戦国乱世は暁知らず~忍びの者は暗躍す~

綾織 茅

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第十一章―碧眼の使者

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 一番古い記憶はと聞かれれば、左近はいつも思い出す景色がある。
 今はもう昔、十何年も前に捨ててきた、彼が過ごした洞窟どうくつ内のものである。固い岩肌に囲まれた周囲、畳が敷き詰められた牢格子の中、時折洞窟の奥から聞こえてくる水滴がしたたり落ちる音。与えられた書物を読むことで時間をつぶす毎日。傍では、世話係の女がつくろい物をしていた。
 とはいっても、毎日繰り返していたせいで、その光景だけが記憶として凝り固まっているだけなのかもしれない。


 《うらぎりもの》


 格子を両手で掴み、自分とそっくりな少年がこちらを睨みつけてくる。その姿はみるみるうちに成長し、今の自分とそう変わらない――もう一人の自分・・・・・の姿になった。


「……っ!」


 目を開けると、見慣れた天井が視界に飛び込んでくる。布団を退け、ゆっくりと起き上がる。すると、間に置いておいた衝立ついたての向こうで、隼人も起き上がる気配がした。

 子供達に生まれた日を言祝ことほがれて数日。彼に会ったのはそれよりも前である。だというのに、まるでその言祝ぎをなかったものにするかのように、夢の中にまで現れるとは。

 顔を覆う左近に、衝立の向こうから隼人が顔を覗かせてくる。


「どうした?」
「あぁ、ごめん。なんでもないよ。ちょっとかわやに行ってくる」 
「もう冷えるから、肩から何かかけてけよ?」
「うん。そうする」


 立ち上がった左近は枕元に置いておいた上着を羽織り、部屋の外に出た。
 月日が経つのは早く、ここに来た時はまだ桜の咲く時期だったのが、今や紅葉の時期が訪れている。また、それも早いうちに終わりを迎えるだろう。

 隼人には厠と言ったものの、実際はそんなつもりは欠片かけらもない。外に出て、夜風にあたり、ふらりと足が向いたのは井戸の傍であった。
 井戸の中を覗くと、いつもは水面が揺らめいて見えるが、今は夜中。月明かりも屋根で入ってこないので、暗闇が続いて見える程度である。


「井戸の霊が出るにしちゃ、随分と季節外れじゃねぇか?」


 どれくらい時が経った頃か、急に背後から声をかけられた。振り返ってみると、忍び装束を着たままの伝左衛門が立っている。その口角は僅かに吊り上げられ、冗談を言ってくるくらいには機嫌が良さそうだ。


「……こんばんは」
「こっちの井戸に、髪の長いお化けがいるって雛達が言うから来てみれば。お前、どんだけ長い間そうしてたんだよ」
「髪の長いお化け?」
「てめぇの格好を下から上まで見回してみろ。井戸や鉄輪かなわが似合いそうな格好してやがるくせに、本人にはまるで自覚がないときた」


 確かに、今の左近の見た目は、白の着流しの夜着と上着に、寝ていたので髪もいつものように結っておらず、そのまま流している。伝左衛門の言う通り、井戸からい出てくる霊か、鉄輪を被って貴船まいりをする人間と見まごうばかりである。しかも、ここはその貴船からも近い。

 そこで、左近はふと考えた。


「……先輩」
「なんだ」
「先輩の怖いものって何ですか?」
「はぁ? お前に教えるわけないだろ。何に使われるか分かったもんじゃねぇ」
「ふっ。それは確かに」


 呆れたように言う伝左衛門に、左近も本当に答えが返ってくるとは端から思っていない。小さく笑い、言葉を続ける。


「幽霊、闇、死、むくろ……そして、生きている人間たにん。八咫烏ならば、皆、口を揃えて一番最後と答えるでしょう」
「お前は違うのか?」
「いいえ? 僕もそうですよ。ただ、僕の場合は見知らぬ他人よりも……」


 そこで左近は言葉をきった。その後、すぐに二人分の子供の足音が聞こえてくる。伝左衛門の元に駆け寄ってきたのは、彼が受け持つ雛達であった。


「先生!」
「もしかして、お化けの正体って」
「僕だよ。驚かせてしまってごめんね」


 左近の方を窺うように見上げてくる子供達に、左近も薄く笑みを浮かべる。見るからにほっとして、二人は互いに目を見合わせた。


「あの、お騒がせしてすみませんでした」
「僕達、てっきり」
「幽霊だと思った?」
「は、はい」


 完全なる早とちりに、二人は恥ずかしげにそっと目線を下に下げる。


「大丈夫。幽霊はいないよ」
「はい」
「ここにはね」
「……え゛」
「そ、それは……つまりぃ」


 安堵あんどしたのもつかの間。左近がそんなことを言うものだから、再び顔を引きつらせていく。二人の反応を存分に堪能した左近は、伝左衛門からおしかりの声が届かないうちに、にっこりと笑って見せた。


