戦国乱世は暁知らず~忍びの者は暗躍す~

綾織 茅

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第九章―織田木瓜と三つ葉葵

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 老臣によって首が届けられた数日後の八月二十九日。
 まず、信康の母であり、家康の正室である築山殿が、佐鳴湖畔の小籔村で野中重政らによって殺害された。嫁には親の仇と辛くあたった彼女も、自らの侍女には慕われていたようで、一人の侍女が佐鳴湖に入水し、後を追った。

 さらに、その半月後の九月十五日。
 今度は息子の信康が、二俣城において天方通綱の介錯によって切腹して果てた。本来は服部半蔵正成が介錯人だったのだが、主君の子の首はどうしても落とすことができず、見かねた同行人の通綱によって行われたのだ。

 両者ともに首実験が行われ、平岩親吉の手によって信長の元へ運ばれた。
 しかし、信長としては、別に望んでいない首である。一顧だにもされず、二つの御首はそのまま岡崎へ突き返された。


 浜松や安土近辺で探りを入れていた八咫烏達は、その報告を里で待つ翁や同胞達に次々と届けてきた。

 もちろん、すぐにその報は左近達の耳にも入ることになる。

 まだ西の空に少し赤みが残っている黄昏時たそがれどき
 山中にある温泉に浸かって火照った身体。それを長屋の縁側で冷ましているのは、頭に手拭てぬぐいを引っかけた左近である。九月に入って、すっかり涼しくなり、左近も一時期のようにだらけることがなくなった。

 そこへ、二人分の湯呑を持った隼人が食堂から戻ってきた。

 左近の背側に座ろうとして、髪がまだ濡れているのに気づいて思い直し、隣に腰を下ろす。左近の分の湯呑を手渡した後、自分の分は脇に置き、左近の頭の上にあった手拭いでそのまま彼の髪の水滴を丁寧に拭い始めた。
 
 しばらくすると、左近がぽつりと呟いた。


「終わったね」
「……あぁ」


 左近の髪は細くて量が多いため、乾かす手も疲れる。なので、隼人も一旦休憩するために手拭いを再び左近の頭に被せ、座り直して自分の分の湯呑に口をつけた。

 
「なぁ。今、満足か?」
「どうだろうね。死んだ者が黄泉路から戻ってくるわけじゃないし」
「……そうだな」


 戻ってきたとして、それは彼らであって彼らではない。

 報復を与えるべき者は全ていなくなったが、残ったのは一抹いちまつむなしさにも似た何か。こちらも失ったものがあるだけに、全て終えたことを手放しで喜ぶことはできなかった。

 しばらく沈黙が続き、さて髪の毛乾かすのを再開させるかと、隼人が身体の向きを変えた途端、廊下の向こうから伊織の怒声が聞こえて来た。

 伊織は左近達の元へやってきて、そのまま左近の頭の手拭いを引っ掴み、がしがしと拭き始める。彼が動かす手に、容赦という二文字はない。


「ただでさえ長いんだから、湯に入った後はしっかり拭いとけっていつも言ってるだろうが! それで湯冷めして体調悪くするのはどこのどいつだ!」
「いった! 痛いよ、伊織」
「あーあー。俺がやるから」


 ぶちぶちと髪を切ってしまう前に、伊織の手から隼人が手拭いを奪い取った。丁寧さが戻った髪を拭う手つきに、左近の目も少し微睡まどろみだす。


「でも、普通に考えて分からないものかねぇ。皇家に仕える俺達が、嫡男をかくまっているとはいえ、無関係な城を落とすことなんてないって」
「人間って、切羽詰まってると正常な判断ができなくなるものでしょ? それだよ、それ」
「源太にも火薬の量を調節するのに苦労させたが、おかげで難なく揺さぶりに成功したしな」


 老臣に首を持って行かせて脅し文句を聞かせつつ、別動隊である源太が二俣城近辺に設置した火薬を爆破させ、家康にあたかも信康がいる二俣城が襲撃されているかのように思わせる。伊織の策は、老臣と火薬の扱いに長けた源太によって首尾よく行われた。

 それでも、徳川方あちらも愚かではない。実は襲撃にあっていないという報がすぐさま家康に届けられるだろう。しかし、それでいい。要は、信康をどこに隠しても見つけ出せるぞという家康への脅しなのだ。

