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第百三十三話 何故、自分は迷っているんだ
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「よし!これでほとんどの材料は買ったし、後は林檎だけね。」
リエルは村の視察の帰りに菓子を作る為に材料の買い出しをしていた。
「わざわざ、お嬢様が買わなくとも、使用人達に買いに行かせてもよかったのですよ?」
「いいの。下町の様子を見れる機会だし、私が好きでやっていることなのだから。」
リエルはリヒターに笑って答えた。すると…、
「あ、あの…、」
その時、リエルは小さな女の子に声を掛けられた。女の子は大きな籠を手にしていた。籠にはたくさんの林檎が入っている。
「よ、よければ林檎はいかがでしょうか?」
林檎売りの少女…。リエルはぎこちなく林檎を差し出す女の子を見つめた。まだ小さい。それに、痩せているし、服もボロボロだ。リエルは女の子に目線を合わせると、林檎を受け取った。
「頂くわ。おいくらかしら?」
「あ、ありがとうございます!」
少女の笑顔にリエルも微笑み返した。
「お嬢様…。幾ら何でもそれは買いすぎでは?」
結局、リエルは林檎売りの少女が持っていた籠の林檎を全部買った。林檎が売れたことに女の子は喜んで帰って行った。そんなリエルにリヒターは呆れたように溜息を吐いた。
「たまにはいいでしょ。暫くは林檎尽くしね。」
そう言って、おどけたように笑うリエルにリヒターは
「どうせ、それもあの少女の為なのでしょう。林檎ならあのような果物売りからではなく、店で買うのが妥当でしょう。そちらの方が状態も質もいいのですから。そもそも、このような下町でなくても、高級で上質な林檎は手に入るでしょうに。お嬢様は人がよすぎます。」
「…私には、これ位しかできないもの。」
リエルは女の子から貰った林檎に視線を落とした。あんな小さな女の子が働かないといけないだなんて…。この国は平和で豊かだがまだまだ貧しい民は多い。そんな現状にリエルは悲し気に目を伏せた。
「ただの自己満足かもしれないけどね。」
リエルはそう言って、苦笑する。そんなリエルをリヒターは目を細め、
「少なくとも…、あの少女はそんなあなたの行動に救われたかと。」
「…そうだといいな。」
リエルはこの国の皆が平和に健やかに暮らしていける世の中になっていければいいと切に願った。
そんなリエルを物陰から見つめる人がいた。黒髪に琥珀色の瞳をした美丈夫に周囲の女性はチラチラと流し目を送る。その顔はあの夜会で出会った黒髪の貴公子…、怪盗黒猫の素顔だった。リエルを見て、黒猫は琥珀色の瞳を細める。
「何故…。」
思わずぽつりと呟いた。何故、あの女はあんな真似をするのだ。あの林檎売りの少女をあそこまで気にかけるんだ。五大貴族の娘なら…、もっと他の貴族令嬢のように傲慢に振る舞えばいいのに。どうして、平民なんかを気にかけるんだ。どうして…、
「くそっ…!」
苛ただし気に舌打ちをし、髪を乱暴に掻きむしった。惑わされるな。あの女はフォルネーゼ家の娘。悪の娘なんだ。自分の敵であり、殺すべき相手…。それなのに…、何故、自分は…、迷っているんだ。
黒猫は自分の手に視線を落とした。この手であの女を殺すと決めた。ただ殺すだけじゃない。絶望を与えた上で苦しんでありとあらゆる苦痛を与えた上で殺してやる。
そう決めたのに…、どうして今になって…、
ギリッと歯軋りをする。原因は分かっている。あいつに忠告されていたにも関わらずリエルについて探りを入れたからだ。あの女の弱味を握ってやろうとその行動を観察するようになったからだ。あの女には悪い噂しかない。だが、詳しく調べているとリエルの悪い噂は逆恨みがほとんどで実際は違う事が分かった。
それに、領地内でもリエルは民に慕われており、子供達にも好かれている。前は孤児院の子供達と楽しそうに遊んでいる姿を目にした。その時の彼女の表情は本物だった。打算も計算もない純粋な心からの笑顔を浮かべていた。フォルネーゼ伯爵の領民達から話を聞くと、リエルは弟と一緒に慈善事業や領地経営に取り組み、領民の為に貢献していたと知った。それを知ってからだ。自分の心に迷いが生じるようになったのは。
