怨嗟の記録

かわさきはっく

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第28話 呪いの残滓

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「カリスマ霊媒師、儀式中に謎の焼死」

 その衝撃的な見出しは、瞬く間にインターネットの海を駆け巡った。神凪玲泉の死は格好のゴシップとして、人々の好奇心と野次馬根性を煽り立てた。ニュースサイトのコメント欄や、匿名掲示板は、様々な憶測で溢れかえっていた。

『悪魔召喚に失敗したんだろ』
『高額な料金で恨みを買ってたんじゃないか?依頼者の誰かが放火したとか』
『そもそも全部ヤラセ。派手な引退パフォーマンスに失敗しただけ』

 無責任な言葉の洪水の中で、真実は誰にも知られることなく、濁流の中へと消えていく。伊東と渡辺は、そのニュースを自宅の部屋で、ただ震えながら見ていることしかできなかった。彼らの最後の希望は、世間にとっては、ただの三面記事のネタでしかなかったのだ。

 その喧騒を都心から少し離れた、静かな街の一角で、冷ややかに見つめている一人の女性がいた。
 蓮城桔梗《れんじょうききょう》。
 古美術店を営む彼女の、もう一つの顔は、この国でも数えるほどしかいない、「本物」の異能者だった。彼女の仕事は人々の心の弱さにつけ込む、神凪のような詐欺師とは全く違う。彼女は、ただ、この世とあの世の境界が綻びた時、その綻びを静かに修復するだけ。誰に知られることも、感謝されることもなく。

 桔梗はタブレットの画面に映る、神凪の自信に満ちた生前の顔写真を見つめていた。
「……愚かな男」
 ぽつり、と呟いた。
 同業者、という意識は、全くない。むしろ、同類だと思われること自体が、不快だった。しかし、彼女は、この記事の些細な一点に心を引かれていた。
 現場となった廃チャペル。そして依頼者とされる二人の男女の、その後の不可解な沈黙。この記事の背後には、ただの事故や、人間の悪意だけでは説明のつかない、何か、どす黒い「澱(おり)」のようなものを彼女は感じ取っていた。

「……同業の恥晒しの後始末も、また、務め、か」
 桔梗は、ため息をつくと、静かに立ち上がった。黒いシンプルなパンツスーツに身を包み、彼女は、その「澱」の正体を確かめるために、一人、車を走らせた。

 数時間後、彼女は、あの忌まわしい事件の現場となった、廃チャペルの前に立っていた。
 入り口には警察の黄色いテープが無残に張り巡らされている。桔梗は、そのテープを、まるで存在しないかのように、するりと潜り抜けた。

 チャペルの中に、一歩、足を踏み入れた瞬間、彼女は思わず眉をひそめた。
 空気が、違う。
 外とは、全く異質の世界だった。鼻をつく、物が焼け焦げた匂い。そして、それ以上に、彼女の肌を刺したのは、凄まじいまでの悪意の残滓だった。それは、ただの不成仏霊が放つような、生易しいものではない。何十年という歳月をかけて、丹念に憎悪だけを養分として熟成された、純粋な呪いのエネルギー。その場にいるだけで、魂が凍りついていくような、強烈な冷気だった。

「……これは……」
 桔梗の額に冷たい汗が、一筋、伝った。
 彼女は祭壇へと、ゆっくりと歩を進めた。床には神凪が倒れていた場所を示す、白いチョークの線が生々しく残っている。そして、その周囲には、今もなお、黒く、禍々しい「染み」のようなものが、こびりついていた。それは物理的な汚れではない。この場所に、決して浄化されることのない、強大な怨念が、その爪痕を残していった証だった。

 桔梗は、その場にひざまずくと、目を閉じた。
 そして、意識を、深く、深く、この場所に残された残留思念へと、同調させていく。
(……視せて……。ここで、何が、あったのかを……)

 その夜、桔梗は自室の明かりを全て消し、一本の白い和蝋燭に火を灯した。
 清めの塩で自らの周囲に小さな結界を張る。彼女は静かに、あぐらをかき、呼吸を整えていった。これから行う「霊視」は、彼女の精神を極限まで消耗させる、危険な行為だ。特に、今回のように、相手が桁外れの怨念である場合は。

 やがて、彼女の意識は肉体を離れ、時間と空間を超えた暗い奔流の中へと、沈んでいった。

 最初に視えたのは映像ではなかった。音だった。
 カリ、カリ、カリ……。
 古い部屋の中で、誰かが、一心不乱に、何かを書き続ける音。それは、ペンが、紙を削り取るような、執拗で、狂気じみた音だった。

 次の瞬間、視界が開ける。
 目の前に、一冊の黒いノートがあった。そして、そのノートが、何十冊も、ぎっしりと詰め込まれた、古びた桐の箱。その箱から、どす黒い怨念のオーラが、まるで生き物のように、溢れ出している。桔梗は、そのオーラに触れただけで、吐き気を催した。これは、一人の人間の憎しみではない。これは地獄そのものだ。

 場面が、変わる。
 中学校の薄暗い体育倉庫の裏。
 泥水の味が口の中に広がる。誰かに頭を押さえつけられている。
『お似合いだぜ』
 嘲笑う声。

 場面が、変わる。
 美術室。
 パキリ、という、乾いた音。大事にしていた鉛筆が、目の前で、へし折られる。
 指先に、骨が軋むような鈍い痛み。
『汚え鉛筆だな』
 得意げな声。

 場面が、変わる。
 教室。職員室。帰り道。
 断片的な屈辱の記憶が、濁流のように、彼女の意識の中に流れ込んでくる。
 そして、その全ての光景の片隅で、それを見ている、無数の無関心な目、目、目。

「……ぐっ……!」
 桔梗は、あまりの情報の奔流に歯を食いしばった。
 そして、最後に、彼女は、その怨念の主の顔を、見た。
 鈴木一郎。
 その顔は、怒りでも、悲しみでもなかった。
 能面のような完全な無。
 しかし、その無表情の奥にある、三十数年分の孤独と、絶望と、そして、全てを呪う冷え切った憎悪が、津波のように桔梗の魂を打ちのめした。

「……かはっ……!」
 桔梗は霊視から、無理やり意識を引き剥がされた。彼女は床に倒れ込み、激しく咳き込んだ。全身は冷たい汗で、びっしょりと濡れている。蝋燭の炎は、いつの間にか消えていた。

 彼女は震える手で床を支え、なんとか身を起こした。
 そして、暗闇の中で呟いた。
「……あれは……ただの悪霊じゃない……」
 彼女の顔には、今まで浮かべたことのない、戦慄の色が浮かんでいた。
「あれは、自らの魂を呪いそのものへと変質させた……鬼神だ……」

 桔梗は理解した。
 神凪玲泉の死は始まりに過ぎない。
 あの鬼神は今もなお、この世界のどこかで、その「記録」に基づき、罪人たちに裁きを下し続けている。
 そして、このままでは、被害は、どこまでも拡大していく。

 彼女は立ち上がった。
 足元は、まだ、ふらついている。しかし、その瞳には、強い決意の光が宿っていた。
「……止めなければ」

 たとえ相手が、どれほどの力を持った、鬼神であろうとも。
 この世の理を歪める存在を、放置しておくわけにはいかない。
 それは、彼女に課せられた宿命であり、責務だった。

 蓮城桔梗の孤独な戦いが、静かに幕を開けた。
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