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ベルフォール帝国編

支配者の欲 ~ボドワン・オベール

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 宮廷内にある職務室に彼は居た。
 漆黒の広い机には書類や書籍が占有している。何が何処にあるかは本人のみしか知らない。
 彼は淡々と執務を続けている。

 揺らめくロウソクの炎が彼の皺の陰影を生じさせている。
 彼は魔道具の灯りを好まない。自分が知らない仕組みが組み込まれている可能性が少しでもあるからだ。
 皺だらけになった指先で書類の束をつまむ。舐めるように書類を読み込んでいる。
 問題が無ければ印章を押印し、処理済み棚に配置する。機械的に黙々と処理を進めていく。

 彼は秘書官を置かない。宰相という立場上、様々な機密が漏れる可能性がある事を好まないためだ。
 その結果深夜遅くまで書類作業をこなさないといけなくなってもだ。全く苦にならない。
 これは彼が宰相の地位に就いてから何十年も続けている事なのだ。
 あまりにもの激務に老齢ではあるが年齢以上に老け込んでいる。
 全身骨が浮き上がる程やせ細っている。
 白髪の頭髪は既に数える程しかない。反対に染みは数えきれないほど頭に浮かび上がっている。
 濁ったグレーの目は確認できない程に落ちくぼんでいる。
 見る人によっては生きているのか不審に思うであろう。
 仮にレイ・フォレットが彼を見たら即身仏を想像するに違いない。それ程の異様である。
 そのような体で深夜に及ぶ作業ができるのが想像できないだろう。
 機械のように黙々と作業を続けている。
 
 ふいにロウソクの炎が不規則に揺らめく。
 
 彼が異常に気付いた時。
 背後に長身の男が立っていた。

 彼はこの者を知っている。内心の苛立ちを隠し彼は応答する。

「カミッロ・・か。どうやって入って来た?」
「このような警戒は厳重では無い。俺には意味が無い。皇帝のノドを搔っ切るのも簡単だ。勿論あんたも・・な」

 カミッロと呼ばれた男は長い手を彼の喉元まで伸ばす。戯れには思えない殺気が籠っているようだ。
 彼は動じない。

「儂を殺したければ殺すが良い。いつまでも共闘できるとは思っておらぬよ。儂を殺すのがお前の主の望みなのだな。いつでも受けてたとう。構わぬぞ」

 カミッロの殺気を跳ね返す気迫が彼から漲る。先程までの干からびた即身仏だった気配は全く無い。
 さすがのカミッロも気圧されているようだ。
 
「戯れだよ。本気の訳が無いだろう。・・いや、本気にさせるつもりは無かった。不敬を詫びよう」

 カミッロは顔を覆うマスクをしている。従ってその表情は伺えない。だが些かも動揺は無いようである。
 本気でない事を予め承知している彼は元の即身仏に戻る。再び書類に目を戻す。

「注意する事だな。儂も何度も許すほど寛容では無い。お前の主と共闘せずとも実行できるのだからな。助けを求めてきた立場を忘れぬ事だ」

 彼の言い方は自身が優位にある立場だと主張している。カミッロに再認識させているようだ。
 カミッロは影の人間だ。自身の主の名前は一切出してはいない。自分の目の前に後ろ姿を晒している老人にはそれは意味が無いのだろうと認識する。
 微動だにしていないカミッロ。しかし背中にたっぷりと冷たい汗をかいている。
 死にかけの老人に気迫で押されてしまったのだ。このような体験は初めてであった。
 更に主人の企てを気泡に帰してしまう所だった。寸前で回避はできたが、戯れでやって良い相手ではなかったのだ。
 今回は一段と枯れた気配だったため簡単に殺せてしまうのではないかという誘惑に駆られたのだ。
 カミッロは掠れる声で返答する事しかできなかった。

 その返答に喉の奥で彼は笑う。
 忍びの技に優れた者でも経験している場数が違うのだ。幾分と機嫌よさそうに彼は言う。
 
「お前は連絡役であろう。大人しく伝言を伝える事だ。おっと、実行役も加わるのであったかな。ご苦労な事だ。お前を使い潰す気なのかは儂には関係の無い事だ。精々主のために粉骨する事だ」
「指示通り皇帝はこの世からいなくなった。次の行動は宰相殿から指示を受けろと主に申しつけられている」
「それは重畳。次の指示は少し日数が必要だ。暫く身を隠す事はできるか?」
「この建物は隠れる所が多い。問題無い。毎日この時間位に来ればよいのか?」
「それで良い。隠れている間はお前の主と連絡は取るなよ。呼ぶのも無しだ。良いな」
「承知した・・」

 言うなりカミッロの姿が霞んでいく。
 そして揺らめくように消える。

 最初からカミッロが居なかったように彼は書類作業を続ける。

 暫くした後。机の引き出しから何かを取り出す。
 バスケットボール程の黒い球体だ。下部にボタンのような突起がある。
 彼はボタンを操作する。
 低く鈍い音が響き渡る。周囲の灯りに霞がかかる。
 暫くした後。彼は何かを確認できたようで独り言をつぶやく。

「この部屋には潜伏しておらぬか。悠々とここまで入られては適わぬ。儂の部屋はこれで良い。ヤツの言葉を信じるならば、ヤツ以外は宮廷には侵入はできないと言っていたか。安心はできぬな」

 彼は考える。
 
 カミッロが宮廷内を悠々と闊歩するのはひとまず見逃そう。おそらく優れた忍びなのだろう。何も発生していないのに警備を更に厳重にする事はできない。
 アレは次の計画のためにも必要な駒だ。自由を与えておかないと時期が来た時に困ると、彼は考える。
 アレの主へ次の指示を伝達するにもカミッロは必要だ。有効に使わねば。
 
 ふと、自嘲する。
 
 一番信用置けない者を信じて計画を進めようとしている事を。
 確かに自分が持っている手駒ではここまで円滑に計画は進められなかっただろう。
 全ては帝国の為だ。帝国を蝕む愚物は不要である。
 彼の方針は変わらない。
 利用できるものは何でも利用する。
 
 敵の敵は味方。
 
 使えるうちは使わせてもらおう。
 
 全てが達成され敵がいなくなった時。
 カミッロの主は自分を消そうとするだろうか。
 この帝国の宰相である自分を。
 
 事を進めるために危険な人物と共闘を選択したのは誤りではないか。
 
 彼は一抹の不安を覚える。
 
 しかし引きががる事はできない。今回の選択したのは自分なのだ。
 このような難局は何度も乗り越えてきた。
 できぬ筈が無い。
 
 次の計画からが本番だ。
 帝国は彼の采配の元生まれ変わるのだ。
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