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第八章
第178話 堕ちた信也
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『それは、ユーの"魅了"がキャンセルされたのかもしれないね』
人の寄り付かない森の奥。現在は長井や『流血の戦斧』のアジトとなっている小屋に、新しく増設された小さな部屋。
そこは長井やヴァッサゴなど、ある程度立場のある者以外の入室が禁じられていた。
その部屋には、コストがかかるので緊急時以外使用禁止と言われていた、通信用の魔法道具が設置されている。
設置、といっても、ギルドでよく使われているような大きなものではなく、通信用の魔法道具としては大分小型のものだ。
その小型の通信装置を使って長井が連絡を取った相手は、イドオン教の司祭であるシュトラウスだ。
あの日、長井が抱いていた計画を大きく変えざるを得なくなってしまった日。
シュトラウスの軍門に下った長井らには、幾つもの魔法道具などが貸与された。
この通信用の魔法道具もその一つで、今回の件に関しても報告しておくべきと判断した長井は、主の指示を仰いでいた。
「キャンセル……。でも村にいた教会関係者で、一番腕の良いという評判の中級"神聖魔法"の使い手は確保してあるわ。それにソイツにも聞いたけど、魅了状態を解除って中級魔法の中でも難しいのよね?」
長井のいうソイツとは、《ジャガー村》のゼラムレット教会に司祭として赴任してきた四十過ぎの男の事だ。
今はこのアジトで暮らしており、先日【フレイムランス】を食らって負傷していたドヴァルグを治療したのも彼だった。
今頃ゼラムレット教会では、突然姿を晦ました司祭の捜索が行われている頃だろう。
「ソウね。でも冒険者の中にはキャスト出来る者もいるかもしれないね」
長井が魅了した司祭の男も、魅了の治療はやった事がなく、恐らく自分には魅了の解除は出来ないだろうとも語っていた。
そうなると、魅了解除が出来る者となると、冒険者の中でも数が絞られてくる。
長井もジワジワと勢力を伸ばしてきてはいたが、ただでさえダンジョンに潜っていてろくに接触も出来ない相手。……それも、自分より圧倒的にレベルが上の冒険者相手に、魅了を掛けることは出来ていなかった。
「プロブレムなのは、魅了を解除出来る人物よりも、どうして魅了状態がバレたかデース」
前述の司祭に関しては、緊急性が高いと思って強引に連れ出してしまったが、他の魅了をかけた相手には、妙な動きはしないように厳命している。
長井としても、どこから情報が漏れたのかは気になる所であった。
「ひとまずユーはそこでウェイトして、ミニオンズに情報をコレクトさせるね。こちらも少しアクションがあったからミーも派手に動けないけど、そちらにミーの手の者をディスパッチするね」
「分かった。慎重に動くことにするわ」
他にも幾つか会話を交わした長井は、通信装置を停止させる。
そして、そのまま静かに考え事を始めた。
魅了が解除されているのなら、どの程度まで解除されているのか。
それと魅了された人が発見された事で、村ではどういう状況になっているのか。
魅了の発信源についてはどこまで知られているのか。
色々と考えを巡らせる長井だが、結論はさっぱり出てこない。
(ここはとりあえず、アイツのいう通りにしておくか。あとは、アレを仕上げておかないと……)
まずやっておくべきことを行う為、アレが待機しているハズの部屋に移動する長井。
それは元々あった倉庫部屋を拡張した部屋で、室内には保存の効く食料をはじめとした荷物が幾つか収められている。
とはいえ、荷物の量はそこまで多くはなく、今では増えてきた長井一派の面々が、寝泊まりする場所としても利用されている。
その部屋の中にいるのは一人の若い男だ。
最初長井らが戻って来たときは二人ほど室内に人がいたのだが、二人は一旦追い出され、代わりに中に入れられたのは若い男――信也だった。
床に直接胡坐をかいて座っている信也は、呆けたまま一点を見つめ、ブツブツと何かを呟いていた。
長井が室内に入ってきても、何も反応を見せる様子はない。
まるで壊れたオモチャのように何かを呟き続ける。
それはこの世界の言葉ではなく日本語であったのだが、ボソッとした話し方と妙な早口のせいで、何を言っているのかが聞き取れない。
ただ、ひとつだけ聞き取れる言葉があった。
「ナガ……イ。アイ……シテル…………」
「フ、フハッ、アハハハハハハハハハハハッッ!」
信也のその言葉を聞いた長井は、愉悦に口の端が上がり、ヒステリックな笑い声をあげる。
これまで念入りに仕込んできた種が、ついに芽を出したのだ。
