35 / 161
第3章 ミスリルの巨大市場
第1話(4)
しおりを挟む
はじめて目にするもの、口にしたことのないものばかりで味の想像もつかず、食べかたすらわからない。そんな状況で、無限に思える選択肢の中からなにかを選べというのは、かなりハードルの高い要求だっただろう。シリル自身もメニューを決めさせること自体が目的ではなかったため、様子や反応を窺いながら、邪魔にならない程度に口添えをしてやり、世間話のふうを装って店主とのやりとりも聴かせた。質問されれば、可能なかぎり具体的に答えてやるようにもした。そうして最終的に決まった昼食のメニューは、数種類の総菜とサラダ、香草で風味を出して焼いたチキンにチーズと野菜をトッピングしたものを挟んだパン、調理した魚貝をたっぷり詰めこんで焼いたパイという、はじめてにしては上出来すぎる組み合わせとなった。
市場内の各所に休憩場所として設けられているテーブルのひとつを陣取り、買いそろえた品をひろげていく。シリルに勧められるまま静かに食事をはじめたその顔には、心なしかホッとしたような、それでいてひと仕事やり遂げて満足したような様子が窺えた。
喜怒哀楽がはっきり目に見えるほど表情に出るわけではない。だが、感情がないわけでは決してなく、表現のしかた、感じかたそのものがわかっていないだけのようだった。
研究所での扱われかたがどのようなものだったのかはわからない。しかし少なくとも一個の人間として、その気持ちを尊重されることはなかったのだということが言動の随所から窺えた。これからの日々の中で、それがどう変化していくのかを見守るのも悪くないように思えた。
「美味いか?」
シリルの意見を聞きながら、慎重に自分で選んで購入したものをリュークは黙々と口に運ぶ。その様子を見ながら、シリルはなんとなしに尋ねた。すると、美貌のヒューマノイドはわずかに首をかしげて、咀嚼しているものの味や食感を確かめるようなそぶりを見せた。シリルは途端にそれを制止した。
「そんな難しく考えなくていい」
美貌のヒューマノイドは、今度はその言われた意味について検討するようにゆっくりと瞬きをした。シリルはそれに対して言葉を付け加えた。
「ひとつひとつ細かく分析して、データを算出しろとは言ってない。おまえはいちいち数値化したものをもとに物事を解析しようとするが、もっと主観に頼った判断をすることを学べ」
「主観に頼った、とは?」
「たとえばいまみたいに、美味いか不味いかを訊かれた場合、自分の好みに合っているかどうか――好きか嫌いかで答えればいいんだ。おまえは好きでも俺は好まない味付けかもしれないし、その逆もあるかもしれない。味の好みが似ていれば意見が合うこともある。美味い不味い、好き嫌いなんてそんなもんだ」
で、そのポテトのサラダは好みに合うか?とあらためて訊かれ、リュークは押し黙った。無表情であることに変わりはないが、当惑しているのは一目瞭然だった。おそらく研究所では、こんな曖昧な結論を迫られたことはないのだろう。シリルは急かさない。自力で考えて、自分なりの結論を出すのを辛抱強く待った。
やがて、テーブルに落とされていた視線がシリルの上に戻された。薄い口唇が、小さく開く。
「私には、よくわかりません」
開いた口同様、小さな声が頼りなげに言葉を紡いだ。
「これまで私は、食べ物の味にかぎらず、そういう物事の判断のしかたをした経験がありませんので」
「おいおい慣れていけばいい」
シリルが応じると、ふたたび沈黙したリュークは、ややあってからもう一度口を開いた。
「……たぶん、美味しい、と、思います。少なくとも、嫌いではないかと……」
自分の感じていることをひとつひとつ確認しながら、慎重に正解を探り出すようにして言葉にする。そうして答えたあとで、すぐわきにあった飲み物に手を伸ばした。慣れないことをした緊張で、渇いた口の中を潤そうとする無意識の行為。だが、何気なくストローを口に含み、なかの液体を吸い上げた途端、美貌のヒューマノイドは伏せていた目をわずかに見開いてビクッと全身をふるわせた。リュークが口にしたのは、最後に自分で選んだライムソーダだった。
市場内の各所に休憩場所として設けられているテーブルのひとつを陣取り、買いそろえた品をひろげていく。シリルに勧められるまま静かに食事をはじめたその顔には、心なしかホッとしたような、それでいてひと仕事やり遂げて満足したような様子が窺えた。
喜怒哀楽がはっきり目に見えるほど表情に出るわけではない。だが、感情がないわけでは決してなく、表現のしかた、感じかたそのものがわかっていないだけのようだった。
研究所での扱われかたがどのようなものだったのかはわからない。しかし少なくとも一個の人間として、その気持ちを尊重されることはなかったのだということが言動の随所から窺えた。これからの日々の中で、それがどう変化していくのかを見守るのも悪くないように思えた。
