ルグリと魔人

雨山木一

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第四章

二十五話

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 三度目に淹れてくれのは気持ちを落ち着かせてくれる効果のあるというハーブティーだった。

「僕が始めてグリフィスと出会ったのは一週間工房に詰めた明けの朝だった。気分転換にと外の様子を見に行こうとして玄関を出ると、汚れたローブを身にまとった人間がうずくまっていたんだ。この洞窟には基本的にアシュマンの案内がなければ入り込むことはできない。だけど、たまにどこからか紛れ込んでしまう人もいるんだ。僕は最初、彼もその類のものだと思った。大抵、迷い込んできた人間はアヌウンの気にあてられて気絶していることがほとんどだ。その場合は気を失っているうちに人間の世界に送り返してやるんだ。だから、そのときもそうしてやろうと思った」

 ミーシャとアーリィの視線から逃げるように視線を天井に彷徨わせながらキャスウェルは続ける。

「とりあえず体を起こそうとして彼に触れると、蹲っていた体がびくりと跳ねて顔が見えた。僕はとても驚いたよ。彼は目を背けたくなってしまうほどの傷を顔に負っていたから。それよく見ると身にまとっているローブもひどく血で汚れていたんだ。驚愕してなにも言えないでいる僕に、彼は一言水が欲しいと言った。一旦戻ってコップ一杯の水を口元に持って行って舌を湿らせる程度飲ませてあげた。それで人心地ついたのか、彼は僕の顔を不思議そうに見つめてこう言ったんだ」

 天井を映す瞳がゆっくりと降りて、眼前のミーシャを捕らえる。一瞬躊躇の色を覗かせた瞳が瞼に飲まれ、静かに開かれた瞼の奥には翠色に染まった猫目がミーシャを映していた。

「……あの子は無事なのか、と」

「それは……あたしのこと、ですよね」

「当時はなんのことかさっぱりだったけど、今になって考えてみればそうだったんだろうね。僕は質問をした。いつこの洞窟に迷い込んだのか、酷い怪我をしているようだけどなにがあったんだいって。でも、彼は答える前に気絶してしまった。どうしていいかわからなくて、とりあえず工房へ彼を担いで戻った。予想していたことだけど、彼は顔以外にも体に酷い怪我を負っていたんだ。それは刃物によるものだと思われる切創や刺創。他にも鈍器で殴打されてできたと思われる打撲痕が至るところに見受けられた。正直助かるとは思わなかったよ。それだけ酷い有様だった。でも、彼は一命をとりとめ、十日間の間眠り続けた。幸い怪我の方は悪化することもなく順調に治癒しているようだった。でも、意識だけはどうにも戻らなくてね」

「父はどうなったんですか」

「十一日目の夜、ようやく目を覚ましたよ。でもひどく憔悴しょうすいしていて、しばらくは会話はできなかったな。時折、一言二言だけ言葉を交わすこともあったけど、それも心ここにあらずといった様子でね。聞きたいことはたくさんあったけど、焦らずとも落ち着けばいずれ機会もあるだろうと僕はその辺の問題を棚上げして、彼の治療に専念することにしたんだ」

 親子共々死にかけるなど、数奇な運命だと思った。しかも、救ってくれたのがアシュマンとルグリ。共通点に運命を感じる。

「起きあがれるようになるまでは結局一か月ほどを要した。その間、グリフィスは自分のことを話そうとはしなかった。いや、話せなかったのかもしれない。僕と膝を突き合わせて話せるまでになったころには、記憶の大部分を失くしてしまったようだった」

「記憶喪失ということでしょうか?」

「どうだろう……。どちらかと言うと記憶が壊れてしまっていると言った方が正しいかもしれない。かろうじて名前は憶えていたようだけどそれ以外のことはほとんどなにもわからないようで、そのことに強い不安を感じているようだった。だから僕は代わりに僕たちアシュマンのことやアヌウンのことを。自分が誰かもわからなくなってしまったグリフィスにとって、今どこにいるのか、僕がどのような存在なのかをまずは知ってもらうことが重要だと思った」

 記憶を失くして置かれている状況がわからないというのは、病みあがりのグリフィスにとって大きな精神的負担になっていただろう。キャスウェルはそんな弱り切った心に寄り添うことで、精神の安定を図ったのだ。

「それから他愛無い会話をできるまでには更に多くの時間を要した。一つの季節が始まり、終わりを迎えて新たな風が吹き始めるまで、僕たちは互いに辛抱強く耐え続けた。でも、案外悪いものでもなかったよ。人とアシュマンという別世界の住人同士がお互いを受け入れるには必要な時間だったと思う。そうやって時間を費やして二人での生活にも慣れたころ、グリフィスがあるものを僕に差し出してきた」

「ある物?」

「これだよ」

 キャスウェルはローブの袖のなかに手を入れ、一枚の妖精の金貨をテーブルのうえに置いた。
 金貨に彫られていた絵は一人の男が手で顔を覆い、跪いて首を垂れている様子を描いたものだった。

「グリフィスはどうしてこの金貨を持っているのかは、わからないと言っていた。ミーシャちゃん、この金貨についてなか話を聞いていたり、見たことがあったりしないかい?」

「ありません」

 はっきりと断言する。
 
「どうして父さんがもう一枚金貨を持って……」

「まあ、理由はどうあれこの金貨がこうして私たちの目の前にあるということは考えられる可能性は一つだけだろう。君の父親がアシュマンと契約していたということだ」

 それまで顎に手を添えて物思いに耽っていたアーリィが視線をキャスウェルに向ける。

「だがそうだとすれば、一つ疑問がある。アシュマンの金貨はその土地のアシュマンの管理者が発行するものだ。管理者以外のアシュマンが発行することはできない。となると、必然的に金貨を発行したのはキャスウェル、お前だということになるが?」

 確かにアーリィの言う通りならば、グリフィスの願いを叶え金貨を与えたのはキャスウェルということになる。だが、そうなると話に矛盾が生じる。
 獲物を前に舌なめずりをしながら距離を詰める狼のようなアーリィの殺伐とした声色が室内に浸透していく。

「キャスさん、知っていることがあるのなら教えてください」

 隠していることが、と言わなかったのは、ミーシャのなかでキャスウェルを疑いたくはないという気持ちが大きかったからだ。
 テーブルのうえで手を組んで目を伏せがちにして沈黙していたキャスウェルにも、それが伝わったのだろう。
 小さく吐息を漏らしてから重そうな口を開いた。

「……恐らくグリフィスさんと契約を交わしたのはドランというアシュマンです」

「ドラン?」

「……実は、僕がここの管理人になったのは十年前なんです」

「どういうことだ?」

「元々、ここの管理者はドランというアシュマンが務めていました。しかし、ドランはある日を境に姿を消してしまったのです。理由はわかりません。本当に突然煙のようにいなくなってしまったのです。僕は理由も明かさずにいなくなったドランの代わりにイレギュラーな形として後任に就きました」

「行方不明だと? アシュマンが管理人の仕事を投げ出していなくなるなど聞いたこともないが」

「ええ。だから当時はモデールのアシュマンたちの間で不穏な空気が流れていました。疑心暗鬼だった、と言ってもいいでしょう。誰かがドランを消したなんて噂まで流れましたから」

「もしそうならば、そのドランがいなくなって得をしたのはお前だな」

 はっと顔をあげたキャスウェルの翠瞳と、疑心を隠そうともしないアーリィの灰瞳が交差する。
 先に視線を逸らしたのはキャスウェルの方だった。

「ドランは……人格者でした。僕たちアシュマンは強い想いを捨てきれない魂が反転して生まれます。生前に昇華できなかった強い想いというのは言い換えれば執着です。執着はいずれ心に歪を生み出す。でも、自分ではその歪に気づけない。何故なら、本人は客観的に自己を見ることができないからです。崇高な想いだったはずのものが、時間を経て妬心に変わり、焦燥感に常に追い回され、終わりのない苦痛に打ちひしがれてしまう。そして、ある日唐突に悟ってしまうんです。ああ、叶えられないんだと」

 ミーシャにはその感覚は痛いほど理解できた。この十年で幾度も身に降りかかってきた感情だったからだ。
 失意の底から見る景色は、黒でも白でもない。灰色だ。どれだけ目を凝らしても見えない黒ならば諦めもつく。視界が晴れ、いつか立ちあがる日がくると確信できる白ならば、そのときまで失意に浸ることができる。しかし、灰はそのどれでもない。

 視界はわずかだが確かにある。そして、灰のなかにおぼろげに浮かんでくるなにかを大切なものなのではないかと錯覚してしまう。感情の泥にまみれながら、絶望とわずかな希望に縋りつこうともがき苦しむ。だが、どれだけ手を伸ばしても届くことはない。

「この執着というものはアヌウンに生れ落ちたアシュマンが抱える闇です。アシュマンはその闇と戦い続けなければなりません。しかし、ドランは違った。彼はその闇と戦うことを辞め、受け入れたんです。何者でもない自分を受け入れ、否定することを否定しない。否定は拒絶ではなく、自分自身を認めてあげたい気持ちの裏返しだと。常日頃そのように考えていたドランは執着に悩むアシュマンたちの相談役みたいなことをしていました。管理者の仕事の合間に、アシュマンたちの言葉に耳を傾け助言をする。自身の殻に籠りがちなアシュマンにとってドランの存在はとても大きなものでした。僕も彼に救われた」

 アーリィはなにも言わずにキャスウェルの話に耳を傾けている。

「確かに管理者というのはアシュマンにとっても特別な地位であることは事実です。すべてのアシュマンが望むわけではないですが、管理者の椅子が空いていると知ると目の色を変える者もいる。結果だけ見れば、僕は都合よく開いた椅子になんの苦もなく座ることができた運のいいやつだと言えるでしょう。しかし、こんなことを言うべきではないとは思いますが、僕としては管理者の椅子など、どうでもよかった。ドランはモデールにもアシュマンにも欠かせない存在です」

 ミーシャは見たことのないドランというアシュマンに遠い記憶の中なかのグリフィスを重ねてしまった。

「僕たちは昼も夜もなくドランを探しましたが、結局見つけることは叶いませんでした。でも、悲観に暮れる時間はありません。アーリィ・リアトリス殿ならご承知だとは思いますが、管理者のいなくなった土地は非常に不安定になります。いつまでも管理者不在にしておくわけにはいきません。だから僕は管理者になり、ドランの代わりになろうとしました。無理は承知です。でも、そうする以外に選択肢はありませんでした。僕はモデールが好きです。モデールに住むアシュマンたちも、モデールを守ろうとする人間たちも。だから、僕は……」

 きっとキャスウェルには選択肢がなかったのだろう。頼りにするドランの突然の失踪は色んな意味で精神を追い詰めたはずだ。もしかしたら、アーリィのように管理者の椅子を狙ったと他のアシュマンから疑いの目を向けられ、心無い言葉をかけられたかもしれない。

 投げ出してもよかったはずだ。誰かに押しつけて素知らぬふりをしても責められることはなかっただろう。
 それでもキャスウェルがモデールの管理者として今も責務を全うしているのは、ひとえにドランが守ってきた土地や、そこに住まうものたちを守りたかったからなのではないだろうか。
 ミーシャは葛藤も、苦悩も、全てを背負って立つキャスウェルを美しいとも妬ましいとも思った。

「すみません。僕はアーリィ・リアトリス殿を納得させられる答えを持ってはいません。だから、僕の言葉を信じれないというのならそれでも構いません。その代わりモデールを、アシュマンたちを見て判断してはいただけないでしょうか」

「ずいぶんな自信だな」

「これは自信ではありません。信頼です」

 依然としてアーリィのキャスウェルに向けられている視線は変わらないままだ。しかし、一方的な敵意は感じられない。
 迷っているようだった。そして、決断は意外と早かった。

「……まあ、私は雇われの身だからな。オーナーが頷けば従うさ」

「あたしはキャスさんを信じたいです」

 アーリィはそう言うのがわかっていたというように溜息を吐いて、肩をすくめた。

「ありがとう」

 テーブルに乗せた両手を組んで頭をさげる姿は、まるで神に祈る仕草にも見えた。それだけキャスウェルの抱えていたものは重く、心に食い込んでいたのかもしれない。

「だが」

 そんな様子を面白くなさそうに見ていたアーリィが水を差す。

「それでもグリフィスを人の世界に帰さなかったのは何故だ? わざわざ変換のタトゥーを刻んでまでアヌウンに留めようとした理由はなんだ」

 そもそもキャスウェルはグリフィスを人の世界に返すつもりだった。たまたま大怪我をしていて、面倒を見ることにしただけで、ある程度傷の具合がよくなればそこで帰す選択肢もあったはずだ。
 しかし、キャスウェルはそうしなかった。手元に置き、共に暮らす選択を選んだ。
 ミーシャにはその理由がなんとなくわかるような気がした。

