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5 ノーサイド
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元部下の足立から連絡が入り、六本木のホテルに呼び出されたのは、それから数日後のことだった。
俺のあとを受け継ぐかたちでチームリーダーに抜擢されたものの、どういう手順で案件を処理していけばいいのかまるでわからないという。
「俺、ずっと結城主任の補佐だったじゃないですか。それがいきなり指示する側とか無理っすよ」
会うなり泣き言を言う足立に、思わず苦笑が漏れた。
「バ~カ、情けないこと言ってんじゃねえよ。ずっと俺の下でやってきたんだから、俺のやりかたぐらい把握してんだろ。いまはおまえがチームの要なんだから、しっかり腹括って下の連中盛り上げていけ」
「主任~」
「俺はもう主任じゃないっての。いいから早く書類見せろ」
でかい図体で擦り寄ってこようとする足立を軽くいなして話を先に進める。足立は、持参した鞄から数冊のファイルとタブレットを取り出すと、目の前のテーブルにひろげた。
ゆったりと贅沢な空間がひろがるロビーわきのティーラウンジ。
足立の差し出したファイルにざっと目を通し、タブレットに表示されるデータと比較する。そのうえでポイントとなる部分を指摘し、どこに焦点を当てて段取りを組み立て、取引先との交渉を進めていくべきかをアドバイスした。
相手の要求と、こちらで融通を利かせられる予算の範囲。それを踏まえて、どんなふうに切り札を出して、先方を満足させつつこちらに有利な流れに交渉内容を持っていくか。
ここ最近、感じることのなかった心地よい緊張とともに、頭の中があっというまに仕事モードへと切り替わっていく。それは、ひさしぶりに味わう充足感だった。
「なるほど! やっぱさすが主任っすね! 相談に乗ってもらえてよかったです。俺ひとりじゃどうにもならなくて。もうパニック寸前でしたよ」
細かな注意点を踏まえてひととおりの説明を終えると、足立はいたく感動した様子で瞳を輝かせた。
「褒めても、なんも出ねえぞ」
「いや、お世辞でもなんでもなく、ホント助かりました。おかげさまでなんとかなりそうです」
「よかったな。しっかり頑張って成功させろよ」
「はい! 無事終わったら、ご報告します」
「それまでこっちも生きてたらな」
軽い調子で笑った途端、足立の顔が目に見えて硬張った。
「なんだよ、ここは笑うとこだろ。マジに受け取るなっての」
「けど、主任……」
言った途端、足立はくしゃりと顔を歪めた。
「俺やっぱ、主任に帰ってきてほしいっす」
「ムチャ言うな。こっちはとっくにクビになってんだぞ。俺がどんなヘマやらかしたか、おまえも知ってんだろ」
「けどっ、それは病気のせいでっ――」
ムキになって反論しかけて、足立は結局言葉を呑みこんだ。
「いえ、あの……、主任もいろいろ大変なときなのに、こんなふうにお呼び立てして申し訳ありませんでした」
心底すまなさそうに厳つい肩を精一杯すぼめる。そんな打ち萎れた様子に、ひそかに苦い笑みが零れた。
本当は、呼び立てられたわけではない。俺の身体を慮って、向こうから自宅まで出向くと言うのをこちらから断ったのだ。以前のマンションならともかく、あんな壁の薄い、小汚いボロアパートで惨めな独り暮らしをしているところをなど、見られたくはなかった。
最後の見栄でもなんでもいい。元部下の記憶に残る俺を、惨めったらしい姿にはしたくなかったのだ。
「べつに大変なんかじゃない。毎日プラプラしてるだけで、とくにこれといってなにもしてないからな。いい暇潰しになった」
「あの、お身体のほうは……」
「さあな。急激に悪化した気はしないが、大体こんなもんなんじゃないか? 残り時間はあと3ヶ月ちょい。可もなく不可もなくってとこだろ。ま、予定どおりなんじゃないか?」
足立の表情に、痛ましげなものが浮かぶ。同情されるなんてまっぴらごめんだった。
「人間、どうせいつかは死ぬんだ。べつにたいしたことじゃねえよ。おまえだっていきなり車に突っこまれて、明日死なないって保障はどこにもないんだぞ。他人のことで余計な同情なんかしてないで、さっさと会社戻って仕事しろ」
蹴飛ばす勢いで突き放す。そんな俺のまえで、足立は深く項垂れたままポツリと言った。
「……俺、こないだフラれたんす」
「はあ?」
「総務の倉持さん。入社したときからずっといいなって思ってて。けど、こないだやっと勇気出して告ったら、彼女、主任のことが好きだったって」
「はあっ?」
話の展開にまるでついていけず、つい、場の空気も弁えず素っ頓狂な声が出てしまった。だが、足立はなおも項垂れたままだった。
総務の倉持と言われても、悪いが顔すら浮かばない。そんな相手から寄せられていたらしい好意を、人伝に聞かされたところでピンとこなかった。というか、このタイミングで聞かされても、いまさらとしか言いようがない。会社にいた時点では妻帯していたし、独り身になった現在では職もなく収入もなく、余命すら幾ばくもない。そんな俺に、いったいどうしろというのだ。
「おまえ、それは体よく断りの理由に俺がダシにされたっていう、それだけのことじゃないのか?」
「違います! そういうんじゃないっす、絶対!」
状況がわからないなりに考えられる理由を口にすると、足立は途端に顔を上げ、ムキになって否定した。
「主任はすげえモテるんですよ。男前だし、仕事できるし、いつも颯爽として部下の面倒もよく見てくれるし」
ついでに気前もよかったもんなあと、内心で皮肉が漏れる。
「だから、奥さんがいてもいい、みたいな感じで騒いでるミーハーな連中も結構いたけど、倉持さんは全然、そういうのとは違うんです。メチャクチャ本気っていうか、一途っていうか」
そう言われたところで、こちらも困るとしか言いようがなかった。
「彼女、泣くんですよ。主任のこと、すげえショックだったみたいで、話しながらボロボロボロボロ泣くんです。そういうの見てたら、なんか俺も、どうしたらいいかわかんないし、主任のこと思い出してどんどんつらくなってくるし」
言いながら、声を詰まらせる。
なんだよ、ホント。どういう茶番だよ、これ。勘弁しろよ。
思って、溜息が漏れた。
俺のあとを受け継ぐかたちでチームリーダーに抜擢されたものの、どういう手順で案件を処理していけばいいのかまるでわからないという。
「俺、ずっと結城主任の補佐だったじゃないですか。それがいきなり指示する側とか無理っすよ」
会うなり泣き言を言う足立に、思わず苦笑が漏れた。
「バ~カ、情けないこと言ってんじゃねえよ。ずっと俺の下でやってきたんだから、俺のやりかたぐらい把握してんだろ。いまはおまえがチームの要なんだから、しっかり腹括って下の連中盛り上げていけ」
「主任~」
「俺はもう主任じゃないっての。いいから早く書類見せろ」
でかい図体で擦り寄ってこようとする足立を軽くいなして話を先に進める。足立は、持参した鞄から数冊のファイルとタブレットを取り出すと、目の前のテーブルにひろげた。
ゆったりと贅沢な空間がひろがるロビーわきのティーラウンジ。
足立の差し出したファイルにざっと目を通し、タブレットに表示されるデータと比較する。そのうえでポイントとなる部分を指摘し、どこに焦点を当てて段取りを組み立て、取引先との交渉を進めていくべきかをアドバイスした。
相手の要求と、こちらで融通を利かせられる予算の範囲。それを踏まえて、どんなふうに切り札を出して、先方を満足させつつこちらに有利な流れに交渉内容を持っていくか。
ここ最近、感じることのなかった心地よい緊張とともに、頭の中があっというまに仕事モードへと切り替わっていく。それは、ひさしぶりに味わう充足感だった。
「なるほど! やっぱさすが主任っすね! 相談に乗ってもらえてよかったです。俺ひとりじゃどうにもならなくて。もうパニック寸前でしたよ」
細かな注意点を踏まえてひととおりの説明を終えると、足立はいたく感動した様子で瞳を輝かせた。
「褒めても、なんも出ねえぞ」
「いや、お世辞でもなんでもなく、ホント助かりました。おかげさまでなんとかなりそうです」