当初は他の異邦人全員を魅了下においてから、手足として動かしてやろうと思っていたのだが、状況が変化してしまった。
元々同じパーティーで一緒にいる時間の多い信也に関しては、特に念入りに魅了をかけていた。
そのお陰で、すでに大分前の段階で魅了状態にすることは出来ていたのだが、長井から何か信也に命令する事もなかったし、信也もまた長井に個人的に接触を持つこともなかった。
もしかしたら、信也自身には自覚症状すらなかったかもしれない。
そういった信也の状態は、長井にとっても悪くないもので、いざとなったら一声かけるだけで自分の手駒になる。あの、クソうざったい、真面目ぶった男が、だ。
それは常に何かしらにイラついている事の多い長井に、一時の充実感を与えた。
「和泉、私の言葉が分かる?」
一頻り笑った長井が、そう声を掛けつつ信也の前方にある木箱に腰掛ける。
目線を信也に合わせるようにすると、信也も長井へと視線を向ける。
その瞳はどこか虚ろで、現実が見えていないような淀んだ瞳だった。
信也のその瞳に向けて、長井は"魅了の魔眼"の力を強く発動し、仕上げへと入る。
「クッ……」
相変わらず魔眼の能力に力を割くと、眼が潰されるような痛みや、体の中から何か大事なものが抜け落ちていくような感覚を覚えるが、長井は気にせずスキルを発動しながら信也に話しかける。
「いい? 最初に言ったように、私は『流血の戦斧』の連中と手を組んでいるし、他にも色々と計画している事や隠している事もあるわ。そこで、アンタにも私の計画を手伝ってもらう」
「ケイカク……、テツダウ…………オレ……が?」
長井はこのアジトに信也を連れてくる途中に時間を取って、信也に"魅了の魔眼"の能力を使用していた。
普段の生真面目な性格からして、いきなり流血の面々と接触したら流石にどうなるか分からないと判断したからだ。
出来るならもう少し段階を踏んでいきたかったが、こうなっては仕方ない。
魔眼を使ってからは信也の様子がおかしくなっていったが、これまで魅了した連中でも似たような症状は何度も見てきた。
少しすれば意識も落ち着いて、長井のいう事を素直に聞くようになってくる筈だ。
ただ、信也に関しては密かに長期間仕込んでいたせいか、他の人よりも反応が強かった。
あれから山小屋に信也を連れていき、流血や他の連中との顔合わせをした時も、これといった反応を見せることがなかった程に。
その状態は今こうしてシュトラウスと連絡を取って、戻ってきてからも続いていた。
両者の目は合っているのだが、信也の方の目の焦点は合っていないままだ。
そんな虚ろな状態の信也に、長井は仕上げをしていく。
「そう。アンタは私の為に働く事こそが、生きる意味。私の言葉に従う事こそが、至高の悦楽。そして、私を喜ばせる事だけが、アンタの全て」
「オレ……ハ…………」
再び信也がブツブツと何かを呟き始める。
それは、先ほどの長井の言葉を反芻しているようで、徐々に言葉尻が強くなり、ハッキリとした言葉遣いになっていく。
「俺はッ! 長井の為に働く! 事がッ! 生きる意味!」
信也が徐に立ち上がる。
「長井のッ! 言葉に従う事がッ! 俺にとっての至高の悦楽ッ!」
そして激しく右手を上下に大きく振り始める深夜。
「そしてエエエエエェェェェッ! 長井を、喜ばせる事ガッ! 俺の、全テエエェッッ!!」
ついには反対側の手もブンブンと振り回し始めた信也。
まるで狂信者のように、ギラギラと充血した瞳で長井を凝視する信也に、今までの面影は全くなかった。
「……なんなんだ? なんかうるせえ声が聞こえてきたんだ……が」
信也の上げた大声に、文句のひとつを言いに来た石田だったが、変わり果てた信也の様子を見て、一瞬言葉が止まる。
だが、部屋の様子を見て状況を理解した石田は、流血の連中と比べて勝るとも劣らない、人の悪意が凝縮したような笑顔を浮かべる。
まるで悪魔そのものといった表情の石田は、そのままさっきの長井より長い時間笑い転げつつ、信也に対する罵声を浴びせ続けた。
「はぁ……ハハハッ! ざまあねえぜ! 自分こそが正しいってツラしてやがった奴が、プクククッ……。こんな、こんな…………。ギャハハハハハッッ!」
愉快すぎて言葉も出ないといった石田に、冷たい視線を向ける長井。
信也は信也で長井以外の事が目に入っていないのか、石田の罵声も笑い声もまったく気にした様子がない。
「いつまでも笑ってるんじゃないよ。話があるわ」
しばらくして長井がそう言うと、ようやく石田は笑うのを止めて、話を聞く体制に入る。
そして長井は、現在の自分たちの状況を説明し、しばらく村には戻らずここで生活をするように、と告げるのだった。
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