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回想の中の母さん

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僕は腕の中で眠っている彼女を抱き締めたまま、回想の中にいた。

僕がまだ10歳の頃、小学4年生のときの出来事だ。

日中、僕は母さんと一緒に街へ服を買いに行き、クタクタになるまで歩いた。

母さんは衣料品店で僕にシャツとズボンなんかを買ってくれた。

母さんは僕に「似合うね。」と言ってくれたが、僕にとってそんなことはどうでも良かった。

ただ、母さんと一緒に街へ出掛けられたことのほうが嬉しかった。



夕飯前、母さんがご飯の支度をしていると、家の電話が鳴った。

それは我が家にとってはごくありふれた光景だったが、電話を受けた母が漏らした声はこれまでに聞いたことがないような悲鳴だった。

嗚咽を漏らして、母さんは泣きながら床に崩れ落ちた。

父が仕事中に事故に遭ったらしく、会社の人から連絡が入ったのだ。

僕は、泣き崩れる母に「大丈夫だよ。」と声を掛けることが出来なかった。

大丈夫なことなんて何一つ無かったからだ。

10歳の僕は憔悴する母を前に必死に道化を演じた。

一人で部屋を散らかして、一人で笑い転げるという狂気じみたことをしていた。
僕は悲劇から母の目をふさぎたかったのだ。

僕は幸せが崩れていくのを感じながら、一人で笑い転げ、そして一人で泣いた。
憔悴する母を、不安から吃音を患った弟を僕はただ見ていることしかできず、守ることなんてできなかったのだから。
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