何度もあれは仮初の姿だと思い込むようにした。裏の顔を隠しているだけだ。騙されるなと。
あれは、人殺しの娘なんだから。そう自分に言い聞かせた。それなのに…、未だに自分は迷っている。
やっと、ここまで来た…。それなのに、どうして今になってこんな気持ちになるのか。
黒猫はこの揺れる狭間の感情をどこにぶつければいいのか分からなかった。
「まあ。リエル?リエルではないの?」
この声…。柔らかくも優しい声にリエルは振り向いた。
「グレース様!?」
アルバートの母、グレースだった。
「やっぱり、リエルだったのね。お久しぶりね。元気にしていたかしら?」
リエルは驚いて声を上げつつも嬉しそうにはい!と頷いた。
「お久しぶりです。グレース様。今日はお体の具合は大丈夫なのですか?」
「ええ。最近は体調がいいの。」
グレースは孤児院訪問の帰りだったらしい。グレースは慈善活動に熱心な母性溢れる心優しい女性だ。リエルの事も娘の様に可愛がってくれる。母親の愛情を知らずに育ったリエルだがきっと、母親とはグレース様のような女性なのだろうと思ったことがある程だ。
「リヒターも久しぶりね。」
「ご無沙汰しています。グレース様。」
「そうだわ。リエル。もし、良かったら、私の家でお茶でも如何?」
グレースのお茶の誘いにリエルは嬉しそうに了承した。
急遽、アルバートの屋敷に行くことになったリエルだったがアルバートは勤務の為に留守にしていた。
「まあ!やっぱり、そうだったのね!」
リエルがアルバートに告白され、正式に恋人になったことを話すとグレースは嬉しそうに破顔した。
「アルバートの様子が最近、おかしいなと思っていたの。それに、あの子は仮面祭りが終わってからはとても幸せそうで…。あの子ったら何も話してくれないのだもの。」
「きっと、恥ずかしくて言えなかったんでしょうね。」
リエルは和やかにグレースと談笑した。
「そういえば、この間、アレクセイが珍しい本を手に入れたの。リエルも気に入りそうな物だったから今度、あなたに会った時にでも見せてあげたいと思ってて…、」
「珍しい本、ですか?」
「私も詳しいことは知らないけど、随分と昔の人が書いた本で…、確か名前はニッコラといっていたような…。」
ニッコラ。その名を聞いた瞬間、リエルは淑女としてのマナーも忘れ、ガタン!と立ち上がり、テーブルに身を乗り出した。
「ニッコラ!?まさか、あの伝説ともいわれた偉大な哲学者!?
凄い!ニッコラの著書は当時、皇帝が厳しく取り締まり、焼かれてしまったせいで、彼の書籍はほとんど残されていないと聞いていましたのに…!」
「そ、そうなの?」
普段は物静かなリエルからは想像もつかない程に興奮した様子にグレースは驚いた様にたじろいだ。
キラキラと目を輝かせ、上気した頬をするリエルはグレースに懇願した。
「グレース様!押しつけがましいお願いだとは重々承知しています!どうか、その本を私に貸していただえませんか!?もし、貸すのができないのであれば少しだけ拝見させて頂くだけでもいいのです!
勿論、大切に扱います!決して粗末には扱いませんから!あのニッコラの本をぞんざいに扱うなど、歴史への冒涜ですもの!」
「え、ええ…。あの、アレクセイも最初からそのつもりだったから貸すのは全然構わない…、」
「本当ですか!?嬉しい!ありがとうございます!グレース様!」
リエルは両手を合わせて満面の笑顔でお礼を言った。給仕のために部屋の隅で控えていたメイドや侍従は呆気にとられた顔でリエルを見つめた。
それはそうだろう。普通、貴族の令嬢は詩集や恋愛小説は嗜むが哲学書を読む令嬢など珍しい。
恐らく、ほとんどの令嬢は哲学の定義すら分からないだろう。ニッコラと名前を聞いても誰の事かなど検討もつかない。けれど、リエルはニッコラと名前を聞いただけでこの反応…。リエルは嗜むどころかかなりそちらの知識に詳しいのだとよく分かる。まるで恋する乙女の様な表情を浮かべるリエル。
会話さえ聞いていなかったら恋話に花を咲かせる令嬢そのものの姿だ。…会話さえ聞いていなかったらの話だが。
想像もして欲しい。まさか、哲学の本でここまで喜びを露にする令嬢が果たしているだろうか。
多分、この場にいる全員がそう心の中で思った事だろう。
リエルが本の虫、変人令嬢と言われている理由がこの一つである。
リヒターはコホン、と咳払いをすると、
「お嬢様。」
その声にリエルはハッと我に返ると気まずそうに座り直した。恥ずかしさで顔が真っ赤になる。
「…すみません。」
シュン、とするリエルにグレースはふわりと笑った。
「フフッ…、いいのよ。リエルは本当に本が好きなのね。」
そう言って、グレースはすぐに持ってくるわね、と言い、使用人の一人に本を持ってくるように頼んだ。
「あの…、でも、グレース様。本当に今日お借りしてもいいのですか?アレクセイ様もその本をお読みになるのでは?」
「大丈夫よ。アレクセイはもう本は読み終わったから、次はリエルに貸したいと言っていたもの。」
だから、是非持って行ってとにこやかに話すグレースに先程の使用人が声を掛けた。
「奥様。あの…、実はそちらの本ですがアルバート様が借りているらしく、アルバート様のお部屋に保管されているようでして…、」
「あら、そうなの?では、アルバートには私から伝えておくから先にリエルに本を…、」
「え、いえ!アルバートが先に借りているのですから私は後でも…!」
「いいのよ。あの子も騎士の務めで忙しいのだからきっと本を読み終えるのに時間もかかるだろうし…、それまで待たせるのはさすがに申し訳ないわ。それに、あの子だってリエルの為に読んでいる様なものだし…、」
「はい?私の為?」
何で哲学の本を読むことが私の為になるのだろうか?そう疑問に思うリエルにグレースはあ…、と思わず口を手で覆うが
「実はね…、本を手に入れた時、アレクセイがアルバートにもそれを勧めたの。最初、アルバートは興味ないって断ったんだけど、アレクセイがこう言ったの。リエルもこういう本が好きだったな、今度リエルにも貸してあげよう、そういえば女性は本の趣味が合う男性に惹かれると聞いたことがあるな。趣味が合えばそれについて意気投合できるから自然と距離が近付くし、相手を意識するらしいぞ、って。そうしたら、アルバートが速攻で飛びついてね。あの時のアルバートったら、凄い勢いで本を奪い取っていったわよ。」
その時の事を思い出したのかグレースはおかしそうにフフッと笑った。
そんな事が…。驚くリエルにグレースがこれはアルバートには秘密にしてね。と唇に人差し指を立てて、茶目っ気たっぷりに微笑んだ。
リエルは微笑んではい!とそれに頷いた。
リエルは村の視察の帰りに菓子を作る為に材料の買い出しをしていた。
「わざわざ、お嬢様が買わなくとも、使用人達に買いに行かせてもよかったのですよ?」
「いいの。下町の様子を見れる機会だし、私が好きでやっていることなのだから。」
リエルはリヒターに笑って答えた。すると…、
「あ、あの…、」
その時、リエルは小さな女の子に声を掛けられた。女の子は大きな籠を手にしていた。籠にはたくさんの林檎が入っている。
「よ、よければ林檎はいかがでしょうか?」
林檎売りの少女…。リエルはぎこちなく林檎を差し出す女の子を見つめた。まだ小さい。それに、痩せているし、服もボロボロだ。リエルは女の子に目線を合わせると、林檎を受け取った。
「頂くわ。おいくらかしら?」
「あ、ありがとうございます!」
少女の笑顔にリエルも微笑み返した。
「お嬢様…。幾ら何でもそれは買いすぎでは?」
結局、リエルは林檎売りの少女が持っていた籠の林檎を全部買った。林檎が売れたことに女の子は喜んで帰って行った。そんなリエルにリヒターは呆れたように溜息を吐いた。
「たまにはいいでしょ。暫くは林檎尽くしね。」
そう言って、おどけたように笑うリエルにリヒターは
「どうせ、それもあの少女の為なのでしょう。林檎ならあのような果物売りからではなく、店で買うのが妥当でしょう。そちらの方が状態も質もいいのですから。そもそも、このような下町でなくても、高級で上質な林檎は手に入るでしょうに。お嬢様は人がよすぎます。」
「…私には、これ位しかできないもの。」
リエルは女の子から貰った林檎に視線を落とした。あんな小さな女の子が働かないといけないだなんて…。この国は平和で豊かだがまだまだ貧しい民は多い。そんな現状にリエルは悲し気に目を伏せた。
「ただの自己満足かもしれないけどね。」
リエルはそう言って、苦笑する。そんなリエルをリヒターは目を細め、
「少なくとも…、あの少女はそんなあなたの行動に救われたかと。」
「…そうだといいな。」
