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第七章
閑話 追憶の楓 前編
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ふぅっ……ふぅっ……。
うだるような夏の暑さの中、山道を歩く一人の女性の姿があった。
前髪を伸ばし、眼鏡をかけた女性の素顔は美人と評される部類のものではあるが、野暮な眼鏡フレームや髪型によって、その魅力を十分に活かしきれてはいない。
しかも、山歩きをしているせいか化粧なども一切しておらず、スッピンのままだった。
服装の方も、デニム生地のズボンにラフなTシャツ姿であり、ファッションに気を使っている様子も見受けられない。手には軍手なども身に着けていた。
だが山歩きをするには機能的な服装ともいえる。
パタパタッっと、汗で張り付いていたTシャツを扇ぎながらこれまで歩いてきた道のりを振り返る。
周囲からは木々の緑や草葉が風で揺らめく音や、微かな水音が聞こえてくる。
そんな森の中を貫く一本の登山道は、すでに女性――楓の視界からでは上り始めた麓の部分がとうに見えなくなっていた。
大学が夏季休暇に入り時間を持て余していた楓は、自室に籠ることが多かった。
しかしほとんど家に寄り付かないとはいえ、すっかり冷えた関係性となっていた両親のいる自宅は、楓にとっては居心地の悪い空間でしかなかった。
インドアとアウトドア。どちらの趣味も持っていない楓にとって、ただ無情に過ぎていく時間は彼女の精神をジワジワと追い詰める。
こういった時には人それぞれ解消手段があったりして、例えば買い物をしまくるだとか、遊びにいくだとかして心の内をスッキリさせたりするものだ。
そして趣味を持たない楓が、熟考の上に考えたのが冒頭の山に行くというものだった。
未だに人と接する事が出来ない楓にとっては、人のいる場所にいくという事はまず考えられなかったのだ。
きちんと下調べをして、必要なものは背負ったリュックサックに詰め込んである。
夏場という事で、大きめの水筒に塩分補給用の塩飴。汗拭き用のタオルや替えの下着など、必要そうなものは準備してあった。
といっても、キャンプをする予定などもなく日帰りで戻る予定だ。
(この水音は向こうからかな……?)
微かに聞こえてくる水音が気になった楓は、山道の途中で横の森に分け入り先へと進む。
すると、先に進むにつれ段々と水音が大きくなっていき、やがて小さな川へと到達した。
川幅は数メートル、水深は深いところでも一メートルあるかないかといった大きさで、川の周囲には大小さまざまな石があり、川の中では大きな石などにあたった水が飛沫を上げている。
川の両サイドは小さな石が敷き詰めれた河原道となっている。
釣りやキャンプなどには打ってつけといったように見えるが、周辺に人の気配はなかった。
キョロキョロと周囲を伺って様子を見た楓は、誰もいない事を確認すると荷物を下ろす。そして靴と靴下、それからデニムのズボンを脱ぐと川へと入っていく。
「冷たっ」
山の中を流れる川の水は楓が思っていたより冷たく、夏の日照りと山歩きで火照った楓の体を心地よく冷ましていく。
川に入った楓が近くを見回すと、いくつか魚の姿も見られる。
他にも周辺を探ってみると、小さなカニの姿やカエルの姿なども見られ、思いの外時間を忘れて楓は大自然を堪能していた。
そうしてしばらく時間を過ごした楓は、川から上がるとタオルで塗れた部分を拭き、少しの間川辺に横たわって川の音を楽しみつつ足を乾かす。
それから再びズボンや靴を身に着けた楓は、川辺に沿って上流へと移動し始める。
どれほど歩いただろうか。
楓がしばらく川辺を歩いていると、前方に人影を発見した。
近づいてみると、どうやら中年の男性のようで、何やら作業中のようだ。
普段の楓なら回れ右をする所だったのだが、自然環境に包まれて心が開放的になっていたのか、はたまた単純に何をしているのか気になってしまったのか。
自分から近づいていって男に声を掛ける事にした。
