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第二十九話 薔薇騎士集結

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「おや。セイアス。君が一番乗りか?相変わらず、君は早いね。」
「ヒルデ。お前、帰ってきていたのか。」
「ああ。つい、昨日ね。」
報告の為、王宮に赴いたヒルデは職場に行くと、そこにはセイアスが既にいた。相変わらず真面目な男だ。
「セイアス。君は幸運な男だね。一番に来ていたおかげで君はこの私の差し入れを一番に食べられるという権利が与えられるのだから。」
そう言って、ヒルデはリエルから貰った焼き菓子が入った籠を机の上に置いた。
「いや。結構だ。」
「遠慮しないで。それに、これは君のよく知る女性からの手作りだぞ。」
「…わたしの周りにそんな趣味を持つ女性は…、」
そこまで言いかけて不意にセイアスは口を噤んだ。やがて、ヒルデに視線を向けると、
「もしや…、リエル嬢か?」
「おや。よく分かったね。」
意外とよく見ているのだなとヒルデは感心した。再度、勧めればセイアスはじっと数秒焼き菓子を見つめる。やがて、スッと手を伸ばしてマドレーヌを手に取った。
―おや?
基本的にセイアスは甘いものは好まない。彼はいつも甘い菓子を勧めても断っているし、差し入れで貰う物も全部、知り合いか部下の騎士達にあげている。モテない一部の騎士達は何で団長ばっかり!と恨めし気な視線を投げかけられているが当の本人は我関せずといった態度だ。そんな彼がリエルからの差し入れには手を付けた。ヒルデは思っていた以上にセイアスがリエルを気に入っているのではないかと感じた。
「そういえば、お前とリエル嬢は仲が良いんだったな。」
「ああ。リエルは最高の女性だよ!私が男だったら、間違いなく惚れていたね。まあ、私にはキュロスがいるのだが。」
「菓子を貰ったということは彼女に会ったのか?」
「ああ。ここに来る前にリエルの家でお茶をしてきたんだ。」
「…彼女は、どんな様子だった?」
ヒルデは目をぱちくりした。あのセイアスが女を気にかけるような発言をしたのだ。
「いや。…実は、彼女とつい最近、薔薇園に行った際に私の屋敷に来て貰ったのだが…、その時、彼女の左眼の眼帯を外そうとしてしまったんだ。だが、リエル嬢はそれを酷く嫌がって…、今思えば配慮が足りなかったのではないかと思ってな。あれから、リエル嬢の様子がおかしかったから気になっていたのだ。その…、彼女は普段と変わりなかったか?」
セイアスは普段からあまり表情が変わらない。正統派美形の容姿であるため、乙女の夢見るような美しさだが無表情が常であるため、冷血漢のイメージを抱かれやすい。ファンの女性からはそんな無表情もクールで素敵と騒がれているが一部の人間からは鉄面皮といわれている。付き合いの長いヒルデはセイアスの性格は分かっている。彼は感情が表に出にくいため、表情の変化が分かりにくいのだ。だが、決して心の冷たい男ではなく、根は真面目で勤勉な男だ。融通の利かない性格でもあるが癖の強い薔薇騎士の中では一番の常識人でもある。そんな彼の微妙な感情の変化にも付き合いの長いヒルデなら分かる。彼はリエルを心配しているのだという事に。
「見た感じは落ち込んでいる様子はなかったよ。少なくとも、私と一緒にいる時はとても楽しそうだった。ああ。リエルは君の事も話していたよ。君を器の広い男だと褒めていた。」
「…怒っていたなかったのか?」
「ああ。君との会話は楽しいとさえ言っていた。何なら、試しにまた誘ってみてはどうだい?きっと、喜んで承諾してくれるよ。」
「…そうか。」
何処となく、ホッと安堵したような様子のセイアスにヒルデはにまにまと笑った。その時、扉が開いた。
「ヒルデ!隣国から帰ってきたんだって?」
入ってきたのは二人の騎士だった。一人は薔薇騎士の中で一番小柄で最年少の緑薔薇騎士、リオウ・ド・シャルデール。ダークブロンドの巻き毛にエメラルドの瞳を持った愛らしい美貌の少年騎士。もう一人は紫薔薇騎士、ニコラス・ド・ワイスシュテイン。黒髪に紫紺の瞳をした神秘的な容姿を持つ彼は何処か幻想的で浮世離れした雰囲気を持つ。だが、長く下ろした前髪と俯きがちに歩く猫背のせいで折角の美貌も隠れてしまい、根暗で陰鬱としたイメージを与える。リオウはずかずかとヒルデに近付くと、
「頼んでいた例のお土産持ってきた!?」
「君ね。仮にも一か月、留守にしていた同僚に向かって開口一番、土産の催促だなんて失礼にも程があるんじゃない?」
「お帰り。ヒルデ。無事に帰ってくれて嬉しいよ。さあ!これでいいでしょ!?」
「…はいはい。」
とってつけたような物言いに呆れながらもヒルデは彼に土産を渡した。リオウは大喜びでそれを受け取ると、手近なソファーに座り、包装紙を破り捨てた。
「…それは?」
ニコラスの質問にヒルデは答えた。
「ああ。チェスの攻略本だよ。何でも、隣国で出回っているチェスマニアの輩に売れている本らしい。それを買ってこいって頼まれててね。」
「ふうん。でも、リオウはチェスの名人っていわれているんでしょ?別にそんな本、いらないんじゃ…、」
熱心に本を読み始めるリオウにニコラスは不思議そうに首を傾げた。
「チェスで勝ちたい相手がいるんだって。」
「勝ちたい相手?」
丁度、その時、扉が開いた。
「おや。ヴァルトではないか。」
「…ヒルデ。隣国から帰ってたのか。長期の任務、ご苦労だったな。」
現れたのは黒薔薇騎士、ヴァルト・ド・ノルシュタイン。薔薇騎士の中で一番高い背丈に筋骨隆々とした体つき。黒髪に黒曜石の眼光鋭い瞳に浅黒い肌は見る者に威圧感を与える。精悍で男らしい美貌は中性的で線の細い貴族男性を見慣れている令嬢達にとっては逞しく映る様で筋肉フェチの女性達で結成されたファンクラブがある程だ。
「ただいま。ヴァルト。丁度、良かった。リエル嬢から君に渡して欲しい物があると頼まれていたんだ。」
ヒルデがこれから薔薇騎士達に会いに行くことを知ると、リエルはそれなら黒薔薇騎士に渡して欲しいとヒルデは頼まれたのだ。
「飴細工らしいよ。街で買ったんだって。」
ヴァルトの目がギラリと光った。凶悪な目つきをした男のこの表情を見れば大の男でも怯える程に鬼気迫る表情をしている。だが、ヒルデは知っている。彼のこの表情は喜びを隠しきれていないのだということに。ヴァルトはこんな外見だが大の甘党なのだ。ほくほく顔で飴細工を受け取る彼は今にもスキップしそうな位に上機嫌だ。他の騎士がいたら凶悪な笑みを浮かべていると誤解されそうだが…。
「後、リエルからお手製のお菓子を貰ったんだ。食べるかい?」
「お菓子…。」
ヒルデが勧めると、ヴァルトは飴細工を大切そうにしまうと、いそいそと菓子に手を伸ばした。
「やあ。ヒルデ。お帰り。君がいない間は色のない世界にいるかのような空虚と寂しさで一杯だったよ。だが、君に会えた瞬間、僕の世界は一気に華やぎ、薔薇色の美しい色に、」
「…あー。はいはい。それはありがとさん。悪いけど、私は婚約者以外から甘ったるい台詞は聞きたくもないから自重してくれ。」
「冷たいな。だが、そんな君もキュートで素敵だ。」
次に入ってきたのは黄薔薇騎士、サミュエルだった。開口一番、口説いてくる彼だが彼のこの口調は最早、挨拶である。女性を見たら口説くのが礼儀だと思っているのだろう。それを本気にして泣いた女性は数知れず。相変わらずな同僚の軽薄さにヒルデはげんなりした。リエルにはこの同僚にだけは紹介したくないと心底、思った。
「サミュエル。君も一つ食べる?」
「僕に?素晴らしいね。ヒルデ。君は勇ましい騎士としてではなく、気遣いもできる繊細な一面があるとは。君を妻にできる男は果報者だ。」
「友人が持たせてくれた菓子なんだ。礼なら、私ではなく、彼女に。」
「そうなのか。きっと、君と同じように素晴らしいレディなのだろうね。お礼をしたいから是非…、」
「断る。」
ばっさりと切って捨てたヒルデにサミュエルは残念だと呟き、フィナンシェを摘んだ。
「そういえば、アルバートはまだなのか?」
「あいつなら、廊下で令嬢達に足止めを食らっているよ。」
セイアスの問いにパラリ、と本のページを捲りながらリオウが答えた。すると、やや乱暴な動作で扉が開いた。
