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第五章―遊びをせむとや

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 翁から隼人と団次が呼び出されてから五日が過ぎた。

 隠れて護衛の任についている八咫烏達から、昼九つ正午までには到着すると報せがあったが、まだくだんの子供を連れた一行は姿を見せない。

 子供を出迎えるために里に下りてきた隼人と以之梅の子供達だったが、子供達は待ちくたびれてきた上に腹も減ってきたと訴えだす。いつもならば今頃は昼前の鍛錬を終え、皆でお菊が作った昼餉に舌鼓を打っている頃合いである。我慢がきかぬ彼らが騒ぎ出すのも無理からぬことではあった。 


「……仕方ねぇなぁ。ちょっと待ってろ」


 翁の屋敷で食事をとらせてもらうこともできるが、せっかく外に出てきているのだ。この機会を無駄にすることもない。

 隼人は釣り竿ざおを借り、子供達を連れて里の外郭がいかくに沿って流れる川にやってきた。
 それに、里へとかかる橋のたもと付近のここならば、一行が到着した時にもすぐ対応ができる。


「宗右衛門、ほら。その辺の草とか集めて、火を起こす準備をしといてくれ」
「はいっ」


 火種が入っている打竹うちたけを宗右衛門に渡すと、隼人は残りの子供達の方へ向き直った。


「三郎、利助。お前達は地面を掘り返して、えさになりそうな虫を捕まえろ」
「「はいっ」」
「藤兵衛と小太朗は翁の屋敷に戻って、竹串と塩をもらってきてくれ」
「「わかりましたっ」」
「三郎、利助、あと宗右衛門も。その不自然に草同士が結わえてある方には行くなよ? 左近の罠がある」
「は、はい!」
「こんなところにも」
「すごい」


 火を扱う宗右衛門に時々目を配りながら、隼人が早々に見つけたみみずを使って一投目を川の中へ投げた時だった。橋の向こう、都へと続く一本道の向こうから、件の一行らしき人影が見えてきた。


「あー。いま来るかぁ」
「せんせい?」


 釣り糸を川の中から引き戻す隼人に、近くで穴を掘って虫を探していた利助が首を軽く傾げた。


「んー。今回はお預けだな」
「え?」
「あ、きたよ! せんせい、あれ!」


 三郎が声をあげ、橋のすぐ向こうまでやって来た一行を指さす。

 子供達には今回預かることになった子供がどんな身分なのか教えていないが、主上から直に下知がくだされたのだから、それなりのものであることは間違いない。

 その指を急いで下ろさせたが、一行の目についただろうかと、隼人は内心冷や汗ものであった。


「ん? 先輩?」


 護衛と道案内の任についていた八咫烏達の一人、厳太夫が川縁に隼人がいることに気づき、こちらに駆けてきた。


「一体ここで何を?」
「あー……野生生物の実食実習、だろ」
「……苦しい。先輩、その理由の後付け感、とても苦しいやつですよっ」
「うるせぇよ」


 いつもであれば厳太夫の脇腹にひじを入れている所だが、初対面の余所者である一行の前では下手なこともできぬ。

 隼人はひくひくと口元を揺らし、半ば投げやりな気持ちで顔に笑みを浮かべた。


「あの、あのっ」
「ひるはもうたべた!?」


 子供達の声に、隼人がそちらへ目を向けると、橋を渡ってきた馬に同乗する小坊主と件の子供らしき少年を子供達が取り囲んで見上げている。


「おい、さぶろう。はじめにいうことがそれじゃおかしいだろ」
「でも、おれ、もうはらへってはらへって。……まちくたびれたんだからなっ!」


 三郎本人の自己申告の通り、彼の腹からは盛大な腹の虫の音が少し離れた所まで聞こえてくる。学び舎から里まで一刻半ほど歩き、さらに里で待ちぼうけ。その間に消費した体力を身体が全力で欲していた。

 すると、三郎の言葉に馬の手綱を引いていた供の侍が気色ばんだ。


「小僧っ! 先程から黙って聞いておれば、そのような口の利き方っ! なんと無礼なっ!」
「ぶ、ぶれい?」


 三郎はびくりと身体を震わせ、かたりと小首を傾げる。おそらく言葉の意味が分からなかったのだろう。

 一触即発の様子に、隼人は軽やかな動きで子供達の元へ駆けた。そして、侍の怒りの原因である三郎を後ろ手で自分の背に隠し、代わりに頭を下げた。


「申し訳ない。この子達には、自分達よりも幼い子供をお預かりすることと、その子供の世話を頼むとしか伝えていないので。……そちらもその方がよろしいでしょう? あまり公にはしたくないでしょうから」
「……」


 隼人がちらりと顔を上げて窺うと、侍は苦虫を噛みしめるかのように顔を歪めている。

 しかし、こんな時でも子供とは何とも自由なもの。くいくいっと引かれる小袖の背に、隼人が振り返ると、三郎がお腹を押さえて見上げてきていた。


「せんせぇ、おなかすいたー」
「……お前なぁ」


 侍の剣幕にびくついていたのもどこへやら。隼人の背に隠され、もう大丈夫だと分かると、途端に食欲の方が勝ったようだ。


「昼餉はお済みですか?」
「……まだだが」


 どうしたものかと隼人が腕を組んで考えていると、先触れとして翁の屋敷へ行っていた八咫烏が戻ってきた。藤兵衛と小太朗も、竹串と塩の入った袋を持って後ろから走ってくる。


