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暗躍編
犬神遣い鵯透子の邪悪なる奉仕 7
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「親に払ってもらってる給食費がもったいないだろ。だから来ただけだ」
子供っぽい理屈を嘯いて、昼休みになるなり諸見沢は帰ってしまった。
ちなみに給食のメニューは、カレーライスだった。
案外、諸見沢が子供舌なことがわかって、涌井は内心それを可愛いと思った。
「で?」
「で、って。何が?」
諸見沢の姿が見えなくなってから、涌井は美堂に切り出した。
「なんであのとき、あんたが諸見沢君と一緒にいたわけ」
「それは、諸見沢君が教室来てから、美桜のこと探してたから」
「私を探してたから、何」
「案内したんじゃん」
「は? 諸見沢君だって幼稚園児じゃないんだから、呼び出されて応接室にいるって言えば済む話じゃん」
「何? 私が諸見沢君と話したり、一緒にいたらいけないの? そんな法律あるの?」
「法律になかったら何してもいいの? すぐ法律とか言い出すの、ガキっぽい」
「美桜の妬き方の方が、よっぽどガキっぽい」
「はぁ? 友達が嘘で貶められているのに、ビビって加勢もしてくれないような人間できてないやつに言われたくないんですけど」
「だから謝ったじゃない」
「許してない」
「どうでもいいって言った」
「あんたのことがどうでもいいの」
美堂の目が大きく見開かれる。
ちくり、と胸が痛んだが、努めて涌井はそれを顔に出さないようにする。
顔を俯かせ、何かを堪えるように美堂は両手を硬く握りしめている。
「気付けよ。あのとき、あんたが勝手についてきて話しかけてきても、私はまともに返事しなかったでしょうが」
何か言い返してくるかと、涌井は美堂を睨んで待ったが反応はなかった。
「そういうことだから。もう私にも諸見沢君にも話しかけないでね」
踵を返したところで、涌井は後ろから手首を掴まれた。
「私、嘘ついてた」
「認めるのね、泥棒猫だって」
「美桜が強羅と来栖先生の件で質問攻めにされないよう、諸見沢君に美桜を迎えに行ってくれるよう頼んだの」
「最悪。諸見沢君が私のこと探してたなんて言うから、ちょっと喜んでたのに」
「それは、嘘じゃない。ただ、美桜がいないなら帰ろうって、感じだった」
「へぇ。最初からそう言えばよかったじゃん。なんで、変な嘘言うかな」
「だって、私がいるのに、私は諸見沢君が学校に残る理由にならないんだって思うと、悔しかったから」
「それを認めたくなくて、自分に価値がないことを黙殺して伝えたわけね」
「そんな言い方っ!」
「私をダシにしようって思ったんだ。あんたらしい、汚い発想」
「なんで? なんでそんなこと言うの?」
「あんたのこと、見下げ果てたから」
「ねぇ、意地悪言わないでよ」
「意地悪じゃない。私の、素直な気持ちだから」
「わかった、もう美桜抜きで諸見沢君と話したりしないから」
「私のことを探していたから、とか理由つけて話すんでしょ」
「不可抗力じゃん。無視しろって言うの?」
「できもしない、いや、やりもしないくせに訊かないで」
「そんなに言うなら、私、自分の気持ち諦めるよ」
「はぁ?」
「私、美桜に嫌われたり憎まれたりしたまま、諸見沢君と仲良くしても、楽しくない」
「見え透いた嘘を」
「私、美桜の友達でいたいよ」
「キモ。どんだけ執着してんの」
「キモくてもなんでもいい。私の本心だから。それで、キモいって思われるなら、もうそれまでだよ」
そこまで言われると、さすがに辛辣に接するのも良心が咎めてしまう。
自分の狭量さが嫌になって、涌井の裡に譲歩する気持ちが湧いた。
「あっそ。でも、すぐ元のように接するのは無理。それでいいなら……」
言い終わる直前、ピロン♪という電子音を涌井は聞いた。
