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第十二章―過去との別離
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しおりを挟むその後、それぞれ互いに成りすまして一日を過ごし、黄昏時を迎えた。そろそろ部屋に灯りをいれる頃合いである。
それまで時折思案に暮れていた小太朗が、一緒にいる青年をじっと見つめた。
「……」
「どうしたの?」
「……せんせい。ぼく、じのれんしゅうがしたいので、ふでとすみがほしいです」
「あぁ、いいよ。ちょっと待っててね」
青年は部屋を出て、自分の部屋へと向かった。
襖を開けると、左近が顔を上げ、青年の方へと視線を寄越してきた。その手には開かれた巻物が握られている。ここに置いてあり、巻物にまでなっているものは見られても特段困るものではない。青年も好きにしていいと言っておいたくらいなので、それについては何も言わずに部屋の中へと歩を進めた。
「どうしたの?」
「ちょっと。君の教え子が字の練習をしたいって言うから、その道具をね」
「……そう」
部屋の隅にある文机から筆と墨、紙など必要なものを取り出し、再び小太朗が待つ部屋へと戻った。小太朗は縁側に繋がる方の障子をあけ、庭を眺めていた。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
道具を両手で受け取った小太朗は文机の前に座る。水桶から水をすくって墨をすり、紙を広げ、筆を持ち、準備は整った。それから、一度深呼吸をして、いろは歌を紙に書き取っていく。
一方、手持無沙汰になった青年は、少し離れたところに座り、小太朗の背をじっと観察し始めた。一日にも満たないが、小太朗から得られる情報は意外にも少なかった。意識してなのかそうでないかは分からないが、話を掘り下げて八咫烏の情報を得ようとすると、途端に話を変えるのである。ころころと変わる話題に、子供らしいといえばそれまでだが、青年はそれが妙に引っかかっていた。
そうこうしていると、どうやら一枚できあがったらしい。その紙を持って立ち上がり、青年の方へと持ってきた。
「せんせい、これ、みてください」
「……うん。よく書けてるね」
手渡されたものは、みみずがのたくったような字であった。これでも左近に団次にと矯正されたおかげで一時期よりかはだいぶましになっているが、それでもなかなか綺麗になったとは言い難い。
とはいえ、左近は子供達に甘いと分かっていたので、青年は小太朗を褒めた。しかし、小太朗はちっとも嬉しそうではない。それどころか、一歩、また一歩と後ろずさりをし始めた。
「どうしたの?」
「あの、せんせいはどこですか?」
「え? 何を言っているの? 僕ならここにいるじゃない」
「ちがいます。あなたは、さこんせんせいじゃありません」
きっぱりと断言され、浮かべられていた青年の笑みが固まった。
「……どうして?」
「えっと、さこんせんせいは、ぼくがかいたもじをいつもいちばんさいしょにはほめてくださらないから」
確かに左近は子供達に甘い。しかし、それは鍛錬や稽古が絡まない場合のみである。八咫烏内だけでの左近の振舞い方に、青年もさすがに把握できていなかったのだろう。
何も言わなくなった青年に、小太朗は何を思ったのか、慌てて言葉を付け加えた。
「でも、ちゃんとちゅういしてくださったあとに、がんばったねってほめてくれます!」
「……」
「なので、あなたはさこんせんせいじゃありません」
「……いつもと違う状況だからってだけだよ。ここでも里と同じように過ごす必要はないでしょ?」
再び断言する小太朗に、青年ももっともらしい言葉で反論してみせる。しかし、小太朗は首を左右に振った。
「いいえ。せんせいはそんなこと、おかんがえになられません。どんなときでも、ぼくたちをきたえてくださいます」
「……へぇ。君は僕のことを僕以上に分かっている、と?」
「ん? えっと、あなたのことはわかりません。でも、さこんせんせいのことならわかります。いっぱい」
子供の言葉とは、時として残酷なものである。小太朗の一言は無自覚に青年の心を千々に乱れさせた。
この世で一番大切な存在である左近のことを‟いっぱいわかる”という小太朗に、青年は一言でいえば嫉妬したのだ。
「……」
目の前が真っ赤になった青年は、小太朗の首に手を伸ばし、そのまま床に叩きつけた。馬乗りになって首を絞めてくる青年に、なんとか逃れようと小太朗は暴れまわった。しかし、大人と子供の差に加え、青年は忍び。武術の心得がある者。抵抗など、毛ほども役に立たない。
もう少しで小太朗の意識が落ちそうになった時。様子を見に来た左近が、馬乗りになっている青年の下から小太朗を掬い上げた。
「なにしてるの?」
その声音は、以前、公家の屋敷跡で会った際、子供達に手を出さないよう警告した時と同様、地を這うような低いものである。
しばし睨み合った後、左近は青年から視線を逸らし、小太朗へと顔を向けた。
「小太朗、大丈夫?」
「は、はいっ」
絞められていた首には僅かに手の跡が残っているが、激しく咳き込んだ後は段々呼吸も安定してきた。他にもどこか痛めたところがないかと左近が見て回っていると、小太朗が左近の腕にしがみついてくる。
「さこんせんせい!」
小太朗が左近本人を左近と呼んだということは、入れ替わりがばれたということである。それによって、左近もここに至るまでの経緯をあらかた想像することができた。
「……僕の後ろに」
「はいっ」
左近が小太朗を背に庇うと、青年はぎりっと歯を噛みしめた。親の仇を見つけた時の子供のような目で、背に庇われている小太朗を睨みつける。
その視線からも庇わんと、左近が口を開いた。
「君の負け。この子は逃がすよ」
「駄目だよ。その子は僕達の入れ替わりに気づいた。だから、生かしてはおけない」
「そういう取り決めだったでしょ? 見破られるかもという前提がある遊びな以上、こういう状況もあり得る。ただ、いち早く見破ったのが君の配下じゃなくて、僕の教え子だったというだけだよ」
「……っ」
青年が拳を固く握りしめる。楽しんでいた遊びをこんな子供に邪魔されたことが、彼には心底許せないのだろう。
しかし、実際のところ、小太朗は朝餉の時から不審がってはいた。何故なら、朝餉に梅干しが出されていたのである。八咫烏において、食べ残しは駄目だが、唯一、体調に関わることであればそれが免除されている。小太朗の場合、それが梅干しであった。もちろん、そのことはお菊だけでなく、担当の師である左近や隼人も知っている。だから、左近が準備した膳に、梅干しがのっていることはありえないのである。
その場で言い出さなかったのは、これまた他ならぬ左近の教えであった。
‟一歩でも里を出たら、どんな相手にも警戒を怠るな”
左近にそう言われたからと言えば、あの南蛮商人の時に思い出して欲しかったと左近は言うだろう。だから、小太朗は左近本人にもそれは言わない。
その代わり、左近の背にぴとりと身体を寄せ、束の間の安心感を得ることに成功していた。
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