リエルはこの国の皆が平和に健やかに暮らしていける世の中になっていければいいと切に願った。
そんなリエルを物陰から見つめる人がいた。黒髪に琥珀色の瞳をした美丈夫に周囲の女性はチラチラと流し目を送る。その顔はあの夜会で出会った黒髪の貴公子…、怪盗黒猫の素顔だった。リエルを見て、黒猫は琥珀色の瞳を細める。
「何故…。」
思わずぽつりと呟いた。何故、あの女はあんな真似をするのだ。あの林檎売りの少女をあそこまで気にかけるんだ。五大貴族の娘なら…、もっと他の貴族令嬢のように傲慢に振る舞えばいいのに。どうして、平民なんかを気にかけるんだ。どうして…、
「くそっ…!」
苛ただし気に舌打ちをし、髪を乱暴に掻きむしった。惑わされるな。あの女はフォルネーゼ家の娘。悪の娘なんだ。自分の敵であり、殺すべき相手…。それなのに…、何故、自分は…、迷っているんだ。
黒猫は自分の手に視線を落とした。この手であの女を殺すと決めた。ただ殺すだけじゃない。絶望を与えた上で苦しんでありとあらゆる苦痛を与えた上で殺してやる。
そう決めたのに…、どうして今になって…、
ギリッと歯軋りをする。原因は分かっている。あいつに忠告されていたにも関わらずリエルについて探りを入れたからだ。あの女の弱味を握ってやろうとその行動を観察するようになったからだ。あの女には悪い噂しかない。だが、詳しく調べているとリエルの悪い噂は逆恨みがほとんどで実際は違う事が分かった。
それに、領地内でもリエルは民に慕われており、子供達にも好かれている。前は孤児院の子供達と楽しそうに遊んでいる姿を目にした。その時の彼女の表情は本物だった。打算も計算もない純粋な心からの笑顔を浮かべていた。フォルネーゼ伯爵の領民達から話を聞くと、リエルは弟と一緒に慈善事業や領地経営に取り組み、領民の為に貢献していたと知った。それを知ってからだ。自分の心に迷いが生じるようになったのは。
何度もあれは仮初の姿だと思い込むようにした。裏の顔を隠しているだけだ。騙されるなと。
あれは、人殺しの娘なんだから。そう自分に言い聞かせた。それなのに…、未だに自分は迷っている。
やっと、ここまで来た…。それなのに、どうして今になってこんな気持ちになるのか。
黒猫はこの揺れる狭間の感情をどこにぶつければいいのか分からなかった。
「まあ。リエル?リエルではないの?」
この声…。柔らかくも優しい声にリエルは振り向いた。
「グレース様!?」
アルバートの母、グレースだった。
「やっぱり、リエルだったのね。お久しぶりね。元気にしていたかしら?」
リエルは驚いて声を上げつつも嬉しそうにはい!と頷いた。
「お久しぶりです。グレース様。今日はお体の具合は大丈夫なのですか?」
「ええ。最近は体調がいいの。」
グレースは孤児院訪問の帰りだったらしい。グレースは慈善活動に熱心な母性溢れる心優しい女性だ。リエルの事も娘の様に可愛がってくれる。母親の愛情を知らずに育ったリエルだがきっと、母親とはグレース様のような女性なのだろうと思ったことがある程だ。
「リヒターも久しぶりね。」
「ご無沙汰しています。グレース様。」
「そうだわ。リエル。もし、良かったら、私の家でお茶でも如何?」
グレースのお茶の誘いにリエルは嬉しそうに了承した。
急遽、アルバートの屋敷に行くことになったリエルだったがアルバートは勤務の為に留守にしていた。
「まあ!やっぱり、そうだったのね!」
リエルがアルバートに告白され、正式に恋人になったことを話すとグレースは嬉しそうに破顔した。
「アルバートの様子が最近、おかしいなと思っていたの。それに、あの子は仮面祭りが終わってからはとても幸せそうで…。あの子ったら何も話してくれないのだもの。」
「きっと、恥ずかしくて言えなかったんでしょうね。」
リエルは和やかにグレースと談笑した。
「そういえば、この間、アレクセイが珍しい本を手に入れたの。リエルも気に入りそうな物だったから今度、あなたに会った時にでも見せてあげたいと思ってて…、」
「珍しい本、ですか?」
「私も詳しいことは知らないけど、随分と昔の人が書いた本で…、確か名前はニッコラといっていたような…。」
ニッコラ。その名を聞いた瞬間、リエルは淑女としてのマナーも忘れ、ガタン!と立ち上がり、テーブルに身を乗り出した。
「ニッコラ!?まさか、あの伝説ともいわれた偉大な哲学者!?
