まった。

「北校舎三階東トイレで、お口でご奉仕したりしていました! 教師として、いえ、大人としてあるまじき行いだったと心より反省しております」

 明らかに来栖よりも膂力で勝る生徒指導や体育の教師が、来栖の肩を、手首を掴む。

 しかし、来栖はそれらを軽く腕を振るだけで弾き飛ばしてしまう。

 異様な光景に誰もが目を見張った。

 来栖が術の影響下にあることを知っている涌井でも、それは同様だった。

「強羅君ごめんなさい。気持ち悪かったよね、本当にごめんなさい」

 壇上で来栖が腰を九〇度に折り、強羅に向かって頭を下げる。

 声を荒げ、降りろと来栖に掴みかかる教師たちを、しかし来栖は器用にも後ろ蹴りで追い払う。

 頭を上げた来栖は、今度は涌井の方を見た。

 先週、鵯に打ち明けたときからずっと待ち望んでいた瞬間。

 けれど、涌井の心は冷え切っていた。

 公開処刑を行えると聞いたときは、暗い喜びを確かに感じたはずなのに。

 先に名を呼ばれた当事者、強羅が針の筵に座らされているのを見て、涌井はとてもそんな気分ではいられなかった。

「そして、私の行いを知ってしまったがために、脅して黙らせてしまった涌井美桜さん」

 名前を呼ばれ、涌井も大勢の視線に刺し貫かれた。

 背中にジワッと嫌な汗が滲む。

 これではどちらが公開処刑の対象か、わかったものではない。

「本当に申し訳ありませんでした」

 壇上でおもむろに膝を突き、来栖は土下座した。

 望んでいた光景が、まさに展開されているが涌井の心は微塵も満たされなかった。

 こんなことを自分にさせて、満足げにしていた来栖の気が知れなかった。させたところで、ただただ引くだけだったからだ。

 挙句、その土下座で勝手に事件の関係者にされてしまい、ひたすらに居心地が悪い。

 土下座したままの来栖が、今度こそ壇上から引きずり降ろされる。

 全校レベルの伝達などもなかったようで、集会は解散となった。

 担任に呼ばれた涌井は、強羅と来栖と共に応接室で詳しく話を聞かれることになった。

 

              ◆

 

 とはいえ、涌井から話せることなどほとんどない。

 来栖と強羅の密会を聞いてしまったこと、それを黙っているよう来栖に脅されたこと、土下座させられてブスと言われたこと程度だ。

 鮫島に関する話もしたにはしたが、本人が未だ行方不明なこともあり、あまり触れられなかった。

 当事者ではないこともあり、涌井への聴取は早々に終わり、教室に戻るよう言われた。

「お疲れ様」

 ちょうど二時間目の休み時間だったから、噂好きな連中が出待ちしているかも、とは涌井も思った。

「鵯さん」

 しかし、居たのは鵯一人だけだった。

「どう? 願いが叶った気分は」

「どうって」

 薄い笑みを浮かべて横に並んでくる鵯に、何と答えたものか。

「浮かない顔ね。思ってたのと違った?」

 逡巡(しゅんじゅん)の後、涌井は首肯した。

「来栖が晒し者になれば、すっきりすると思ったのに」

「そう。どうなったら、涌井さんにとって一番だったの?」

「何だろう。普通に頭を下げてもらいたかった」

「普通、ねぇ」

「うん。大勢の前で、とか、校長教頭みたいな力のある第三者を交えてとかじゃなく」

「一対一で?」

「そう。誠心誠意っていうの? そんな感じで謝って欲しかった。土下座とか、されても全然気持ちよくない」

「涌井さんは、土下座させられて、酷い言葉を浴びせられたのに?」

「私がまだ中学生だからかな。自分のこと、性根が曲がったやつだと思ってたけど、土下座させて嬉しいって思うような感性は持ってないみたい」

「ふうん。で? どうするの」

「どう、って」

「今回のことで、来栖先生は学校を去ることになるよ」

「それは、そうでしょ」

「すっきりしなかったんでしょ? やっぱり死んでほしかった、とかはないの?」

 左右に首を振り、涌井は暗い提案を否定する。

「どうでもいい。消える人のことなんて、どうでもいい」

 望んだ幕引きとは違った。

けれど、少なくとも涌井が校内で来栖に対して気を張る必要は、もうない。

 受けた屈辱は、心の痛みは、一生消えないかもしれない。

 それでも、来栖との軋轢はこれで終わったのだ。

 怯えず、恐れず、恨まず、憎まず。

 残りの中学生活を、楽しむとまでいかずとも平穏に過ごせる。

 そう、信じていたのに。

「よう、涌井。聞いたぞ、呼び出しくらったんだってな」

 上階への階段に差し掛かったところで、涌井に声をかける者があった。

 見上げれば、全校集会のときには、まだ登校していなかった諸見沢。

 窓から差し込む陽射を背負っており、いっそ神々しいまでに輝いている。

 すぐにでも駆け寄りたかった涌井だが、諸見沢の隣に美堂の姿を見て立ち止まった。

 さぞ、このときの涌井の視線が冷たかったのだろう。

 美堂の表情がたちまち凍り付いたのだ。

 それがまた涌井の神経を逆撫でした。

「お前、魔女と仲いいのか」

 諸見沢らしい。

 面と向かって鵯を魔女呼ばわりする豪胆さに、一方で涌井は肝を冷やす。

 鵯と親交があることをネガティブに取られるのではないか、という不安が過ったのだ。

 応接室で聴取を受けている間に、美堂がすり寄ったりしているような状況だ。

 どう対処するのが正解か、涌井にはわからない。

 迷っている間に、諸見沢の方が降りてきた。

 それでも、まだ涌井は決断できないでいた。

「国語のノートを職員室に持って行った帰りに、ちょうど涌井さんが応接室から出てきたの。そりゃ、誰だって捕まえて話くらい聞きたくなるでしょ」

 助け船を出したのは、またしても鵯だった。

「魔女も人並みの好奇心持ってるんだな」

「当然。みんなから魔女だの化け猫だの勝手に言われてるけど、私、普通の中学生だし」

「普通の中学生が、教師を潰すかよ」

「何のこと?」

「別に詰めようってんじゃねぇよ。口割らせるのも面倒だし」

 興味がなくなった、とばかりに諸見沢は鵯への視線を切り、涌井を見た。

 それだけでも涌井の心臓が跳ねたというのに、諸見沢は顎を軽く上に向けて動かした。

「行くぞ」

「うん」

 踵を返し、階段を上っていく諸見沢と美堂。

 ついていこうとして、しかし涌井は鵯の方を振り返ってしまう。

「また、何かあったら相談乗るからね」

 個人主義者を自称していたくせに、妙に親身なのが涌井には解せなかった。

「う、うん」

 曖昧に笑んで、涌井は諸見沢を追って階段を上って行った。
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