「本当にキモくてもなんでもいい。美桜の本性ばっちり録音したから」
手首を掴んでいた美堂の手が離れ、涌井の腕はだらりとぶら下がる。
ゆっくりと振り向いた先では、美堂が嫌らしい笑みを浮かべていた。得意そうに、右手に収まったスマホを振ってさえいる。
「それ、諸見沢君に聞かせるつもり?」
「別にいいでしょ? 私、もう美桜の友達じゃないんだから」
「いくら何でも捨て身が過ぎるでしょ。そんなの録音してる、あんたのことだって」
「うん。だから、キモくてもなんでもいいし、私は自分の気持ちを諦めるの」
言っていることの意味がわからず、涌井は絶句する。
「だからね。私を見ても学校に残る価値がないって、諸見沢君に判断された時点で決めたの」
口角を吊り上げる、悪意に塗れた笑み。
知っている。その表情を見て、涌井は思った。
──当然。みんなから魔女だの化け猫だの勝手に言われてるけど、私、普通の中学生だし
鵯の言っていたことは、嘘でもなんでもない。
「どうせ私に振り向いてくれないのなら、諸見沢君に美桜のことも幻滅してもらおう、ってね」
化け猫の笑みを浮かべた美堂は、スマホをポケットに仕舞った。
「じゃあね。楽しかった時間が終わるの、楽しんでね」
ぽん、と涌井の肩を叩き、美堂は教室に向かう。
「ちょっと、やめてよ」
追いすがり、美堂の肩に伸ばした涌井の手は、しかしひらりとかわされる。
「消して、お願いだから」
「アハハハハハハ! 私のお願いは聞かなかったくせに、自分だけは聞いてもらおうなんて。そんな我儘は通らないんだよ! バーカ!!」
階段の踊り場まで駆け上がっての振り向きざま、立ち尽くす涌井に向かって美堂は中指を立てた。
暴力的なまでの拒絶。
下卑た哄笑を響かせながら、美堂は上階へと走り去っていった。
美堂が立ち去った後も、その哄笑の残響が涌井の耳にこびり付いて離れない。
嵌められた。
マグマのごとき怒りが、涌井の内側に沸き上がる。
先に友達を裏切るようなことをしたのは、美堂の方なのに。
逆恨み、逆ギレ。
そんなみっともない感情で、卑劣な復讐を企むなんて。
「許さない。あんただけは」
あれだけのことをするのだ。
とっくに美堂は録音データをクラウドにでもアップロードして、不測の事態にも備えているだろう。
今更、力づくにスマホを取り上げても、破壊しても無駄だ。
新しいスマホ、または誰かのスマホ、ともかく他の端末へバックアップをダウンロードされただけで詰む。
こめかみが隆起するほどに、涌井は奥歯を噛みしめる。
抑えきれぬ怒りが涌井の心身を焦がした。剥き出しにした歯と歯の隙間からも、憎悪が炎となって噴き出しそうだった。
──また、何かあったら相談乗るからね
予言していたかのような、鵯の提案が涌井の脳裏に蘇る。
それがどこか腹立たしかったが、もう鵯に打ち明ける以外の選択肢は涌井にはなかった。
ふと、全校集会での惨状を思い出す。
しかし、涌井は頭を振って不安をかき消す。
願った結果が、どんなに歪んで実現しようとも構わない。
まさに捨て鉢となって、涌井はずんずんと視聴覚室前の廊下に向かった。
どうせ、あの魔女のことだ。そこにいる、という確信めいたものが涌井にはあった。
◆
「いらっしゃい。どうしたの、そんなに顔を真っ赤にして」
やはり、鵯はいた。
分厚くて難解そうな本から顔を上げ、涌井に微笑んでいる。
成人男性のデスマスクめいた装丁のなされたそれを、教室からここまで持ち運んで読んでいたのかと思うと、涌井の中に笑いが生じそうになった。
しかし、怒りと憎悪を散らされまいとそれを必死に堪える。
ドシン、と鵯の隣に勢いよく座ると、美堂の裏切りと、逆ギレによる自爆特攻的な暴挙について鵯に吐き出した。
「それは酷いね。可愛さ余って憎さ百倍じゃないけど、そんな感じよね」
「そんな感じ! ムカつく!」