「よかったな。しっかり頑張って成功させろよ」
「はい! 無事終わったら、ご報告します」
「それまでこっちも生きてたらな」
軽い調子で笑った途端、足立の顔が目に見えて硬張った。
「なんだよ、ここは笑うとこだろ。マジに受け取るなっての」
「けど、主任……」
言った途端、足立はくしゃりと顔を歪めた。
「俺やっぱ、主任に帰ってきてほしいっす」
「ムチャ言うな。こっちはとっくにクビになってんだぞ。俺がどんなヘマやらかしたか、おまえも知ってんだろ」
「けどっ、それは病気のせいでっ――」
ムキになって反論しかけて、足立は結局言葉を呑みこんだ。
「いえ、あの……、主任もいろいろ大変なときなのに、こんなふうにお呼び立てして申し訳ありませんでした」
心底すまなさそうに厳つい肩を精一杯すぼめる。そんな打ち萎れた様子に、ひそかに苦い笑みが零れた。
本当は、呼び立てられたわけではない。俺の身体を慮って、向こうから自宅まで出向くと言うのをこちらから断ったのだ。以前のマンションならともかく、あんな壁の薄い、小汚いボロアパートで惨めな独り暮らしをしているところをなど、見られたくはなかった。
最後の見栄でもなんでもいい。元部下の記憶に残る俺を、惨めったらしい姿にはしたくなかったのだ。
「べつに大変なんかじゃない。毎日プラプラしてるだけで、とくにこれといってなにもしてないからな。いい暇潰しになった」
「あの、お身体のほうは……」
「さあな。急激に悪化した気はしないが、大体こんなもんなんじゃないか? 残り時間はあと3ヶ月ちょい。可もなく不可もなくってとこだろ。ま、予定どおりなんじゃないか?」
足立の表情に、痛ましげなものが浮かぶ。同情されるなんてまっぴらごめんだった。
「人間、どうせいつかは死ぬんだ。べつにたいしたことじゃねえよ。おまえだっていきなり車に突っこまれて、明日死なないって保障はどこにもないんだぞ。他人のことで余計な同情なんかしてないで、さっさと会社戻って仕事しろ」
蹴飛ばす勢いで突き放す。そんな俺のまえで、足立は深く項垂れたままポツリと言った。
「……俺、こないだフラれたんす」
「はあ?」
「総務の倉持さん。入社したときからずっといいなって思ってて。けど、こないだやっと勇気出して告ったら、彼女、主任のことが好きだったって」
「はあっ?」
話の展開にまるでついていけず、つい、場の空気も弁えず素っ頓狂な声が出てしまった。だが、足立はなおも項垂れたままだった。
総務の倉持と言われても、悪いが顔すら浮かばない。そんな相手から寄せられていたらしい好意を、人伝に聞かされたところでピンとこなかった。というか、このタイミングで聞かされても、いまさらとしか言いようがない。会社にいた時点では妻帯していたし、独り身になった現在では職もなく収入もなく、余命すら幾ばくもない。そんな俺に、いったいどうしろというのだ。
「おまえ、それは体よく断りの理由に俺がダシにされたっていう、それだけのことじゃないのか?」
「違います! そういうんじゃないっす、絶対!」
状況がわからないなりに考えられる理由を口にすると、足立は途端に顔を上げ、ムキになって否定した。
「主任はすげえモテるんですよ。男前だし、仕事できるし、いつも颯爽として部下の面倒もよく見てくれるし」
ついでに気前もよかったもんなあと、内心で皮肉が漏れる。
「だから、奥さんがいてもいい、みたいな感じで騒いでるミーハーな連中も結構いたけど、倉持さんは全然、そういうのとは違うんです。メチャクチャ本気っていうか、一途っていうか」
そう言われたところで、こちらも困るとしか言いようがなかった。
「彼女、泣くんですよ。主任のこと、すげえショックだったみたいで、話しながらボロボロボロボロ泣くんです。そういうの見てたら、なんか俺も、どうしたらいいかわかんないし、主任のこと思い出してどんどんつらくなってくるし」
言いながら、声を詰まらせる。
なんだよ、ホント。どういう茶番だよ、これ。勘弁しろよ。
思って、溜息が漏れた。
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