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第五章―遊びをせむとや
い
しおりを挟む軍議の翌日、夕刻。
山裾に消えゆこうとする太陽の残光を受けた空が、茜色に染まる。
学び舎の門の内では、わらわらと以之梅の子供達が集まっていた。その中心には、もちろん左近がいる。
そして、少し離れた所には、餌の時間を終えて戻ってきた狼達を連れた隼人と、一月ほど子供達の指導をしてくれるようにと、左近に引き止められた団次が、左近の見送りのために出てきていた。ここに帰ってきた時は袈裟装束だった団次も、八咫烏としての忍び装束へと衣を戻している。
また、門の外では共に行く与一が腕を組み、腰をひねって身体を動かしつつ、左近が出てくるのを待っていた。
「なるほど。さすがは同じ代」
「団次先輩? 何かおっしゃいました?」
「いえ、なんでもありません」
隣に立つ隼人に、団次は仄かな笑みを見せた。
この状況になったことを、高台で静かに眠るはずの彼らがどこかから見ていたら、やはりそうなりましたかと苦笑するかもしれない。せっかくの忠告が無駄になってしまったが、これも良い機会だと団次は思うことにしていた。
この世のものでないモノが視える者は、大なり小なり招かれやすい。それが良いモノであっても、そうでなくても。全ての人間に視えないということは、それは視えなくてもいいモノなのだ。そうしたモノ達に招かれて引きずりこまれ、落とさずともよい命を落とす必要もない。幼い子供達ならばなおさら。
団次は、この一月の間でそういったモノが視える雛達への対処を終える算段をつけていた。
一方、子供達は左近の顔を見上げ、少しの不安が混じった表情を浮かべている。
任務でしばらく留守にすると左近から告げられた後、隼人から一緒には行かないと聞いた時の彼らはあからさまにほっとしていた。
「どれくらいでかえってこられますか?」
「確かなことは言えないけど、一月半後くらいには全部終わると思うから」
「ひとつきはん……ながいね」
宗右衛門の問いに対して返ってきた答えに、藤兵衛がそう呟いた。毎日生活を共にしているのだから、寂しさが募るのも無理はない。左近はふっと小さく笑みを漏らし、藤兵衛の頭に手を乗せた。藤兵衛はその手を両手で掴み、そっと上目遣いで左近の顔を窺ってくる。
「大丈夫だよ。みんなが鍛錬をしっかりしていたら、それくらいあっという間だから」
「「はい」」
子供達の返事に、左近は満足そうに頷き、後ろに控える団次と隼人の方へ視線を移した。
「それでは、団次先輩。よろしくお願いします」
「えぇ。戻ってくるのを楽しみにできるくらい、成長させておきますよ」
「それはそれは。なんと頼もしいことでしょう。隼人も。よろしくね」
「おぅ。任せろ」
隼人が子供達の傍まで行き、三郎の肩に手を置くと、三郎が隼人の方を仰ぎ見る。隼人はちらりと三郎へ視線を落とすと、すぐにまた左近の方を見て口端を上げた。
すると、閉じられた門の脇にある脇戸が少し立て付けの悪い音を立て、顔が差し込める程度に開かれた。待ちきれなくなったのか、与一が外から顔を覗かせる。まだ子供達に囲まれている左近を見て、仕方ないなと肩を竦めた。
いくら庭のように慣れている山中とはいえ、里に下りるまでには時間もかかる。
「左近、そろそろ行こーよー」
「うん。それじゃあ」
左近が片手を上げて、与一が開けた脇戸から出て行く。子供達は門前までなら勝手に出ていくことを許されているため、左近を追いかけ、門の外へと出ていった。
「いってらっしゃーい」
「おきをつけてー!」
子供達の元気な声が門の内側まで響いてくる。
左近達が無事に出立したのを見届けた後、隼人が団次の方に向き直った。
「先輩、本当にすみません。あいつが無理を言ってしまって」
「いえ、それは別に良いのですが。丁度任務も終えて報告へ戻ってきた時だったので。……ところで」
「はい?」
