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第十五章―遺された側
ろ
しおりを挟む榊が館にいる翁の元を訪ねた時、翁は丁度被害状況の確認をしていたところであった。
説明をしていた八咫烏の青年が榊に頭を下げ、翁からの指示を皆に伝えるべく部屋を退出していく。
それを横目で見送り、榊は持ってきた箱の中身を翁へと見せた。
翁の手にて開かれた巻物は、この里に張り巡らされた罠の地図、そして、その詳細な設計図であった。それ以外にも、それぞれ各個人が抱えていた情報の数々。いずれも、この里、そして主君の警護を務める上で重要なものである。よくぞまぁ、ここまで集めたと感心すら覚えるほど。
もし、本当に裏切りがあったのならば、これらは今、ここではなく、新たな主の手に渡っているだろう。里攻めの新たな策とともに。
ここにこれらの情報があること。それが彼らが裏切ってはいなかった証拠であると、榊は翁に訴える。
自分の教え子を特別庇うつもりは毛頭ない。どの代にせよ、無実であるならば、誤った認識は正されなければならぬ。その一心であった。
「……やはりな」
「もしや、ご存知で?」
「いや。だが、儂の代が同じ境遇ならば、同じことをしただろうと思うてな」
「……ですが、何故」
「それは儂にも分からん。一生分からぬことだろうて。あれら自身以外はな。人が人の本心を全て正確に推し測ろうなど、到底不可能なこと」
ゆえに仲違いが生じ、たとえ肉親であろうと血で血を洗う争いが絶えぬ、と、翁は静かにそう独り言ちる。
そして、巻物に向けられていた視線が、部屋の入口にすいっと向けられた。部屋の戸は、先程青年が出て行ってからずっと閉められたままだ。館の中は大半の人が出払っており、この部屋以外、物音ひとつしない。
しかし、翁は齢を重ね、皺がよって細まった目をさらにまた細めた。
「……お前達。いつまで黙ってそこにいるつもりじゃ?」
翁にそう言われ、やっと入室を求める声がする。厳太夫の声だ。翁が許可を出すと、そっと戸が開かれた。そこには、伊織達と対峙した者達が全員顔を揃えていた。
中に入った彼らは厳太夫を筆頭に並び座る。そして、翁に向かって両手をつき、深々と頭を下げた。
「翁。先輩方は裏切り者ではございません」
「……ほう。して、その証拠は」
「あの人達が本気で私達を殺めようとしたならば、ここにいる全員、すでにこの世にないでしょう。今日、全員の骸が荼毘にふされているはずです」
「先輩は、罠にかかりそうになった僕達の身代わりになってくださいました。もし、本当に僕達を裏切ったとおっしゃるならば、どうして身を呈して庇う必要があるでしょうか。そのまま黙って見ているだけで、僕達は自分から……」
落ちて死んだだろう。そう続きを告げることが、まだ顔に幼さの残る少年にはできなかった。
言葉を詰まらせる者達を見て、翁はふっと小さく笑みを溢す。だが、笑っていても、それは同時に哀しみの情をも帯びていた。
「……やれやれ。あやつらは煙たがれているのか、好かれているのか、分からんものよなぁ」
「……今は、煙たがっていた頃に戻りたいです」
「叶ったならば、すぐに前言撤回したくなると思いますが」
翁の呆れたような一言に、厳太夫や勘助、庄八郎といったすぐ下の代が顔を上げ、同じように微笑み返す。しかし、すぐに彼らは顔から表情をすっと削ぎ落とした。
「翁」
呼びかけられただけの短い一言で、彼らが望む方向性は察することができる。さらに、彼ら三人だけでなく、残りの皆も頭を上げ、同じような目で翁の方をじっと見つめていた。
あの伊織が頭を務める代で、こんな理由もなしに見せかけの裏切りに打って出るはずがない。彼らを利用しようとした、あるいは彼らに利用された人物が裏にいるはず。
その考えは、この場にいる全員の総意も同じ。
翁は、ふむと顎を引いて顎髭を撫で、寸の間考え込む。
「……お前達も最後まで負けこむというのも癪だろう。儂も、この里の長として、若輩が立てた策の上で転がされるのは看過できん」
翁がそう言うと、厳太夫達の目が俄かに輝きだした。
そして、翁はちろりと窺い見るように厳太夫達へ視線を投げかける。
「お前達、ちと、遣いに行ってくれるか?」
「はい。先輩方が裏切り者の謗りを受けることを免れるのであれば、どこまでも」
「それがどんなに遠い地であろうとも、全く構いません」
元より、翁からの命に八咫烏達に否やはない。
今回はそれに加え、自分達からの志願でもある。いつも以上に気力に満ち溢れていた。厳太夫と勘助が翁に返した返事にも、それが如実に現れている。後ろに並ぶ彼らの後輩達も皆、一様に意思の固そうな表情で頷いて見せる。
一方、榊はただ静観しているが、内心心配でもあった。
厳太夫や勘助、庄八郎に倫太郎はいい。主水や右京、新之丞もやや不安はあるが、自分の適材適所を弁えればなんら問題ないだろう。
榊の心配の種は、つい数か月前までは雛であった少年らのことである。基礎は叩き込まれているとはいえ、まだまだ経験が足りない。もし、万が一のことがあれば、即座の対応は難しいだろう。
しかし、そこまで考えて榊は思い直した。
血気にはやるというのは、いつの時代も若者の特権である。それに、彼ら一つの代で城を落とそうというわけではない。そんな無茶ともとれるような策を立て実行してやり遂げるのは、自分の教え子の中でも伊織達だけ。
主水達同様、彼らでも己ができることを積み重ねるのならば、それは良き経験となるだろう。
なにより、左近がよく言っていたことだが、‟自分自身が選んだこと”だ。
翁が許すのならば、自分は最大限それを補助するだけである。
そして、翁は自分の言葉の続きを待つ彼らに、にっと笑って見せた。
「なに。簡単なことよ」
そうは言うが、翁が続ける言葉は全くもって簡単なことではなく、複雑で、大忙しになること請け合いであった。しかし、それでも厳太夫達は一言も聞き漏らさず、その役目を拝受する。
その話をする間、翁は好々爺然としていた。
されど、その目は、彼が現役で任務についていた頃のものに戻っていた。狙った獲物は逃さない、猛禽類のような目。彼が激怒している時の目だ。
彼もまた、雛の時分から知っている子鳥を奪われた親鳥であった。
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