 現に、これで八咫烏の本気を知った家康はいよいよ退路を絶たれ、信康の処断に踏み切った。

 結果が全てである以上、今回の任務は上々の出来だと言えるだろう。


「まぁ、今回はお前が最初持ってきた案がだいぶ過激だったから、俺がそれを土台に練り直しただけなんだが」
「ほんと。僕の案なんて、首を届けさせるところしか残ってなかった」
「傷ついたみたいな顔するんじゃない! えげつないんだよ、お前の案は。首に火薬しかけて時間が来たら爆発なんて、洒落にならんだろうが。さすがにそれは見た奴に同情するわ」
「えー。せっかく新作の導火を用いた時限式の絡繰り、ここで試せると思ったのに。それに、死んだらそれって、ただの抜け殻じゃない? しかも、賊の。使って何が悪いのさ」
「……お前なぁ」


 左近が敵認定した者に対する酷薄な物言いには慣れている伊織とて、これには毎度閉口する他ない。身内以外には本当に興味もなければ、一片の慈悲もない言動に、ほとほと手を焼かされているのだ。
 

「まーまーまー。それで? 俺達はいつまで雛の担当に?」


 口をとがらせる左近と、頭を叩いてやろうかと拳を構えた伊織の間に、隼人が割り込みつつ尋ねる。

 隼人の疑問は、左近も少し気になっていたことではあった。


「あー。一応、雛に鍛錬つけながらでも交代で任務には出られるってことで、宗右衛門達が学び舎を出るまでは継続になった」
「そうか。なら、まだ当分あいつらをしっかり指導できるな」
「だねぇ」


 彼らが学び舎を出るまで、あと五年と少し。

 その頃には、この世はもう少し良いものになっているだろうか。


「ねぇ、伊織」
「ん?」
「これで、この里に手を出そうなんて愚かな考え持つヤツは現れなくなるかなぁ?」
「まぁ、戦なんて、どこか狂ってるヤツしかできないもんが続く限り、全くないっていうのは難しいかもな」
「……この際、誰でもいいから、さっさと全ての侍達を従えればいいのに」
「それを皆が自分だと考えるから戦が起きるんだろ」
「そう簡単にできちゃいないのさ、今のこの国はな」


 隼人と伊織の言葉に、左近はぐっと眉をひそめる。

 けれど、本心では二人も左近の意見に賛成である。ただ、そうなっていない理由を見つけるのが上手くなってしまったのが今の彼らなのだ。その理由で、この終わらない戦乱の世に生きる自らを納得させてきた。

 しばし沈黙が続く中、廊下の端からひょっこりと与一が顔を出した。


「三人で何か小難しいこと話してるー?」
「ううん。もう終わった」
「そっ」


 辛気臭くなるような小難しい話はご免とばかりに、与一は笑顔を振りまく。胡散臭うさんくさい笑顔ではあるが、笑顔には変わりないというのが彼なりの言い分である。

 
「慎太郎はどうした?」
「あぁ、もうすぐ来るよー。お茶持ってきてくれるってー」


 慎太郎が来るのを待つ間、与一が皆で食べようと、部屋に置いておいた煎餅せんべいの箱を持ってきた。
 どれがいいかなぁっと指さして決めた一枚を手に取り、早速食べだす与一。左近もいそいそと箱の中へと手を伸ばした。


「おい、与一。お前、ぼろぼろと煎餅のかすをこぼすなよ」
「あー、ごめんごめん」
「でも、こういう煎餅ってどうしてもこぼれるよね」
「だよねぇー」


 ふと伊織が左近の夜着に目を向けると、案の定左近の夜着の上にも煎餅のかすが落ちている。


「左近もこぼしてるぞ。何やってるんだ。子供じゃあるまいし」
「ん、大丈夫。隼人が……ほら」


 左近が隼人の名を言うが早いか、隼人は髪の毛を乾かしていた手を止め、下の地面に向かってかすを払いのけた。


「……隼人ぉ」
「あ、悪ぃ。つい」


 呆れかえる伊織に、隼人はへらりと笑って誤魔化す。

 こんなの、厳太夫ら後輩達が見たらなんと思うか。直接言いはしないだろうが、それでも思うはずだ。

 ――何やってんだ、こいつら、と。

 隼人が左近に甘いのは今に始まったことではないが、物事には限度というものがある。

 それをここで今一度言っておこうと伊織が口を開きかけた時、見計らったように左近が先に口を開いた。


「吾妻? どうしたの?」


 ぞろぞろと姿を見せる皆に紛れ、一人、吾妻の表情が曇っている。それを目敏めざとく見つけた左近は、首を傾げて本人に尋ねた。

 
「それが、先日、徳川方の城に潜入した際に少々不穏な噂を耳にしまして」
「不穏な噂?」


 それは随分と穏やかではない。一気に皆の顔も険しくなる。


「実は、宮彦がいた寺のことなのですが」


 吾妻の口から語られたのは、いつかそうなるだろうという予想の範疇ではあった。しかし、学び舎で預かっている宮彦の存在が関わってくる事柄だけに、皆の表情をさらに硬くさせた。

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