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第二章 ロルディアの影
第36話 影の標的
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ロルディア北部へ向かう街道は不気味なほどに静まり返っていた。
風の音も、鳥のさえずりも消えている。肌にまとわりつくような湿った空気が、俺の神経を逆撫でする。
商人ハインズの護衛として馬車の側を歩きながら、俺は柄を握る手にじっとりと汗が滲むのを感じていた。
(……嫌な空気だ)
ただの静寂ではない。獲物を狙う捕食者が息を潜めている時のような、張り詰めた気配。
俺が視線だけで周囲の茂みを探っていると、エルンがふいに足を止めた。
「カイン」
彼女が片膝をつき、地面にそっと手を添える。その翠緑の瞳が鋭く細められたのを見て、俺の心臓が早鐘を打った。
「風が、不自然に乱れています。……囲まれているわ」
彼女の警告と同時だった。
「ぜ、前方に影! 複数だ!」
馬車の従者が叫ぶ。
御者台の従者が悲鳴のような声を上げる。
道の先、木立の陰から黒布で顔を覆った男たちが、ぞろぞろと姿を現した。
軽装だが、全員が抜き身の剣や斧を手にしている。その数、十人以上。
「……あからさま過ぎるな」
俺は短剣を引き抜きながら、舌打ちした。
盗賊にしては、登場の仕方が堂々としすぎている。それに――。
(こいつら、積み荷を見ていない)
金目の物を狙うなら、視線は馬車に向くはずだ。だが、奴らの粘つくような視線は明らかにエルンと、そして俺に突き刺さっていた。
背筋に悪寒が走る。これは強盗じゃない。最初から俺たちを狙った「狩り」だ。
「おいおい、お前ら。この道を通るにゃあ、通行料が要るんだぜ?」
先頭の男が、下卑た笑いを浮かべて言った。そのわざとらしい芝居に、俺の中の警戒レベルが最大まで跳ね上がる。
「積み荷を置いていけ。それと……そこのエルフの姉ちゃんは俺たちの慰み者になってもらうぜ」
「……下劣ですね」
エルンが冷たく吐き捨てる。その声には恐怖よりも、品性の欠片もない相手への侮蔑が含まれていた。
「冗談だろう」
俺は一歩前に踏み出し、エルンを庇うように立つ。
「そんな三文芝居で、俺たちが大人しく従うとでも?」
「あぁ? 芝居かどうか、その体で確かめてみな!」
男の合図で盗賊たちが一斉に地面を蹴った。殺気が膨れ上がる。
「後衛に弓持ちがいるぞ!」
俺は叫び、エルンに指示を飛ばす。
「先に弓を潰す! こっちは俺が引き受ける!」
「ええ、任せて! 疾風の精霊シルフィードよ! 我が魔力を代償とし敵を切り裂け——烈風の刃!」
エルンの凛とした詠唱が響く。
不可視の風の刃が唸りを上げて空間を断ち切り、木陰から矢を放とうとしていた弓兵を直撃した。
「ぐあぁっ!?」
腕を押さえて倒れ込む弓兵。
よし、これで射線は切れた。俺は地面を蹴り、目前に迫る男の懐へと飛び込んだ。
「死ねぇっ!」
振り下ろされる斧。その風圧を肌で感じながら、俺は紙一重で身をかわす。
心臓が破裂しそうなほどの緊張感。だが、思考は冷え切っていた。
隙だらけだ。俺はすれ違いざま、短剣の柄で男の顎を強打した。ゴリッという嫌な感触と共に、男が白目を剥いて崩れ落ちる。
「まずは二人! 前衛に集中するぞ!」
手応えはある。これなら押し切れる――そう思った矢先だった。
「カイン、伏せて!」
エルンの悲鳴にも似た叫び。
反射的に身を低くした俺の頭上を、一本の矢が通過し、エルンの展開した風の障壁に弾かれて乾いた音を立てた。
まだ伏兵がいたのか? いや、今の矢の威力、さっきの連中とは段違いだ。
「……カイン」
その時、馬車の陰に隠れていたルナが、低く、獣のような唸り声を上げた。ルナの全身の毛が逆立っているのが分かる。
「にんげん……もっとくる。ちがうにおい……たくさん、いる」
ルナの言葉に俺は戦いの高揚が一気に冷めるのを感じた。
違う匂い? 目の前の盗賊たちとは別の、もっと濃密で異質な殺気。
(――まさか、こいつらはただの囮か?)
