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第13話 最後の夜
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今日もまた、月が綺麗な晩だった。
師匠は多分、しばらく帰ってこない。
殿下の方もなんとなく察知しているのか、私のすぐそばに座ってきた。
「いよいよ明日だな」
「はい」
虫の鳴き声が聞こえる。さっと目の前の草原を撫でるように涼しい風が吹いた。月には雲がかかり、辺りは少し暗くなる。
「なんだか、ずいぶん長く旅をしている気がします」
「そうだな。本当にそうだな」
殿下は私の言葉に頷いた。
だが実際は旅をしていたのは10日くらいだった。でもその短い間、驚くほどたくさんのことがあった。
王太子殿下が公爵家のパーティに来たこと。抜け出した殿下と花壇で会話したこと、殿下が本国に戻らなくてはならなくなり、夜に訪問してくれたこと。そして、殿下が敵に襲撃され窮地に陥っているのを聞いて、この公爵家を捨て、殿下を救いに行ったこと。師匠とともに殿下を助け、何度も敵の急襲を退けて行ったこと、崖から転落してしまい、殿下と二人っきりになった時、殿下が告白してきてくれたこと、その後のギクシャクを経たけれど、師匠のお陰で殿下との仲がより深まったこと。
「多分、きっと一生忘れられない旅になるよ。僕にとっても、君にとってもね」
毎日が綱渡りのような生活だったけれど、それでも、その中には幸せな時間があったし、いろいろな思い出もできた。それはとてもかけがえのないものだった。もうその旅も明日で終わる。
「君は怖くないのか? 実は僕は怖いんだ。全てを失ってしまいそうで。僕にはまだ色々とやりたいことがある。まずはこの国から奴らを追い出して、そして、国に平和をもたらしたい。皆が平和で豊かな生活を送れるようにしたい。それから、何よりも君と結婚して幸せになりたい」
「殿下は必ず王都に送り届けます。以前私はこの大空に輝く月に誓いましたから。私はもう何も恐れることも、怖いこともありません。ただ全ての力を尽くすだけです」
殿下は私の顔をじっと見ていたが、右耳のイヤリングを外して私に渡した。
「これは、代々王家に伝わっていたイヤリングだ。全ての邪気を払い、身を守ってくれる効果があるそうだ」
「それを私に?」
「生きる時も死ぬ時も一緒だ。絶対生き抜いて幸せになろう。いつも支えてくれて本当にありがとう。君がいてくれて良かった」
私はこくりと頷くと殿下の手を握った。彼は少しびっくりした顔をしたが、すぐに私の手を握り返してきた。
「私もです、殿下。女として愛していただいたことを大変感謝しています。私のことをどうか忘れないでくださいね」
「忘れるものか、ナイアス。絶対に」
殿下は私の肩を抱き寄せると、顔を近づけてきた。月明かりに照らされたその顔はとても美しく神秘的で、手を触れるのをためらわれるほどだった。
「愛しているよ、ナイアス」
「私も愛しています、ジョージ」
月明かりの下で、私たちは長い長い口づけを交わした。
◇
私は夜明け前の空を見ていた。紫色の空はもうすぐ紅に染まるだろう。
背後から気配がして、その気配はゆっくりと近づいてきた。
「殿下は?」
アーロン師匠だった。
「よくお休みになっていらっしゃいます」
「そうか、もう少し遅くきたほうが良かったかなと思っていたんだが」
師匠は地面に座っている私のそばに立った。
「今日は私が戦場に出ます。師匠は殿下を連れて王都へ行ってください」
「何バカなことを言っているんだ。正気か?」
師匠が驚いた顔をすると、正面に回り込んで、私の両肩を掴んだ。でも、私はもう心が決まっていた。
「師匠の方が冷静にものを考えられなくなっていませんか?」
「何?」
「師匠、私の前で、右腕を上げてみてください」
師匠は右肩を押さえて、厳しい顔をした。
「手綱くらいは握ることができる。左手で武器を振ればいいことさ」