思わず背を預けている壁に、握り拳を叩きつけた。
窓が音を立てて震えた。
涌井の打ち付けた拳にも、痛みが走った後、肩まで震えが伝播した。
それがきっかけになったのか、鵯の髪の中に気配が生まれた。
人間は感情によっては特有の匂いを発するという。
涌井のそれを嗅ぎつけたのか、鵯の耳の後ろからドバッ、と五本もの三つ編み髪束が飛び出した。
以前なら飛び退いていたそれも、涌井は厳しい目で見るだけだった。
わらわらと蠢き、今にも涌井に食いつきそうなそれを、鵯は手で撫でつけて宥める。
「で、どうしたいの?」
「殺して」
沈黙。
安直で早まった、決断と呼べるかも怪しい選択。
無論、鵯が間を設けたのは化け猫の笑みを浮かべたからだ。
愚かな依頼者の感情を味わうように、誰が聞いても意味があるようには思えない確認を挟む。
「少し前まで、友達だったんじゃないの?」
「過去は過去、終わったこと。現在進行形であるのは、殺意だけ」
「そうだったね、ごめんごめん。殺っちゃおうね」
「でも」
「どうしたの」
「今度は、私が不快にならないようにして」
「実現の約束はできないけど、具体的にどうしたいのか教えてくれる?」
「私や、諸見沢君とか、私の家族とかが美堂を直接殺すとか、そうでなくても関わる形で死なせるとかはやめて」
「面白いこと言うね。魔術は、意図的に偶然を起こす技術。それも殺人を願うのに、自分や縁者以外に下手人を用意して、と言うわけね」
「できるの、できないの」
「できないなんて言ってないでしょ。ふふふ、陰陽師の使う式神みたいで面白いじゃない」
「録音も、諸見沢君に絶対に聞かれたくない」
「そっちが本当の願いよね。殺したいのは、後顧の憂いを断つのと、腹いせで」
「できる?」
「もちろん。仮に不審死だとしても、スマホを警察に調べられたら涌井さんに捜査の目が向くもの。そうなったら、私も寝覚めが悪いし」
「呪いで殺しても、罪に問われるの?」
「まさか。そうだったら、いくらなんでも代行なんかしないって。でも」
「でも?」
「友達が死んだときに涌井さんは警察に疑われるような人、というイメージがつくのはマイナスじゃない」
「そういうことか」
「だからスマホの奪取、もしくは破壊も目標、っと」
「じゃあ、それでお願い」
「お願い、って。まるで道具みたいに扱ってくれるじゃない」
「えっ?」
「今回は結構、注文があるでしょ」
「でも、できるって」
「できるよ。でも、無条件にとも言ってないでしょ」
「条件? お金取るの?」
「お金が欲しいなら、あなたのお小遣いなんて当てにしないから。言ったでしょ、それ用の魔術を使うって」
「じゃあ、何」
「今回は、涌井さんも儀式に参加して欲しいの」
「私が? 私、魔術なんて全然わかんないし、修行、とかもしたことないのに?」
「涌井さんが何かするというか、涌井さんの注文を通すための制御を手伝って欲しいの」
「私や諸見沢君、家族が手を下さないように、ってやつ?」
「そう。制御しなければ、一番実現しやすい形で結果が出るから。美堂さんに一番強い殺意を持ってるのって、涌井さん、あなたでしょ?」
改めて問われて、涌井は思わず冷やりとしたものを背中に感じた。
美堂のことは亡き者にしたいが、自分の手を汚すことになるなら、わざわざ魔術に頼る意味はない。
そもそも、涌井は自分の手を汚したくないから鵯を頼っているのだから。
「わかった、私も儀式に参加する」
「ありがとう。じゃあ、今日の放課後にも儀式を行いましょう」
「今日?」
「だって、録音。聞かれたらまずいでしょ?」
「そっか」
「諸見沢君が帰ってくれたのが不幸中の幸いね。そうでなきゃ、今からでも手遅れかもだから」
確かに、と思いながら涌井は首肯した。
「じゃあ、一八時に特別教室棟の中庭ね」
立ち上がった鵯は、視聴覚室越しに集合場所を見た。
北校舎と渡り廊下で接続された、コの字型に並んだ特別教室棟。
