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第二章―忍びの術と侵入者

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 机についた子供達が落ち着かない様子でちらちらと部屋の後方へ目をやっている。それもそのはず。部屋の後方には他の組や代の師達、非番の八咫烏、それから、自らも講義中であるはずの保や部の年の雛達が押しかけていた。

 部屋の前方では左近と隼人、そして本日の講義を任された与一が子供達に向き合うように準備された長机の席についている。

 見るからに集中できていない子供達の注意を自分達に向けるため、左近は手を二度打った。


「ほら、後ろは気にしないで。今日は薬のことを勉強するよ」
「僕達が使う薬とは、怪我や病気を治す薬だけでなく、その逆、つまり毒薬や幻を見せる幻覚薬など多種多様に存在しまぁす」


 与一が持参してきた壺や包み紙を順に並べていく。いずれも与一が精製し、実際に使われているものばかり。効き目は折り紙付きの優れものだ。


「それで、一つ疑問なんですがぁ」


 そこで与一は一度言葉を区切り、視線を以之梅の子供達から後ろに並ぶ面々へと移した。


「どうして先生や先輩方、上の年の子達までここにー?」
「あぁ、それは」
「お前らが組むなんて、不安過ぎて自分の仕事に集中できるか、バカタレ!」


 首を傾げる与一に、訳を知る左近が答えようとする。すると、それよりも先に後方にいた与一達の二つ上の代の先輩から怒号に近い答えが返ってくる。

 昔から左近が仕掛ける罠に与一が作った毒を使うことがあるだけでなく、元来悪戯いたずら好き楽しい事好きの左近と与一。二人で皆を巻き込んだ騒動を起こすことも珍しくはなかった。

 あははと笑いながら手で耳をふさぐふりをする与一に、問いに応えた先輩だけでなく、隣で腰を下ろしている他の先輩方の顔色も変わってきたことに気づいた隼人がやめとけと手を降ろさせる。
 昔から人をおちょくるのが上手い、というか楽しんでいる与一の面倒は本当ならば慎太郎が見ることになっている。だが、今、その当人は八咫烏内の火縄銃の鍛錬に参加していて不在である。必然的に隼人が左近と与一の両方を面倒見ることになっていた。

 先輩遊ぶのが駄目なら他の、そう、他にもたくさん後輩や雛達がいる。
 与一の視線が、少なからず緊張しつつ並んでいる雛達の面々へと移った。


「ふむ。先輩達はまだしも、君達、自分の講義はー?」
「内容はともかく、拝聴する意義はあると許可を頂きました!」
「ふぅん」


 雛といっても以呂波などの年少の雛達ではない。与一達がまだ遠地任務を与えられる歳になる前、この学び舎周囲の哨戒任務や雛達の鍛錬相手として比較的顔を合わせる機会があった頃にはすでに学び舎にいた、今の保の代や部の代である。

 それでなくとも自分達の一つ上の代までの先輩達からの話で、学び舎にいた頃の与一達の所業を知る彼らは、気分としては八咫の面々とそう大差ない。


(それにしても、内容はともかく、とは)


 こたえた雛としては、師に言われたことをそのまま口にしたにすぎないのだろう。だが、それでは師が彼らに言外に伝えたことを推し測れるというものだ。おそらく、面倒事が増やされないよう見張っておいてくれとかそんなところだろう。


「信用ないよね、僕ら」
「ほんとにー」
「与一、さっさと進めろ!」
「はいはーい」
「なんだその返事は!」


 与一は先輩の怒声をさらっと無視し、席を立つ。そして、持っていた包み紙を宗右衛門達の机の上に一つずつ並べ始めた。

 子供達全員に行き渡らせた後、再び席に戻ってきた。


「じゃあ、まず、この包みを開けて、中の粉をめてー」
「ちょっと待て!」
「それは何です?」


 後ろで見守っていた者全員が腰を軽く浮かせる。
 数人が後ろ側の席であった三郎や藤兵衛の席に近寄り、その包みを代わりに開けた。

 その間にも、宗右衛門や利助、小太朗は言われたとおりに中の粉を舐めていた。


「何って……粉?」
「粉は見れば分かります。何の粉なんですかってことです」
「何のってー。……毒?」


 にこりと笑って軽く小首を傾ける与一。

 その言葉に絶叫したのは舐めた本人達ではなく、周りにいた部の年の者達であった。急いで包みを子供達から奪い取り、身体に異常がないかくまなく確認し始める。


「以の年からなんてことさせてんですか!」
「保の年か、早くて仁の年ですよ!?」
「早く水! 水でうがい! うがいさせろ!」


 舐めたのは宗右衛門、利助、小太朗の三人だったが、周りにいる者の慌てようと毒という言葉に、三郎と藤兵衛も目に涙を浮かべながら前に座る三人に駆け寄っていった。

 こんな時、年が明ければ正式な八咫烏の一員となるの年の雛はさすがに行動が素早かった。すでに部屋の隅に準備されていた空桶からおけを持ってきて、指を宗右衛門達の口の中に入れ、空桶の中に吐かせるということを数度繰り返した。

 一方、同じ言葉を聞いた上で浮いた腰を再び下ろした師達に、部の年の一つ下の保の年である出遅れてしまった雛達から非難の視線が向けられる。


「先生方はなんでそんな冷静なんですか!?」
「いや。毒って分かっているなら」
「新しく作った薬の実験台にするぐらいするかと思ったが、さすがに幼い雛相手にそれはなかったか」
「解毒薬もちゃんとあるんだろうな?」
「もちろんですともー。ただ、目的が毒に体を慣らすことなので、なるべく使わないようにしようと思ってまーす」
過剰かじょう反応する時はきちんと対処しろ」
「それも分かってまーす」


 冷静に判断を下す師達は頼もしくも、少し恐ろしい。けれど、これが普通の感覚になっていくのだろう。そして、彼らが目指すのもこの域である。

 十一、二の齢の彼らにとって、そこに至るのがまだ難しくとも、この学び舎をでなければならない時は一刻一刻と近づいている。咄嗟とっさとはいえ、狼狽うろたえてしまったことをじなければならない。

 最後に、吐かせた時にあがった息を整えさせるべく、水でうがいをすませた宗右衛門達の背中を軽くさすってやる。


「大丈夫か?」
「この先輩達、ちょっと頭おかしいとこあるから、無理だったら無理って言うんだぞ?」
「そんなこと、ありません!」
「え?」
「せんせいたちも、こういうの、なさってたんでしょう?」
「おれ、せんせいみたいなすごいしのびになりたいんです」
「ぼ、ぼくも」
「おれも!」


 以の年のうちからこんな目にわされているというのに、それでも左近達をしたう宗右衛門達に、先輩雛達は戸惑いの色を隠せない。

 というのも、与一達の話を宗右衛門達に聞かせたのは他ならぬ部や保の年の自分達。正体の知れぬ輩共の襲撃に遭い、不安げにしていた宗右衛門らに、自分達が知る中で最も優秀な与一達の代の話をするのは、自分達が安心するためでもあった。だから、彼らの良い部分だけを切り取りすぎたのかもしれない。

 彼らが護るこの学び舎は、どこのやからにも落とせない、と。

 しかし、一方で理解もできた。

 宗右衛門達の尊敬の念がより一層増しているのは、今回のように左近が自分達の代の者にそれぞれ扱いが優れている得物の講義や鍛錬を任せるという実践じっせん式の手法をとっているためであろう。
 それ以外の迷惑を考慮せず、純粋にきたえてもらえるという点のみで考えると、彼らと同じ得物を持つ者であれば、彼らに何もせずとも教えを受ける立ち位置にいる以之梅に嫉妬しっとの念を覚えても不思議ではないほどなのだ。

 左近達の代がそれぞれの得物を操る技術を美術品とするならば、以之梅の子供達は幼い頃から本物だけを目にして育てられるようなもの。
 そんな技術を日々目のあたりにしては、彼らと同じところを目指すのも無理はない。

 現に。


「お、俺も……慎太郎先輩には憧れてる」
「……俺は吾妻先輩」


 それぞれ火縄銃と変装術を得物とする八咫烏の後輩が白状した。他にもちらほらと聞こえてくる与一達の代の名。この場にいる隼人も名をあげられ、気恥ずかしそうに鼻の下を指でさすっている。

 しかし、その名の羅列られつに、左近と与一の名はどんなに待てども一向に出てくる様子はない。


「あれあれー?」
「僕達の名前が上がってこないけど、どういう訳かな?」


 とうとうしびれをきらして本人達自らが尋ねる始末である。

 
「あんたらは! 色々規格外なんですよっ!」
「「へぇ」」


 今まで自分達に断りなく薬を盛ったり、罠を仕掛けたりという所業を忘れたのかと、える二つ下の後輩の横に、与一と左近が素早く移動する。不敵な笑みを浮かべる二人。

 その後輩が身の危険を感じ、後ろに飛び退しさろうとするも、時すでに遅し。


「……っ!」


 その細身からは想像できない力強さでもって、左近がその後輩の身体を床へ押し倒し、押さえこむ。身体の自由を奪われ、なんとか逃れようともがく顔の前には、与一が差し出す先程以之梅に舐めさせた薬が入った包み紙。


「さ、倫太郎りんたろう。お前はどのくらい耐性ついたかなぁ?」
「んーっ! ……げほっ。ごほっおえぇぇっ」


 抵抗もむなしく、その包みの半分以上を口の中に入れられた後輩――倫太郎と呼ばれた青年。だが、咄嗟に咥内こうないで舌を丸め、飲み込まずに済ませたらしい。解放されてすぐに水桶に駆け寄り、口をすすいで事なきを得た。
 こんな大勢がいる場で、しかも一人前の八咫烏が簡単に身体の自由を奪われたばかりか、毒まで盛られて動けなくなるという失態はなんとしてでも回避せねばと必死であった。

 そんな倫太郎を、成長したね、感心感心などどのたまいながら笑う与一や左近。一応後の援護は自分の役目と心得ている隼人が大丈夫かと声をかけてくれるが、それも全てが終わった後。


(絶対にこんな先輩にはならない)
(絶対に自分の教え子達をこんな風には育てない)


 一瞬にして先輩を地に伏させた左近を輝いた目で見る宗右衛門達、それから与一達当人以外、全員がそう心に誓った。

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