団次は顔だけを向けていた隼人から正面へ視線を戻し、さらにやや下へ向ける。
「なぜ、こんなに近いんでしょうか?」
いつの間にか戻ってきていた子供達が団次の前に集合している。それも、少し身体を動かせばぶつかってしまいそうな至近距離に、さすがの団次も少々面食らってしまった。
「あ、すみません。俺も左近もこれくらいの距離でいっつも接しているせいで、こいつらそれに慣れちゃって。こら、お前達、近すぎだ」
隼人の言葉に、子供達は瞬きを繰り返した後、素直に団次から二、三歩後ろにととっと距離を取る。
隼人が飼っている狼や鷹などの生物達は、いつもぴたりと身体を寄せてくるので、隼人自身は子供達のこの距離になんら居心地の悪さを感じていなかった。むしろ、撫でやすい位置に頭があるなとすら思っていた節もある。
左近も期待や憧れといった視線は苦手としているが、自分を慕ってくる相手を無碍にすることはない。鍛錬など甘えを許さない場以外は好きにやらせるというのが彼の指針なので、この距離の近さを注意することもなかった。
最初は適度な距離が保たれていたと思うが、徐々にどちらかからにじり寄ってこの距離が完成したのだろう。それを考えると、隼人は距離感というものをこの子達に教えてやらねばと思うほかなかった。
「さて。実践形式でということでしたからね。明日はまず書道からやり始めましょうか。雨の日を除いて、中と外を交互で。外での鍛錬内容は隼人、貴方にお任せします」
「分かりました。……おい、小太朗。そんな顔をするな」
書道をすると聞いて、隼人が小太朗の方をそれとなく見ると、案の定、眉が下がっている。隼人が注意をすると、決まり悪そうに俯いてしまった。
「ご、ごめんなさぃ」
「謝る必要はないですよ。書道、苦手ですか?」
「……はい」
「そうですか。ですが、小太朗。よく考えてごらんなさい」
団次は小太朗の視線に合わせて身をかがませ、膝を地面についた。
「自分が苦労してやったことは、少しずつゆっくりとではあるかもしれませんが、確実に実になります。そして、その努力が全て実るわけではなくとも、その最初の努力もしようとしない者に、今以上に上手くなるなんてことはありませんよ」
「はい」
「心配はいりません。どんな壁があっても、貴方が頑張ろうと努力を続けられるうちは、どこまででも伸びることができます。もちろん、小太朗だけじゃなく、皆も」
他の四人の顔も交互に見回し、最後に団次が小太朗の頭を撫でて腰を上げた。膝についた土を払い、団次が子供達に笑みを向ける。
「さて。講釈はこれくらいにして、夕餉の前に庭を一周走ってきなさい」
「え?」
「朝餉前には走っているようですから、今日からは夕餉の前にもそれをするように。ほら、早くしないと、夕餉の時間がどんどん遅くなりますよ」
「え、えぇっ!?」
「いそげっ」
「あっ、まって!」
ぱんぱんと急かすように手を鳴らす団次に、子供達は慌てて庭へと駆け出した。お腹を空かせた三郎を先頭に、利助、宗右衛門と続き、出遅れた藤兵衛の手を小太朗が引いていく。
「ただ、努力をしてもなお、天賦の才がある者に追い付くことは難しい。これがこの世を生きにくくする理由の一端なのでしょうね」
遠ざかっていく子供達の影が庭に伸びていく。団次はそれを見下ろしつつ、目を細めて独りごちた。
努力をして多少その結果が伸びても、それが自分の目標とする場所に届かなければ、人はそれを成功とは言わない。結果が全ての忍びの世と同じで、人の住む世とはなかなかに厳しい。
一切皆苦。仏の道において伝えられるこの言葉。この世とは自分の思い通りにならないものであるとは、確かにその通りだと団次は常々そう思う。
「先輩?」
「……いえ、なんでもありません。我々も行きましょうか」
「はい」
子供達の後をこっそりと追って久しぶりに走る庭は、自分が雛であった頃に走っていた時よりも、だいぶ狭く感じられた。
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