俺の背中を氷のような汗が伝う。
目の前の敵と戦いながら、俺たちは本当の敵に「観察」されている。
「撤退しよう!」
俺は迷わず叫んだ。ここで時間をかければ、正体不明の「本命」に囲まれる。
「エルン、目くらましを頼む! ハインズさん、馬車を森の反対側へ走らせてくれ! 全力だ!」
「わ、わかった!」
ハインズが蒼白な顔で鞭を振るう。盗賊たちが焦りの色を見せた、その瞬間だった。
ザワッ……。
森の奥、俺たちの背後の闇が、一瞬だけ揺らいだ。
姿は見えない。だが、そこにあった圧倒的な「何か」が、ふっと霧散していくのを感じた。
「……消えた?」
俺は短剣を構えたまま、森の奥を睨みつけた。
盗賊たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていくが、俺の意識はそれどころではなかった。
今、確かにそこにいた。俺たちの首元に刃を突きつけ、寸前で引いた「何か」が。
「……こちらの力量を測っただけかもしれないわ」
エルンが肩で息をしながら、ぽつりとつぶやいた。その顔色は優れない。彼女も感じ取ったのだろう。あれが、今の自分たちでは手に負えないかもしれない存在だったことを。
「この襲撃は……まだ始まってもいなかったのかもしれない」
俺の言葉は重く澱んだ空気の中に溶けていった。
助かったという安堵感はない。ただ、見えない糸に絡め取られていくような、底知れぬ不安だけが俺たちの胸に残った。
風の音も、鳥のさえずりも消えている。肌にまとわりつくような湿った空気が、俺の神経を逆撫でする。
商人ハインズの護衛として馬車の側を歩きながら、俺は柄を握る手にじっとりと汗が滲むのを感じていた。
(……嫌な空気だ)
ただの静寂ではない。獲物を狙う捕食者が息を潜めている時のような、張り詰めた気配。
俺が視線だけで周囲の茂みを探っていると、エルンがふいに足を止めた。
「カイン」
彼女が片膝をつき、地面にそっと手を添える。その翠緑の瞳が鋭く細められたのを見て、俺の心臓が早鐘を打った。
「風が、不自然に乱れています。……囲まれているわ」
彼女の警告と同時だった。
「ぜ、前方に影! 複数だ!」
馬車の従者が叫ぶ。
御者台の従者が悲鳴のような声を上げる。
道の先、木立の陰から黒布で顔を覆った男たちが、ぞろぞろと姿を現した。
軽装だが、全員が抜き身の剣や斧を手にしている。その数、十人以上。
「……あからさま過ぎるな」
俺は短剣を引き抜きながら、舌打ちした。
盗賊にしては、登場の仕方が堂々としすぎている。それに――。
(こいつら、積み荷を見ていない)
金目の物を狙うなら、視線は馬車に向くはずだ。だが、奴らの粘つくような視線は明らかにエルンと、そして俺に突き刺さっていた。
背筋に悪寒が走る。これは強盗じゃない。最初から俺たちを狙った「狩り」だ。
「おいおい、お前ら。この道を通るにゃあ、通行料が要るんだぜ?」
先頭の男が、下卑た笑いを浮かべて言った。そのわざとらしい芝居に、俺の中の警戒レベルが最大まで跳ね上がる。
「積み荷を置いていけ。それと……そこのエルフの姉ちゃんは俺たちの慰み者になってもらうぜ」
「……下劣ですね」
エルンが冷たく吐き捨てる。その声には恐怖よりも、品性の欠片もない相手への侮蔑が含まれていた。
「冗談だろう」
俺は一歩前に踏み出し、エルンを庇うように立つ。
「そんな三文芝居で、俺たちが大人しく従うとでも?」
「あぁ? 芝居かどうか、その体で確かめてみな!」
男の合図で盗賊たちが一斉に地面を蹴った。殺気が膨れ上がる。
「後衛に弓持ちがいるぞ!」
俺は叫び、エルンに指示を飛ばす。
「先に弓を潰す! こっちは俺が引き受ける!」
「ええ、任せて! 疾風の精霊シルフィードよ! 我が魔力を代償とし敵を切り裂け——烈風の刃!」
エルンの凛とした詠唱が響く。
不可視の風の刃が唸りを上げて空間を断ち切り、木陰から矢を放とうとしていた弓兵を直撃した。
「ぐあぁっ!?」
腕を押さえて倒れ込む弓兵。
よし、これで射線は切れた。俺は地面を蹴り、目前に迫る男の懐へと飛び込んだ。
「死ねぇっ!」
振り下ろされる斧。その風圧を肌で感じながら、俺は紙一重で身をかわす。
心臓が破裂しそうなほどの緊張感。だが、思考は冷え切っていた。
隙だらけだ。俺はすれ違いざま、短剣の柄で男の顎を強打した。ゴリッという嫌な感触と共に、男が白目を剥いて崩れ落ちる。
「まずは二人! 前衛に集中するぞ!」
手応えはある。これなら押し切れる――そう思った矢先だった。
「カイン、伏せて!」
エルンの悲鳴にも似た叫び。
反射的に身を低くした俺の頭上を、一本の矢が通過し、エルンの展開した風の障壁に弾かれて乾いた音を立てた。
まだ伏兵がいたのか? いや、今の矢の威力、さっきの連中とは段違いだ。
「……カイン」
その時、馬車の陰に隠れていたルナが、低く、獣のような唸り声を上げた。ルナの全身の毛が逆立っているのが分かる。
「にんげん……もっとくる。ちがうにおい……たくさん、いる」
ルナの言葉に俺は戦いの高揚が一気に冷めるのを感じた。
違う匂い? 目の前の盗賊たちとは別の、もっと濃密で異質な殺気。
(――まさか、こいつらはただの囮か?)
俺の背中を氷のような汗が伝う。
目の前の敵と戦いながら、俺たちは本当の敵に「観察」されている。
「撤退しよう!」
俺は迷わず叫んだ。ここで時間をかければ、正体不明の「本命」に囲まれる。
「エルン、目くらましを頼む! ハインズさん、馬車を森の反対側へ走らせてくれ! 全力だ!」
「わ、わかった!」
ハインズが蒼白な顔で鞭を振るう。盗賊たちが焦りの色を見せた、その瞬間だった。
ザワッ……。
森の奥、俺たちの背後の闇が、一瞬だけ揺らいだ。
姿は見えない。だが、そこにあった圧倒的な「何か」が、ふっと霧散していくのを感じた。
「……消えた?」
俺は短剣を構えたまま、森の奥を睨みつけた。
盗賊たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていくが、俺の意識はそれどころではなかった。
今、確かにそこにいた。俺たちの首元に刃を突きつけ、寸前で引いた「何か」が。
「……こちらの力量を測っただけかもしれないわ」
エルンが肩で息をしながら、ぽつりとつぶやいた。その顔色は優れない。彼女も感じ取ったのだろう。あれが、今の自分たちでは手に負えないかもしれない存在だったことを。
「この襲撃は……まだ始まってもいなかったのかもしれない」
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