その間にできた、特に何もないタイル張りの空間を涌井も見た。
「わかった、一八時ね」
確認し合ったところで、掃除の予鈴が鳴った。
子供っぽい理屈を嘯いて、昼休みになるなり諸見沢は帰ってしまった。
ちなみに給食のメニューは、カレーライスだった。
案外、諸見沢が子供舌なことがわかって、涌井は内心それを可愛いと思った。
「で?」
「で、って。何が?」
諸見沢の姿が見えなくなってから、涌井は美堂に切り出した。
「なんであのとき、あんたが諸見沢君と一緒にいたわけ」
「それは、諸見沢君が教室来てから、美桜のこと探してたから」
「私を探してたから、何」
「案内したんじゃん」
「は? 諸見沢君だって幼稚園児じゃないんだから、呼び出されて応接室にいるって言えば済む話じゃん」
「何? 私が諸見沢君と話したり、一緒にいたらいけないの? そんな法律あるの?」
「法律になかったら何してもいいの? すぐ法律とか言い出すの、ガキっぽい」
「美桜の妬き方の方が、よっぽどガキっぽい」
「はぁ? 友達が嘘で貶められているのに、ビビって加勢もしてくれないような人間できてないやつに言われたくないんですけど」
「だから謝ったじゃない」
「許してない」
「どうでもいいって言った」
「あんたのことがどうでもいいの」
美堂の目が大きく見開かれる。
ちくり、と胸が痛んだが、努めて涌井はそれを顔に出さないようにする。
顔を俯かせ、何かを堪えるように美堂は両手を硬く握りしめている。
「気付けよ。あのとき、あんたが勝手についてきて話しかけてきても、私はまともに返事しなかったでしょうが」
何か言い返してくるかと、涌井は美堂を睨んで待ったが反応はなかった。
「そういうことだから。もう私にも諸見沢君にも話しかけないでね」
踵を返したところで、涌井は後ろから手首を掴まれた。
「私、嘘ついてた」
「認めるのね、泥棒猫だって」
「美桜が強羅と来栖先生の件で質問攻めにされないよう、諸見沢君に美桜を迎えに行ってくれるよう頼んだの」
「最悪。諸見沢君が私のこと探してたなんて言うから、ちょっと喜んでたのに」
「それは、嘘じゃない。ただ、美桜がいないなら帰ろうって、感じだった」
「へぇ。最初からそう言えばよかったじゃん。なんで、変な嘘言うかな」
「だって、私がいるのに、私は諸見沢君が学校に残る理由にならないんだって思うと、悔しかったから」
「それを認めたくなくて、自分に価値がないことを黙殺して伝えたわけね」
「そんな言い方っ!」
「私をダシにしようって思ったんだ。あんたらしい、汚い発想」
「なんで? なんでそんなこと言うの?」
「あんたのこと、見下げ果てたから」
「ねぇ、意地悪言わないでよ」
「意地悪じゃない。私の、素直な気持ちだから」
「わかった、もう美桜抜きで諸見沢君と話したりしないから」
「私のことを探していたから、とか理由つけて話すんでしょ」
「不可抗力じゃん。無視しろって言うの?」
「できもしない、いや、やりもしないくせに訊かないで」
「そんなに言うなら、私、自分の気持ち諦めるよ」
「はぁ?」
「私、美桜に嫌われたり憎まれたりしたまま、諸見沢君と仲良くしても、楽しくない」
「見え透いた嘘を」
「私、美桜の友達でいたいよ」
「キモ。どんだけ執着してんの」
「キモくてもなんでもいい。私の本心だから。それで、キモいって思われるなら、もうそれまでだよ」
そこまで言われると、さすがに辛辣に接するのも良心が咎めてしまう。
自分の狭量さが嫌になって、涌井の裡に譲歩する気持ちが湧いた。
「あっそ。でも、すぐ元のように接するのは無理。それでいいなら……」
言い終わる直前、ピロン♪という電子音を涌井は聞いた。
「本当にキモくてもなんでもいい。美桜の本性ばっちり録音したから」
手首を掴んでいた美堂の手が離れ、涌井の腕はだらりとぶら下がる。
