85 / 117
第十一章―碧眼の使者
い
しおりを挟む一番古い記憶はと聞かれれば、左近はいつも思い出す景色がある。
今はもう昔、十何年も前に捨ててきた、彼が過ごした洞窟内のものである。固い岩肌に囲まれた周囲、畳が敷き詰められた牢格子の中、時折洞窟の奥から聞こえてくる水滴が滴り落ちる音。与えられた書物を読むことで時間を潰す毎日。傍では、世話係の女が繕い物をしていた。
とはいっても、毎日繰り返していたせいで、その光景だけが記憶として凝り固まっているだけなのかもしれない。
《うらぎりもの》
格子を両手で掴み、自分とそっくりな少年がこちらを睨みつけてくる。その姿はみるみるうちに成長し、今の自分とそう変わらない――もう一人の自分の姿になった。
「……っ!」
目を開けると、見慣れた天井が視界に飛び込んでくる。布団を退け、ゆっくりと起き上がる。すると、間に置いておいた衝立の向こうで、隼人も起き上がる気配がした。
子供達に生まれた日を言祝がれて数日。彼に会ったのはそれよりも前である。だというのに、まるでその言祝ぎをなかったものにするかのように、夢の中にまで現れるとは。
顔を覆う左近に、衝立の向こうから隼人が顔を覗かせてくる。
「どうした?」
「あぁ、ごめん。なんでもないよ。ちょっと厠に行ってくる」
「もう冷えるから、肩から何かかけてけよ?」
「うん。そうする」
立ち上がった左近は枕元に置いておいた上着を羽織り、部屋の外に出た。
月日が経つのは早く、ここに来た時はまだ桜の咲く時期だったのが、今や紅葉の時期が訪れている。また、それも早いうちに終わりを迎えるだろう。
隼人には厠と言ったものの、実際はそんなつもりは欠片もない。外に出て、夜風にあたり、ふらりと足が向いたのは井戸の傍であった。
井戸の中を覗くと、いつもは水面が揺らめいて見えるが、今は夜中。月明かりも屋根で入ってこないので、暗闇が続いて見える程度である。
「井戸の霊が出るにしちゃ、随分と季節外れじゃねぇか?」
どれくらい時が経った頃か、急に背後から声をかけられた。振り返ってみると、忍び装束を着たままの伝左衛門が立っている。その口角は僅かに吊り上げられ、冗談を言ってくるくらいには機嫌が良さそうだ。
「……こんばんは」
「こっちの井戸に、髪の長いお化けがいるって雛達が言うから来てみれば。お前、どんだけ長い間そうしてたんだよ」
「髪の長いお化け?」
「てめぇの格好を下から上まで見回してみろ。井戸や鉄輪が似合いそうな格好してやがるくせに、本人にはまるで自覚がないときた」
確かに、今の左近の見た目は、白の着流しの夜着と上着に、寝ていたので髪もいつものように結っておらず、そのまま流している。伝左衛門の言う通り、井戸から這い出てくる霊か、鉄輪を被って貴船詣りをする人間と見まごうばかりである。しかも、ここはその貴船からも近い。
そこで、左近はふと考えた。
「……先輩」
「なんだ」
「先輩の怖いものって何ですか?」
「はぁ? お前に教えるわけないだろ。何に使われるか分かったもんじゃねぇ」
「ふっ。それは確かに」
呆れたように言う伝左衛門に、左近も本当に答えが返ってくるとは端から思っていない。小さく笑い、言葉を続ける。
「幽霊、闇、死、骸……そして、生きている人間。八咫烏ならば、皆、口を揃えて一番最後と答えるでしょう」
「お前は違うのか?」
「いいえ? 僕もそうですよ。ただ、僕の場合は見知らぬ他人よりも……」
そこで左近は言葉をきった。その後、すぐに二人分の子供の足音が聞こえてくる。伝左衛門の元に駆け寄ってきたのは、彼が受け持つ雛達であった。
「先生!」
「もしかして、お化けの正体って」
「僕だよ。驚かせてしまってごめんね」
左近の方を窺うように見上げてくる子供達に、左近も薄く笑みを浮かべる。見るからにほっとして、二人は互いに目を見合わせた。
「あの、お騒がせしてすみませんでした」
「僕達、てっきり」
「幽霊だと思った?」
「は、はい」
完全なる早とちりに、二人は恥ずかしげにそっと目線を下に下げる。
「大丈夫。幽霊はいないよ」
「はい」
「ここにはね」
「……え゛」
「そ、それは……つまりぃ」
安堵したのも束の間。左近がそんなことを言うものだから、再び顔を引きつらせていく。二人の反応を存分に堪能した左近は、伝左衛門からお叱りの声が届かないうちに、にっこりと笑って見せた。
「……なーんてね」
「あっ! ひどいっ!」
「想像しかけちゃったじゃないですかっ!」
