水の巫覡と炎の天人は世界の音を聴く

井幸ミキ

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3章

精霊の宿のお見送り

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 精霊湖の畔の宿屋を出ると、馭者さんや騎士さんたちが出立の準備を整えてくれていた。
 おはようございますと挨拶していると、宿屋の皆さんが見送りに出て来てくれた。
 もしかしたら、僕じゃない僕が、かつて住んだことのあるかも知れない屋敷ということを抜きにしても、とても居心地の良い宿屋だった。きっとそれは、心を込めておもてなしをしてくれた宿屋の皆さんのおかげ。
 何列かに分かれて並ぶ先頭には宿屋の主さん。
 主さんが、ラドゥ様に深く頭を下げながら挨拶した声は、震えていた。

「この度は、当宿、“精霊の宿”にご逗留いただき、大変光栄でございました。この宿屋を引き継ぎ、長きに渡りお客様を迎えて参りましたが、今朝ほど歓喜に震えた朝はございません。どうぞ、皆様の先行きに精霊様の祝福があらんことを……」

 ラドゥ様は鷹揚に主さんと、後方に並んだ宿屋の人たちを労い、真心の行き届いたもてなしをありがとう、ぜひまた寄らせてほしいと言った。その言葉を聞いて、主さんと一緒に、宿屋の皆さんは、更に頭を下げた。主さんと同じように肩を震わせている人が何人もいる。

 祝福かぁ。
 もうもらいましたって言ったら、宿屋の皆さん、びっくりしちゃうかな?

 僕たちもありがとうございました、お世話になりましたとお礼を言った。
 顔を上げると、宿屋の屋敷の向こう、湖の方からキラキラと輝くものが次々とこちらへ飛んできて、僕たちの周りをくるくると飛び廻った。
 宿屋の人たちから、驚きと喜びの声がわぁっと上がる。

 僕とレオリムは、ラドゥ様の後ろで、顔を見合わせた。
 父さんも、ぽかんと口を開けて光を見詰めている。
 ラドゥ様は、やれやれと笑っている。
 馭者さんや騎士さんたちも、あぁと声を漏らしていた。

 宿屋の人たちは、抱き合って蹲る人や、父さんみたいにぽかんと光を見詰める人と様々だったけど、精霊たちは、彼らの頭や肩の上にちょん、と乗ったり、周りをくるりと一周したり、遊んでいるみたい。


 みこさま、またねー!
 ほのお、またねー!
 またきてねー!!


 精霊たちもお見送りに来てくれたんだね。ありがとう。
 ふわふわと周りを飛ぶ光にそっと触れて、また来るね、と言えば、光は嬉しそうに跳ねて、空高く昇って、また湖の方へ飛んで行った。

 ふふ。
 ほんとに悪戯好きだね。
 なんだかこれから、この宿屋は賑やかになりそうな気がする。

 ぼうっとする宿屋の人にもう一度お礼を言って、僕たちは馬車へ乗り込んだ。
 最後に乗り込んだラドゥ様は、路を曲がり、宿屋の人たちが見えなくなるまで、にこにこと窓の外を見ていた。

「ははは。賑やかな見送りだったね」

 窓の外から、僕たちの方へ向き直ったラドゥ様は、声を弾ませた。

「水の精霊たちは気紛れに姿を見せていたようだけど、みんな、今朝のような騒ぎは初めてだったろうなぁ」

 私は懐かしかったよ、と、ラドゥ様は、僕とレオリムを見て、くくく、と顔を綻ばせた。
 そのお顔は、マウリの港で、海での武勇伝を自慢げに、懐かし気に語る老漁師たちと似ていた。
 レオリムは、むすりと、マウリに戻る時は、またあそこへ泊まったらいいんじゃないか、と言った。
 そうだね。
 水の精霊たちも喜ぶね!





 馬車は滑らかに、宿駅の中央を貫く街道を進み、宿駅の北の門を通り抜け、中央州へ入った。
 幾輌もの馬車と共に、僕は初めて、南海州の外へと足を踏み入れた(まだ馬車から降りてないけど)
 不思議な気分で、窓の外を見る。

 街道や樹々、山々の様子は、南海州の街道沿いと何も違いはない。
 まだ実感は湧かないけど、僕は今、中央州の街道の上にいる。

 僕は初めてだけど。
 は、初めてじゃないかもしれないんだね。

 隣に座るレオリムを見る。
 僕の視線に気付いたレオリムは、にこりと、繋いだ手を握り直した。

 昨日までより、レオリムの笑顔が明るい気がする。
 長い間、裡に抱えていた重荷を下ろしたレオリムの笑顔が晴れ晴れと眩しい。

 レオリムは、どちらかと言うと、言葉足らずで不器用で、きつめのツリ目で愛想もないので、周りの人に誤解されそうになることもあった。
 別に意識したわけじゃないけど、そういうレオリムを補う形で、僕は結構愛想がいい。
 僕は、慎重でちょっと臆病。レオの怯むことを知らない真っ直ぐで熱い瞳が好き。

『シーラ、どこにもいかないで』
『シーラ、ずぅっといっしょにいて』

 僕は、小さい頃のレオリムの口癖を思い出した。
『レオリムはシーランにべったりね』そう言ってよく肩を竦めていた姉さん。

 あぁ。
 いつの頃か、レオは、夢の記憶と現実をはっきりと区別したんだ。

 レオリムの抱えるものを知りもしなかった僕は、落ち込んだ気持ちになり掛けた。
 でも。
 きっとレオリムは、自分ではない自分の夢を見続ける内、決めたんだ。
 明かさないことを。
 レオリムはレオリムとして、僕のそばにいることを選んだ。

 生まれ変わる前の記憶がなくても、僕はレオのことが大好きになった。

 僕は、レオリムの手を、ぎゅぅっと握り返した。

「レオ、ずっと一緒にいようね」

 脈絡もなく告げた僕の言葉に、レオリムは、太陽みたいな笑顔で、あぁ、もちろん、と答えてくれた。

 僕たちは二人で、新しい道を行く。
 家族も、海竜様も、精霊たちも、いくつもの温かい見守りの中で。
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