一ノ瀬一二三の怪奇譚

田熊

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「久篭村(前編)」

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村が消えた話を、聞いたことがあるだろうか。

 いや、正確には、「村があったはずなのに、誰もそれを覚えていない」という話だ。
 都市伝説としてなら珍しくない。「ある日突然、地図から消えた集落」「消滅した村に行った者は帰ってこない」――ありがちな怖い話だ。

 けれど、僕が今回調べているのは、もっと現実的な話だった。
 つまり、あるはずだった村が、確かに存在していた証拠があるのに、今では誰もそこに行こうとしない。

 そういう場所が、本当にあるのだ。



 きっかけは、古い地図だった。

 仕事の取材のため、昔の地図を調べていたとき、ある違和感に気づいた。
 数十年前の地図には、確かに名前が載っていた村が、最新の地図にはなかったのだ。

 当然、廃村になった可能性はある。過疎化が進み、村としての機能を失い、行政区画上も消えた――というのはあり得る話だ。
 だが、調べを進めると、その村についての情報が異様に少ないことに気づいた。

 行政の記録にも、地元新聞のアーカイブにも、その村が消えた理由についての詳細な記事がない。
 不自然なほど、何も書かれていない。

「そんなことって、あるか?」

 村が消えるなら、当然ニュースになる。
 それが過疎によるものでも、災害によるものでも、何かしらの痕跡は残るはずだ。

 それなのに、その村の名前を知る人間すら、ほとんどいなかった。



「久篭村? いや、そんな村はないねえ」

 村のあったとされる地域の近くにある町で、地元の人に話を聞いてみたが、反応は皆一様だった。

 誰も、その村を覚えていない。

 ただ、一人だけ。

「……やめときなよ」

 古びた商店の店主らしき老人が、ぽつりと呟いた。

「その村の話をするもんじゃないよ」

 他の人間が、「そんな村はない」と即答するのとは違う。
 つまり、この老人は「村のことを知っている」。

「何か、知ってるんですね」

「知らねえよ」

「じゃあ、なぜ『やめとけ』と言ったんです?」

 老人は目を細めた。

「お前、ジャーナリストか何かか?」

「ライターです」

「なら、忠告しておくよ」

 老人はため息をつき、ぼそりと呟いた。

「戻ってこられなくなっても、知らねえぞ」



 忠告を受けた僕は、そのまま村のあった場所へ向かうことにした。
 村へ通じる道は、舗装されておらず、狭い山道だった。

 携帯の電波も徐々に弱くなっていく。

 そして、ようやく――村に辿り着いた。



 そこには、確かに村があった。

 けれど、人の気配はない。
 ほとんどの家は古びて朽ちかけていた。
 完全に廃村――のはずだった。

 しかし、違和感があった。

 家の軒先には、洗濯物が干されている。
 土の上には、つい最近つけられたばかりの足跡が残っている。
 民家の中を覗くと、まだ新しい食器が並べられていた。

 ――まるで、つい昨日まで誰かが住んでいたように。

 ……本当に、ここは廃村なのか?



 日が暮れ始める。

 山に囲まれたこの村は、夕暮れが早い。
 日が傾くにつれ、村の中の空気は急激に冷え込んだ。

 そして――あることに気がついた。

 音が、異様に少ない。

 風が吹いているはずなのに、木々のざわめきが聞こえない。
 土の上を踏みしめる足音も、なぜか吸収されてしまう。
 手を叩いてみたが、その音すら、妙に遠ざかるように聞こえる。

 まるで、ここだけ世界の音が削ぎ落とされているような――。



 僕は、村の中心にある神社へと向かった。

 地元の資料によれば、この村には古くから信仰されていた神がいるらしい。
 だが、その神の名も、いつの間にか忘れ去られていた。

 神社は、驚くほど綺麗だった。

 朽ち果てた家々とは違い、神社だけは新しく手入れされている。
 誰かが管理しているのだろうか?

 僕は鳥居をくぐる。

 その瞬間、耳元で、誰かの声がした。

「……帰れ」

 振り向く。
 だが、誰もいない。

 風の音か? それとも――。



 夜が来る。

 この村で、夜を迎えることは、果たして正しい判断なのだろうか。

 だが、僕は確かめなければならなかった。
 この村で何が起こったのか。

 月の光が、廃村を静かに照らす。

 僕は、ふと気づいた。

 村の奥に、明かりが見える。

 こんな場所に、人がいるはずがない。
 しかし、確かに――誰かが、いる。

 僕は、その光へと足を踏み出した。

〈後編へ続く〉
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