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第十五章―遺された側
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しおりを挟む――その一月後。
山陰の、山間の集落に程近い開けた野原で、一人の女が道端の岩に腰かけていた。歳の頃は二十半ば程だろう。体調が悪そうで、時折、息を深く吸ったり吐いたりしている。
傍には少年が一人おり、その少年は広げた荷物を片付けながら、女の顔色をそう頻繁にならない程度に窺っていた。
彼らは道行の同行人というわけではなく、女が道端にうずくまっていたのを、通りかかった少年がたまたま介抱したのである。
しばらくすると、女は少年の方を見て、きゅっと口角を上げた。
「ありがとう。だいぶましになったわ」
「それは良かった。これ、また辛くなった時に飲んでみてください。いくらかは良くなるかもしれませんから」
少年は荷物の中から包み紙を取り出し、その中からいくつか女へ差し出した。
女は一度はお礼を言ってそれを受け取った。しかし、その包み紙の中身がすでに調合された薬であることに気づくと、そっと眉を下げた。
薬は貴重で、庶民にはあまり馴染みがない。彼らが病にかかった時に治療する方法は、大半が寝て安静にしているか、食べ物か、簡単なものなら野山で採った薬草を煎じて飲む程度である。もちろん、寺社などに参詣し、呪いに頼る者も多い。
さらに、薬をもらうということは、医者にかかることと同じである。そのため、それ相応の金もかかろうというわけだ。
「あの、お金が……」
「あぁ、お金はいりません。そんなに量があるわけでもないですし。元気な人が一人増えただけで僕は満足ですから」
「そんな。……じゃあ、家に来てくれる? たしか、収穫した野菜がまだ余分にあるはずだから」
「えっ!? いえ、そんなっ。そんなつもりで人助けをしたわけではないので」
「駄目よ。貴方だって食べていかなきゃいけないのに、何もお礼をせずにいるなんて申し訳ないわ」
「……そうですか。では、お言葉に甘えさせていただきます」
少年は立ち上がる女に手を貸し、にこりと笑う。
女と少年。二人は連れ立って、女の家があるという集落の方へ歩き出した。
時折楽しげに笑う声が、少し離れた木の枝の上に立つ青年達の耳にも届く。農夫の格好をした青年達――厳太夫と勘助が、先を行く少年――瀧右衛門と女をずっと彼らの頭上から見張っていた。
「見事だな」
「あぁ。……与一先輩じゃ胡散臭すぎて、あぁはいかなかっただろうな」
「……確かに」
厳太夫は勘助の軽口に、ふっと笑みを溢した。
医者の素養がある瀧右衛門は、見目もまだ少年で、朗らかに笑う彼は見る者をほっとさせる癒しの力がある。そのため、女もすっかり気を許しているようだ。
策の内では序盤に過ぎないが、信頼を得るというのはかなり重要なこと。瀧右衛門はその役目をしっかりと果たしつつあった。
あまり集落に近づいても怪しまれるため、二人は詰所としている廃寺の堂へと踵を返す。
彼らと背を向け合う瀧右衛門の首には、隼人が作った呼び子が二つ、左近の結い紐を使ってかけられている。他にも、背負っている荷箱は与一から受け継いだものだ。
集落に向かうのは瀧右衛門一人だが、そういう意味では一人ではなかった。
瀧右衛門が堂に戻ってきたのは、日暮れ間近のことであった。
「ただいま戻りました」
「おぅ。ご苦労さん」
今、この堂で待機しているのは、厳太夫と勘助、半蔵。瀧右衛門も含め、全部で四人のみ。他は里だったり、必要な場所だったりで準備を着々と進めている。
厳太夫達は瀧右衛門が荷物を下ろすのを待ち、腰を下ろす彼へと目を向けた。
「早速だが、首尾は?」
「途中で家人が戻ってきたのであまり多くは聞けなかったのですが、集落全体で五、六十人。目当ての人物は母親のみ健在で父親とは死別。現在は集落の奥に居を構えているそうです」
「五、六十人。分けるか?」
勘助が隣に座る厳太夫の方を見る。厳太夫はしばしの間、考え込んだ。
厳太夫達はこの地に来る前に、ある程度の裏事情を知るところまで来ていた。実際に左近の双子の兄にも会っていたし、集まった情報をまとめ、把握するのも早かった。
