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第三章―護り人は今
は
しおりを挟む左近が長屋の部屋に行ってみると、朝、慌てて出てきたのか、まだ散らかったままであった。その散らかりように関係のない三郎のものがそこそこの量で紛れているようで、そっと後ろ手で物を纏めて避けている三郎に左近が目を細めてみせると、三郎はあははっと誤魔化すような笑い声をあげた。
行李の中を左近が覗いてみると、全て空になっている。丁度いいと、辺りに散らばっている服を畳みながら行李の中へ片付けていく。子供達も服の袖などに入り込んでいないか、冊子の中に紛れ込んでいないかとぺらぺらとめくって探すのを手伝った。
しかし、探せど探せど文は見つからない。
「……やっぱり、ない」
床にへたり込んだ藤兵衛はがくりと俯いてしまう。小太朗がそっと肩に手を置いて慰めるも、気落ちしている藤兵衛の顔が晴れることはない。
利助や宗右衛門はどうしたものかと顔を見合わせて困っているし、三郎は三郎で諦めることなく探し続けている。今朝藤兵衛が辿った道も探してくると、部屋を飛び出してしまった。
「左近」
「あ、兵庫。もうそんな時間?」
部屋の外から名を呼ばれ、左近はそちらへ目を向ける。いつもと変わらず無表情である兵庫が廊下に一人佇んでいた。
今日、体術を指導してくれないかと左近から頼まれていた兵庫は、なかなか集まらない以之梅を呼びに来たようだ。けれど、中の様子に何事か起きたのだとすぐに気づいた。
「……どうした?」
「うーん。実は」
左近が簡単に説明すると、兵庫は部屋の中に入ってきて藤兵衛の前に膝をついた。すると、周りにいた子供達も藤兵衛を囲むようにして座りこむ。兵庫が視線を彷徨わせているのに気づいた左近が三郎は今いないことを告げると、兵庫は再び藤兵衛の方へ目を向けた。
「その男なら知っている」
「え!?」
藤兵衛が身を乗り出し、兵庫の顔を期待がこもる目で見上げる。他の子供達も互いに顔を見合わせて顔を綻ばせた。ただ一人、左近だけは片付ける手を止めないまま耳だけ傾けた。
「任務でまた旅立った。戻りはいつになるか分からない。文も返してもらったと言っていた」
「そう、ですか」
「藤兵衛。あげた本人が持っていったんだから、諦められるね?」
「……はい」
自分が失くしてしまったのではないと分かった安堵と、本当は持っていて時々読み返したかったという落胆と、半々なのだろう。顔の表情から簡単に考えていることが見て取れる。わざわざ吾妻を呼んで心の内を探ってもらうことも必要ないほどだ。
全ての着物を畳み終わり、左近は行李の蓋を閉めた。それから座ったまま身体ごと皆の方へ向ける。
「あの、ひょうごせんせい。あのひとのおなまえ、なんていうんですか?」
「すまんが、数が多くてな。俺も知らない。それよりも時間だ。行くぞ」
これ以上この話はしないと、兵庫は立ち上がり、踵を返して外へ出ていった。
残念そうな顔をして下を向く藤兵衛に、小太朗が藤兵衛の腕を引いて顔を上げさせた。
「とうべえ。またあえるさ」
「……うん」
これでもう大丈夫と、子供達の中でも決着がついたようだ。
ただ、そうなると、問題が一つ。
「さぶろうがまだかえってきてない!」
「おれ、さぶろうをさがしてつれていくから、さきにいってて」
「いちょうのきのしたにしゅうごうだから!」
「おう」
利助が真っ先に部屋を飛び出した。その後をまた後でと他の三人も出ていこうとする。
最後に部屋を出ようとした藤兵衛が急に足を止め、まだ部屋の中で座っている左近の方を見てきた。そして、深々と頭を下げてくる。
「せんせい。ありがとうございました」
「うん。……ねぇ、藤兵衛」
「はい」
顔を上げた藤兵衛に、左近はいたって穏やかな口調で名を呼んだ。
「文にはどんなことが書いてあったの?」
「……えっと」
笑みを浮かべる左近が尋ねた内容は、普通であれば尋ねるのに何ら問題ない。ただし、これが農民や町人といった一般人であればの話。けれど、藤兵衛もまだまだ雛とはいえ、順調に育てば将来は一人前の忍びとなる者。手にする情報の大切さは少しずつであれ教えている。
