運命力ゼロの悪役令嬢

黒米

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第7章 王立ルミナス学院 6年目

第75話 失踪

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馬車の車輪が止まり、御者の声が静かに響く。

「王都に到着しました、クラリス様」
クラリスは、深く息を吐いた。
(……着いた。でも、胸の奥の不安は消えない)

フォルセの森で見た黒い染みの記憶が、頭から離れない。
剣士の姿がなかったこと――あれは、ただの偶然だったのだろうか。

マントの裾を整え、馬車を降りる。

春風が頬を撫で、銀髪を柔らかく揺らした。
だが、その風は、どこか冷たく感じられた。

視線の先――王都の正門前に、人だかりができている。
ざわめきが広がり、普段の王都とは違う緊張感が漂っていた。

「……何かあったの?」
小さな声が、胸の奥で呟かれる。

クラリスは、人混みを避けるように歩き出した。
石畳に響く足音が、やけに大きく耳に届く。

(学院祭まで、あと少し。装置の秘密を探る――そのために、私は動く)
そう自分に言い聞かせながらも、背筋に冷たいものが走った。

正門のざわめきが、まるで嵐の前触れのように思えてならなかった。

*

正門前のざわめきが、春風に乗って耳に届く。

クラリスは人混みを避けるように歩き出したが、その足がふいに止まった。

「クラリス」
低く、よく通る声が背後から響く。

振り返った瞬間、胸の奥がわずかに強く脈打った。
深紅のマントを纏い、鋭い眼差しを向ける女性――師匠、レイナ・ヴァルシュタイン。

「師匠……」
クラリスは驚きに目を見開きながら、歩み寄った。

「ここで何をしている?」
その声は、普段よりも硬く、緊張を帯びていた。

クラリスは、わずかに言葉を探し、静かに答える。
「学院に戻るところです」

レイナの視線が、クラリスを射抜くように深まる。
「そうか……」

短い沈黙の後、彼女は視線を正門の人だかりへと流した。
クラリスは、その険しい表情に違和感を覚え、思わず問いかける。
「何か……あったんですか?」

レイナは、わずかに唇を動かしたが、すぐに閉ざした。
「気にするな」
その言葉は、冷たくも優しさを含んでいた。

再び視線がクラリスに戻る。
「どこかに行っていたのか?」

クラリスは、一瞬だけ迷い、答えた。
「……フォルセの森です」

レイナの瞳がわずかに揺れる。
「森で、何か変わったことはなかったか?」

その問いに、クラリスの胸が強く脈打つ。
黒い染みの記憶が、鮮やかに蘇る。

だが――クラリスは、ほんの一瞬の逡巡の後、静かに首を振った。
「……いいえ、何も」

レイナは、短い沈黙を落とした。
その瞳には、言葉にできない影が宿っていた。
「そうか。……気をつけて帰れ」

クラリスは、深く一礼し、その場を離れた。
背後で、騎士団が動き始める気配がする。

その音が、胸の奥に重く響いた。
(何か起きている……でも、何?)

春風が銀髪を揺らし、クラリスの背を押す。
だが、その風は、どこか冷たかった。

*

夕刻のフォルセの森は、昼間の穏やかさを失っていた。

木々の影は濃く絡み合い、冷たい風が枝を揺らすたび、ざわめきが不気味に響く。
王国騎士団の一行は、重い沈黙の中で森へと足を踏み入れた。

先頭に立つレイナの深紅のマントが、薄闇の中でわずかに揺れる。
その瞳は鋭く、周囲の気配を一瞬たりとも逃さない。

「痕跡を探せ」
短い命令が、張り詰めた空気を切り裂いた。

騎士たちは散開し、湿った土を踏みしめながら探索を始める。
鎧の金属音が、森の静寂に不自然なほど響いていた。

やがて、一人の騎士が声を上げる。
「副団長、こちらに……車輪の跡が!」

レイナはすぐに駆け寄り、地面に刻まれた浅い溝を見下ろした。
確かに、馬車のものだ。だが――跡は途中で途切れている。

「……続けろ」
低い声に、騎士たちの緊張がさらに高まる。

森の奥へ進むと、異様な光景が広がっていた。
苔むした岩のそばに、馬車の破片が散乱している。

折れた車軸、裂けた木板――そして、その周囲に広がる黒い染み。
レイナは膝をつき、指先で土をなぞった。

乾いた黒――血の跡だ。しかも、量が多すぎる。
「……襲撃だ」

その言葉が、重く森に落ちる。
騎士の一人が、震える声で呟いた。
「護衛の剣が……折れています。ですが、人影は……」

レイナは険しい表情で立ち上がり、森の奥を睨んだ。
「ユリウス殿下と護衛の姿はない……痕跡が不自然すぎる」

その時、低い風の音が森を駆け抜けた。
木々がざわめき、葉が舞う。

騎士の一人が、かすれた声で言った。
「……獣の匂いがする」

レイナの瞳が鋭く光る。
「撤収だ。これ以上は危険すぎる」

短い命令とともに、騎士たちは足早に森を離れた。
だが、その背後で、風が再び唸りを上げる。
まるで、森そのものが何かを隠しているかのように――。

*

王都の朝は、冷たい緊張に包まれていた。

鐘の音が遠くで響き、石畳を踏みしめる人々の足音がざわめきと混ざり合う。
新聞売りの少年の声が、広場に鋭く突き刺さった。

「――第二王子ユリウス殿下、失踪!」
その言葉は、瞬く間に王都を駆け巡った。
市場の屋台、カフェの窓辺、貴族の馬車――どこも同じ噂でざわめいている。

「護衛も消息不明だって」
「反制度組織UNLUXの仕業じゃないのか?」
「王宮は沈黙しているらしい」

声が重なり、街の空気は不安と恐怖で濁っていく。
王都の掲示板には、黒い文字で速報が貼り出されていた。

『第二王子ユリウス殿下、フォルセの森付近で消息を絶つ』

クラリスは、その文字を見つめたまま、足が動かなかった。
胸の奥が、冷たい手で締め付けられるように痛む。

(……ユリウス様が、行方不明?)
視界が揺れ、脳裏に黒い染みの記憶が蘇る。

あの森の静けさ、屋敷の前に広がっていた不自然な跡――
そして、レイナに「何もなかった」と告げた自分の声。

(……あの時、私は……)
罪悪感が、鋭い棘となって胸に突き刺さる。
だが、その痛みの奥で、別の感情が静かに芽を出していた。

――決意。

(真実を突き止める。何が起きているのか、必ず)
学院に戻ると、講堂では臨時集会が開かれていた。

生徒たちのざわめきが渦を巻き、空気は重く張り詰めている。
壇上に立つレオニスの声が、冷徹に響いた。

「学院祭は予定通り行う。秩序を乱す者は排除する」
その言葉が、クラリスの胸にさらに重くのしかかる。

(秩序……でも、その秩序の裏で何が起きているの?)
窓の外では、風が学院の旗を揺らしていた。
その揺れは、嵐の前触れのように、不穏な影を落としていた。

(学院祭まで、あとわずか――装置の秘密を探る。それが、私にできる唯一のこと)
その決意が、冷たい空気の中で静かに燃え始めていた。
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