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第六章―狼藉の代償

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 例の高台で平治を荼毘だびにふし、学び舎に戻ってきた左近達を、子供達はなかなか解放しなかった。夕餉を終え、長屋の部屋へと戻るまでべったりとはりつき、宝探し中のことを延々と話し続けた。


 子供達が寝静まって後。
 久し振りの風呂だと、同じ代の皆で山中に湧く温泉に行き、長屋へと戻ってきたのが四半刻程前。

 まだ乾かぬ髪を拭きもせず、頭に布を乗せるだけ乗せ、左近は縁側の梁に身体の側面をもたれて腰かけていた。


 あの後、あの城の煙硝蔵と武器庫、そしてその火が飛び火したのか、本丸全体を焼いた火は一晩中燃え続けた。また、与一によって作られた薬を盛られた雑兵達も無事に痛みは収まり、自分の家へと帰っていった。

 そして、城が落ち、城主が行く方知れずであることは、本城にいる黒幕にも報せが届けられた。もちろん、雑兵にふんした吾妻によって。

 また、薬師の男には流行り病、雑兵達には毒と、いずれも伊織達から吹き込まれた噂も瞬く間に広がっていった。なかでも伝染病というのは、とかく人の生き死にに直結するので、人々の口に乗りやすい。

 さらに、噂を広めるにあたって、いかに相手に信じるに足ると思わせるかが重要となる。本丸などの爆破も、感染者にしろ毒にしろ見つかっては面倒なものを諸共消そうとしたのだという話に信憑性を持たせた。

 噂が二種類あることによって、岡崎の本城もすぐには動けず、情報の精査に時間を要することだろう。その間にこちらが手を回す時間を稼ぐことができる。伊織の策に今回も手抜かりはない。

 それにつけても、惜しむらくは、あの程度で止められたこと。
 もう少し深く掘っていれば、落ちた時に骨なりと折って苦しんだだろうに。それか、即死には至れない程度の毒を重ね仕込んでおいたものを。やはり、罠の数やその内容に‟限度”という言葉は相応しくない。


 目蓋を閉じると、学び舎で過ごした彼との記憶が鮮やかに蘇る。

 すると、今まで閉まっていた部屋の戸が開かれ、背後から声をかけられた。


「寝ないのか?」
「……まだ目がえてて。寝るのに邪魔だった?」
「いや、俺もだからな」


 隼人も縁側に出てきて、そのまま戸を閉め、立ったまま戸に背をもたれかけた。


「……前回の襲撃の後、皆が後始末してる間、あの子達に昔話をしてたんだ」
「昔話?」
「うん。どうやって強くなったのかって聞かれたから。あぁ、もちろん任務のことでなくて、当たり障りのない鍛錬の内容とかだよ? 年を重ねる毎で教えて行って、山の中の全力競走五周、崖登り十回、崖渡り三回、的打ち千回とか。みんなひいてたけど」
「まぁ、半分本当で、半分嘘だけどな」
「……うん」


 本当はそれで一まとめ。鍛錬や講義の時間次第で調整したものの、的打ち以外は大体その一まとめを三回。

 得意な物が物だけに、比較的後方支援に回ることが多い左近や与一でも、この鍛錬のおかげで余所の忍び里の下手な忍び達よりは遥かに実戦向きになった。

 そこへもう一人。寝巻き姿でやって来た者がいる。


「左近、隼人」
「正蔵?」
「ごめん。話が聞こえちゃって」
「いいよ。座る?」
「うん」


 左近が隣を掌で叩くと、正蔵はそこへ腰を下ろした。

 そして、とつとつと語り出した。


「僕は、あの子達の笑顔がとっても眩しい。時々、息苦しいくらいに。……駄目だよね。この学び舎に戻ってきたのは、あの子達に技術を教えるためなのに。時々、重なってしまって……その場を逃げ出したくなってしまう」


 左近を見てにこりと笑うものの、その表情はどこか物悲しい。

 顔を俯かせ、手の指を交差して手遊びをしつつ、手元を見ているようでも、その実何も見ていないように感じる。


「僕は、皆と違って前に出られるような性格ではない。でも、皆と肩を並べられたのは彼がいたからなんだ。いつも笑顔だった彼が僕の背中を押してくれたから」
「正蔵。僕もね、思い出してたんだ。平治も一緒に過ごしてた時のこと」


