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第十二章―過去との別離

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「……分かった。いいよ。逃がしてあげよう」
「じゃあ、僕が近くまで」


 左近が立ち上がろうと片脚を立てると、左近の腕を青年が引いた。


「駄目だよ。僕の配下の者に行かせる」
「それこそ駄目だよ。君の意をんで、途中でこの子に危害を加えるかもしれないでしょう?」
「僕のこと、そんなに信用できない?」
「できないよ。さっきも僕との約束を破って、この子の首を絞めようとしていただろう? そんな奴の言うことをどう信じろと?」
「……」


 いつの間にか、日がすっかり落ち、うつむいた青年の顔は影に隠れてしまう。

 すると、聞き慣れた鷹の鳴き声が外から聞こえてきた。かと思えば、にわかに外が騒がしくなる。この部屋にも、荒々しい足音が迫っていた。そして、すぐにふすまの向こうから声がかけられた。


おさ。賊でございます。おそらく、八咫烏かと」
「……そう。お出迎えをしなきゃね」
「待って。この子を取り返しに来たんだよ。だから、この子を渡せばいいだけでしょ?」


 ゆらりと立ち上がる青年に、今度は左近が青年を引き留めた。左近の腕を離した青年の腕を、今度は逆に左近が掴んでいる。その手を、青年はじっと見つめた。 


「……そうだね。これ以上一緒にいられても気分が悪くなるだけだし」
「まずは僕から話を通すから」
「うん。さっさとすませよう」
「分かってる」


 左近と青年はひとまず小太朗を部屋に残し、廊下に出た。その後を小太朗が追いかけようとする。しかし、左近が小太朗を部屋の中へ押し戻した。


「せんせい」
「大丈夫。もう少しだから、ここで待ってて」
「……はい」


 小声で交わされる二人の内緒話に、青年の眉がひそめられた。




 時は戻り、およそ四半刻前。

 屋敷の外には、雛救出の任を受けた八咫烏が集結していた。当然のごとく、冷静さを保っているようで怒り狂っている左近達の代である。正蔵と源太を宗右衛門達の護衛として残し、それ以外の八人が既にそれぞれ持ち場についている。

 合図と定めた隼人の子飼いの鷹が上空を旋回せんかいし、高らかに一声鳴き声をあげた。

 その鷹の鳴き声と旋回行動を見て、配置についていた各々が動き始めた。ある者は派手に、ある者はしのびやかに。全ては自分達の同胞を取り戻すためである。


「風向きはぁっと……はい、ぱたぱたぁー」


 頭巾で口元まで覆った与一が、風に乗せていた薬を扇でさらに飛散させる。その周囲には、吾妻や彦四郎に倒された飯母呂一族の忍びがすでに数名倒れていた。


「単なるしびれ薬だけど、この敵味方乱れる中、五体満足でいられるといいねー」
「助かりたければ、我らが八咫烏の同胞と子供の居場所を教えてもらえますか? 命まではとりません」


 吾妻が持つ鎖鎌を首元にちらつかされ、標的となった男は顔を歪めた。二人の身柄と自分の命。天秤にかけた結果、重かったのは自分の命であった。


「……っ。庭に面した部屋の中だっ」
「どぉーもっ。じゃあ、さよーならー」
「……っ!」


 喉に与一作の薬を流し込まれた男は、僅かな間、身体を痙攣けいれんさせ、意識を途切れさせた。ただ、殺しはしていない。この後、麻痺は残るだろうが、一応、与一の言葉に誤りはなく、五体揃っている。

 本来ならば再起不能になるまで確実に戦力をいでおきたいところだが、この面子で出るにあたり、翁からつけられた条件が一つあった。

 “必要以上の殺傷をしてはならぬ”

 その翁からのめいが、彼らの行動をある程度制限していた。

 とはいえ、要は死ななければいい・・・・・・・・。そんな幼稚ともいえる発想に至るのが、彼らの代でも過激派の部類に入る、与一に彦四郎、蝶、そして今回は救出される側の左近である。
 言われたことを自分の都合の良いように曲解することの天才秀才である四人にかかれば、翁からの命があったとて、相当な被害を敵側がこうむることは想像にかたくない。そして、実際そうであった。

 情報を気を失った男から聞き出した後、吾妻と彦四郎、与一は引き続き正面を制圧していく。
 その情報を受け、屋敷の中に潜入したのは蝶と兵庫であった。理由は簡単。二人の得意が室内を想定したものだからである。適材適所。代の大将である伊織が常々口にする方針に他ならない。

 蝶が途中で邪魔してきた男を逆に捕らえ、二人がいる部屋まで案内させる。比較的大人しく言われるがままに案内していた男だったが、廊下を曲がったところで蝶のすきねらって反撃してきた。

 ――しかし。


「……隙、見せてるんはわざとやで? 間抜けなお人やなぁ。自分、道をちゃあんと教えてくれはったら、あんさん見逃したろ思たのに」
「どうやら、先にきたいらしい」
「ひっ!」


 今度は兵庫が背後から男の首の後ろとあご鷲掴わしづかむ。このまま兵庫が首を回せば、首はぽっきりといってしまうだろう。

 とどめとばかりに耳元でささやかれた言葉に、男は息を詰めた。観念したのか、大人しく目的の部屋の前まで連れて行き、襖を指さした。

 襖を開けた蝶が部屋に入り、素早く中を見渡すと、隅の方で足を抱えて丸くなっている小太朗を見つけた。小太朗も蝶に気づき、驚いて目を丸くしている。


「おっ、おったおった」
「ちょうせんせい! ひょうごせんせいも!」


 小太朗は起き上がり、蝶に駆け寄った。寄ってきた小太朗の頭を、蝶がぐりぐりとかき撫でる。その時、小太朗の首元にうっすらと残るあざを見とがめたが、直接本人に聞くことはしなかった。


「大丈夫そうやな」
「さこんせんせいはっ!?」
「心配せんでもええよ。ほな、行こか。ちゃんとついてくるんやで」
「はいっ」
「兵庫、先頭な」


 こくりと頷く兵庫が男から手を離し、小太朗を背負って駆けだす。


「あぁ、そうそう」


 蝶もその後ろを追いかける……かと思いきや、背を向けてその場から逃げ出そうとした男の肩をさっと掴んだ。


「道案内ご苦労さん。もうえぇわ。さいなら」


 早口でそう言って、鋭い峨眉刺がびしの先を男の首に突きつけた。


「なっ! や、約束が違うっ!」
「約束? あー、あかんあかん。あの子の先輩らがな。めちゃくちゃ頭に来てん。手ぇつけられへんのや。……で、俺もその一人っちゅうわけで」


 蝶は声音を数段低く落とした。

 小太朗の首に残った痣が誰によるものであろうと、自分達の後継に手を出した。その事実は消えない。そして、小太朗を救出した以上、さっさと撤収することが求められる。つまり、犯人捜しをしている暇はない。
 そこで、こういう場合、最も手っ取り早く始末をつける方法として、‟連帯責任”というものがある。


「先に地獄で待っとけや」


 断末魔の声さえ上げさせず、暗殺に特化した彼の峨眉刺は男の首を刺し貫いた。

 この場で男が絶命したのは蝶しか知らない。蝶はそっと血を拭い、何食わぬ顔で二人を追いかけた。

 もっとも、もしばれたとしても、翁の必要以上の・・・・・という言葉を盾に、必要だったと言い張る所存である。本当に、この代は腕だけでなく、口の方も達者であった。

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