戦国乱世は暁知らず~忍びの者は暗躍す~

綾織 茅

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第十章―貴方の生まれた日

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 信康の死でもって、表面上であっても一時の平穏が戻り、十日ばかりが過ぎた。

 学び舎の以之梅の部屋では、左近が子供達にこよみの二十七宿を用いた密教占星術を教えていた。まずは基礎を教え、ではここで問題をと、用意していた紙を配り、自分達で解かせていく。

 一方、さすがにまだ五つの宮彦には難しいので、いろは歌の書き取りをさせることにした。熱心に書き取る字は、正直、小太朗よりも上手いかもしれない。

 ふと、左近の方を見た利助が、左近がいつもよりも楽しそうにしていることに気づいた。


「せんせい、なんかごきげんですね?」
「え? なにかいいことでもあったんですか?」
「いや。……何でもないよ」


 そう言って、左近は口元を隠した。

 だが、その実、おかしくておかしくてたまらない。

 信康が死んだ翌日、信長の息子である信雄が信長に無断で伊賀国に侵攻。二、三日ののち、自軍に甚大じんだいなる被害をもたらし、伊勢国へ敗走して侵攻は失敗に終わった。当然、このしらせに信長は激怒した。

 兵力は伊賀衆が千五百あまりに対して、信雄軍およそ八千。伊賀衆に土地勘があるとはいえ、兵力差が五倍もあるというのに、たった三日で敗走させられる。
 伊賀国平定の時期を見計らっていた信長としては、信雄の先走ったがゆえあやまちは大層気に食わなかったのだろう。絶縁状まで叩きつけたと聞く。


 ――結束の固い忍び集団を、しかも、一国持ちを甘く見るからこうなる。


 その報を最初に聞いた時、左近はそう吐いて捨てた。

 その後、左近が頭に思い浮かべて楽しむのは、普段自分達の主君をも利用しようとする男が憤懣ふんまんやるかたなしと周囲にあたる姿である。
 ざまをみろと、見た目は穏やかそうに笑う皮の内で、あざけりを込めた冷笑を浮かべる。

 しかし、そんな姿を子供達に見せるなんてヘマはしないと思っていたが、どうやらこちらも甘かったようである。利助は本当にモノをよく見ていた。

 それを誤魔化すために、左近は子供達の目の前にある紙を指さす。


「それよりもほら、次の問題を解きなさい」
「だって、これ、むずかしぃ」
「えーと、ばうがいるいだちがきちで、きがきょう?」
「ちがう。ぎゃくだよ、ぎゃく」


 小太朗が筆でこめかみを書きながらつぶやいた言葉に、宗右衛門が首を振る。


「うへぇー。いっぱいありすぎて、おぼえらんないよぉー」


 三郎もとうとう筆を机の上に放り投げ、後ろ手に手をついて身体をらした。


「でもね、人っていうのは神や仏を信じるにしろそうでないにしろ、縁起はかつぎたがるものだからね。暦を読めるようになって損はないよ。ちなみに、衣類断ちが凶だったり吉だったりはそれぞれそれだけじゃないから、ちゃんと調べなさい」
「うぅー」
「なんでこんなたくさんしゅるいをつくるんだよー」
「あれはダメ、これもダメ、これはイイってめんどくさーい」
「こんなんじゃ、すきにすごせないよ」
「それでも、日々を安心して過ごしたいと思うのだから、仕方がないことだろう?」


 左近も何やら巻物を机の上に広げ、ながめ始めた。どうやら、子供達が問題を解いている間にやろうと持ち込んでいた絡繰りの設計図である。しばし考えこんだのち、その設計図に新たにすみをつけていった。


「せんせーはきにするんですか?」
「僕? しない」
「はやっ」
「そくとう」
「だって、そんなこと気にしてたら仕事も任務もままならないし、仏滅の日なんか、大人しく部屋にこもるなんて。あはは。無理無理」


 筆を走らせる手を一旦いったん止め、左近は子供達の方に顔を向ける。

 子供達は考えていることが本当に分かりやすい。
 左近が気にしていないのならば、これはやらなくてもいいのではないか。そして、そう考え直して、この問題を解くことを不要にしてくれるのではないかと、期待がこもった瞳で見つめてくる。


「じゃあ!」
「だからといって、学んでないわけじゃないよ、僕は。それに、これは僕が必要としてるんじゃなくて、易者なんかに変装した時にも使えるから教えてるんだから」
「……あぁー」
「そっかぁー」


 もし、本当に不要であれば、わざわざ貴重な時間をいて教える必要はないのだから、左近はばっさり切り捨てるだろう。
 しかし、この二十七宿を始めとした暦というものは、貴賤きせん関係なく人々の生活に深く根差している。早い話、易者でなくても知らないようでは色々と困るのである。