「僕は寂しかったのかもしれません。ドランという支えを失って、管理者として僕なりにやってきたつもりでした。でも、実際は理想とはかけ離れたものでした。グリフィスはそんな僕の心の内をまるで見透かすように、落ち込んでいれば心が軽くなるよう気遣い、悩んでいれば相談に乗ってくれた。僕らには共通するところがとても多かった。だから、いつの間にかグリフィスとすごす日々を心地よく思うようになってしまっていたんです」

 記憶を失くしても変わらなかった。優しい笑みで、周りにいる人の心を穏やかにさせてくれる。
 不思議な力を持っている人だった。アシュマンやルグリの力のように摩訶不思議なものとは違う、人が持つ慈悲の心。
 娘であるミーシャにはそれがよくわかる。

「アシュマンの癖に人間みたいなこと言いやがって……。まあ、大方は理解した。でも、問題はこれからどうするのかということだな。記憶を失った理由はわかるか?」

「いいえ。怪我が原因で一時的に記憶喪失になる話は聞いたことがありますが、十年ともなると……」

「だとすれば、最後の手がかりはグリフィスが持っていた金貨ということになるが……」

 そこで二人は表情を暗くして黙りこんでしまった。

「あの……金貨がなにか?」

「金貨に血を垂らしたでしょう? あれは個人の情報を刻むと同時に金貨に願いの内容を記すために行うものでもあるんだ。人の世界でも商人が契約を結ぶ際に証書を発行したりするだろう。あれと同じようなものだと思ってくれればいい」

「じゃあ金貨から願いを抜き出すことができれば、父さんの記憶がなくなった理由がわかるってことですか!?」

「なくなった理由というよりかは、経緯だな。問題はその願いを知る方法がわからないということだ」

「え? でもそれは管理者であるキャスさんがいれば……」

「願いは契約を結んだ本人と管理人であるアシュマンにしかわからないんだ。願いの内容自体は金貨に染み込んだ血液に記されているんだけど、全て暗号化されている。その暗号は契約したアシュマンにしかわからないようになっている。僕はドランの後任として管理者を引き継いではいるけど、前任の管理者が交わした契約の内容を知ることはできない。それがルールなんだ」

「なんでそんな面倒なことを」

「願いの内容は場合によっては争いを生む種になる。万が一部外者の手に金貨が渡ってしまっても、解読できないよう措置がとられているんだ。だから、当人同士以外に知る術はない」

「唯一の解決方法はドランというアシュマンを見つけることだが、それは現実的ではない」

「実質手の打ちようがないってことですか?」

 その答えは視線を逸らすアーリィと俯くキャスウェルの姿が全てを物語っている。

「じゃ、じゃあ……願いを変更して父の記憶をとり戻すっていうことはできないんですか? 記憶が戻れば、父はきっと帰ると言ってくれます。それなら、あたしが元々叶えてもらいたいと思っていた願いと結果的には同じになる」

「願いの説明をしたときに話したと思うけど、この力は万能ではないんだ。あくまで願いを叶えたいと切望する本人とその願いの縁を繋ぐだけ。グリフィスのように壊れた記憶を元に戻すということはできないんだ」

 諭すような口ぶりに、ミーシャはそれでもと下唇を噛みしめながら食いさがる。

「でも、父の記憶は元々父のものですよね。それを、なにかのきっかけで一時的に思い出せなくなっているだけなら、記憶という縁を父と結ぶだけなんじゃないんですか」

「理屈ではそうだね。でも、それはあくまでグリフィスの縁の話だ。本人がとり戻したいと思わない限り、契約を結ぶことはできない。それにグリフィスの場合、新たに契約を結ぶことは難しい」

「何故ですか」

「妖精の金貨を用いた契約は生涯で一度きりしか交わせないんだ。人生を左右するいわば、一生に一度の願いだ。長い人生で抱く数ある願いのなかでこれだけはと思うものを、自分を対価にアシュマンと契約を交わして手に入れる可能性をあげる。あれもこれも手に入れたいと思う人間は欲が深すぎていつか破滅を迎えるのは明白だ。だから、一度きりなんだよ。仮に結ぶことができたとしても、その対価を人間は支払いきれない。一つだけならまだしも、二つの願いを叶えるとなると、対価の重みは想像を絶する。記憶と感情を、願い二つ分抜かれ続ければ、遠くない未来に廃人になってしまう」

「そこをアシュマンの力でどうにかできないんですか!?」

「無理だ。仮にグリフィスが記憶をとり戻したいと願ったとしても僕は管理者として、友人としてその願いを受け入れることはしない。それはグリフィスの命に係わることだからね。すまないミーシャちゃん。わかってくれ」

「でも、でも……」

 重い沈黙が支配する室内では、三人の視線は交わらない。キャスウェルはテーブルに視線を落とし、ミーシャは俯いて膝のうえに置かれた手を見つめる。唯一アーリィだけは、天井を仰ぎ瞬きすることなく一点を見つめていた。
 浅く呼吸する音。鼻を啜る音。唾を飲み込む音。
 痛いほどの静寂に包まれた室内で聞こえてくるのは、それくらいのものだった。

「皆さま、お騒がせしてしまい申し訳ありませんでした」

 不意に背後から声がした。

「グリフィス! だめじゃないか。まだ安静にしていないと……」

「いいえ、これしきのこと問題ありません。お二人とも、先ほどは取り乱してしまい申し訳ありませんでした」

 現れたグリフィスは仮面を着けていて顔色は伺えなかったが、節々で痛みを堪えるような籠った声で深く頭をさげた。

「気にするな。本当に体はいいのか?」

「はい。まだ頭は痛みますが、先ほどと比べればだいぶよくなっております。アーリィ殿には痛み止めの薬を頂いたとか。ありがとうございます」

「一応三日分の薬は置いていく。痛みが引いても最後までちゃんと飲むんだぞ」

「お気遣い感謝します」

「礼はちゃんとそいつから対価は貰ったよ。私は対等な取引ができればそれでいい。が──」

 アーリィはそこで止めると、横目でミーシャを指す。
 気がついたグリフィスは改めてミーシャにも向き合うと深々と頭をさげた。

「ミーシャ殿もありがとうございました。失礼なことを口にしてしまいましたが、どうかお許しください」

 グリフィスの声には迷惑と不快な思いをさせて申し訳ないという気持ちが強く表れていた。
 それがとても寂しい。もっと気まずそうにしてくれれば、グリフィスの心のなかで割り切れなものがあるのだと推測することもできる。しかし、こうして謝るということは、すでにあの出来事は自分の過失であってそれ以上でもそれ以下でもないと結論付けていることになる。
 もしこの謝罪を受け入れてしまえば、それはミーシャとグリフィスの間で起こったは解決したということになってしまう。
 それはつまり二人の関係はこれまで通りに戻るということになるわけで、それは家族であるはずなのに他人を意味する。
 だけーシャはなにを言うべきなのか、どうすればいいのかわからなかった。だから視線を落として曖昧に俯くだけ。

「……グリフィス、さん。あの……」

 それでもなけなしの勇気を振り絞れたのは、引きさがれない理由があるからだ。

「僕には……家族はいないんです。もしかしたらミーシャ殿の御父上に僕が似ているからあのようなことをおっしゃったのかもしれませんが、それは人違いです。僕には家族ができたことも、娘がいた過去もありません。あのときは、突然のことで混乱していて世迷言を口にしてしまいましたが、それが真実です」

「そう、ですか」

「主様に願いを叶えて貰いにきたのでしょう? 願いはきっと叶います。主様は本当に叶えたいと思っている者の想いを無下にする方ではありません。だから安心してください。僕はこの通りしばらくはまともに主様のお手伝いはできそうにありませんが、ミーシャ殿の想いが叶うことを心から願っています」

「……ありがとう、ございます……」

 しかし、グリフィスの慇懃いんぎんな対応はミーシャの振り絞った勇気を打ち砕いた。
 グリフィスはもう一度深くお辞儀をすると、そのまま部屋を出て行った。
 残されたのは虚しい現実のみ。
 去って行ってしまった大切な人の影を、ミーシャは失意と共に見送ることしかできなかった。

 第四章 了
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