1 / 8
第1話:なぜ、この方なんですの?
しおりを挟む
天井には煌めくシャンデリア。
広いダンスホールには色とりどりの花が飾られ、それらの花々に負けないくらい着飾った貴族の令嬢たちが、優雅に談笑しております。
本日はこの国の、初代王女殿下の生誕祭。
数多に催される貴族の社交界の中でも、とびきり重要なパーティの日です。
……それなのに、この人ときたらいったい何を考えているのでしょうか?
「聞こえなかったのか? ならばもう一度言ってやろう! レイチェル・アーウィン、俺はきみとの婚約を破棄させてもらう!」
形の整った金色の眉を吊り上げて、私を指差し宣言したのはクリス・ミューア様。
伯爵家であるミューア家の長男で、私のたった今『元』になった婚約者です。
いえ、正式な書類を交わすまでは『元』ではないのかもしれませんが、これだけ多くの方々の前で高らかに宣言してしまったわけなのですから、もはや発言の撤回は不可能でしょう。
とりあえず、指を下ろして欲しいものです。
クリス様のお声が大きいせいで周りの注目を集めてしまっておりますし、無遠慮に指をさされ続けているのは、たとえこのような状況でなくとも気分のよいものではありません。
私は「はぁ……」と溜息を吐いてから、クリス様の隣に寄り添っている女性に目を向けました。彼女は確か……ミア・モートンという名前だったでしょうか。家の爵位だけは私と同じ、男爵家の令嬢だったと思います。
この国では最もありふれた、栗色の髪と茶色の瞳。
それだけならばあまり特徴のない、どこにでもいそうな女性です。しかしよく観察してみれば、彼女は殿方の庇護欲を駆り立てるような、可愛らしく媚びた雰囲気を纏っているようでした。
……なるほど、同じ男爵令嬢とはいえ私とは正反対のタイプです。
一口に男爵令嬢と言っても生まれも育ちも違うのですから、当たり前の話なのかもしれません。
ミア嬢は私と目が合うと、思わずといった様子で一度さっと顔を逸らしてから、いかにも勇気を振り絞りましたと言いたげな眼差しで挑むように睨んできました。まるで子リスのようですね。
私は彼女に問うことにしました。
「……なぜですか?」
「なぜだと? 本気で分からないと言うつもりか? 俺ときみとの間に愛など存在しないからだ! 俺は真実の愛を見つけた! だからきみのような人の心の無い冷血女とは、婚約を破棄させてもらうと言っているんだ!!」
「あなたには尋ねておりませんわ」
自分が話しかけられたと勘違いをしたクリス様がでしゃばって発言なさるので、私はまた溜息を吐いてしまいそうになりました。いけませんね。あまり溜息を吐くと幸せが逃げてしまうといいます。
クリス様は私のことを人の心の無い冷血女などと仰いますが、決してそんなことはありません。私だって人並みの幸せと平穏を望んでおります。なのでこの煩わしい茶番からはさっさと解放されたいのですが、そんな憂鬱な気持ち以上に、純粋な疑問も感じておりました。
「ミア・モートンさんと仰いましたわよね? なぜ、クリス様なのですか?」
「……っ」
もう一度ミア嬢に尋ねると、彼女は怯んだように少し表情を強張らせました。
どうやら内面がすぐに顔に現れてしまう方のようです。男爵家とはいえ、貴族の令嬢にしては素直な人なのだと思います。
もちろん、素直というのはオブラートに包んだ表現ですけれど。……そんな彼女が、なぜクリス様の浮気相手なのでしょう? それとも隣にくっついているだけで、『真実の愛』とやらとは何の関係もないのでしょうか……?
「……なぜって、何がですかぁ?」
ミア嬢は幼子がものを尋ねるような、やけに気の抜けた甘ったるい作り声で聞き返してきました。
普段からそんな喋り方なのでしょうか? 逆に疲れません?
「確認しますけど、あなたはクリス様とご結婚なさるおつもりですの?」
「そうですよぉ! わたしたちの愛は本物ですぅ! だから、レイチェル様には身を引いていただきたいのですぅっ!!」
なるほど、と私は頷きました。
やはり彼女が、クリス様の浮気相手で間違いないようです。そうなるとやはり不思議ですね。
婚約は破棄なさるということですし、もうクリス様への配慮は必要ないかなと思い、私は率直に言いました。
「でもこの方、甲斐性なしのクズですのよ?」
「……え?」
「ですから、甲斐性なしのクズの不良債権ですのよ? この男。あなたの容姿なら他にもっと良い縁談もあったでしょうに、どうしてわざわざ婚約者のいるクズをお選びになったんですの?」
実に興味深いです。
さらに言えば、浮気をして奪った男はつまり『平気で浮気をする男』ということなのですから、今後の人生を共に歩むパートナーとしてまったく信用できません。愛とか以前の問題です。
結婚してしまう前にそれが分かったという点においては、ほんの少しだけ彼女に感謝してもよいかもしれませんね。
「なっ!? きみは急に何という暴言をっ!」
「あら? 愛がないだの冷血女だのと、先に暴言を吐いたのはそちらですけれど」
それも公衆の面前で高らかに。まあ、愛がないのは本当ですが。
浮気相手であるミア嬢へのパフォーマンスのつもりなのかもしれませんけど、クリス様には常識というものがないのでしょうか? ……あったら最初から浮気などしませんね。汚らわしい。
「えー、でもぉ」
ミア嬢はあざとい仕草で首を傾げてから、勝ち誇るように言いました。
「クリス様はわたしにこんなに素敵なドレスをくださったし、この首飾りだってくださったんですよぉ? かいしょーなしなんて、そんなことはないですよぅ!」
そして、着ているドレスを見せつけるように体を揺らします。深い群青色の、落ち着いた色合いのドレスです。少々型は古いものですが、シルクのレース使いはさりげない気品に溢れており、さすがは王都で一番人気の職人に作らせただけはある逸品でした。
もしやとは思っておりましたが、やはりあれはクリス様がお与えになったのですね。気に入っていただけたようで私も何よりです。……知らないって、可哀そうですね。
広いダンスホールには色とりどりの花が飾られ、それらの花々に負けないくらい着飾った貴族の令嬢たちが、優雅に談笑しております。
本日はこの国の、初代王女殿下の生誕祭。
数多に催される貴族の社交界の中でも、とびきり重要なパーティの日です。
……それなのに、この人ときたらいったい何を考えているのでしょうか?
「聞こえなかったのか? ならばもう一度言ってやろう! レイチェル・アーウィン、俺はきみとの婚約を破棄させてもらう!」
形の整った金色の眉を吊り上げて、私を指差し宣言したのはクリス・ミューア様。
伯爵家であるミューア家の長男で、私のたった今『元』になった婚約者です。
いえ、正式な書類を交わすまでは『元』ではないのかもしれませんが、これだけ多くの方々の前で高らかに宣言してしまったわけなのですから、もはや発言の撤回は不可能でしょう。
とりあえず、指を下ろして欲しいものです。
クリス様のお声が大きいせいで周りの注目を集めてしまっておりますし、無遠慮に指をさされ続けているのは、たとえこのような状況でなくとも気分のよいものではありません。
私は「はぁ……」と溜息を吐いてから、クリス様の隣に寄り添っている女性に目を向けました。彼女は確か……ミア・モートンという名前だったでしょうか。家の爵位だけは私と同じ、男爵家の令嬢だったと思います。
この国では最もありふれた、栗色の髪と茶色の瞳。
それだけならばあまり特徴のない、どこにでもいそうな女性です。しかしよく観察してみれば、彼女は殿方の庇護欲を駆り立てるような、可愛らしく媚びた雰囲気を纏っているようでした。
……なるほど、同じ男爵令嬢とはいえ私とは正反対のタイプです。
一口に男爵令嬢と言っても生まれも育ちも違うのですから、当たり前の話なのかもしれません。
ミア嬢は私と目が合うと、思わずといった様子で一度さっと顔を逸らしてから、いかにも勇気を振り絞りましたと言いたげな眼差しで挑むように睨んできました。まるで子リスのようですね。
私は彼女に問うことにしました。
「……なぜですか?」
「なぜだと? 本気で分からないと言うつもりか? 俺ときみとの間に愛など存在しないからだ! 俺は真実の愛を見つけた! だからきみのような人の心の無い冷血女とは、婚約を破棄させてもらうと言っているんだ!!」
「あなたには尋ねておりませんわ」
自分が話しかけられたと勘違いをしたクリス様がでしゃばって発言なさるので、私はまた溜息を吐いてしまいそうになりました。いけませんね。あまり溜息を吐くと幸せが逃げてしまうといいます。
クリス様は私のことを人の心の無い冷血女などと仰いますが、決してそんなことはありません。私だって人並みの幸せと平穏を望んでおります。なのでこの煩わしい茶番からはさっさと解放されたいのですが、そんな憂鬱な気持ち以上に、純粋な疑問も感じておりました。
「ミア・モートンさんと仰いましたわよね? なぜ、クリス様なのですか?」
「……っ」
もう一度ミア嬢に尋ねると、彼女は怯んだように少し表情を強張らせました。
どうやら内面がすぐに顔に現れてしまう方のようです。男爵家とはいえ、貴族の令嬢にしては素直な人なのだと思います。
もちろん、素直というのはオブラートに包んだ表現ですけれど。……そんな彼女が、なぜクリス様の浮気相手なのでしょう? それとも隣にくっついているだけで、『真実の愛』とやらとは何の関係もないのでしょうか……?
