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逃避

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「今日も逃げ切ったな…」
節々から漏れ出す煙を振り払いながらPは呟いた。防護窓が自身の吐息で曇る。なんせ、今日は久々に走ったのだ。いつもなら数歩進めば安全区域に到達できる。しかし今日ばかりは、なんだか走り出したくなったのだ。でもそれはPの「走りたい」という自発的な欲求ではなく、強風に煽られた草玉のような感覚に近かった。愚かなことに、Pはそれでいいと思っていた。彼はガチンガチンと音を立てて腰を下ろした。


Pの着る防護装置はとても錆びていたが、気密性に長けていた。内と外との空気を完全に遮断しつつ、外から取り込み浄化した空気で中身を満たす。その代わりに防護窓はいつも吐息で霞んでいて、覗ける景色はぼんやりしていた。
「分厚い窓なのに」
Pはいつも不思議に思っていた。
彼は物心がついた時からこの生活を送っている。安全区域へ目掛け、前進する。
そう、前進している。Pは前進しているということに大層な充足を覚えた。しかし何故だか景色が変わらない。足元の「瓦礫」の数々や、不意に噴出する「ガス」、どこを見たっておんなじ光景。
「窓が曇ってるからかなあ」
Pはそれほどにしか捉えていなかった。


腰を下ろしたPは、残り少ないタバコを取り出した。カサカサに乾いて潰れた一本を浄化フィルターの内側に設置して火をつけた。
そして、すうっ、はあっと深呼吸をする。タバコの煙はたちまち防護装置内に蔓延し、彼の身体を包み込んだ。
彼はこの瞬間が特に好きで、走った日には必ず嗜んでいた。しかしその時の彼は頭が冴え、自らの存在意義を問わざるを得なかった。
「なぜ自分はこの地にいるのだろうか、なぜ自分はこんな生活をしなくてはならないのだろうか」と、あれこれ。
いつも「アレ」から逃げて安全区域を求めて前進する。前進した自分への褒美にタバコを吸う。それだけの生活。何なのだろう。だが脳みそが冴えて仕方がないのに答えがハッキリ出ないことはしょっちゅうなので考えることさえどうでもよかった。つかみどころのない性格の「アレ」は神出鬼没で、居なくなったかと思ったら目の前に迫っていたり、さっきまで足首にまで達していたのに干潮の如く退いていったりするのだ。また物質的にも言葉の通り、掴むことが出来なくて、煙や雲みたいに、あるいは目に見えない空気のように触れているかどうかさえ確かめられない。蜃気楼のような「アレ」を彼はどうにかしたいと思っていた。逃げるのはわけないことが、「アレ」がなければ自分はこんなに重くてぎこちない装置を着込んで、不自由な生活をすることもないだろう。いつも安全区域の周囲を淀ませている「アレ」が、P自身をコロコロと移動させて弄んで愉しんでいるかのように思われたので、Pはそれが実に気に食わなかった。

Pは「アレ」の正体を突き止めて根源から断ち切ることにした。
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