その前情報によると、集落には全体の黒幕である男と飯母呂一族の当主の屋敷があるという。もちろん、その集落に余所者はいない。全て仲間内で構成されている集落であるらしい。
ある意味、攻めやすい土地であると言えよう。全く関係のない者を巻き込まずにすむ。
とはいえ、相手も忍びを抱えている。油断は大敵。だからこそ、勘助も厳太夫に徐々に数を減らしていくことを提案した。
「……いや、このままで行こう。あまり長引かせると、東西の雄から先を越されるかもしれない」
東西の雄。東は織田、西は毛利の領地が広がるこの土地を通る道は、主要路である山陰道からは離れているが、裏道として十分使える。裏道として使えるということは、軍を率いて戦を仕掛けようとする際、通行するのに丁度いいということである。当然、この集落も進軍する際に何らかの影響を受ける。
今のところ、その二つが表立って動く気配は見せないが、万が一ということもある。また、それぞれが動かずとも、その配下の者が動くことも十分あり得る。
厳太夫の判断に、勘助もそうだなと頷く。半蔵と瀧右衛門はというと、二人の話を黙って聞いていた。
話は固まったと、厳太夫が再び瀧右衛門へと目を向ける。
「それじゃあ、瀧。明日も頼んだぞ」
「はい」
にっこりと、瀧右衛門は口端を吊り上げて返事をする。
瀧右衛門は明日、野菜を分けてもらったお礼に、摘んだ薬草を分けに行くことになっている。忍術のうち、禁宿取り入る習いだ。これで集落の中の人々とさらに仲良くなり、情報を引き出そうというわけである。
彼の身上は、集落からほどよく離れた空き家に一年ほど滞在し、この辺りでしか取れない薬草を探している薬師の弟子という設定にしてある。あながち間違いでもないので、瀧右衛門も普段通りに振舞うことができた。
そして、こういう集落では余所者には排他的であるが、自分達の命に係わることであれば別だ。体調が悪くなった者はそのうち瀧右衛門を受け入れだし、漏らしてはいけない情報も口にするようになるだろう。
忍びにとって、同胞以外の者に親切にすることとそれを利用することは、一揃えのものでもあった。
そして、春が終わり、夏が過ぎ、秋が訪れた。
瀧右衛門が着々と内部から情報を集め、彼以外で外の準備も整えた。
ここ最近、集落の近辺では小競合いのような戦が続いており、この集落も戦に巻き込まれて略奪が起きる恐れがあった。そうなることがないよう、集落の代表である乙名を務める黒幕の男は、戦を引き起こしている両者に金や必要物資など相当数をそれぞれ贈っていた。
しかし、ある晩。それは起こった。
集落の住民達が気づいた時、もうすでに様々な所に火の手が広がっていた。そして、その火をつけ回っていたのは、あろうことか男が見返りを送っていたはずの両軍の兵士である。
男は慌てて飯母呂一族の忍びに助けを求めた。
飯母呂一族としても、この事態には驚きを隠せない。だが、主からの命を果たすべく、すぐに手を回した。
けれど、集落の者を連れ、逃げた先にもすぐに追っ手がかかる。それはまるで、彼らが逃げる先があらかじめ分かっているようであった。
どうして、と、兵士に尋ねた者がいた。その者の胸を槍で突いた兵士から返ってきたのは、都におはす天子様の持ち物を奪おうとした盗人め、という全く身に覚えのない言葉であった。
家という家は焼き払われ、中にあった目ぼしいものは全て持ち去られた。馬の背よりも高い男は次々に殺され、女子供は手足を縛られて一所に集められる。そのまま火の回りが激しい場所に放置され、泣き叫ぶ声が辺りに響き渡った。
「俺、当分火を見るのが苦手になりそうです」
「火縄銃の名手を目指そうという者にあるまじき発言だな」
「……ですね」
片方の軍の雑兵として紛れ込んでいた元部の年の八咫烏が、同じような恰好をして集落の中に入り込んだ厳太夫の隣に立つ。軽口を叩き合いながらも、彼らは瀧右衛門が描いた黒幕の男の人相書きに合致する男を探していた。
厳太夫達の他にも、結集した八咫烏達が、忍びであると確信している者にそれぞれ襲いかかる。武家は武家に、忍びは忍びに相手をさせる。
だが、ただ一人、例外はいる。
八咫烏のうち、隼人から狼達の世話を引き継いだ者が、狼達を呼び子で使役し、その例外である男の回りを取り囲む。黒幕の男だ。
「な、何だ、貴様らは!?」
男を取り囲んでいた狼達のうちの一匹が、高く一声鳴く。その遠吠えを聞きつけ、兵士達はそれぞれ撤退する中、それぞれの雑兵に紛れて過ごしていた八咫烏達はその声のする方へと集まってきた。
隼人の狼の遠吠えは賊発見の合図。それが骨身に染みている。そして今回も、狼達は見事にその役目を果たした。
「我らが主君の持ち物を奪おうと、逆賊の汚名を被って死ぬ輩に、我らは名乗る名を持ち合わせていない」
「逆賊だと!? 一体どういうことだ!」
男は冷静さを失い、目の前に降り立った厳太夫へ大声で問うた。
その男を地面に殴り倒した厳太夫は、そのまま男の身体を跨ぎ立つ。男を見下ろす目は、燃え盛る炎が映り、まるで本当に目に火が灯っているようである。その火は言うまでもなく怒りから来るものだ。
「……理由なんて、俺達の方が知りたい」
そして、厳太夫が振り下ろした手から放たれた苦無が、男の脳天を貫いた。目を見開き、醜悪な顔で見上げてくる男の死に顔をそれ以上見下ろすことはなく、厳太夫はすぐに男の上から退いた。
準備した時間や労苦を考えると、男自身は呆気ない終わりだった。だが、死の間際までに精神的に与えた苦痛、恐怖、そして絶望はそれなりのものだっただろうからと、厳太夫達は自分自身を慰める。
忍びの相手をしていた勘助達も合流し、皆はひとまず火の手が回らない風上の方にある丘まで回った。
「皆、無事か?」
「あぁ」
「俺も」
「僕も大丈夫です」
それぞれ多少の傷はあれど、この集落へ来ていた全員がこの場に揃っていた。
中には、自らが負った怪我を隠そうとする者もいる。しかし、瀧右衛門はそれを目敏く見つけていた。
「戻ってしっかり治療するからね。まだ、先輩達と戦った時の傷もちゃんとは癒えていないんだから」
「分かってる」
火は全てを燃やし尽くさんと、四半刻、半刻と燃え続けた。
それぞれ手当をする傍ら、丘から集落を見下ろす。悲鳴はもう聞こえなくなっていた。
「子供、いましたね」
「……あぁ。だが、主命だ」
「大丈夫。分かってます」
今回のこと、主上は酷くお怒りであった。と言っても、伊織達の代にではない。
なんでも、御所にも伊織から文が届いていたらしい。今回の裏切りが誰の命によって起きたものなのか。また、ご丁寧に、裏切る者それぞれの名前まで。八咫烏全員が主君に対して謀反の心を持っているのではない証とするように。
主上は御所に参内していた左近や、たまに翁のお供を務めていた伊織を見知っている。どう考えても裏切りを働くような者ではないし、むしろ、裏切りを絶対に赦さず、排除する側の人間であったと、よく観察していた。だからこそ、大名達に利用されるだけでなく、ほどよく利用し返すこともできているのであろう。
そのため、主上は伊織達の裏切りを端から信じておらず、八咫烏達の長である翁をすぐに呼び出した。
その際に、翁に命が下されたのである。
この文の、新たに仕えたと書かれているならず者を始末せよ、と。一族とその一族と共にある者もまた、女子供の区別なく首を揃えて同様に。
その時点では名前しか分からなかったが、伊織達が自分の身を差し出してまで伝えた名である。報復が重なることを許してはならない。早々に手を打っておくに限ると、主上はそう判断したのだ。
後は忍びたる八咫烏の役目と、翁はそれを謹んで拝命した。
それが四月ほど前。そこからは厳太夫を中心として、情報をすでに集め始めていた者達にそのままこの命を与えたというわけである。
火が消え、厳太夫達は再び集落へと立ち入った。生き残りがいないことをきちんと確認するためである。
ある程度見回ると、厳太夫や勘助、庄八郎は互いに視線を合わせ、こくりと頷く。
――全てが終わった。
「……帰ろう。俺達の里に」
夜が明けるまでにはまだ時間がある。だが、一刻も早く戻りたかった。
皆が無言でその場を後にする中、瀧右衛門は去り際、顔見知りとなった女子供達のために一人、手を合わせていた。
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