「おとりの役割は時間を稼ぐことです。その右肩ではその役割も満足に務められないでしょう。大切なのは殿下の命なのです。簡単に師匠が敵にやられてしまったら、脱出する機会を失われてしまいます。そのあと、私たちはどうすればいいのですか?」
「くっ」
師匠は顔を歪ませている。
「私たちでなんとか突破しようとしても、敵が十分いる状態では、すぐに捕まります。少しでも長い時間暴れて、本隊に敵の部隊を引き寄せないといけません。簡単にやられてしまうようではダメなのです。師匠がダメだった時に、私たちだけで森に逃げても多分生きてはいけないでしょう。森の知識が少ないですし、それに追っ手にも追いつかれてしまう」
「だが、それではお前たちが……」
師匠は懸命に私を説得しようとしてきた。しかし私の意思は変わらない。
「最初に言った通り、殿下を無事に王都に送り届けることが最優先です。私の命の問題ではありません。殿下が王都に行くことさえできれば、きっとこの戦いもなんとかできるでしょう。私たちだけでなく、すべての国民の命もかかっているのです」
「せっかく、せっかくここまできたのに、もう少しだっていうのに。この右肩が、なんでいうことを聞いてくれないんだ」
師匠は自分の右肩を左手で何度も叩いた。叩くたびに師匠の顔が苦痛で歪んでいる。
「そもそも、これまで私たちが生き延びてこられたのは師匠のお陰です。師匠がいなかったら、敵から逃れることも、この迷いの森で生き抜いていくこともできなかったでしょう。だから、自分を責めないでください。お願いしますから」
「お前はそれでいいのか? せっかく、せっかく幸せをつかんだというのに。それではあんまりだ。あんまりすぎる」
「師匠、いいですか」
私は師匠に根気よく答えた。
「師匠のお陰で、私たちはうまくいきました。この数日間はまるで夢のようでした。私は一生この恩を忘れません。私には長い間憧れていたことがありました。女性として生きて、女性として愛される。実現することが不可能だと思って、夢にも思わなくて、胸の奥にしまっていたことが、こんな風に叶うことがあるなんて。私は幸せでした。一生分の幸せを殿下にいただいた気分です。それは師匠のおかげてもあります。本当にありがとうございました」
「俺は、俺はまた、失敗してしまった。何もかも台無しにしてしまった。お前をこんなに辛い目に合わせたくはなかった。今まで辛かった分を取り戻して欲しかったのに」
師匠が顔を手で覆い、嘆き始めた
「師匠にはまだ大切な仕事が残っています。殿下をお守りください。そして、無事、王都まで送り届けてあげてください。そうしていただけたら、私はもう何も思い残すことはありません」
師匠はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「分かった。誓うよ。絶対に殿下を無事に送り届けてやる。俺の命にかけても」
「言っておきますが、私も簡単にやられるつもりはありませんよ。存分に暴れた後は、すぐにみんなに追いついて見せます。だから、師匠はもう気に病まないでください」
「あの大群をお前一人でやるのか」
「私は師匠の弟子です。英雄である黒騎士の弟子ですから、恥ずかしい戦いはしないつもりです」
しばらく師匠が黙って、腕を組んで考えていた。
「どうしましたか師匠?」
「ああ、昔初めて会った時のことを思い出した。あの時は本当に男の子だと思っていたからな。俺は容赦はしなかったが、よくついてこれた。あとで女の子だと知って驚いたよ」
「ふふ、師匠はいつも厳しかったですね」
「ああ、でも初めて会った時から、お前の才能を見抜いていたんだ。この子はいつか王国一の騎士になれる器だと。だから女だと知って余計驚いたな。でも、才能は本物だった。間違いなくお前は王国内でも最強の騎士だ」
「師匠は現役を退いてしばらく経っているのでしょう。今、誰が一番強いかなんてわからないのではないですか」
「ふん、いつの時代でも同じさ。強いやつは強いんだ。俺はその強さを見極めることができる。だからお前は自信を持っていい。だがいいか、必ず生きて帰ってこいよ。じゃないと、破門にしてやるからな」
