水の巫覡と炎の天人は世界の音を聴く

井幸ミキ

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1章

大嵐と海竜

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 食事を終えて、僕たちは居間へ移動した。
 僕とレオリムと姉さんは温かなお茶を。
 父さんと義兄さんは、お酒を片手に。

 父さんは、何から話したらいいか、迷うように、手の中のコップを、中を覗きながらゆらゆらと揺らしていたけど、やがて心を決めたように、顔を上げた。

「15年前の大嵐。あれは、海竜様の起こした嵐だった……」




 どう言おうか、言葉をひとつひとつ選ぶように、ゆっくりと父さんは語り始めた。

「……本当にそうだったのかは、ほんとのところはオレには分からない。後で調べに来た学者が、そう言った。海竜様も起こしたくて起こした嵐ではないようだったが……」

 苦し気にそう告げた父さんは、今も、マウリの守護竜である海竜様が、母さんの命を奪った大嵐の原因だとは、思いたくないように見えた。

「ただあの夜、アマラは、海竜様が助けを求めている、と言った。恐ろしい海鳴りと雨と風が、湾と街を渦巻いていた」

 父さんはそこで言葉を切って、コップのお酒を一口飲んだ。

「アマラは……母さんは、海竜様が、苦しんでる、行かないと、と何度も言った。オレは何を言っているんだと、必死に止めた。だけど、イラーゼとシーランを頼むと言って、止めるのも聞かず、飛び出して行ってしまった。嵐の中へ」

 父さんは、ぐい、とコップに入ったお酒をすべて煽った。

「それきり、帰ってこなかった」

 父さんの声には、後悔がにじみ出ていて、その声を聴いて、僕は苦しくなってしまった。
 身体がぶるりと震えて、レオリムが、そっと肩を抱いてくれた。
 横を見たら、義兄さんも、姉さんの肩を抱いていた。

 深呼吸をして、父さんは続けた。

「母さんは、海竜祭りの歌謡うたうたいの一人だった」

 海竜祭り。
 毎年秋に、海と海竜様に、海の安全と豊漁を祈願するお祭り。
 海に供物を流したり、海竜様に歌と音楽を捧げたり、街中総出で海の恵みと海竜様の守護に感謝する、賑やかで陽気な祭りだ。
 誰でも参加して良くて、歌や演奏の上手い下手も関係なくて、好きなように、みんな海竜様へ音を捧げる。

 その中でも、海竜様のお気に入りは、特別に『歌謡い』と呼ばれる。
 海から海竜様の咆哮のような海鳴りが返ってきたら、歌謡いの証。

「アマラは、毎年、海鳴りの返る一番の歌謡いだった」

 それが自慢で、誇りだったんだ。
 父さんは、そう、懐かしげに笑った。少し切なげに。

「被害の視察に来た州侯様に、アマラのことを話したら、偉い学者を連れてきて色々調べてくれた」

 その学者によると、海竜様は、本来は海に棲む大人しい海獣なのだと言う。
 それが、年月と人々の信仰を得て、海竜と呼ばれる存在になって、マウリの海の守護竜になった。
 海竜様とマウリの人々は、永く、友好な関係を築いてきた。

 けれど、15年前、海竜に異変が起きた。
『魔』が憑りついた、と。

 僕たちの住むイフリーム王国は、大陸の中央を占めている。
 東は大河、西は大森林、南は大海、北は大氷河に囲まれている。
 東の大河の向こうは、別の国があるのだけど、西の大森林の向こうは、不毛の大地とされている。誰も見たことはない。

 遥か昔、大地に降り立ち『光』で照らし、命を生んだ天人たちは、同時に『闇』を生んだ。
『闇』は命の陰に生まれ、眩しい『光』をねたみ、そねみ、やがて魔の力を持つようになった。
 魔に憑りつかれたものは、邪悪に染まり、欲望の限りを尽くす。
 魔のものに苦しめられた人々は天人に助けを求めた。
 天人らは人々の願いを聞き届け、力を合わせ、西の果てに『闇』を封じることにした。
『光』から生まれる『闇』を封じるため、西の大地に『光』と『闇』を同時に封じ、そこは光も闇も何もない地になった、と。

 神話のようなこの話は続きがあって、光と闇を封じる時、力を使いすぎた天人の多くは、今は人として世界を巡っていて『闇』は封印を解くために、小さな綻びから魔を放って、今も天人たちの生まれ変わりを探している。
 僕たちは、誰も彼も、天人の生まれ変わりかもしれない。

 だから、憎しみや怒りに囚われてはいけない、魔に囚われ『闇』のしもべになってしまうから、と。

「学者は、マウリの海に濃い魔の残滓が漂っていると言った。海竜様は強い魔に憑りつかれ、魔に抗ったために大嵐が起こったのだろうと。そして……」

 言葉にされなくても、分かる。
 母さんが、海竜様を助けたんだね。

 今も時折、魔獣の被害の報告がある。
 マウリの人々は、折に触れて、海竜様に祈りを捧げる。

 魔に囚われませんように。

 闇に染まりませんように。

 でも。

 その海竜様が魔に囚われたら。

 それを救ったのが、母さん……。

 僕は、レオリムにぎゅ、と抱き着いた。

 姉さんも義兄さんも、この話は知っているみたいだった。
 少し心配そうに、僕たちを見ていた。
 母さんは、海竜様を救うために命を落とした。
 きっと、この街を、父さんを、姉さんを、僕を、守るために。

「僕、僕……」

 何も知らず、ただ安穏と生きてきた。
 海竜様のこと、僕、これから今までと同じように思えるだろか……

 ぱちぱちと、暖炉から漏れる火のはぜる音が、僕に問い掛けるようで……

 はく、はく、と何かが胸の中に詰まるような、胸が苦しい……

「祝福くらいじゃ、足りないな……」

 みなが口を噤み、風が時折窓を叩く音と、暖炉からぱちぱちと零れる火のはぜる音だけだった室内に、レオリムのぼそりと呟く声が、低く響いた。

 僕は、息を吸って、レオリムを見た。

「……レオ?」

 僕はいつの間にか、レオリムに抱きかかえられていた。
 ぎゅ、と強く僕を抱き締めたレオリムは、むすりと唇を尖らせた。

「……俺以外の魔力がシーラの中に入って気に喰わなかったけど、今度会ったら、加護も寄こせと言う」

 僕は、ふ、と鼻から笑いが漏れてしまった。

 ふふ、と僕が笑いを漏らすと、それが移ったように姉さんが笑い、やがて、義兄さん、父さんも大きな笑い声をあげた。
 レオリムは、まだむすりとしていたけど、ふ、と目元を緩ませて、僕の頬に何度も口付けた。

 そうだね、今度海竜様に会ったら、姉さんにも祝福をお願いしよう。
 それとも、歌謡いの姉さんにはもう、授けてあるかな?
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