「翁が屋敷でお待ちしているとのことです。昼餉も準備されていると」


 馬はこちらでお預かりしますとその八咫烏が言うと、騎乗の人だった小坊主と少年はゆっくりと順番に馬から降りた。


「俺達も翁のところでいただこう」
「えーっ!」
「せーっかく、むし、いっぱいみつけたのにぃ」
「さかなたべたいです!」
「さかなつり、したいですっ」
「はいはい、今度な」


 しぶる子供達を隼人は軽くいなした。

 けれど、楽しみにしていた子供達も簡単には引き下がらない。


「こんどっていつ!? あした!?」
「お前ら、明日からは宝探しだぞ?」


 隼人は呆れたと言わんばかりに目を細め、子供達を見下ろす。

 宝探しといってももちろん鍛錬に準ずるものだが、物はいいよう。誤魔化しようである。子供心くすぐる言葉の効果は覿面てきめん。皆の顔つきが、がらりと変わった。


「あっ、そうだ!」
「そうだった! わすれてました!」
「だれがいっちばんたくさんみつけられるか、きょーそーだったな!」
「ほらほら、腹減ったんだろ? 行くぞ」


 隼人は子供達の背を押し、屋敷の方へ向かおうとしかけた。

 そこへ、一匹のまだ小柄な狼が駆け寄ってくる。


「あっ! かげろうだっ!」
「いや、不知火しらぬいだ。知らない人間の臭いがしてきたから、様子を見に来たんだろう」


 ぴんっと警戒して張られていた尾が、隼人の姿を見て軽快に左右に揺れる。

 狼――不知火は一行の方へじっと視線を向けたが、隼人が何も言わずにいることですぐに問題ないと分かったのか、すぐに興味をなくした。

 朝や夕の庭の走り込みで、散歩がてらと子供達と一緒に走らされているからか、子供達も不知火に対して怖がる素振りは見せない。

 それどころか。


「ふさふさー」
「うわっ、くすぐったい! なめられたーっ」
「とうべえもさわってみなよ。かわいいよ」
「う、うん」


 隼人の体に前脚をかけてじゃれてくる不知火の背や頭を順番に撫で回す始末。

 不知火も子供達のことを仕方のない弟分くらいに思っているのだろう。好きにさせ、時には顔の前に当てられた手をぺろりとめてやるくらいには気を許している。

 すると、小坊主の背に隠れ、こちらを窺っていた少年がそっと顔を覗かせた。


「……みやも」
「どうかなさいましたか?」
「みやも、さわりたい」


 か細い声での懇願に、小坊主は弱ったと眉を下げた。


「ですが、あれは犬ではなく、狼かと。お寺で飼っておられた犬とは違いますよ?」
「あぁ。きちんと躾けていますから、大丈夫ですよ」


 少年も飼っている犬がいたほど犬好きならば、同じような狼も愛でたくもなろう。

 不知火は生まれてまだそんなに経っておらず、言ってしまえばそこらの成犬よりも小柄なくらいだ。

 そうは言っても、小坊主と侍の不安が拭えていなさそうなので、隼人は不知火の身体を抱き上げ、草地に腰を下ろした。

 そこでようやく小坊主に手を繋がれた少年が寄ってきた。


「……かぁいい」
「おおかみ、すきなの?」
「おーかみ? ……んっ」
「そっか! ここにはいろんないきもの、いーっぱいいるんだよ」
「たぬきにーうさぎにーねこにー、あと、りすとーきつねとーさるとーうまとー」
「たかとね、ふくろうもね、いるんだよ! あと、にわとりと、かもとー……うーんと」
「とにかくいっぱい!」
「いっぱい!? しゅごいねー!」


 どうやら子供同士は簡単に打ち解けてしまったようだ。少年も子供達相手には人見知りをすることがなかった。
 そして、以之梅の五人に関していえば、今まで自分達が学び舎で一番年下だったので、新しくやってきた自分より下の存在に、構いたくて仕方ないという気持ちがありありと見て取れる。

 隼人にしても、自慢の子飼いをこうして愛でられることは嬉しいことだ。良かったなーと、不知火の顔をふにふにと両手で撫でてやった。

 すると、誰かの腹からくぅっと可愛らしい音が聞こえてくる。耳をほんのり赤くさせた少年が、さっと自分の腹を押さえた。どうやら少年も腹が空いてきたらしい。


「そういえばお前達、腹の虫はいいのか?」
「……よくないです! おきなのおやしきにいかなきゃ!」
「ごはん、いっしょにたべよ!」
「あい」


 少年は小坊主の背から離れ、小太朗と手を繋いで皆と走って行ってしまった。それを小坊主も慌てて追いかけていく。

 転ばないようになーっと厳太夫が声をかけると、はーいっと返事がかえってきた。

 一行の中で一人この場に残った侍に、隼人は子供達が駆けていった方をすっと手で差し示す。


「旅疲れもあるでしょう。さぁ、こちらです」
「……かたじけない」


 侍は多少の気まずさを感じつつ、軽く頭を下げ、隼人の背に続いた。

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