「分かりました師匠。私はやって見せます。そして、必ず生きて師匠や殿下に会いに行きます」
「そうか、そうか」
師匠は目に涙を溜めていた。いつも、冗談ばかり言っている師匠、私が見る初めての涙だった。
私はこの人に師事して良かったと改めて思った。
師匠は多分、しばらく帰ってこない。
殿下の方もなんとなく察知しているのか、私のすぐそばに座ってきた。
「いよいよ明日だな」
「はい」
虫の鳴き声が聞こえる。さっと目の前の草原を撫でるように涼しい風が吹いた。月には雲がかかり、辺りは少し暗くなる。
「なんだか、ずいぶん長く旅をしている気がします」
「そうだな。本当にそうだな」
殿下は私の言葉に頷いた。
だが実際は旅をしていたのは10日くらいだった。でもその短い間、驚くほどたくさんのことがあった。
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「多分、きっと一生忘れられない旅になるよ。僕にとっても、君にとってもね」
毎日が綱渡りのような生活だったけれど、それでも、その中には幸せな時間があったし、いろいろな思い出もできた。それはとてもかけがえのないものだった。もうその旅も明日で終わる。
「君は怖くないのか? 実は僕は怖いんだ。全てを失ってしまいそうで。僕にはまだ色々とやりたいことがある。まずはこの国から奴らを追い出して、そして、国に平和をもたらしたい。皆が平和で豊かな生活を送れるようにしたい。それから、何よりも君と結婚して幸せになりたい」
「殿下は必ず王都に送り届けます。以前私はこの大空に輝く月に誓いましたから。私はもう何も恐れることも、怖いこともありません。ただ全ての力を尽くすだけです」
殿下は私の顔をじっと見ていたが、右耳のイヤリングを外して私に渡した。
「これは、代々王家に伝わっていたイヤリングだ。全ての邪気を払い、身を守ってくれる効果があるそうだ」
「それを私に?」
「生きる時も死ぬ時も一緒だ。絶対生き抜いて幸せになろう。いつも支えてくれて本当にありがとう。君がいてくれて良かった」
私はこくりと頷くと殿下の手を握った。彼は少しびっくりした顔をしたが、すぐに私の手を握り返してきた。
「私もです、殿下。女として愛していただいたことを大変感謝しています。私のことをどうか忘れないでくださいね」
「忘れるものか、ナイアス。絶対に」
殿下は私の肩を抱き寄せると、顔を近づけてきた。月明かりに照らされたその顔はとても美しく神秘的で、手を触れるのをためらわれるほどだった。
「愛しているよ、ナイアス」
「私も愛しています、ジョージ」
月明かりの下で、私たちは長い長い口づけを交わした。
◇
私は夜明け前の空を見ていた。紫色の空はもうすぐ紅に染まるだろう。
背後から気配がして、その気配はゆっくりと近づいてきた。
「殿下は?」
アーロン師匠だった。
「よくお休みになっていらっしゃいます」
「そうか、もう少し遅くきたほうが良かったかなと思っていたんだが」
師匠は地面に座っている私のそばに立った。
「今日は私が戦場に出ます。師匠は殿下を連れて王都へ行ってください」
「何バカなことを言っているんだ。正気か?」
師匠が驚いた顔をすると、正面に回り込んで、私の両肩を掴んだ。でも、私はもう心が決まっていた。
「師匠の方が冷静にものを考えられなくなっていませんか?」
「何?」
「師匠、私の前で、右腕を上げてみてください」
師匠は右肩を押さえて、厳しい顔をした。
「手綱くらいは握ることができる。左手で武器を振ればいいことさ」
「おとりの役割は時間を稼ぐことです。その右肩ではその役割も満足に務められないでしょう。大切なのは殿下の命なのです。簡単に師匠が敵にやられてしまったら、脱出する機会を失われてしまいます。そのあと、私たちはどうすればいいのですか?」
「くっ」
師匠は顔を歪ませている。
