一ノ瀬一二三の怪奇譚

田熊

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「久篭村(後編)」

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夜の村は、異様なほど静かだった。

 風が吹いているのに、木々のざわめきはない。
 足音を立てても、すぐに吸い込まれるように消える。

 そんな中、村の奥でゆらめく光が見えた。
 こんな場所に人がいるはずがないのに。

 光は、どこかぼやけて見えた。
 まるで、目の焦点が合わないまま、微妙に揺らいでいるような。

 僕の直感が警告を発していた。
 近づいてはいけない。

 だが、それでも、僕は足を進めた。
 この村で何が起こったのかを知るために。



 神社の裏手に続く道を抜けると、小さな集落が現れた。

 朽ちかけた家々が並んでいるが、不思議なことに、どれも「完全には壊れていない」。
 屋根は崩れかけているが、家そのものは形を保っている。
 地面には枯葉が積もっているのに、どこか「整頓された感じ」がする。

 そして、その中の一軒。
 僕はそこで、明かりが灯る家を見つけた。

 家の窓は、障子がわずかに開いていた。
 そこから、ちらちらと中の様子が伺える。

 僕は息を殺しながら近づき、そっと覗き込んだ。



 部屋の中には、誰もいなかった。

 ……はずだった。

 何もないはずの空間の中で、確かに「何か」が動いた気がした。
 ほんの一瞬、空気の密度が変わったような、目の奥がざらつくような違和感。

 僕は思わず息を飲み、後ずさった。

 すると、自分の足音が、別の場所からも響いた。

 え?

 今のは、僕が立てた音だったはず。
 なのに、それとは別の足音が、まるで「少し遅れて」響いた。

 後ろを振り向く。

 誰もいない。

 けれど、どこかから、小さな音が聞こえる。
 それは、耳元で囁くような微かな声だった。

 「……なぜ……ここに……」



 身体が固まった。

 声の出どころがわからない。
 すぐそばから聞こえた気がするのに、耳の奥に直接響くような感覚。

 その時、ふと足元を見た。

 ――地面の模様が、おかしい。

 つい先ほどまで踏みしめていたはずの道。
 そこにあるはずの石ころや草の配置が、微妙に違う。

 いや、違うというより、そもそもさっきと同じ道なのか?

 おかしい。

 さっき、僕はこの家の前に来たはずなのに、気づくと数メートル後ろに下がっていた。
 いつの間に?

 もう一度家の方を見る。

 窓の位置が変わっている。

 ありえない。
 さっきまで、障子の開いていた隙間は、もうない。
 逆に、今まで閉じていたはずの別の窓が、少し開いている。

 この村は、少しずつ変わっている。



 僕は足を踏み出し、再び村の中を歩いた。
 先ほどの違和感を確かめるために。

 しかし――

 歩いても、歩いても、景色が変わらない。

 気づくと、僕はまた同じ場所に戻っていた。
 村の中心部にある、古びた神社の前。

 まるで、何かに導かれているように。

 この村は、生きている。



 ふと、空を見上げる。

 ――おかしい。

 さっきまで満月だったはずなのに、月が欠けている。
 しかも、不規則に。

 月の表面が、何かに削られたように、少しずつ欠けていく。

 いや、違う。
 月が削られているのではない。
 これは――

 月の光を、何かが遮っている。

 それは、輪郭を持たない”何か”だった。



 僕は走った。

 村の出口を目指し、ひたすら走る。
 だが、足音は聞こえない。
 風も、葉の揺れる音も、何もない。

 ただ、後ろから――別の足音が響いていた。

 そして、それは徐々に、僕の足音と同じリズムになっていく。

 いや、違う。
 それは――

 僕の足音が、誰かの足音に同調していくのか?

 次の瞬間、背後から、何かが息を吹きかけるような感触を覚えた。

 振り向いた。

 何もいなかった。



 気づくと、僕は村の入り口に立っていた。

 振り返ると、そこに村はなかった。

 あったはずの家々は、すべて廃墟ですらなく、ただの更地になっていた。

 目を閉じ、深呼吸する。

 ――本当に、僕はあの村にいたのか?



 翌朝。

 僕は町の道端で目を覚ました。
 スマホを取り出し、カメラロールを開く。

 村で撮ったはずの写真は、全て消えていた。

 だが、一枚だけ。
 見覚えのない写真が残っていた。

 村の空に浮かぶ、削られた月の写真。

 僕はそれをじっと見つめた。
 それが、僕自身が撮ったものなのか、誰かが撮ったものなのか――

 もう、わからなかった。

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