「……なぜって、何がですかぁ?」
ミア嬢は幼子がものを尋ねるような、やけに気の抜けた甘ったるい作り声で聞き返してきました。
普段からそんな喋り方なのでしょうか? 逆に疲れません?
「確認しますけど、あなたはクリス様とご結婚なさるおつもりですの?」
「そうですよぉ! わたしたちの愛は本物ですぅ! だから、レイチェル様には身を引いていただきたいのですぅっ!!」
なるほど、と私は頷きました。
やはり彼女が、クリス様の浮気相手で間違いないようです。そうなるとやはり不思議ですね。
婚約は破棄なさるということですし、もうクリス様への配慮は必要ないかなと思い、私は率直に言いました。
「でもこの方、甲斐性なしのクズですのよ?」
「……え?」
「ですから、甲斐性なしのクズの不良債権ですのよ? この男。あなたの容姿なら他にもっと良い縁談もあったでしょうに、どうしてわざわざ婚約者のいるクズをお選びになったんですの?」
実に興味深いです。
さらに言えば、浮気をして奪った男はつまり『平気で浮気をする男』ということなのですから、今後の人生を共に歩むパートナーとしてまったく信用できません。愛とか以前の問題です。
結婚してしまう前にそれが分かったという点においては、ほんの少しだけ彼女に感謝してもよいかもしれませんね。
「なっ!? きみは急に何という暴言をっ!」
「あら? 愛がないだの冷血女だのと、先に暴言を吐いたのはそちらですけれど」
それも公衆の面前で高らかに。まあ、愛がないのは本当ですが。
浮気相手であるミア嬢へのパフォーマンスのつもりなのかもしれませんけど、クリス様には常識というものがないのでしょうか? ……あったら最初から浮気などしませんね。汚らわしい。
「えー、でもぉ」
ミア嬢はあざとい仕草で首を傾げてから、勝ち誇るように言いました。
「クリス様はわたしにこんなに素敵なドレスをくださったし、この首飾りだってくださったんですよぉ? かいしょーなしなんて、そんなことはないですよぅ!」
そして、着ているドレスを見せつけるように体を揺らします。深い群青色の、落ち着いた色合いのドレスです。少々型は古いものですが、シルクのレース使いはさりげない気品に溢れており、さすがは王都で一番人気の職人に作らせただけはある逸品でした。
もしやとは思っておりましたが、やはりあれはクリス様がお与えになったのですね。気に入っていただけたようで私も何よりです。……知らないって、可哀そうですね。
8
あなたにおすすめの小説
3歳児にも劣る淑女(笑)
章槻雅希
恋愛
公爵令嬢は、第一王子から理不尽な言いがかりをつけられていた。
男爵家の庶子と懇ろになった王子はその醜態を学園内に晒し続けている。
その状況を打破したのは、僅か3歳の王女殿下だった。
カテゴリーは悩みましたが、一応5歳児と3歳児のほのぼのカップルがいるので恋愛ということで(;^ω^)
ほんの思い付きの1場面的な小噺。
王女以外の固有名詞を無くしました。
元ネタをご存じの方にはご不快な思いをさせてしまい申し訳ありません。
創作SNSでの、ジャンル外での配慮に欠けておりました。
とある伯爵の憂鬱
如月圭
恋愛
マリアはスチュワート伯爵家の一人娘で、今年、十八才の王立高等学校三年生である。マリアの婚約者は、近衛騎士団の副団長のジル=コーナー伯爵で金髪碧眼の美丈夫で二十五才の大人だった。そんなジルは、国王の第二王女のアイリーン王女殿下に気に入られて、王女の護衛騎士の任務をしてた。そのせいで、婚約者のマリアにそのしわ寄せが来て……。
知らぬはヒロインだけ
ネコフク
恋愛
「クエス様好きです!」婚約者が隣にいるのに告白する令嬢に唖然とするシスティアとクエスフィール。
告白してきた令嬢アリサは見目の良い高位貴族の子息ばかり粉をかけて回っていると有名な人物だった。
しかも「イベント」「システム」など訳が分からない事を言っているらしい。
そう、アリサは転生者。ここが乙女ゲームの世界で自分はヒロインだと思っている。
しかし彼女は知らない。他にも転生者がいることを。
※不定期連載です。毎日投稿する時もあれば日が開く事もあります。
9時から5時まで悪役令嬢
西野和歌
恋愛
「お前は動くとロクな事をしない、だからお前は悪役令嬢なのだ」
婚約者である第二王子リカルド殿下にそう言われた私は決意した。
ならば私は願い通りに動くのをやめよう。
学園に登校した朝九時から下校の夕方五時まで
昼休憩の一時間を除いて私は椅子から動く事を一切禁止した。
さあ望むとおりにして差し上げました。あとは王子の自由です。
どうぞ自らがヒロインだと名乗る彼女たちと仲良くして下さい。
卒業パーティーもご自身でおっしゃった通りに、彼女たちから選ぶといいですよ?
なのにどうして私を部屋から出そうとするんですか?
嫌です、私は初めて自分のためだけの自由の時間を手に入れたんです。
今まで通り、全てあなたの願い通りなのに何が不満なのか私は知りません。
冷めた伯爵令嬢と逆襲された王子の話。
☆別サイトにも掲載しています。
※感想より続編リクエストがありましたので、突貫工事並みですが、留学編を追加しました。
これにて完結です。沢山の皆さまに感謝致します。
【完結】馬車の行く先【短編】
青波鳩子
恋愛
王命による婚約を、破棄すると告げられたフェリーネ。
婚約者ヴェッセルから呼び出された学園の予備室で、フェリーネはしばらく動けずにいた。
同級生でありフェリーネの侍女でもあるアマリアと、胸の苦しさが落ち着くまで静かに話をする。
一方、ヴェッセルは連れてきた恋の相手スザンナと、予備室のドアの外で中の様子を伺っている。
フェリーネとアマリアの話を聞いている、ヴェッセルとスザンナは……。
*ハッピーエンドではありません
*荒唐無稽の世界観で書いた話ですので、そのようにお読みいただければと思います。
*他サイトでも公開しています
【完結】狡い人
ジュレヌク
恋愛
双子のライラは、言う。
レイラは、狡い。
レイラの功績を盗み、賞を受賞し、母の愛も全て自分のものにしたくせに、事あるごとに、レイラを責める。
双子のライラに狡いと責められ、レイラは、黙る。
口に出して言いたいことは山ほどあるのに、おし黙る。
そこには、人それぞれの『狡さ』があった。
そんな二人の関係が、ある一つの出来事で大きく変わっていく。
恋を知り、大きく羽ばたくレイラと、地に落ちていくライラ。
2人の違いは、一体なんだったのか?
【完結】名無しの物語
ジュレヌク
恋愛
『やはり、こちらを貰おう』
父が借金の方に娘を売る。
地味で無表情な姉は、21歳
美人で華やかな異母妹は、16歳。
45歳の男は、姉ではなく妹を選んだ。
侯爵家令嬢として生まれた姉は、家族を捨てる計画を立てていた。
甘い汁を吸い付くし、次の宿主を求め、異母妹と義母は、姉の婚約者を奪った。
男は、すべてを知った上で、妹を選んだ。
登場人物に、名前はない。
それでも、彼らは、物語を奏でる。
恋の終わりに
オオトリ
恋愛
「我々の婚約は、破棄された」
私達が生まれる前から決まっていた婚約者である、王太子殿下から告げられた言葉。
その時、私は
私に、できたことはーーー
※小説家になろうさんでも投稿。
※一時間ごとに公開し、全3話で完結です。
タイトル及び、タグにご注意!不安のある方はお気をつけてください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる