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第百三十話 あなたが好きです

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「はあ…。あなたとルイのお蔭で助かった…。ありがとう。リヒター。」

リエルは自室に戻り、長椅子に座って緊張と不安が解けたのか安堵の溜息を吐いた。

「いえ。私は何も…。お礼なら旦那様に言ってあげてください。きっと、喜びます。」

「勿論、ルイにも後でちゃんとお礼を言うわ。でも、やっぱり二人の協力があってこそ、無事にやり遂げられたと思うの。だから、お礼くらいは言わせて。」

リエルはニコッとリヒターに微笑んだ。そんなリエルにリヒターは目を細め、恐縮です。と答え、リエルに紅茶を差し出した。

「お嬢様…。もし、お辛いならあなたは無理をしなくてもよろしいのですよ。旦那様だって、あなたには危険な橋を渡らせたくないと…。」

「リヒター…。心配してくれているの?でも、大丈夫。これは、五大貴族の責務で宿命だもの。ルイやあなたが立ち向かっていくのに私だけが逃げる訳にはいかない。そんな甘えは許されないわ。」

「…そうですか。」

「心配してくれて、ありがとう。でも、私は…、この国の害になる悪の種は摘み取らないといけない。その為なら…、例えお母様が相手であっても同じこと。
貴族の世界では時には身内が相手であっても戦わないといけない。私は、今がその時なんだと思う。それに、これは…、私自身のけじめだわ。」

「ええ。そうですね…。」

リヒターは微笑みを浮かべて頷いた。リエルはフウフウ、と息を吹きかけながら紅茶を口にする。

「やっぱり、リヒターの淹れるお茶は美味しいわ。」

「そう言っていただけると、光栄です。」

「私、つい最近まで知らなかったけどアルバートも紅茶を淹れるのが上手いのね。フフッ…、やっぱり兄弟ってそういう所も似るのかしら?アルバートって、昔は紅茶を淹れるのすっごい苦手だったのにいつの間にかあんなに上手くなって…、」

リエルは昔の事を思い出した。
アルバートは一度だけリエルに紅茶を淹れてくれたことがあるのだ。だが、その時の紅茶は渋くてとても飲めたものじゃなかった。思わず、苦い…。と呟いてしまったリエルはハッとして慌てて口を押さえたがもう遅い。アルバートは真っ赤な顔をして、じゃあ、もう飲むな!と言ってリエルから紅茶を取り上げてしまった。なのに、あのリーリア嬢の一件があった夜会の後にアルバートの屋敷で出された紅茶はとても美味しかった。

「そういえば、アルバートの紅茶ってリヒターの淹れた紅茶とよく似ているの。何だか紅茶を淹れる時の手つきとかもよく似ててね。兄弟だからそういう癖とかも似るのかしら?」

リエルが笑いながらそう口にするがリヒターはきっぱりと言った。

「違いますよ。アルバートの紅茶は私が仕込んだものですから似ていて、当然です。」

「え?」

リエルはキョトンとして目を瞬いた。

「その様子だと…、何も聞かされてないのですね。」

リヒターはハア、と呆れたような溜息を吐いた。

「えっと…、どういうこと?」

「今、言った通り…。アルバートの紅茶は私自身が直々に指導をして鍛え上げたものです。まあ、あの愚弟のことですから黙っているだろうとは思っていましたが…、」

「そういえば…、アルバートはたくさん練習をしたって言っていたような…。」

「ええ。それはもう…、数え切れない程、練習をしましたよ。アルバートはお嬢様と違って物覚えが悪くてがさつでしたので中々、習得できず困ったものです。お嬢様は元々、素質があったので問題ありませんでしたがアルバートは…、はっきり言って酷いものでした。」

アルバート…。リヒターから紅茶の淹れ方教わったんだ。リエルはアルバートに同情した。
リエルもリヒターに紅茶の淹れ方を教わったがその時もリヒターはかなり厳しかった。
もしかして、リエル以上に苦労したのではないだろうか。

「アルバートって、そんなに紅茶を淹れられるようになりたかったの?彼はただの興味本位だって言っていたけど…、」

興味本位にしてはやり過ぎではないだろうか。あのリヒターの扱きを受ければ興味があろうが普通の人間はすぐに投げ出してしまいそうだ。そう疑問に思ったリエルだったが

「私がお嬢様に紅茶を淹れてあげるととても喜ばれた、といった事をお話したのですよ。それで少し揶揄ってあげましたらアルバートが本気になりまして…、紅茶位、自分でも淹れられる!と断言しまして。昔、お嬢様に渋い紅茶を出したことを指摘したら、さすがにバツの悪い顔をしまして…、そして、何故かだったら、俺に紅茶の淹れ方を教えろ!と言われまして。それがそもそもの発端です。」

「え…、じゃあ、アルバートって…、」

もしかして、私の為…?リエルはかああ、と顔を赤くした。

「よっぽど悔しかったのでしょうね。私の指導から逃げ出さずにいた根性だけは見直しましたよ。」

リエルは無性にアルバートの紅茶を飲みたくなった。

「次にアルバートに会ったら聞いてあげるといいでしょう。きっと、面白い反応がかえってきますから。」

「…うん。」

リエルはコクン、と嬉しそうに頷いた。リエルは思わず赤くなった頬を押さえた。顔がにやけてしまう。そんなリエルをリヒターはじっと見つめ、ぽつりと呟いた。

「お嬢様は…、今…、幸せですか?」

「え?どうしたの?急に。」

リエルは唐突な質問にキョトンとした顔をして見上げた。リエルは不思議がりながらも微笑んで答えた。

「ええ。私、今…、とっても幸せだわ。こんなに幸せでいいのかなって思ってしまう位。」

「そう、ですか…。」

「リヒター?」

やや目を伏せたリヒターにリエルは声を掛ける。その時、風が窓をガタガタと揺らした。

「わ…、すごい風。嵐でもくるのかしら?」

思わず視線が窓の外に向く。リエルは立ち上がって外を確認しようと窓に歩み寄る。
その時…、グイ、とリエルは後ろから突然抱きすくめられた。リエルは驚いて立ち止まった。そして、思わず声を上げた。

「え?リヒター!?」

「…あなたが好きです。」

「え…、」

リエルは目を見開いた。今…、何て?聞き間違いだろうか。私を好きと言った?

「お嬢様…。私の手を…、取ってはいただけませんか?」

リヒターの吐息がリエルの耳にかかった。リエルはリヒターを見上げた。彼の表情は何を考えているのか分からない。リヒターはリエルをじっと見下ろした。

「アルバートではなく…、私を選んでください。」

リエルはリヒターの言葉に息を呑み、固まった。突然の事に思考が停止する。何と答えればいいのか分からず、混乱してしまう。

「な、何言って…、」

何か言わなきゃ、と思いながらも震える声でそう呟くのがやっとだった。そんなリエルをリヒターは無言で見下ろした。やがて、フッと口元に笑みを浮かべると、すぐにリエルから手を離した。

「…フフッ…、冗談ですよ。」

そうして、いつもの穏やかな笑顔を浮かべたリヒターに戻っていた。先程の緊迫した空気が和らいだ。
心臓がバクバクと激しく音を立てている。

「じょ、冗談…?」

「ええ。そうですよ。どうですか?中々、驚きましたでしょう?」

「り、リヒター!悪ふざけもいい加減にして!」

リエルは騙された、と思い、憤慨した。思わずわなわなと身体を震わせてリヒターを怒鳴りつける。
リヒターに淑女が大声で叫ぶなんてはしたないですよ、と言われたがあなたのせいでしょう!とリエルは益々怒り、クッションを投げつけた。残念ながら当たらずに軽々と避けられたが。

「私がどんな性格かもうお忘れですか?」

リヒターは床に落ちたクッションを拾い上げ、パンパンと汚れを落としながら元の場所に戻した。
そうだった。この執事が腹芸が得意で腹黒な性格だったのをすっかり忘れていた。笑顔で毒を吐き、よく人を揶揄ったり甚振る。それがリヒターだ。最近、彼の毒がなりを潜めていたから勘違いをしていた。リヒターの腹黒さは今も変わっていないのだ。

「それにしても…、先程のお嬢様の反応は中々、面白…、いえ。可愛らしかったですよ。」

「リヒター!」

リエルは真っ赤になってまたしてもクッションを投げつけた。



部屋から追い出されたリヒターは扉を背に預け、フウ、と溜息を吐いた。
さっきまでの笑顔を掻き消し、無表情になる。リヒターはそのまま手元に視線を落とした。
あの時…、彼女を抱き締めた感触がまだこの手に残っている。彼女の身体は小さくて、華奢で自分の腕の中にすっぽりとおさまって…、あのまま力を籠めれば折れてしまいそうだった。リヒターは俯いた。

―何故…、あんな事をしてしまったのだろう。自分は。
彼女が自分を見てくれないのは分かっていた筈なのに…。

リヒターの脳裏にアルバートとリエルの姿が思い浮かんだ。
リエルを送り届けた弟がリエルの額に唇を落とし、リエルが驚きながらも嬉しそうに頬を染めた表情…。
リヒターは深く目を瞑る。そして、次に目を開けた時には…、ある種の決意の色がその瞳に宿っていた。

「…いいでしょう。お嬢様。あなたがその気なら、私は…、」

リヒターは意味深にそう呟くと、コツコツと硬い足音を立ててその場を去った。
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