 子供達も左近の説明に納得し、渋々しぶしぶ問題を解く作業に戻っていった。

 しばらくすると、再びきてしまったのだろう。参考用にと渡してあった巻物を眺めていた三郎が、隣に座る藤兵衛に声をかけた。


「おまえって、うまれたひってわかる?」
「えっと、てんしょうがんねん、じゅうにがつはつかだけど。なんで?」
「ここに、うまれたひごとにきまったしゅく? を、もっていて、それでせいかくがわかるんだってかいてある」
「へー」
「おれにもみせて、みせて」
「んーっと。みめおだやか、されど、うちなるせいしんりょくはつよく、ものごとをやりとぐにんたいりょくあり、だって」
「おぉー。たしかにとうべえって、とりあえずなんでもさいごまでやってみようとするよな」
「あたってる、あたってる」
「おれはー?」


 問題そっちのけで巻物を皆で読み始めた子供達に、左近は肩をすくめる。

 筆を筆置きにおいて、てのひらを打ち鳴らしてこちらに注目させた。


「君達、問題は解き終わったの?」
「これがおわったら! これがおわったらやります!」
「ぜったい!」
「絶対ってねぇ」


 その巻物を回収してしまおうと左近が立ち上がると、子供達は慌ててその巻物を背後に隠した。

 左近は深く溜息をつき、そのまま続けさせることにした。こういう時はさっさと気の済むまでやらせて、問題を解く作業に戻らせるに限る。

 再び腰を下ろして子供達の方を見ると、子供達はもうその巻物を広げ、左右前後から釘付けになって読んでいた。

 こんな時だけ熱心だし行動が早いんだからと、左近は苦笑をらす。


「あ、せんせいは?」
「せんせい、いつおうまれですか?」
「えー。そんな簡単に生まれた日付なんて特別なもの、教えるものではないよ。僕は信じていないけど、それで呪い殺すなんてこともできるらしいんだから」
「ぼくたちはそんなことしませんっ!」
「あー、まぁ、そうだろうね」


 左近が気のない返事をしたものだから、以之梅の子供達が全員で左近の周りまでやってきて、左近の身体にべったりと抱き着く。まだ七つの子供の身体など、一人一人は全く苦にならないが、全員でとなるといささか分が悪い。


「ねー、せんせー。おしえてくださーい」
「ちょっと、しらべてみたいだけですぅ!」
「だれにもいいませんからぁ」
「せんせー、おねがいしますー」
「いっしゅんっ! いっしゅんでいいのでぇ!」


(三郎、お前……一瞬でいいって、そのお願いの仕方はどうなのさ)


 何が一瞬でいいのかが分からない上に、子供達は全く退く気がないらしい。がくがくとさぶってもくるので、左近もだんだん面倒くさくなってきた。


「分かった。分かったから、身体を揺さぶるのはやめて」
「いつですか?」
「永禄五年、十月十日だよ」
「えいろくごねん、じゅうがつとおか。えいろくごねん、じゅうがつとおか」


 おそらく忘れないようにであろうが、宗右衛門がそう呟きながら自分の席に戻っていく。三郎達もその後を追った。 


「えいろくごねん、じゅうがつとおか。……これだ」
「じゆうで、そうぞうてきなかんせいにめぐまれるも、ぼうじゃくぶじんにふるまい、じしんにみちあふれたげんどうあり」


 顔を上げ、ちろりと見てくる子供達。左近はその視線から逃げるように、顔をふいっと余所よそそむけた。

 当然、左近もこの占術の結果は自分が雛の時に学んで知っている。

 皮肉にも、共に学んだ同じ代の皆に、この占術結果が正確であると知らしめたのが、左近と与一の結果に少しも誤りがなかったからでもある。残念ながら今はもういないが、この占術法をさらに極めんとしようとした者も出る始末。

 占いなど、非確実、かつ、非現実的なものを信じようとしない左近にとって、実はこの講義の内容は鬼門でもあった。


「せんせい」
「……なに?」
「ぼうじゃくぶじんってなんですか?」
「あと、そうぞうてきなかんせいって?」


 首を傾げて、問うてくる子供達。どうやら、仮名を振っているおかげで読めはしても、意味までは分からないらしい。
 そういえば、今までも隼人や自分に言葉の意味を聞いてくることがあったなと、左近は思い返す。

 今、隼人はいない。で、あれば。


「……さぁ、なんだろうね?」


 子供達の方を再び向いた左近は、満面の笑みで誤魔化した。

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