凄い!ニッコラの著書は当時、皇帝が厳しく取り締まり、焼かれてしまったせいで、彼の書籍はほとんど残されていないと聞いていましたのに…!」
「そ、そうなの?」
普段は物静かなリエルからは想像もつかない程に興奮した様子にグレースは驚いた様にたじろいだ。
キラキラと目を輝かせ、上気した頬をするリエルはグレースに懇願した。
「グレース様!押しつけがましいお願いだとは重々承知しています!どうか、その本を私に貸していただえませんか!?もし、貸すのができないのであれば少しだけ拝見させて頂くだけでもいいのです!
勿論、大切に扱います!決して粗末には扱いませんから!あのニッコラの本をぞんざいに扱うなど、歴史への冒涜ですもの!」
「え、ええ…。あの、アレクセイも最初からそのつもりだったから貸すのは全然構わない…、」
「本当ですか!?嬉しい!ありがとうございます!グレース様!」
リエルは両手を合わせて満面の笑顔でお礼を言った。給仕のために部屋の隅で控えていたメイドや侍従は呆気にとられた顔でリエルを見つめた。
それはそうだろう。普通、貴族の令嬢は詩集や恋愛小説は嗜むが哲学書を読む令嬢など珍しい。
恐らく、ほとんどの令嬢は哲学の定義すら分からないだろう。ニッコラと名前を聞いても誰の事かなど検討もつかない。けれど、リエルはニッコラと名前を聞いただけでこの反応…。リエルは嗜むどころかかなりそちらの知識に詳しいのだとよく分かる。まるで恋する乙女の様な表情を浮かべるリエル。
会話さえ聞いていなかったら恋話に花を咲かせる令嬢そのものの姿だ。…会話さえ聞いていなかったらの話だが。
想像もして欲しい。まさか、哲学の本でここまで喜びを露にする令嬢が果たしているだろうか。
多分、この場にいる全員がそう心の中で思った事だろう。
リエルが本の虫、変人令嬢と言われている理由がこの一つである。
リヒターはコホン、と咳払いをすると、
「お嬢様。」
その声にリエルはハッと我に返ると気まずそうに座り直した。恥ずかしさで顔が真っ赤になる。
「…すみません。」
シュン、とするリエルにグレースはふわりと笑った。
「フフッ…、いいのよ。リエルは本当に本が好きなのね。」
そう言って、グレースはすぐに持ってくるわね、と言い、使用人の一人に本を持ってくるように頼んだ。
「あの…、でも、グレース様。本当に今日お借りしてもいいのですか?アレクセイ様もその本をお読みになるのでは?」
「大丈夫よ。アレクセイはもう本は読み終わったから、次はリエルに貸したいと言っていたもの。」
だから、是非持って行ってとにこやかに話すグレースに先程の使用人が声を掛けた。
「奥様。あの…、実はそちらの本ですがアルバート様が借りているらしく、アルバート様のお部屋に保管されているようでして…、」
「あら、そうなの?では、アルバートには私から伝えておくから先にリエルに本を…、」
「え、いえ!アルバートが先に借りているのですから私は後でも…!」
「いいのよ。あの子も騎士の務めで忙しいのだからきっと本を読み終えるのに時間もかかるだろうし…、それまで待たせるのはさすがに申し訳ないわ。それに、あの子だってリエルの為に読んでいる様なものだし…、」
「はい?私の為?」
何で哲学の本を読むことが私の為になるのだろうか?そう疑問に思うリエルにグレースはあ…、と思わず口を手で覆うが
「実はね…、本を手に入れた時、アレクセイがアルバートにもそれを勧めたの。最初、アルバートは興味ないって断ったんだけど、アレクセイがこう言ったの。リエルもこういう本が好きだったな、今度リエルにも貸してあげよう、そういえば女性は本の趣味が合う男性に惹かれると聞いたことがあるな。趣味が合えばそれについて意気投合できるから自然と距離が近付くし、相手を意識するらしいぞ、って。そうしたら、アルバートが速攻で飛びついてね。あの時のアルバートったら、凄い勢いで本を奪い取っていったわよ。」
その時の事を思い出したのかグレースはおかしそうにフフッと笑った。
そんな事が…。驚くリエルにグレースがこれはアルバートには秘密にしてね。と唇に人差し指を立てて、茶目っ気たっぷりに微笑んだ。
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