「アルバート。久しぶりだね。元気だったかい?」
「…ヒルデ。」
アルバートはヒルデの姿にやや目を瞠ったが任務、ご苦労様とだけ形ばかりの労いの言葉をかけるとそのまま彼女の横を通り抜けた。
「何だい?アルバート。君、何だか機嫌悪いね。何かあったのかな?」
「…別に。」
「やれやれ。そんな顔をしては折角の男前も台無しだぞ。」
「…うるさいな。」
アルバートの機嫌が悪いのはいつものことだ。彼は外面は愛想はいいが素顔はいつもムスッとして仏頂面をしている。愛想笑い以外で彼が楽しそうな様子はほとんど見たことがない。
「そんな君にいいものをあげよう。私からの甘いお菓子の差し入れだ。」
「…別にいい。」
素っ気ない態度のアルバートにヒルデはにこにこと菓子を勧めた。
「疲れた時は甘いものが一番だ!味は私の保証付きだ。さあ、遠慮せずに!」
「だから、いらないって…、むぐっ!?」
鬱陶しそうに断ろうとするアルバートの口にヒルデはクッキーを放り込んだ。反射的にクッキーを咀嚼するアルバートだったがその味に表情が変わった。
「この、クッキー…。」
「旨いだろう?まだたくさんあるから遠慮せずに食べるといい。マドレーヌにフィナンシェに…、」
「会ったのか?あいつに。」
アルバートは剣呑とした視線を向けた。
「あいつって?」
「とぼけるな。あの女に会ったんだろ。…あいつ、リエルに。」
「ああ。そうだよ。フォルネーゼ邸の薔薇園を見ながらリエルとお茶をしてきたんだ。そうそう。彼女と執事がブレンドしたローズティーもご馳走になってね。彼女の淹れるお茶は深みもあって実に…、」
「へえ。もしかして、このお菓子もリエル嬢が?」
サミュエルが興味を惹かれたように呟き、
「セイアスと最近、噂になっている五大貴族のご令嬢と聞いていたからどんなレディなのかと思えば…、噂以上に素敵なレディじゃないか。」
「…サミュエル。お前はリエル嬢と面識はないだろう。」
「いや?リエル嬢とは会ったことあるよ。」
「何だって!?」
ヒルデは仰天した。薔薇騎士の中でも一番会わせたくなかった彼にリエルが会っているなんて衝撃的な事実だったからだ。アルバートはピクリ、と肩を震わせた。
「城下町で会ったんだよ。男達に絡まれているか弱き女性を助けようとしていてね。いや。まさか、ノーブレス・オブリュージュを体現したかの様な貴族令嬢にお目にかかれるとは思わなかったな。今度、会った時は是非、ゆっくりと話してみたいものだ。」
「サミュエル!いいか?リエルはな、お前みたいな女たらしが近付いていい相手じゃないんだぞ!」
「酷い言い草だな。あれだけ素敵なご令嬢にお近づきになるのすら私には許されないのかい?」
「お前が近付いたら、碌な事にならないじゃないか!」
「酷いなあ。あ、そういえば、アルバートはリエル嬢とは婚約者だったんだって?あんな素敵なご令嬢と婚約者だったとは羨ましい。しかも、君達は幼馴染だったそうじゃないか。きっと、小さい頃のリエル嬢もさぞ愛らしく、」
バン!とアルバートは勢いよく机に手をついた。
「…俺の前であいつの話はするな。苛々するんだよ。」
その場に沈黙が訪れる。すると、セイアスが口を開いた。
「アルバート。…少し、話がある。ついてこい。」
そう言って、彼を部屋から連れ出した。
「何だ?アルバートの奴。今日は随分と機嫌が悪いな。」
「…あいつ、リエル嬢について話すといつもあんな感じだよ。」
リオウの言葉にぼそりとニコラスが答えた。
「アルバートはどうして、あそこまでリエル嬢を邪険にするのだろうな。あんないい娘はいないのに。そういえば、あの二人って元婚約者だったな。すると、アルバートは彼女から、いつも手製のお菓子を食べていたのか。…羨ましい。」
「…ヴァルト。君の頭の中はスイーツしかないのか。」
ヴァルトの斜め上な発言にヒルデは呆れた。サミュエルは籠に入ったお菓子に視線を落とし、笑みを深めた。
「フフッ…、お手並み拝見といこうじゃないか。」
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