「美味いか?」
シリルの意見を聞きながら、慎重に自分で選んで購入したものをリュークは黙々と口に運ぶ。その様子を見ながら、シリルはなんとなしに尋ねた。すると、美貌のヒューマノイドはわずかに首をかしげて、咀嚼しているものの味や食感を確かめるようなそぶりを見せた。シリルは途端にそれを制止した。
「そんな難しく考えなくていい」
美貌のヒューマノイドは、今度はその言われた意味について検討するようにゆっくりと瞬きをした。シリルはそれに対して言葉を付け加えた。
「ひとつひとつ細かく分析して、データを算出しろとは言ってない。おまえはいちいち数値化したものをもとに物事を解析しようとするが、もっと主観に頼った判断をすることを学べ」
「主観に頼った、とは?」
「たとえばいまみたいに、美味いか不味いかを訊かれた場合、自分の好みに合っているかどうか――好きか嫌いかで答えればいいんだ。おまえは好きでも俺は好まない味付けかもしれないし、その逆もあるかもしれない。味の好みが似ていれば意見が合うこともある。美味い不味い、好き嫌いなんてそんなもんだ」
で、そのポテトのサラダは好みに合うか?とあらためて訊かれ、リュークは押し黙った。無表情であることに変わりはないが、当惑しているのは一目瞭然だった。おそらく研究所では、こんな曖昧な結論を迫られたことはないのだろう。シリルは急かさない。自力で考えて、自分なりの結論を出すのを辛抱強く待った。
やがて、テーブルに落とされていた視線がシリルの上に戻された。薄い口唇が、小さく開く。
「私には、よくわかりません」
開いた口同様、小さな声が頼りなげに言葉を紡いだ。
「これまで私は、食べ物の味にかぎらず、そういう物事の判断のしかたをした経験がありませんので」
「おいおい慣れていけばいい」
シリルが応じると、ふたたび沈黙したリュークは、ややあってからもう一度口を開いた。
「……たぶん、美味しい、と、思います。少なくとも、嫌いではないかと……」
自分の感じていることをひとつひとつ確認しながら、慎重に正解を探り出すようにして言葉にする。そうして答えたあとで、すぐわきにあった飲み物に手を伸ばした。慣れないことをした緊張で、渇いた口の中を潤そうとする無意識の行為。だが、何気なくストローを口に含み、なかの液体を吸い上げた途端、美貌のヒューマノイドは伏せていた目をわずかに見開いてビクッと全身をふるわせた。リュークが口にしたのは、最後に自分で選んだライムソーダだった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
『イージス艦長、インパール最前線へ。――牟田口廉也に転生した俺は、地獄の餓死作戦を「鉄壁の兵站要塞」に変える』
月神世一
SF
【あらすじ】
「補給がなければ、戦場に立つ資格すらない」
坂上真一(さかがみ しんいち)、50歳。
かつてイージス艦長として鉄壁の防空網を指揮し、現在は海上自衛隊で次世代艦の兵站システムを設計する男。
背中には若き日の過ちである「仁王」の刺青を隠し持ち、北辰一刀流の達人でもある彼は、ある日、勤務中に仮眠をとる。
目が覚めると、そこは湿気と熱気に満ちた1944年のビルマだった。
鏡に映っていたのは、小太りで口髭の男――歴史の教科書で見た、あの「牟田口廉也」。
しかも時期は、日本陸軍史上最悪の汚点とされる「インパール作戦」決行の直前。
部下たちは「必勝の精神論」を叫び、無謀な突撃を今か今かと待っている。
(……ふざけるな。俺に、部下を餓死させろと言うのか?)
現代の知識と、冷徹な計算、そして海自仕込みのロジスティクス能力。
すべてを駆使して、坂上(中身)は歴史への介入を開始する。
精神論を振りかざすふりをして上層部を欺き、現地改修で兵器を強化し、密かに撤退路を整備する。
これは、「史上最も無能な指揮官」の皮を被った「現代の有能な指揮官」が、確定した敗北の運命をねじ伏せ、数万の命を救うために戦う、逆転の戦記ドラマ。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜
深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。
処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。
なぜなら彼女は――
前世で“トップインフルエンサー”だったから。
処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。
タイトルは――
『断罪なう』。
王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
それとも――自由か。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる