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第三章 エロール・ガーナー「ミスティ」

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 時計を見ると午後1時を回っていた。

 井上に店番を交代してもらったのが、12時半だったから、残り時間は30分だ。

 それまでに大牟田先輩を見つけなければならない。

 だが、かなり難しい気がする。

 佐世保工業高校の校舎は教室や職員室がある1号館と2号館の他に、土木科がある3号館、電気科と電子工学科がある4号館、実習棟の5、6号館、そして、建築科の実習棟がある7号館がある。

 その中から大牟田先輩を探すのは、干し草の中から針を探すに等しいことだ。


「あ、あの、住吉さん?」


 有栖川が俺のシャツをちょいちょいとひっぱった。


「まず、大牟田先輩の友人をあたってみてはどうでしょう」

「友人?」

「はい。友人と一緒にいるかもしれませんし、大牟田先輩を見かけたという方がいらっしゃるかもしれません」

「そうか。それはアリだな」


 大牟田先輩はいつも数人のグループで行動している。

 友人のところに行っている可能性はある。

 しかし、問題は──


「大牟田先輩の友人が、何科にいるのかだな」


 名前すら知らないのに、何科に所属しているかなんてわからない。


「それなら、問題ありません。私が聞いてきましたから」

「有栖川が?」


 そういえば、教室から出てくるとき、有栖川が山口先輩になにか訊ねていた。


「電気科にひとり。電子工学科にふたりいらっしゃるようです」

「ということは、4号館か」


 想定される場所はかなり絞られた。

 今いる場所は2号館だが、4号館には渡り廊下をつかって直接行くことができる。

 急いで行けば、5分とかからないだろう。


「住吉さん」


 ふたたび有栖川がシャツをひっぱる。

 こんどは何だと振り向けば、何故か恥ずかしそうにうつむいていた。


「そ、その……ありがとうございます」

「え? 何? なんの話?」

「いえ……その……私のレコードのために……関わりたくないはずの大牟田先輩を探そうとされているので……」

「ああ、そんなことか。あのミスティはまだ聴いてないからな。このまま見つからなかったらカフェで一緒に聴けなくなるだろ?」


 それは俺としても困る。

 いつものようにレコードを聴きながら、いろいろと裏話を教えてほしいのだ。


「わっ……わわわ、私と……ミスティば聴きたかとですかっ?」


 突然有栖川の顔が、熟れたトマトのように真っ赤に染まった。

 急にどうしたんだ思ったが、すぐにその理由がわかった。

 ──ミスティを一緒に聴いた男女は、結ばれる。


「いやいやいや、まてまてまて、そういう意味じゃないぞ? ただ俺は、有栖川とミスティが聴きたいだけだ。他意はないからな?」

「そ、そそっ、そうですよね。他意は無かですよね……うん、そうですよね」


 少し落胆したように聞こえるのは、気のせいか。

 気まずい沈黙が降りる。

 それ以上何も言えなくなり、無言のまま電気科がある4号館へと足早に向かった。

 有栖川は俺のシャツを握ったままだった。


「まあ、とにかく、だな。ミスティのレコードが戻ってきたら、一緒に聴こうぜ」


 電気科の教室の前に到着して、咳払いを交えて言った。


「そのために、大牟田先輩にレコードを返してもらわないと」

「……はい。そうですね」


 有栖川は答えて、ようやく俺のシャツを離してくれた。

 電気科の教室では、小中学生を対象にした電気工作教室を開いていた。

 7色LEDを使ったカラフルな照明を作っているらしい。

 窓際に、見覚えのある男子生徒が退屈そうにあくびをしていた。

 吊り目でウエーブのかかったヘアスタイルの清潔感がある先輩だ。

 俺たちに気づいた先輩は、驚いてあくびを飲み込んだ。

 すぐに「なんでお前がここに!?」と騒ぎ立てたので、簡単に状況を説明することにした。


「……え? 大牟田を探してる?」

「山口先輩たちに頼まれて」

「ワタルが? マジで?」

「はい。大牟田先輩はここに来てないですか?」

「……いや、来てないな。というか、今日は会ってない」


 どうやら予想は外れだったようだ。

 次は電子工学科か。

 そうして、教室を出ていこうとしたとき、有栖川が先輩に訊ねた。


「あ、あの……ミスティで女性とうまくいったというのは、先輩のことですか?」


 どうやら、有栖川は噂の真相を確かめたかったらしい。

 しかし、先輩は俺たちが欲しい答えとは関係ない言葉を口にした。


「君、だれ? 可愛いね」

「え? あ、ええっと……その」

「大牟田の知り合い? 名前は? ケータイ番号教えてよ」

「あ、う~……それは……」

「すみません、先輩」


 すっかり怯え始めた有栖川と先輩の間に割って入る。


「彼女は俺の連れなんで」

「……あ、そうなんだ」


 つまらないと言いたげに、ため息を漏らす先輩。