 左近は正蔵の話を名を呼ぶことで遮り、言葉を続けた後、一度目と口を閉じた。そして、再び開かれる時、左近の目は前を向いていた。


「だから、僕達みたいな経験ことを繰り返させないために、せめてこの学び舎にいるうちは誰も死なせたりしない」
「左近」
「雛のうちに任務に出るのは僕達まででいい。今の子達には八咫烏に上がるかどうかも含め、選択肢をしっかり与える。与える上で、どちらを選ぶにも困らないように鍛える。それが、賊からあの子達を護りきった先生達から僕が預かった、可愛い教え子達の教育方針だよ」


 そして、左近は正蔵の方へ顔を向ける。
 正蔵も俯いていた顔を再び上げ、左近の方を見た。


「正蔵。僕らの命はいつだって軽くなければいけない。あの子達を任されたとはいえ、僕にしかできない密命が下れば行かなければいけない。もしかすると、明日にでも下知が下りて、そして命を落とすかも。でも、僕らは誓っただろう?」


 左近の言葉を聞いて、正蔵がはっとした顔つきをしたかと思えば、次の瞬間には唇を噛みしめた。


「……うん。そうだった。そうだったね」


 まだ自分達が雛だった時分、明日で学び舎を出るという日に。あの頃はまだ、今の十一人ではなく、平治を除く十六人だったけれど。

 今となっては青臭くて、言葉にするには少し気恥ずかしい誓いかもしれない。それでも、この誓いがあったからこそ、今までどんな事があろうとも生きて戻ってきた。


「我ら次代の八咫烏」
「「護られる側から護る側へ。たとえ身の滅ぶ時が来ようとも、戦のない世をさらなる次代、そして学び舎の雛達に」」


 最初の文句こそ左近だけだったが、忘れまじと心に刻んでいた言葉に正蔵と隼人も続く。


「どこまで飛んでいこうとも、かえる巣はここだけだよ」
「うん。……うん」


 正蔵は再び顔を俯かせた。今度はふるふると肩を震わせている。

 すると、左近達の部屋の隣、与一と慎太郎の部屋の戸が勢いよく開かれ、出て来た与一が正蔵の背に飛びかかった。その後ろから慎太郎も部屋を出てくる。


「もー、正蔵ってば、相変わらずだなぁー」
「与一? 慎太郎?」
「お前達ばかり話し込んでいるなんて! 水臭いぞ! 俺達も混ぜろ混ぜろ!」
「こら、そんなぶつかっていく奴がありますか」
「彦四郎? 吾妻?」
「俺達、組分けは違えど同じ代」
「友が苦しい時は皆で支えるに決まっているだろう?」
「……無理するな」
「伊織、源太、兵庫」


 そして、廊下の角からすごい速さで駆けてきた蝶が、与一の腕を押し退けるように正蔵の肩に腕を回してきた。
 あまりにも勢いがついていたせいで、左近の方に正蔵諸共寄りかかってくる。いつもだったら軽くやり返したりする左近も、今日ばかりは仕方ないと肩を竦めるに留めた。


「なんで一人で抱え込んでるんや。俺がおるやんか! あと、ついでに皆も!」
「ついでって酷くなーいー?」
「与一」
「自分、一人で立っとるんは最初だけやったやん! ……忘れたん?」
「……っ。ごめっ」


 やはり、気づけば同じ代全員がこの場に集まっていた。


「平治もだが、ここに来れなかった他の奴らも。たとえ生きて戻らずとも、あいつらは八咫の同胞。これからも任務遂行の支えになってくれる。俺達があちらにった時、あいつらに罵倒ばとうされない働きをするための奮起剤だ」
「確かに」
「結果が全てとはいえ、言われっ放しは癪だものな!」


 右には左近、左には蝶、背中には与一が、正蔵の寂しさを埋めるように張り付く。どんなに正蔵が心に影を落とそうと、ここにいる限り、それが芯まで届くことを彼らは許さない。


「皆、ありがとう」


 正蔵の笑顔も、ようやく晴れやかなものへと変わった。

 おのおの話始める皆をよそに、正蔵は左近へと顔を向けた。


「左近。ごめんね」
「何が?」
「後ろ向きなことを聞かせてしまって」
「ううん。正蔵の気持ちは正蔵だけのものだから、後ろ向きでもなんでもいいと思うよ。でも、それ以上にどんな時でも僕達が側にいてやるよっていうだけ」
「……そっか」


 酷く嬉しそうに、気恥ずかしそうに笑う正蔵のまなじりからは、残っていた最後の涙一滴ひとしずくが流れ落ちた。
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