「私たちでなんとか突破しようとしても、敵が十分いる状態では、すぐに捕まります。少しでも長い時間暴れて、本隊に敵の部隊を引き寄せないといけません。簡単にやられてしまうようではダメなのです。師匠がダメだった時に、私たちだけで森に逃げても多分生きてはいけないでしょう。森の知識が少ないですし、それに追っ手にも追いつかれてしまう」
「だが、それではお前たちが……」
師匠は懸命に私を説得しようとしてきた。しかし私の意思は変わらない。
「最初に言った通り、殿下を無事に王都に送り届けることが最優先です。私の命の問題ではありません。殿下が王都に行くことさえできれば、きっとこの戦いもなんとかできるでしょう。私たちだけでなく、すべての国民の命もかかっているのです」
「せっかく、せっかくここまできたのに、もう少しだっていうのに。この右肩が、なんでいうことを聞いてくれないんだ」
師匠は自分の右肩を左手で何度も叩いた。叩くたびに師匠の顔が苦痛で歪んでいる。
「そもそも、これまで私たちが生き延びてこられたのは師匠のお陰です。師匠がいなかったら、敵から逃れることも、この迷いの森で生き抜いていくこともできなかったでしょう。だから、自分を責めないでください。お願いしますから」
「お前はそれでいいのか? せっかく、せっかく幸せをつかんだというのに。それではあんまりだ。あんまりすぎる」
「師匠、いいですか」
私は師匠に根気よく答えた。
「師匠のお陰で、私たちはうまくいきました。この数日間はまるで夢のようでした。私は一生この恩を忘れません。私には長い間憧れていたことがありました。女性として生きて、女性として愛される。実現することが不可能だと思って、夢にも思わなくて、胸の奥にしまっていたことが、こんな風に叶うことがあるなんて。私は幸せでした。一生分の幸せを殿下にいただいた気分です。それは師匠のおかげてもあります。本当にありがとうございました」
「俺は、俺はまた、失敗してしまった。何もかも台無しにしてしまった。お前をこんなに辛い目に合わせたくはなかった。今まで辛かった分を取り戻して欲しかったのに」
師匠が顔を手で覆い、嘆き始めた
「師匠にはまだ大切な仕事が残っています。殿下をお守りください。そして、無事、王都まで送り届けてあげてください。そうしていただけたら、私はもう何も思い残すことはありません」
師匠はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「分かった。誓うよ。絶対に殿下を無事に送り届けてやる。俺の命にかけても」
「言っておきますが、私も簡単にやられるつもりはありませんよ。存分に暴れた後は、すぐにみんなに追いついて見せます。だから、師匠はもう気に病まないでください」
「あの大群をお前一人でやるのか」
「私は師匠の弟子です。英雄である黒騎士の弟子ですから、恥ずかしい戦いはしないつもりです」
しばらく師匠が黙って、腕を組んで考えていた。
「どうしましたか師匠?」
「ああ、昔初めて会った時のことを思い出した。あの時は本当に男の子だと思っていたからな。俺は容赦はしなかったが、よくついてこれた。あとで女の子だと知って驚いたよ」
「ふふ、師匠はいつも厳しかったですね」
「ああ、でも初めて会った時から、お前の才能を見抜いていたんだ。この子はいつか王国一の騎士になれる器だと。だから女だと知って余計驚いたな。でも、才能は本物だった。間違いなくお前は王国内でも最強の騎士だ」
「師匠は現役を退いてしばらく経っているのでしょう。今、誰が一番強いかなんてわからないのではないですか」
「ふん、いつの時代でも同じさ。強いやつは強いんだ。俺はその強さを見極めることができる。だからお前は自信を持っていい。だがいいか、必ず生きて帰ってこいよ。じゃないと、破門にしてやるからな」
「分かりました師匠。私はやって見せます。そして、必ず生きて師匠や殿下に会いに行きます」
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