 俺のセリフで有栖川は余計に混乱しているようだが、今は気にしないことにした。

 
「それで、彼女が聞いたことなんですけど」

「え? あ~、なんだっけ?」

「ミスティです。ジャズレコード。それを聴いて女子とうまくいった知人がいると大牟田先輩から聞いたんですが、それは先輩のことですか?」


 しばし考え、先輩はぽんと手を叩いた。


「ああ、あれか。そうそう、そうなんだよ。それを聴いたら、うまくいってさ。ほんと、ヒスティ様様だぜ」

「ミスティです」


 どうにも胡散臭い。

 だが、ジャズ好きでもなかったら間違えてしまう名前ではあるのかもしれない。


「も、もうひとつ、いいですか?」


 再び有栖川が訊ねる。


「大牟田先輩が工業祭に呼んでるとおっしゃっていた、知り合いの方なんですが」

「ああ、コヨミ先輩ね」

「ご、ご存知なんですか?」

「ご存知もなにも、世話になってる人だからな。女子紹介してもらったりさ。てか、今日来るって言っていたけど、もう来てるのかね」

「そのコヨミ先輩という方は、どんな感じの方なんですか?」

「そうだな、ミステリアスというか、クールビューティというか、派手な感じ」

「髪の毛の色は、ブラウンですか?」

「あ~……たしか、そうだったかな」


 有栖川がちらりと俺を見た。

 大牟田先輩の教室にいたあの女性も派手な感じで茶色の髪だった。

 たぶん、あのひとが大牟田先輩の知人、コヨミ先輩で間違いないだろう。

 コヨミ先輩は実在していた。

 ということは、ミスティの噂も実在している?

 頭が混乱してきた。

 噂は実在してミスティを聴かせる相手も実在しているなら、どうして大牟田先輩はレコードを持って姿を消したのか。


「君、コヨミ先輩を見たの?」

「はい。先程、機械科の教室で見かけました。相手の方は、来ていないようでしたが」

「相手が来てないって、どういう意味?」

「ひとりで席にいらっしゃったんです。相手の方が遅れているんだと思います」

「……ああ、はいはい。そういう意味ね」 


 先輩は理解したと言いたげに笑った。

 先輩ののらりくらりとした雰囲気に少々苛立ちが募る。

 ミスティのことといい、この人は本当に理解しているのだろうか。

 これ以上、話を聞いても仕方がない気がするので、俺が最後の質問をすることにした。


「大牟田先輩がいそうなところに心当たりありますか?」

「どこだろうな。でも、いるとしたら2号館か4号館の校舎裏だと思うぜ? 俺ら、いつもあそこらへんでサボってるし」


 サボるのに最適なのは、4号館のほうだろう。

 2号館の裏は、土木科の実習でつかったり運動場が近いこともあって人の通りがある。

 俺たちは先輩に礼を言って、すぐに教室を出た。

 今いるところが4号館なので、1階に降りればすぐに校舎裏に行ける。

 だが、階段は生徒で溢れいてた。

 そろそろ体育館で軽音部のライブがあるからだろう。

 有栖川は大丈夫かと思って振り向けば、なにやら難しい顔をしていた。


「……どうした?」

「えっ?」

「いや、何か考えてそうな顔をしてたからさ。気になることでもあったか?」

「はい。ちょっと謎が針飛びしているなとおもって」

「謎が、針飛び?」


 そのセリフはこれまでに何度かきいたことがあるな。

 レコードの針飛びと謎がうまくつながらないことをかけているのだろう。


「何が気になってるんだ?」

「あの軟派でしつこい先輩のことです」


 軟派でしつこい先輩。

 さっきの電気科の先輩のことか。


「彼はミスティのおかげで恋が成就したと言っていました。なのに、どうしてSNSで拡散したりしなかったんでしょうか? レコードを聴いたら恋が叶ったなんてわかったら、つい広めたくなりそうですけど」

「確かに、そうだな」


 少し前にバイト先での反社会的行動をSNSにアップして問題になることが多発していた。

 そんなものすら共有してしまうのだから、ミスティの事例はすぐに拡散されそうだけど。


「可能性として、いくつか考えられることがあります。ですが、ちょっと決定打に欠けるというか……」

「それ、聞かせてくれないか」


 有栖川はこれまでいくつもの謎を解決してきた。

 もしかすると、有栖川の予測の中に、解決のヒントが隠されているかもしれない。


「わかりました。まずひとつめは大牟田先輩が──」


 そこまで言いかけて有栖川が足を止めた。

 目を見開き、俺の背後の一点を凝視している。

 その視線を追いかけると、廊下の窓の向こうに見覚えのある生徒の姿があった。

 茶色がかったツーブロックの髪に、細く刈り込んでいる眉。

 時間を持て余しているかのように、ぼんやりと廊下を通っている生徒を眺めていた大牟田先輩は、俺たちの視線に気づき、ぎょっと目を丸くした。

 瞬間、大牟田先輩は一目散に逃げていく。


「す、住吉さんっ! あそこに大牟田先輩が!」


 有栖川の声が放たれる前に、俺は走り出していた。
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