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第一章―雛の笑み
ろ
しおりを挟む子供達のおかげで、幾分か軽快な足取りとなった左近は、一度建物から出て、庭の方から長屋へと向かった。ところどころ足を止め、随所に残るかつての思い出の跡をなぞっていると、獣が口で呼吸をする音が聞こえてくる。
「左近!」
久々に聞く懐かしい声に、後ろを振り返る。すると、最後に会った三年前と変わらぬ笑みを浮かべる友の一人が、飼っている狼達とともにこちらへ駆けてきた。
「戻ってきたばかりか?」
「うん。でも、翁への報告と榊先生への挨拶は済ませたよ。隼人は?」
そう左近が問うと、隼人は傍らにいた狼の毛並みを優しげな手つきで撫でた。
「俺は襲撃の翌日」
「……そっか」
全く間に合わない方が時には良いこともある。それはこういう時のことをいうのだろうか。
もしかしたら間に合えたかもしれない、助けられた命があったかもしれない。
隼人の心に過ぎるその感情は、おそらく左近よりも重い。そして、それには左近もすぐに気づいた。なにせ、学び舎での六年と八咫烏の館での三年、合わせて九年間も同じ部屋で寝起きし、学び、遊び、時には喧嘩もしたのだ。だからこそ、左近はそれ以上言葉を続けなかった。
「間に合ったのは、俺達の代じゃ兵庫と源太、伊織くらいらしい」
「三人、か。三人は今どこに?」
「伊織なら……あぁ、ほら。あそこだ」
隼人が顎で指し示した先を見ると、手に持った巻物に目を通しながら歩いてくる姿が目に入った。何をそんなに集中しているのか、こちらに気づいている様子はまだない。
「前を向いて歩かないと、また落ちるよ?」
「ん? また? ……左近!」
左近がかけた一言で伊織が顔を上げ、ようやくこちらに気付いた。
まだ雛としてこの学び舎で生活していた時、ことさら好奇心旺盛な質であった左近が仕掛けた罠の数々、特に落とし穴の類にかかるのは彼が一番多かった。
ひとつ、彼の名誉のためにいっておくと、彼が普段から注意力散漫というわけではなく、彼自らその実験台に名乗りをあげたのだ。もちろん、他の犠牲者をださないためという彼の責任感が成した業である。本当なら彼とてごめん被りたかったし、他に立候補する者や仕掛けてもいいと彼が判断した者がいれば、進んでその役目を放り出していた。
「まったく。随分と好き勝手されたもんだ。これでもだいぶ修繕してきたけどな」
「みたいだね。源太と兵庫は?」
「あの二人なら仁と保の年の連中を連れて修繕巡り中だ」
仁と保の歳の雛達は齢十と十一。雛として最後の年である部の年よりも、まだ時間の余裕がある。自分で考えて動けるようになっていることも踏まえての人選だろう。
「俺は全体の把握をして、上に報告するために色々確認してまわってる」
「さっすが俺達の代の大将。頭を使わせれば右に出る者はいないってな」
「よせよ。もう俺は」
「いや、戻ってきたからにはまた色々頭使ってもらわなきゃな。そんで、俺達が手足となって動く。それが俺達の代が上手くやれてきた理由じゃないか。だろ? なぁ、左近」
「っと」
隼人が勢いをつけて左近と肩を組み、そのままの勢いで逆の腕を伊織の肩にも回した。慣れている左近と伊織でも僅かにたたらを踏んだのだから、結構な衝撃である。
「そうそう。またよろしくね、梅組組頭」
「……そうか。そうか、そうか。またお前達の守り役をよろしくやらされるんなら、先に言っておきたいことがある」
「なに?」
「左近、お前は絡繰りや罠の研究と称した悪戯禁止っ! 分かったか!?」
伊織が左近に向かって力強く叫んだ。それに対して、左近は隼人の方を向き、二人で目を合わせ、揃ってにやりと笑った。
「なんだその笑みは。お前のは度を越してるんだよ。学び舎の中にすら、殺傷能力もあるんじゃないかってほどの絡繰仕掛けをあちこちにしかけやがって」
「あれ? ここを出る日に解除したり、罠として残したいって先生達に言われたものは使い方を説明してたはずだけど」
「ここにいた頃のことを言ってるんだよ! しかも! お前のことだから、気づいたら絡繰罠のことを考えてて、おまけに作り始めるなんてこと、今でもしてるんだろ」
「あ、あー。そんなには、してない、よ?」
「こっちを見て言え。それから!」
「えっ、俺も?」
唾を飛ばさんばかりに左近に詰め寄っている伊織が、今度は隼人にその矛先を向けた。自分の肩にかけられている隼人の腕をしっかりと掴み、キッと隼人を睨みつける。
周囲からは冷静沈着で、彼らの代の知将であり頭脳であると呼び声高い彼も、同期の仲間の前では結構その一面をかなぐり捨てて説教することが多い。今回もまた、仲間内に限る彼の意外と短い導火線に火をつけてしまったらしい。
「当たり前だろうが! なんでこの流れで自分だけ何も言われないと思ったんだ! まったくお前ときたら、相変わらず狼やら鷹やらを放し飼いにしているみたいだな。いいか、よく聞け? 昔から口が酸っぱくなるほど言い聞かせてきたが、あいつらは放し飼いしていいような生き物じゃない! 特に狼! いくら躾けているとはいえ、肉食獣であることは間違いないだろうが! 後輩、いや、雛達に何かあったらどうするつもりなんだっ」
「あいつらは俺の指示がない限り人は襲わないぞ? どいつも本当にいい子ばかりだ。それに、狼は本能的に人を恐れる生き物だし、今まで誰も襲われてないだろう? なっ?」
自分から矛先がそれたのをいいことに、二人の様子を黙って面白そうに見ていた左近に隼人が尋ねた。もとい、同意を求めた。
「襲われてないね。狼達が僕が作った罠にかかりそうになったことならあるけど」
「あぁ、あった、あった! あん時は本気で喧嘩したよなー」
「あれは、僕が罠を仕掛けてるから近寄らせないようにって言ってたのに、隼人ったら聞いてないんだもの。それなのに怒るんだから、ほんと困ったよ」
「……なぁ。蒸し返して悪ぃけど、あの時、本当に言ってたか?」
「言った。なんなら念押しもしたよ」
「はい、やめ! やめやめっ!」
別口で言い争いを始めそうな二人の間に割って入る伊織。自分が怒っていても、相変わらず皆の仲裁役である。
「俺は! 注意したしてないなんてこと、今はどーでもいい! ……俺が言いたいのは、放し飼いにした結果、狼みたいな肉食獣が雛達を万が一にでも襲ったらどうするんだってことで!」
「わーかった。わかった。あの頃と同じように、ちゃんと小屋に入れて世話をするよ」
「絶対だからな! 有事と、散歩と、あと講義や鍛錬とかで使う時以外は気をつけろよ!?」
「分かってるって」
「左近も! 不要な仕掛けは禁止!」
「はーい」
これ以上伊織をからかうと面倒な事になるので、二人とも素直に返事をする。疑り深い目でこちらを見てくる伊織を躱し、昔のようにふざけ合ってしばし時を過ごした。
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