「あ、あの……。ここでな、何してるんですか?」
「ん?」
そう言って振り返った男の服装は、まるで渓流釣りでもしてるかのようなポケットのたくさんついたジャケットを上に着ていた。
頭頂部に届く勢いで禿げあがった頭髪をしているその男は、恐らく年齢的には四十代といった所だろうか。
メガネをかけているが、楓がつけているような伊達メガネではなく、普通に視力補正のためのメガネだろう。
「ちょっと魚をな。焼こうと思って」
そう言う男性の足元には、周辺の石を積み上げて作られた簡易竈門らしきものがあり、その近くで手に持った器具で火をつけようとしていたようだった。
「そ、そんなので……火がつく、んですか?」
カチカチッと石を打ち付けている様子を見て疑問な様子の楓。
確かに打ち付ける度に火花は散っているのだが、こんなもので火が付くとは思えなかった。
「まあ、見て、な、って」
石を打ち付けながらそう言う男。
やがて火花が手にしていた火種に移り、微かに煙を上げ始める。
その火種を慎重に吹きながら、煙の量がある程度増えてきたところで、男は徐に火種を持ち上げて思いっきり振り下ろす。
「うわっちぃ!」
そこで急激に発火した火種にビックリした男は、思わず火種を落としそうになるが、どうにか竈門のある燃えやすく小さな枯れ草や枝などをまとめた場所に放り込んだ。
すると、徐々に火種から発した火は燃え広がっていく。
「わぁ……」
その様子に思わず感嘆の声が漏れる楓。
そんな楓の態度に気をよくしたのか、それともようやく食事にありつけるからなのか。
ウキウキとした様子で、既に捌いて塩を振ってあった川魚を串刺しにして、竈門のそばに突き立てる。
「アンタも食うか?」
「え、あ、その……」
突然の申し出に困った様子の楓だが、今日はお昼に栄養調整用のクッキーのようなお菓子なようなものを食べて以来、他に口にはしていなかった。
そのせいか、目の前で焼かれている焼き魚の匂いに刺激されて、思わずお腹がクゥゥと可愛い音を立ててしまう。
「あっ……」
「はははは、腹は正直なようだな。ほれ、これなんかもう焼けてるぞ」
そう言って串刺しにされた魚を一本楓に差し出すと、男は自分の分の魚も引き抜いてガブリッと豪快にかぶりつく。
「……うん! なかなか美味いな!」
自分で釣って、自分で調理して、火起こしまで自分で行う。
それと周囲の環境も相まってか、男はとても美味しそうに魚を食べている。
楓も不器用に「あ、ありが、とう」と言いながら、魚を口にする。
その魚は、確かに男が言うように妙に美味しくかんじられた。
それからしばらく咀嚼音だけが二人を支配した。
やがて食事が終わり一息つくと、自然と会話が始まっていた。
人と接するのが苦手な楓だったが、男も無理に突っ込んだ話題にはしてこなかったので、楓としてもなんとか応対はできていた。
「し、小説、ですか?」
「ああ、そうだ」
なんでも男の話によると、男の職業は小説家であり、ここには気分転換と小説のネタ探しや実験なども兼ねてやってきたらしい。
わざわざこんな山の中で野宿する予定らしく、楓よりも大仰な背負い袋を持ってきていた。
「ああ、丁度いいからこれをやるよ」
そう言って男は自分の小説を背負い袋から取り出した。
「え、で、でも……」
「それは布教用に持ち歩いている俺の小説の一巻だ。それを読んで気に入ってくれたなら、続きを買ってみてくれ」
そう言って小説を押し付けられる楓。
表紙には何やらアニメ絵のようなものが描かれている。
「で、では頂きます……。あの、あり、ありがとうございます……」
「いいってことよ。こんな所で出会ったのも何かの縁ってね」
そう言って笑顔を向ける男の顔は何故かぼやけて滲んでいる。
更に、周囲から聞こえてきた川のせせらぎの音や虫の鳴き声もどこか遠くなっていく。
視界も徐々に薄っすらとしてきており、やがて楓の意識も徐々に薄れていった。
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