当然、文句を言う子供達に、左近は楽しそうにその二人のことを見下ろしている。その姿は、どこか懐かしいものを見るようでもあった。
「お前達、夜に大声を出すな」
「あっ。すみません」
「ごめんなさい」
「あーあ。怒られちゃったね」
一番怒られてしかるべき左近の態度に、伝左衛門は俯いて目を瞑り、肩を震わせる。もちろん、寒いとかそういうわけではなく、純粋な怒りの感情からである。勢いよく頭を上げ、キッと睨みつけた彼は、すうっと息を大きく吸った。
「おーまぁーえーはぁー……反省しろぉ!」
「あらら。先輩、駄目ですよ。大声出しちゃ」
「ふんっ!」
少し前に自分で言った言葉を繰り返され、伝左衛門は鉄拳制裁にでた。拳を左近の頭に振り下ろすと、左近はイテテとその部分を擦る。わざとらしい痛がり方に、二発目を準備したが、それはさすがにひらりと躱された。
それを目を見開いて見ていた子供達だったが、明日も朝早いことを思い出したのだろう。特に最近は寒くなってきたので、毎朝布団から出るのが辛くなってきた。早めに寝るにこしたことはない。
「あの、それじゃあ、僕達もう行きますね」
「お休みなさい」
「お休み」
「また明日な」
軽くお辞儀をして雛用の長屋へと去って行く子供達の背をしばらく眺める。子供達の朝も早いが、師達の朝も早い。それに、そろそろ戻らないと、心配症のきらいのある隼人が、様子を見に部屋から出てきてしまう。
「では、僕も」
「待て」
踵を返しかけたところに、伝左衛門に呼び止められた。その目は、先程まで子供達も含めて戯れていた時のものではなく、さらに真剣みを帯びたものである。
「何でいきなり怖いものなんかの話を持ち出した」
「え?」
「こんな真夜中にこんなところで、世間話の種にするような話じゃないだろ」
「そうですか? むしろ、この状況だからこそな気がしますが?」
左近が冗談めかして答えると、伝左衛門はしばし考えこむ素振りを見せた。
「……まぁ、いい」
「そうですか。それは良か……」
「それなら、お前がさっき言いかけた続きを言ってみろ」
「……続き? あの子達との話で忘れてしまいました」
左近は淡い微笑みを崩さない。すると、伝左衛門の方も、にやりと笑みを浮かべた。
「そうか。俺ぁ、これでも記憶力は良い方でな。‟僕の場合は見知らぬ他人よりも”。その続きだ」
「……やっぱり内緒です」
「あ゛ぁん?」
「先輩が教えてくださらないのに、僕だけ教えるのは不公平でしょう? だから駄目です。内緒です」
その意思を示すかのように、左近の片手が口を隠す。罠や絡繰り作りで多少男らしくしっかりしたものとなったとはいえ、それでも細長い左近の指はすっかり口元を覆ってしまった。
「言えば言うのか?」
「どうしたんです? そう引き延ばす価値があるような話でもないでしょうに」
覆っていた手を離し、左近は首を僅かに傾げた。この手の話題が会話に上るのはそう珍しいことではない。ただの好奇心、興味の範疇だと左近は言うが、伝左衛門はその言葉を信じなかった。
「はん! 何年お前と顔を突き合わせてきたと思ってんだ。その話を切り出してきた時、お前の様子がおかしかったことくらいすぐに分かる」
「……相談に乗ってくれるんですか?」
「場合によっちゃあな。……勘違いすんなよ? お前が妙なこと考えて、一人で暴走しないようにだからな」
いつもはやれ考えて罠を作れだの、目印を作れだの口煩くて面倒な先輩であるが、やはり彼もまた先輩である。後輩の変化をよく見ていた。
その伝左衛門が付け足した言葉に、左近はふっと笑う。そして、身体の向きを変え、彼と向かい合った。
「僕が怖いのは、見知らぬ他人よりも、伝左衛門先輩、貴方です」
「……」
ようやく言ったかと思えば、出てきたのは自分の名。伝左衛門の頬がぴくりと一度ひくつく。
「ほら、教えたんですから、先輩も教えてくださいよ」
「……そんな見えすいた嘘に、誰がのせられるかぁ!」
再び発せられた伝左衛門の怒声は、先程よりかは僅かに抑えられた程度である。当然、巡回中の榊に見つかり、二人してこっぴどく叱られる羽目になった。解放されたのは四半刻後。
結局、榊が間に入ってきたことでなぁなぁになって終わったこの会話――左近の本当に恐いものは、伝左衛門には知られず仕舞いで終わることとなった。
0
あなたにおすすめの小説
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる