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40.それぞれの未来*

こんな事言ったら甘いって叱られちゃうかもしれないんだけど

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***


 大人二人で入るには少し狭いかな?と思ってしまうアパートのバスルームの中。

 バスチェアに腰掛けた結葉の身体を、そうがふわふわの泡で包み込んでくれる。

 明るいところで異性とお風呂に入るだなんて、恥ずかしくて耐えられないと思っていたはずなのに、泡で見えなくなった安心感からだろうか。

 ほんの少しずつ眠気がとろんとまぶたの上に降りてきて。

 結葉はホワホワとした夢見心地の中、想にされるがままになっていた。


 結葉の身体を一通り清め終わると、想がシャワーをかけて泡を洗い流してくれる。

 その頃には恥ずかしさを押す形で眠気が優勢になりつつあった結葉だ。



結葉ゆいは、足首んトコ、アザになってんな」

「んー? ……あー、うん。大分……薄、くはなった……んけ……ね……」

 心地よい気怠さと微睡まどろみのなか、結葉が途切れ途切れ、ちょっぴり呂律ろれつの回らない口調で何とか答えて。

 少し前までは、その傷痕を見るたび、偉央いおにされた様々なことを思い出して怖くなっていたはずなのに。

 偉央と縁を切ることが出来た今は、あのこと自体幻みたいに思えて。

 もしかしたらそう思いたいだけなのかも知れないけれど、想に救出されてすぐの頃みたいに、一人にされても膝を抱えて震えるようなことはなくなった。


 あんな風にお互いがギリギリのところまで追い詰められなければ離れられなかっただなんて、今考えたらおかしいと分かる。

 偉央からされることに疑問を山ほど抱えていたくせに、何故あの頃の自分はそれを我慢することを選択していたんだろう?


「お前が……俺に助けを求めてきてくれて本当に良かった」

 そうが、愛おしそうに泡を洗い流したばかりの結葉の脚を持ち上げると、傷あとにそっと口付けて。

 結葉はそれがくすぐったいのに何だかすごく幸せだった。

 ほんの少し自分が勇気を出しただけで、全てがこんなにも変わるだなんて、ちょっと前までの結葉には思いもよらなかったから。



 男女の営みが終わったあと、こんな風に穏やかな時間を過ごしたのは何年ぶりだろう。

 偉央いおだって、少し強引で怖い面は見え隠れしていたけれど、それでも結婚してすぐの頃は、とても優しかったのを覚えている。

 もしも結葉が偉央の意に沿わないことをしなかったなら……。
 友人と外に遊びに出かけるのがそれほど好きじゃない性格だったなら……。

 あるいは今でも偉央と夫婦でいられたのかもしれない。

 それでも――。

 やっぱり結葉は〝お母さん〟になりたいという思いが捨てられなかっただろうし、きっとどんな形にせよ、ゆくゆくは偉央との関係は破綻はたんしてしまっていたんだと思う。

 何より偉央の愛し方は結葉には重すぎたから。


***


「あのね、そうちゃん。……こんな事言ったら甘いって叱られちゃうかも知れないんだけど………」

「んー?」

 湯船の中。

 身体を洗い流している最中、結葉が今にも眠ってしまいそうに見えたから、てっきり湯船に浸かったら船を漕ぎ出すかも知れないと思って。
 溺れないよう結葉の身体を自分の方へ抱き寄せていた想だったけれど。

 結葉は逆に目が覚めてしまったみたいで、に反して後方にいる想に、必要以上に身体を預けてはこなかった。

 想が結葉の細い腰を後ろから抱き締めながら、(もっとくっ付いてくればいいのに)と思っていたら、不意に腕の中の結葉がしどろもどろと言った様子で切り出した。

「私ね、偉央さんには幸せになってもらいたいなって思ってるの。……その、もちろん色々あったし……一緒にいる間は本当に辛いことの方が多かったくらいだけど……。でも……それでも一時いっとき夫婦かぞくだった人だから。どうせなら幸せでいて欲しいし、その……そうでないと困るなぁとも思ってて」

 結葉の言葉に、想は思わず「困る?」と聞き返してしまう。

 元旦那が幸せになろうとなるまいと、結葉には関わりのないことだろうに。
 それなのに何故?と思ったのだ。

 想の言葉に、結葉はほんの少し考えるような素振りを見せてから、「……うまく言えないんだけど……。そうでないと心の底から幸せになれない気がするの」と答えた。

 恐らく結葉のことをよく知らない人間が聞いたなら『何だそれ?』と思うだろう。
 だけど、結葉を幼い頃から知っている想には、それだけで十分伝わってきた。
 逆に、ある意味とても結葉らしいなと思ってしまったくらいだ。

 結葉は、自分が関わった相手が不幸なままでは、自分も決して幸せにはなれないと思ってしまうタイプだから。

 現に、想の想いを受け入れてくれたのだって、偉央の再婚を知ったからと言う部分が大きいだろう。

 『偉央さんが新しい暮らしを始めたのなら、私も前に進んでもいいのかな?』みたいな感じで。


「まぁお前はそう言う女だよな」

 言いながら結葉を抱く腕に力を込めたら、結葉が慌てたように身体に力を入れて、一生懸命想との間に距離を保とうとする。
 そうしながら、「あの、……呆れちゃった?」と恐る恐る付け加えてくるのが何だかすごく律儀で。堪らなく愛しく思えた想だ。

「いーや、全然。むしろいっそ清々すがすがしいくらいお前らしくて良いと思った」

 耳朶をむくらいに近く、結葉の耳に唇を寄せてそう言ったら結葉が恥ずかしそうに縮こまる。

 あざになるほどの酷い怪我を負わされたり、一人にされるのをおびえてしまうようになるまでの恐怖心を植え付けられたにも関わらず、結葉が偉央を訴えたいと一度も言わなかった事から、想は何となく彼女のそういう本心を察していた。

 結葉は幼い頃からほわんと温かい子で、一度関わりを持った人間を心の底から恨んだり出来ないところがあったから。

 それが危なっかしくてもどかしく感じることもあるけれど、想はそういう結葉だからこそ守りたいと思ってきたし、好きで好きで堪らないと感じてしまうのだ。


「俺、お前のそう言うトコ、結構好きだぜ?」

 言って、すぐ目の前の結葉を振り向かせると、やんわりと唇を塞ぐ。

 舌先を擦り合わせるような軽いキスをしただけで、トロンととろけたような表情かおになる結葉が、想には本当に色っぽく見えて――。

「あ、あの……想ちゃ、……えっと、せ、背中に……その……当たって……ます……」

 結葉が気まずそうにそう言って顔を真っ赤にしたのは、何も湯に浸かっていて、身体が温まってきたからだけじゃないだろう。


「そりゃあ裸で可愛いお前とくっ付いてんだ。当然の反応だろ」

 悪びれもせず言い放った想に、結葉が機械仕掛けのロボットみたいにぎこちない動きをしながら「あ、あの……私っ。のぼせてきちゃったし、さっ、先に上がるねっ」と浴槽から立ちあがろうとして。

 想はわざとその細い腰に回した手にグッと力を込めて立たせてやらなかった。

「置いてくなよ。俺も一緒に上がる」

 当然のように結葉を抱いたまま立ち上がった想は、わざとらしく結葉に身体を密着させる。

「あ、あのっ、想ちゃっ?」

 そのまま結葉の小さな両手を浴槽の縁につかせるよう自分の手を重ねて――。

「その前にもう一回、な?」

 結葉の中に、あと何回出したなら、自分は満足出来るんだろう。

 そんなことを思った。
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