運命力ゼロの悪役令嬢

黒米

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第7章 王立ルミナス学院 6年目

第74話 黒い染み

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馬車の揺れが、クラリスの思考を静かに揺さぶっていた。

窓の外には、春の光を浴びた草原が広がり、遠くで小鳥の声が微かに響いている。
けれど、その穏やかな景色とは裏腹に、胸の奥では小さなざわめきが止まらなかった。

膝の上には、一通の封筒。

差出人の名は記されていない。
ただ、簡潔な文面だけが、クラリスの視線を捉えて離さない。

“至急伝えたいことがある。森のあの場所で待つ”

クラリスは、指先で封筒の端をなぞりながら、深く息を吐いた。
(差出人は不明……でも、恐らくあの剣士だろう)

あれから、どれほどの時間を費やしただろう。

学院の図書館で古い記録を探し、王都の噂に耳を傾けた。
だが何一つ核心には触れられなかった。

英雄、魔法、制度の起源――すべてが霧の中。
だからこそ、この手紙は、暗闇に差し込む一筋の光に思えた。
(ちょうどいい……このままでは、何も進まない)

けれど、その光の奥に潜む影を、クラリスは感じ取っていた。
胸の奥で、言葉にならない不安が小さく芽を出している。

「……大丈夫よ」

馬車の窓から吹き込む春風が、銀髪を柔らかく揺らした。
その風は、希望と――わずかな不穏さを、同時に運んでいた。

*

馬車の車輪が、乾いた土を静かに踏みしめていく。
窓の外には、春の光を浴びた草原が広がり、淡い緑が風に揺れていた。

遠くで鳥の声が響き、空はどこまでも澄んでいる。
けれど、その美しさが、なぜか胸に重くのしかかる。

クラリスは、窓辺に手を添え、視線を外に向けた。
学院を出てからしばらく、何も考えずに景色を追っていた。

ふと、視界の端に異様なものが映る。
「……?」
道沿いに、黒い染みがいくつか点在していた。

乾いた土の上に、不自然なほど濃い黒。
まるで、何かがこぼれ落ちて染みになったような――そんな形。

クラリスは、身を乗り出し、窓から覗き込む。

染みは一つではない。二つ、三つ……いや、もっと。
道の先へと続くように、途切れ途切れに並んでいる。

胸の奥で、冷たいものが小さく芽を出した。
(……何? ただの泥じゃない。雨も降っていないのに、こんな跡が残るなんて)

「……気にしすぎね」
小さく呟き、視線を窓から外す。

だが、その言葉は、自分を安心させるためのものに過ぎなかった。
胸の奥で、不安は静かに膨らみ続けていた。

馬車は、黒い染みを過ぎ、さらに森へと近づいていく。
窓の外の緑が濃くなり、木々の影が長く伸びていた。

その影が、まるで何かを隠しているかのように――不穏な沈黙をまとっていた。

*

馬車がゆっくりと止まった。

窓の外には、深い緑に覆われたフォルセの森が広がっている。
学院の演習で訪れたことのある場所――けれど、今はまるで別世界のように見えた。

クラリスは、懐中時計をそっと閉じ、マントの裾を整える。

「ここで降ります」
御者にそう告げると、冷たい空気が頬を撫でた。

馬車を降りた瞬間、背後の静けさが妙に重く感じられる。
鳥の声は遠く、風の音さえも途切れがちだった。

(……こんなに静かだったかしら)
クラリスは、剣の柄に指先を添えながら、森の奥へと歩みを進める。

足元の土は湿り気を帯び、踏みしめるたびにわずかな音を立てた。
その音が、やけに大きく耳に響く。

記憶を頼りに、あの屋敷への道を辿る。
木漏れ日は細く、影は濃く、まるで何かを隠しているかのように絡み合っていた。

胸の奥で、不安が静かに膨らんでいく。

(……本当に、あの剣士が待っているのよね)
そう自分に言い聞かせながらも、背筋に冷たいものが走る。

やがて、視界の奥に古びた屋敷の輪郭が浮かび上がった。
苔むした壁、崩れかけた石畳、割れた窓――まるで時が止まったような静寂が、その場所を支配していた。

クラリスは、深く息を吸い込み、屋敷の前に立った。

だが――そこには、人影ひとつなかった。

屋敷の前に立ったクラリスは、しばらくその場に佇んだ。

風が止み、森のざわめきさえも消えている。
まるで、世界が息を潜めているかのような静けさだった。

「……誰もいないの?」
小さな声が、重い空気に吸い込まれていく。
クラリスは、屋敷の周囲を歩き始めた。

苔むした石畳を踏みしめる音が、やけに大きく耳に響く。
割れた窓、崩れかけた壁――どこを見ても、人の気配はない。

胸の奥で、不安が静かに膨らんでいく。
(本当に、ここで待っているはずだったのよね……?)

屋敷の裏手まで回り込んでも、剣士の姿は見えなかった。

その時――視界の端に、異様なものが映った。

屋敷の正面、扉の前。
乾いた土の上に、黒い染みが広がっている。

クラリスは、足を止め、ゆっくりと近づいた。
染みは一つではない。

よく見ると、二つ――並ぶように、地面に刻まれている。
胸の奥で、冷たいものが走った。

(……馬車の中から見たものと、同じ……)
指先が、無意識に震える。
染みの形は、不自然なほど濃く、乾いている。

まるで――血が地面に染み込んだ跡のように。

「……まさか」
声が、かすれていた。

剣士の姿はどこにもない。
ただ、この黒い染みだけが、重い沈黙の中で不気味に存在している。

胸の奥で、不安が恐怖へと変わっていく。
(ここで……何があったの?)

クラリスは、視線を屋敷に向けた。
割れた窓の奥は暗く、何も見えない。

だが、その闇が、何かを隠しているように思えてならなかった。

*

冷たい風が、屋敷の前でクラリスの頬をかすめた。
その瞬間、背筋にぞくりとした感覚が走る。

黒い染み――二つ並んだその跡が、まるで無言で何かを告げているようだった。

胸の奥で、不安が恐怖へと変わっていく。
剣士の姿はどこにもない。

ただ、重い沈黙と、不穏な痕跡だけが残されている。

(……ここにいてはいけない)
直感が、鋭い声となって心に響いた。

クラリスは、視線を屋敷の扉に向ける。
割れた窓の奥は暗く、何も見えない。

だが、その闇が、何かを潜ませているように思えてならなかった。

指先が、無意識に剣の柄を握りしめる。
だが、戦うためではない――逃げるためだ。

「……戻ろう、ここには何もない」
小さな声が、静寂に溶けて消える。

クラリスは、屋敷に背を向け、足早に森の道を戻り始めた。
湿った土を踏みしめる音が、やけに大きく耳に響く。

背後の闇が、じっとこちらを見つめているような錯覚に、心臓が早鐘を打った。
森の出口が見えたとき、冷たい風が再び吹き抜けた。

木々がざわめき、葉が舞う。
その音が、まるで誰かの囁きのように聞こえた。

クラリスは、振り返らなかった。
ただ、前だけを見て歩き続けた。

胸の奥で、重い予感が静かに膨らんでいく。
(剣士は……どこへ消えたの? あの黒い染みは――何?)

答えは、まだ闇の中。
だが、確かなことが一つだけあった。

私は何かに巻き込まれたのだ。
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