ゆっくりと振り向いた先では、美堂が嫌らしい笑みを浮かべていた。得意そうに、右手に収まったスマホを振ってさえいる。
「それ、諸見沢君に聞かせるつもり?」
「別にいいでしょ? 私、もう美桜の友達じゃないんだから」
「いくら何でも捨て身が過ぎるでしょ。そんなの録音してる、あんたのことだって」
「うん。だから、キモくてもなんでもいいし、私は自分の気持ちを諦めるの」
言っていることの意味がわからず、涌井は絶句する。
「だからね。私を見ても学校に残る価値がないって、諸見沢君に判断された時点で決めたの」
口角を吊り上げる、悪意に塗れた笑み。
知っている。その表情を見て、涌井は思った。
──当然。みんなから魔女だの化け猫だの勝手に言われてるけど、私、普通の中学生だし
鵯の言っていたことは、嘘でもなんでもない。
「どうせ私に振り向いてくれないのなら、諸見沢君に美桜のことも幻滅してもらおう、ってね」
化け猫の笑みを浮かべた美堂は、スマホをポケットに仕舞った。
「じゃあね。楽しかった時間が終わるの、楽しんでね」
ぽん、と涌井の肩を叩き、美堂は教室に向かう。
「ちょっと、やめてよ」
追いすがり、美堂の肩に伸ばした涌井の手は、しかしひらりとかわされる。
「消して、お願いだから」
「アハハハハハハ! 私のお願いは聞かなかったくせに、自分だけは聞いてもらおうなんて。そんな我儘は通らないんだよ! バーカ!!」
階段の踊り場まで駆け上がっての振り向きざま、立ち尽くす涌井に向かって美堂は中指を立てた。
暴力的なまでの拒絶。
下卑た哄笑を響かせながら、美堂は上階へと走り去っていった。
美堂が立ち去った後も、その哄笑の残響が涌井の耳にこびり付いて離れない。
嵌められた。
マグマのごとき怒りが、涌井の内側に沸き上がる。
先に友達を裏切るようなことをしたのは、美堂の方なのに。
逆恨み、逆ギレ。
そんなみっともない感情で、卑劣な復讐を企むなんて。
「許さない。あんただけは」
あれだけのことをするのだ。
とっくに美堂は録音データをクラウドにでもアップロードして、不測の事態にも備えているだろう。
今更、力づくにスマホを取り上げても、破壊しても無駄だ。
新しいスマホ、または誰かのスマホ、ともかく他の端末へバックアップをダウンロードされただけで詰む。
こめかみが隆起するほどに、涌井は奥歯を噛みしめる。
抑えきれぬ怒りが涌井の心身を焦がした。剥き出しにした歯と歯の隙間からも、憎悪が炎となって噴き出しそうだった。
──また、何かあったら相談乗るからね
予言していたかのような、鵯の提案が涌井の脳裏に蘇る。
それがどこか腹立たしかったが、もう鵯に打ち明ける以外の選択肢は涌井にはなかった。
ふと、全校集会での惨状を思い出す。
しかし、涌井は頭を振って不安をかき消す。
願った結果が、どんなに歪んで実現しようとも構わない。
まさに捨て鉢となって、涌井はずんずんと視聴覚室前の廊下に向かった。
どうせ、あの魔女のことだ。そこにいる、という確信めいたものが涌井にはあった。
◆
「いらっしゃい。どうしたの、そんなに顔を真っ赤にして」
やはり、鵯はいた。
分厚くて難解そうな本から顔を上げ、涌井に微笑んでいる。
成人男性のデスマスクめいた装丁のなされたそれを、教室からここまで持ち運んで読んでいたのかと思うと、涌井の中に笑いが生じそうになった。
しかし、怒りと憎悪を散らされまいとそれを必死に堪える。
ドシン、と鵯の隣に勢いよく座ると、美堂の裏切りと、逆ギレによる自爆特攻的な暴挙について鵯に吐き出した。
「それは酷いね。可愛さ余って憎さ百倍じゃないけど、そんな感じよね」
「そんな感じ! ムカつく!」
思わず背を預けている壁に、握り拳を叩きつけた。
窓が音を立てて震えた。
涌井の打ち付けた拳にも、痛みが走った後、肩まで震えが伝播した。
それがきっかけになったのか、鵯の髪の中に気配が生まれた。