失くした物が文であるということ以外、決して言おうとしない藤兵衛のみが知るその文の中身を知りたいと思うのは、数多の情報を集める忍びとしては仕方のないことであった。
ただ、あくまでこれは左近のただの好奇心。
指導してくれる兵庫を待たせてまで聞き出すべきことでもない。
「言いにくいならいいや。ほら、兵庫も待ってるだろうから、もう行っていいよ」
「はい」
ほっとしているのが丸分かりの藤兵衛に、思わず左近も苦笑を漏らした。
「頑張れよー」
皆が去った方に駆けていく藤兵衛に、後ろからまた別の声がかけられる。いつからそこにいたのか、隼人が足を伸ばして廊下に座っていた。
隼人は藤兵衛を見送ると部屋の中へ顔だけ向ける。すると、丁度左近も部屋から出てくるところだったので、そのまま顔をひっこめた。
「兵庫。本当に知ってると思うか?」
「どうだろうね。……なに、それ」
「え?」
隼人の横に置いてある布がかけられた盆を見て、左近が怪訝そうに尋ねた。その視線の先を追い、隼人も自分の隣へと目を移す。
「あっ! しまった。お菊から藤兵衛に食べさせるようにって頼まれてたんだった」
「あーぁ。……まぁ、後で持っていけばいいよ」
左近は手を伸ばし、その布を少しめくる。少し香る醤油の匂いで菜饅頭と分かると、隼人が持っている食べ物をねだることがある動物達に気を付けるように念押しも忘れない。せっかく藤兵衛にと作ってもらったのに、本人が食べられないのは可哀相だ。ただ、本人だけでなく他の子達も欲しいと言って結局皆で分けることにはなるだろう。
今日の体術は見ているだけと言っていたはずの左近が、屈伸したり腰を捻ったりし始める。隼人は片膝を立て、頰杖をついてそれを見上げた。
「……食堂で仁か波の年の雛から聞いたんだが、藤兵衛に文を渡したっていう男なんだけどよ。実は」
「生きてる人間じゃないって言うんでしょ?」
「へ?」
鳩が豆鉄砲を食らったようとはこのことを言うのだろう。隼人は驚いて目を丸くし、ついていた頰杖もいつの間にか手から離れている。
「……お前。前までそんなもの信じないとか言ってたのになぁ」
「別に、今でも信じてないよ」
「あ?」
「いるって証明もできないけど、いないって証明もできない。そんな不確実な、話の中の存在でしかないモノを信じないってだけ」
「……んー?」
左近の話は昔から小難しいことをさらに小難しく言ってくるから時々知恵熱が出そうになる。隼人も理解しようとはするのだが、結局諦めるか、そもそも完全に理解されることは望んでいないのか、左近自らが会話の方向転換をしてくれる。ちなみに八割五分程が後者である。
今回も隼人が左近が言っている意味を頭で整理しようと目を瞑る。こうすると少しだけ集中して考えられる気がするのだ。ただ、どちらかといえば感覚で生きる方である隼人のこと。元々熟考する方でもないから、その集中も長くは続かない。
「まぁ、僕としては」
その言葉に、隼人は考えることを止め、目を開けた。
腕を交差して身体を捻る左近を見上げると、部屋の中を見ている。隼人も自然とその視線の先を追った。そこには例の文が入っていたという行李が置いてある。
「誰が化けて出たかってことよりも、その幽霊とやらが藤兵衛に渡した文の内容の方が気になるんだけどね」
「聞いてないのか?」
「聞いたけど教えてくれなかったんだよ」
「ふーん」
(それはまた。だからそれ、か)
知りたいことが知れなくてなのか。はたまた藤兵衛に秘密のままにされたからなのか。
付き合いの長い隼人から見れば、今、左近はなかなかに不機嫌であった。
どちらの理由が優勢なのか、それともまた別の思惑があってなのか。本当のところは本人にしか分からないが、身体を動かして彼にとって好ましくない気分を一掃するつもりなのだろう。
「ま、失くしてあんなに落ち込むようなものだったんだ。あいつの得にはなっても、損にはならなかったのさ」
「……後は、あの子次第ってこと?」
「そういうこった」
にかりと笑った隼人は、俺も鍛錬付き合おうかな、と、身体を伸ばし始める。
二人の間を、爽やかな春風が一筋通り抜けていった。
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