【完結】【R18】結婚相手を間違えました

鷹槻れん

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32.偉央の泣き言と結葉の内緒ごと

捕まえたりしないから、どうかもう一度だけ

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 最初は離婚届と小切手だけを入れて山波やまなみそう宛に送るつもりだった偉央いおだ。

 だけど結局、未練がましく結葉ゆいは宛の手紙まで添えてしまった。

結葉ゆいは……」

 結葉ゆいはがマンションを出て行ってからずっと、偉央いおは家で眠れなくなってしまった。

 あれから何度か自宅に着替えを取りに行ったりしたけれど、本当にそれだけ。


 マンションの玄関扉を開けた時、

「お帰りなさい、偉央いおさん」

 そう言って、微笑んでくれる結葉ゆいはが家にいないことが、こんなにも堪えるとは思わなかった偉央いおだ。

 足枷あしかせで無理矢理家に繋いでいた時でさえ、結葉ゆいは偉央いおが戻れば今にも消えてしまいそうなギリギリの淡い笑顔を一生懸命……それでも震える声で「お帰りなさい、偉央いおさん。お仕事お疲れ様でした」とねぎらってくれた。

 玄関を開けた時に香る暖かな夕餉ゆうげのにおいと、華奢な体躯を抱き寄せた時、結葉ゆいは自身から仄かに薫る甘やかな芳香。

 それは彼女が使っていたボディソープやシャンプー由来のものだったのかもしれないけれど、偉央いお結葉ゆいはから立ち昇る、女性らしいその香りが大好きだった。


 本来ならば、偉央いお自身、家事をするのは嫌いではなかったはずだ。

 なのにどうだろう。

 ――家に結葉ゆいはがいない。

 ただそれだけのことで、こんなにも何もする気になれなくなるなんて、思いもしなかった。

 結葉ゆいはが望んだように、子供でももうけておけば、良かったのだろうか。

 〝子はかすがい〟とよく言うけれど、もしかしたら子供を作っていれば、足枷なんかより強力なかせになって、偉央いおの元へ結葉ゆいはを繋ぎとめてくれたんじゃないかと、今更のように思ってしまう。

 愛する女性との二人きりの生活を乱されるのが嫌で、結葉ゆいはからの〝子供が欲しい〟という願いを、再三に渡って無下にし続けてきた偉央いおだったけれど。

 こんな風に結葉ゆいはを失って一人きりにされてしまうくらいなら、子供に乱されながらも彼女がそばに居てくれる生活の方が何百倍も何億倍も〝マシ〟だったんじゃないかと思ってしまった。

(――ま、今更考えても詮無いことだ……)

 そう思いはするのだけれど、気が付けば一人悶々とそんなことばかり考えてしまっている。



 薄暗がりの中。
 最近ずっと、寝泊まりに利用している『みしょう動物病院』待合室の長椅子に一人ぼんやり横たわって、偉央いおはあれこれと物思いにふける。

 朝と昼だけは辛うじて何とか口に出来ている偉央いおだけれど、夜は何も食べる気になれなくて、結葉ゆいはが出て行ってからというもの、まともに夕飯を摂っていない。

 なのに夜も別に空腹に悩まされることもないし、朝だって殆ど義務のように身体を動かすための〝燃料〟として食事をしているだけの偉央いおだ。

 仕事に支障が出ない程度に、と惰性で食べているに過ぎない〝食べるという行為〟は、当然何の味も感じさせなかった。


 気が付けば、無性に結葉ゆいはが作ってくれたご飯が恋しくなって。
 別れる前にもう一度だけ。
 彼女の手作り料理を味わいたいなと思ってしまった偉央いおだ。

 そんなことを考えていたからだろうか。

 まるで泣き言みたいに結葉ゆいはへ手紙を書いてしまっていたのは。

 最初は書くだけで満足しようと思ったそれを、気が付けば離婚届などと一緒に送付してしまっていて。

結葉ゆいははあの手紙を読んだだろうか)

 「読まれたい」という気持ちと、「あんな恥ずかしいもの、読まずに捨てて欲しい」という気持ちが、偉央いおの中でグルグルと無限ループを繰り返している。

 そこへ、「結葉ゆいはなら捨てずに読んでくれるはず」という願望と、「逃げるほど嫌われたんだから希望を抱くだけ野暮だろ?」という諦観までもが入り乱れて錯綜さくそうするから、眠らねばならないのに目が冴えるばかり。


 ブラインド越し。

 外から建物の外観を――と言うより壁面に描かれた文字を――照らすように灯しているライトの灯りが待合室を仄明るく照らしていて。

 真っ暗ではないから余計に眠れないのだろうかと、偉央いおは小さく吐息を落とした。


結葉ゆいは……」

(捕まえたりしないから、どうかもう一度だけ)

(あの控えめな優しい声音で、「偉央いおさん」と名前を呼んで、僕に触れてくれないだろうか)



***



そうちゃん。私、今日はちょっとだけ街へお買い物に出てみようかなって思ってるの」

 朝。
 いつものようにそうにお弁当を手渡しながら結葉ゆいはが言って。

 そうは思わず「……平気なのかっ?」と差し出された弁当の包みごと結葉ゆいはの手を握ってしまっていた。

 そのことにハッと気づいて慌ててそうが手を離したら、結葉ゆいはも驚いたように手を引いて。

 ――ゴトッ!

 鈍い音を立てて二人のちょうどド真ん中。支えを失った弁当が垂直落下した。

「お弁当っ」
「俺のっ」

 二人同じように言って、慌てて手を伸ばしてかがみ込んだら、額同士をゴチンッとぶつけてしまう。
 結果、今度こそ二人同時に「つぅっ!」「イタっ!」と声が出たそう結葉ゆいはだ。

 結局弁当はそうが拾い上げて、結葉ゆいはは髪の毛の下、ほんのり赤くなった額をさすりながら「そうちゃん、ごめんね」と眉根を寄せた。

「バーカ、お互い様だろ」

 前髪が短めだからだろうか。
 そうの額がほんのり赤くなっているのが見えて、結葉ゆいはは自分も見えないだけで同じだろうなぁと思って。

「うん、頭もなんだけど……お弁当も」

 そうの手にした包みを指差したら「ああ、中身の心配?」とククッと笑われた。

「多分大丈夫だろ」

 そうがそう太鼓判を押すのには、ちゃんと根拠がある。

 結葉ゆいはが作るそうのお弁当は、そうにたくさん食べさせたいという思いが一緒に入れてあるみたいに、中身が結構みっちり詰まっているから。
 恐らく垂直落下したぐらいでは寄り弁になんてなっていないだろう。

 それでもやっぱり作り手としては、中の様子が気になるらしい。

「でも……一応どうだったか教えてね」

 言い募るように眉根を寄せる結葉ゆいはに、そうは「了解」と言ってもう一度ククッと笑った。
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