人間は感情によっては特有の匂いを発するという。
涌井のそれを嗅ぎつけたのか、鵯の耳の後ろからドバッ、と五本もの三つ編み髪束が飛び出した。
以前なら飛び退いていたそれも、涌井は厳しい目で見るだけだった。
わらわらと蠢き、今にも涌井に食いつきそうなそれを、鵯は手で撫でつけて宥める。
「で、どうしたいの?」
「殺して」
沈黙。
安直で早まった、決断と呼べるかも怪しい選択。
無論、鵯が間を設けたのは化け猫の笑みを浮かべたからだ。
愚かな依頼者の感情を味わうように、誰が聞いても意味があるようには思えない確認を挟む。
「少し前まで、友達だったんじゃないの?」
「過去は過去、終わったこと。現在進行形であるのは、殺意だけ」
「そうだったね、ごめんごめん。殺っちゃおうね」
「でも」
「どうしたの」
「今度は、私が不快にならないようにして」
「実現の約束はできないけど、具体的にどうしたいのか教えてくれる?」
「私や、諸見沢君とか、私の家族とかが美堂を直接殺すとか、そうでなくても関わる形で死なせるとかはやめて」
「面白いこと言うね。魔術は、意図的に偶然を起こす技術。それも殺人を願うのに、自分や縁者以外に下手人を用意して、と言うわけね」
「できるの、できないの」
「できないなんて言ってないでしょ。ふふふ、陰陽師の使う式神みたいで面白いじゃない」
「録音も、諸見沢君に絶対に聞かれたくない」
「そっちが本当の願いよね。殺したいのは、後顧の憂いを断つのと、腹いせで」
「できる?」
「もちろん。仮に不審死だとしても、スマホを警察に調べられたら涌井さんに捜査の目が向くもの。そうなったら、私も寝覚めが悪いし」
「呪いで殺しても、罪に問われるの?」
「まさか。そうだったら、いくらなんでも代行なんかしないって。でも」
「でも?」
「友達が死んだときに涌井さんは警察に疑われるような人、というイメージがつくのはマイナスじゃない」
「そういうことか」
「だからスマホの奪取、もしくは破壊も目標、っと」
「じゃあ、それでお願い」
「お願い、って。まるで道具みたいに扱ってくれるじゃない」
「えっ?」
「今回は結構、注文があるでしょ」
「でも、できるって」
「できるよ。でも、無条件にとも言ってないでしょ」
「条件? お金取るの?」
「お金が欲しいなら、あなたのお小遣いなんて当てにしないから。言ったでしょ、それ用の魔術を使うって」
「じゃあ、何」
「今回は、涌井さんも儀式に参加して欲しいの」
「私が? 私、魔術なんて全然わかんないし、修行、とかもしたことないのに?」
「涌井さんが何かするというか、涌井さんの注文を通すための制御を手伝って欲しいの」
「私や諸見沢君、家族が手を下さないように、ってやつ?」
「そう。制御しなければ、一番実現しやすい形で結果が出るから。美堂さんに一番強い殺意を持ってるのって、涌井さん、あなたでしょ?」
改めて問われて、涌井は思わず冷やりとしたものを背中に感じた。
美堂のことは亡き者にしたいが、自分の手を汚すことになるなら、わざわざ魔術に頼る意味はない。
そもそも、涌井は自分の手を汚したくないから鵯を頼っているのだから。
「わかった、私も儀式に参加する」
「ありがとう。じゃあ、今日の放課後にも儀式を行いましょう」
「今日?」
「だって、録音。聞かれたらまずいでしょ?」
「そっか」
「諸見沢君が帰ってくれたのが不幸中の幸いね。そうでなきゃ、今からでも手遅れかもだから」
確かに、と思いながら涌井は首肯した。
「じゃあ、一八時に特別教室棟の中庭ね」
立ち上がった鵯は、視聴覚室越しに集合場所を見た。
北校舎と渡り廊下で接続された、コの字型に並んだ特別教室棟。
その間にできた、特に何もないタイル張りの空間を涌井も見た。
「わかった、一八時ね」
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