「……なーんてね」
「あっ! ひどいっ!」
「想像しかけちゃったじゃないですかっ!」


 当然、文句を言う子供達に、左近は楽しそうにその二人のことを見下ろしている。その姿は、どこか懐かしいものを見るようでもあった。


「お前達、夜に大声を出すな」
「あっ。すみません」
「ごめんなさい」
「あーあ。怒られちゃったね」


 一番怒られてしかるべき左近の態度に、伝左衛門はうつむいて目をつむり、肩を震わせる。もちろん、寒いとかそういうわけではなく、純粋な怒りの感情からである。勢いよく頭を上げ、キッと睨みつけた彼は、すうっと息を大きく吸った。


「おーまぁーえーはぁー……反省しろぉ!」
「あらら。先輩、駄目ですよ。大声出しちゃ」
「ふんっ!」


 少し前に自分で言った言葉を繰り返され、伝左衛門は鉄拳制裁にでた。拳を左近の頭に振り下ろすと、左近はイテテとその部分を擦る。わざとらしい痛がり方に、二発目を準備したが、それはさすがにひらりとかわされた。

 それを目を見開いて見ていた子供達だったが、明日も朝早いことを思い出したのだろう。特に最近は寒くなってきたので、毎朝布団から出るのが辛くなってきた。早めに寝るにこしたことはない。


「あの、それじゃあ、僕達もう行きますね」
「お休みなさい」
「お休み」
「また明日な」


 軽くお辞儀をして雛用の長屋へと去って行く子供達の背をしばらく眺める。子供達の朝も早いが、師達の朝も早い。それに、そろそろ戻らないと、心配症のきらいのある隼人が、様子を見に部屋から出てきてしまう。


「では、僕も」
「待て」


 踵を返しかけたところに、伝左衛門に呼び止められた。その目は、先程まで子供達も含めてたわむれていた時のものではなく、さらに真剣みを帯びたものである。


「何でいきなり怖いものなんかの話を持ち出した」
「え?」
「こんな真夜中にこんなところで、世間話の種にするような話じゃないだろ」
「そうですか? むしろ、この状況だからこそな気がしますが?」


 左近が冗談めかして答えると、伝左衛門はしばし考えこむ素振りを見せた。


「……まぁ、いい」
「そうですか。それは良か……」
「それなら、お前がさっき言いかけた続きを言ってみろ」
「……続き? あの子達との話で忘れてしまいました」


 左近は淡い微笑みを崩さない。すると、伝左衛門の方も、にやりと笑みを浮かべた。


「そうか。俺ぁ、これでも記憶力は良い方でな。‟僕の場合は見知らぬ他人よりも”。その続きだ」
「……やっぱり内緒です」
「あ゛ぁん?」
「先輩が教えてくださらないのに、僕だけ教えるのは不公平でしょう? だから駄目です。内緒です」


 その意思を示すかのように、左近の片手が口を隠す。罠や絡繰り作りで多少男らしくしっかりしたものとなったとはいえ、それでも細長い左近の指はすっかり口元を覆ってしまった。


「言えば言うのか?」
「どうしたんです? そう引き延ばす価値があるような話でもないでしょうに」


 覆っていた手を離し、左近は首を僅かに傾げた。この手の話題が会話に上るのはそう珍しいことではない。ただの好奇心、興味の範疇はんちゅうだと左近は言うが、伝左衛門はその言葉を信じなかった。


「はん! 何年お前と顔を突き合わせてきたと思ってんだ。その話を切り出してきた時、お前の様子がおかしかったことくらいすぐに分かる」
「……相談に乗ってくれるんですか?」
「場合によっちゃあな。……勘違いすんなよ? お前が妙なこと考えて、一人で暴走しないようにだからな」


 いつもはやれ考えて罠を作れだの、目印を作れだの口煩くちうるさくて面倒な先輩であるが、やはり彼もまた先輩である。後輩の変化をよく見ていた。

 その伝左衛門が付け足した言葉に、左近はふっと笑う。そして、身体の向きを変え、彼と向かい合った。


「僕が怖いのは、見知らぬ他人よりも、伝左衛門先輩、貴方あなたです」
「……」


 ようやく言ったかと思えば、出てきたのは自分の名。伝左衛門の頬がぴくりと一度ひくつく。
 

「ほら、教えたんですから、先輩も教えてくださいよ」
「……そんな見えすいた嘘に、だぁれがのせられるかぁ!」


 再び発せられた伝左衛門の怒声は、先程よりかは僅かに抑えられた程度である。当然、巡回中の榊に見つかり、二人してこっぴどく叱られる羽目になった。解放されたのは四半刻後。

 結局、榊が間に入ってきたことでなぁなぁになって終わったこの会話――左近の本当に恐いものは、伝左衛門には知られず仕舞いで終わることとなった。

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