水の巫覡と炎の天人は世界の音を聴く

井幸ミキ

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1章

港街の朝

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 港の朝は、一年で一番寒い時期でも変わらず活気に満ちていて、賑やかだ。
 今の時期は、沖を流れる潮流が暖かいのだと小さい頃父さんが教えてくれた。たくさんの海の生き物が、その暖流に乗ってやってくるのだって。
 冬の間、暖流の上を、海から陸へ向かって風が吹く。いくら暖流の上を通ると言っても、冷たく強い海風は、この小さな港街に海の恵みがやってきたことを知らせる。それを知っているから、街のみんなは、海竜の恵み風と呼んでいる。

「おはよう! シーラン! レオリム!」
「「おはようございます!」」

 強い海風にも負けない、いつも元気いっぱいの漁師の奥さんたちが、大きな声で声を掛けてくれる。僕もレオリムも、道すがら挨拶をしながら船着き場へ向かう。

 沖から幾艘もの漁船が港へ戻ってきている。
 船団の中でも一際大きな船は、うち、マウリ家の船だ。父さんと、義兄さんも乗っている。

 以前、マウリの街を含めた南海州を治める州侯様が視察にいらした時、あなたは領主なんだから船に乗り込む必要はないのに、この街の人間はみんな根っから漁師だね、と言っていて。
 父さんは、この街は漁師の街ですから、街で一番の漁師が船に乗らないなんてことはありません!と胸を張って、義兄さんもその通りです!と笑った。
 それを姉さんが、州侯様の前で恥ずかしいわ、と小さく笑ったけど、僕は、その笑顔は少しさびしそうだと感じた。
 港で奥さんたちが、船で漁に出る旦那さんたちを見送る時の笑顔と一緒だった。
 僕は、まだ漁船に乗ることは許されていない。成人していない子供は、乗せてもらえない。
 だけど、海に生きる者として、海に出る漁師を待つ家族として、父さんと義兄さん、姉さんの気持ちも分かる。
 海へ出ることが好きな父さんも義兄さんも、漁師の帰りを待つ奥さんたちも、この街のみんなは、海竜様に漁の無事と海の平和を祈る。
 きっと、だから、姉さんたちは僕に都会へ出ることを勧めるんだろう。

「シーラン、どうした?」

 黙って船影を見つめる僕の頭をレオリムが優しく撫でた。

「……海竜様にお礼を言っていたの」
「そうか」
「うん」
「今日も良い恵み風が吹いてる。きっと大漁だな」
「うん!」

 レオリムは、父さんの知り合いの、別の州の高位貴族のご子息だけど、幼い頃から僕と一緒にこの街で育ってきた。
 レオリムはいつも僕の傍にいて、いつでも僕の手を握ってくれるけど、本当は帰らないといけないんじゃないのかな。
 レオが帰ってしまったら、僕はどうするだろう。どうしたらいい?
 いつまで一緒にいられる?
 ずっと一緒にいる約束はしたけど、それは本当にずっとなんだろうか。
 スーリア学園を卒業したら、その後は……?

 考え事の迷路に迷い掛けた時、船着き場をバタバタと往来する人々の動きに我に返った。
 見れば船はもう目の前で、船着き場に着いたと同時に、義兄さんがもやい綱を持って船から飛び降りた。
 船の後方から、他の船員さんが投げた舫い綱をレオリムが受け取って、僕も一緒に舫い杭へ巻き付ける。もう慣れた作業だけど、義兄さんの方が早い。さすがだ。

「シーラン、レオリム、おはよう。今日も朝早くから偉いね、ありがとう」

 水揚げの準備をしながら義兄さんがいつものように声を掛けてくれる。領主兼漁師の息子としては当然だと思うけど、いつもそう言ってくれる。姉さん自慢の旦那さんだ。
 あ、レオは父さんの息子じゃない。当然じゃないのにいつも手伝ってくれる。だからいつもそう言ってくれる義兄さんの言葉は嬉しい。
 レオリムは、シーラのお父さんだし、お世話になっているおじさんたちの手伝いをするのは当然だよ、と笑う。

 大きく口を開けて笑うレオリムの笑顔は、日に焼けた肌に白い歯が眩しくて、最近僕はどきどきとする。
 幼馴染の贔屓目じゃないと思う。
 レオは、かっこいい。
 やっぱり僕、レオとこうして一緒に港の仕事するの、好きだな……。


 水揚げが済むと、すっかりかじかんだ手を摩りながら、市場と隣り合った番屋へ向かう。そこで当番の奥さんたちが温かい飲み物と食べ物を用意してくれるから、それを頂いてから学校へ向かう。
 僕たちの他にも手伝いの子供が何人もいる。
 この街の若者の半数以上は一度街を出て、その半分が戻ってくる。後の半分は都会から戻ってこない。
 良い街だけど、ここはそういう街。

 今揚げたばかりの魚の中から、売り物にならない魚介類を使った漁師鍋が良い匂いを漂わせる。
 それが出来上がるのを待つために壁際の腰掛けに座ると、隣に腰を下ろしたレオリムが僕の手を両手で包んだ。

 じんわりと温まる。
 レオリムは、炎の魔法の使い手で、魔法で僕の手を温めてくれる。手から、レオリムの魔法の波動が伝わって、指先からじんわりと温かくなる。

「レオ、ありがと、もうすっかり温まったよ」
「そう? まだほっぺたが赤いよ。もう少し」
「うん……」

 あらあら、相変わらず仲良しねぇ、なんて奥さんたちに揶揄われる時もあって、僕はちょっとだけ恥ずかしい。
 でも、レオの魔法は温かくて優しくて、包まれると幸せな気持ちになれるから、手を広げたレオリムの腕の中にぽすんと身体を預けて、膝の間に収まった。
 レオリムからもらった、炎の魔法を込めた魔石のペンダントを首から下げているからずっと身体は温かだ。
 領主館から港へ来る間、レオリムは繋いだ手から絶えず魔法を送ってくれて、水揚げの前にはすっかり温まっていたし、なんなら水揚げ中もレオリムの魔力に包まれているのを感じる。
 だから、寒さが一番厳しい冬の弐の月のこの時期でも、平気で作業が出来る。
 ただし、作業をしていると手先などの末端は冷えてしまう。砕いた魔石を織り込んだ手袋なら、指先まで温かく保つのだろうけど、作業でびしょぬれになってしまうから使えない。冬の作業はどうしても身体の端々が冷える。

「いつもありがと、レオ」

 背後から僕を包み込むレオリムの腕の中で、ぽそりと呟いた。活気溢れる市場の競りの声に紛れて、聴こえるか聴こえないかくらいの小さな声だけど、うん、と言って、レオリムは、僕の肩に顎を乗せた。

「夏はシーラが涼しくしてくれる。だから冬は俺がシーラを温めるよ」

 僕は水の魔法が使える。
 魔法で水を生み出して、細かい霧にして纏えば、涼しくなる。
 来年もまた、こうして一緒にいられる?
 訊いてみようか。
 レオ、君はいつまで僕と一緒に……

 その時、奥さんたちが僕らを呼んだ。
 僕は、さっと立って進んで、レオリムと一緒に温かい汁が満ちた器を受け取った。

 訊くのは、また今度にしよう。

 港街の朝は、忙しなく過ぎていく。
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