3 / 12
第3話 異類婚姻譚 ①
しおりを挟む
①
2カ月前。
真冬の寒さに震えながら出勤していたあの日。
斎藤大地は、眠りまなこをこすりながら、いつもの駅までの道を歩いていた。
その時、なんでそこが気になったのか。
大地の無意識が敏感にいつもと少しだけ違う風景をとらえたのか、はたまた、そういう匂いを嗅ぎ取ったのか。
歩道の外の草むらに目が行った。
寒さをものともしない力強い雑草の伸びた葉が、まるで緑色のクッションのようであったが、その真ん中がへこんでいた。
通りがかり、視線をそこに滑らせて覗いてみる。
猫。
ぼさぼさの毛並みの黒猫が横たわっていた。
口元にはわずかな血がついていて、死にそうなのか呼吸は浅く、わずかに胸が動くだけだ。
近づいても目が開く様子もなく、今まさに死のうとしている。
(車に撥ねられたか?)
大地は頭をガリガリと掻きむしった後、腕時計をのぞく。
時間は7時30分を指している。
動物病院はまだ開いてる時間ではないが、チャイムを鳴らしたら準備をしているスタッフがいて対応してくれるかもしれない。
(仕事は……えぇーい! 皆勤賞なのだ! たまには遅刻してもいいんだろう。腹が痛かったとか適当に理由をつけよう)
大地は、優しく黒猫を抱きかかえると、スーツに血がつくのも構わず、動物病院へと向かった。
家から駅までの道、いつも歩いているルートとは別のルートを辿れば、途中にあったはずだ。
しかし、歩くたび、どんどんと冷たくなっていく黒猫。
(あぁ……。だめか。死んでしまう……)
気がついたら走っていた。
はぁはぁと息をきらしながら、黒猫を胸に抱えて、全力で走ったのなんて何年ぶりだろうか?
しかし、動物病院が遠くに見え始めたところで、黒猫の呼吸は止まってしまった。
黒猫から何かが抜け落ちた感覚がした。
すっと、黒猫の体が急に重くなったように感じる。
抜け落ちたのに重くなるとはどういうことか。しかし、大地にはそう感じられた。
確かに生きていた者が、ただの物に――物体になってしまった。
ボサボサの毛並みに首輪もしていないそれは、野良猫だったことがうかがいしれる。
動物病院にたどり着いたとき、念のためにチャイムを鳴らしてみるが反応はない。
大地は、動物病院をあとにして、更に先にある公園へと向かう。
公園の片隅に誰か子供が忘れて行ったのか、小さなスコップがあったため、それをつかって穴を掘って埋めてやった。本来は、やってはいけないことなのかもしれないが、そのまま放っておくこともなんだか気が引けた。
その日、大地は社会人人生で初めて遅刻をした。
②
「結局、君は誰なんだい? いや、ごめん! 聞いたのかもしれないが、覚えてないんだ……言い訳はしない。最低だろう。だが、すまないとしか言いようがない」
リビングのテーブルを挟んで、大地と女の子が食席についている。
目の前には、女の子が作ってくれた朝食、ご飯、目玉焼き、たこさんウィンナー、そして味噌汁が置かれている。
全て美味しそうな匂いを放っている。
「そんな……初めてを捧げて……一晩中旦那様の求めに応じたというのに……」
女の子はわざとらしく、その細い指で目の涙をぬぐうような仕草をするが、特段零れるものもないため嘘泣きである。
「あ、いや。その、ごめん。申し訳ございません!」
「はぁ。覚えてないのはとても残念です。大事な大事な初夜だったのに」
「……」
「それは、さておき」
女の子は姿勢を正しその愛らしい目で、大地の狼狽える目を真っすぐに見た。
「私の名前は、三宅 縁(みやけ ゆかり)です。あの時の黒猫でございます」
「あの時の黒猫?」
「あの時、旦那様は優しく抱きかかえて助けてくれようと力を尽くしてくださいましたね」
「2カ月前の黒猫のことを言っているのか? だとしたら、俺は何もできなかったよ。埋めてあげたのが精々だ。それに……死んだ猫が人間になる?」
「異類婚姻譚という言葉をご存じですか?」
「いや、聞いたことがないが」
「あれです。鶴の恩返しや、雪女、狐が人間に嫁ぐといった話です」
「はぁ」
「恩を感じた獣が、人間に化けて恩返しのためにお嫁さんになるというものです」
「いやいや、この場合、俺は何も出来ていないし、君は一度? 死んでしまったし」
「私は猫から人間になりました。旦那様の優しい匂いに一目ぼれして押しかけてしまいましたが……ダメですか? 私は旦那様の好みに合わないでしょうか?」
ゆかりはうるうると瞳に涙をためて、懇願するように大地を見つめる。
大地は、あらためてゆかりを見る。
頭の上の猫耳はあるものの、正直、可愛い。とても綺麗で可愛い女の子だ。
幼さを少し残した可愛い愛らしい顔立ち、優しそうな目、小さな口、スレンダーな体つきながら、ワンピース越しにもしっかり主張する胸、きゅっとしまった腰は、正直、劣情を抑えるのが大変だ。
「正直、可愛い。それも、とても……。まて、君は一体今何歳になるんだ?」
「ゆかりと呼んでください。歳ですか? 何分、2カ月前までは猫でしたので……ただ、翁は身体はちゃんと大人だと言っていました!」
「翁?」
「はい。私に人間社会で暮らしていく最低限の教育をしてくれた方です」
「はぁ。そういう存在がいるのか」
「なんでも、猫が人間になるのは300年ぶりと言っていましたね」
「え。過去に事例があるの!?」
「異類婚姻譚は、実際にあったことも混じっているみたいです。その子孫もいるみたいですよ」
「えぇ……にわかには信じられない……」
「私の猫耳、また撫でますか?」
「うっ。信じられないが、その耳は本物としか思えない」
「もちろん、本物です」
ゆかりが自慢げに胸を張る。
「えっと、その翁というのが、君……」
大地が君と言いかけたところで、ゆかりがキッと怖い顔で視線を飛ばしたので大地は言い直した。
「ゆかりに、白無垢と今着ている服を与えて、俺の住所を君……ゆかりに教えたということか?」
「そうですね。行く当てがないと私は好事家に売られてしまうんだそうです」
2カ月前。
真冬の寒さに震えながら出勤していたあの日。
斎藤大地は、眠りまなこをこすりながら、いつもの駅までの道を歩いていた。
その時、なんでそこが気になったのか。
大地の無意識が敏感にいつもと少しだけ違う風景をとらえたのか、はたまた、そういう匂いを嗅ぎ取ったのか。
歩道の外の草むらに目が行った。
寒さをものともしない力強い雑草の伸びた葉が、まるで緑色のクッションのようであったが、その真ん中がへこんでいた。
通りがかり、視線をそこに滑らせて覗いてみる。
猫。
ぼさぼさの毛並みの黒猫が横たわっていた。
口元にはわずかな血がついていて、死にそうなのか呼吸は浅く、わずかに胸が動くだけだ。
近づいても目が開く様子もなく、今まさに死のうとしている。
(車に撥ねられたか?)
大地は頭をガリガリと掻きむしった後、腕時計をのぞく。
時間は7時30分を指している。
動物病院はまだ開いてる時間ではないが、チャイムを鳴らしたら準備をしているスタッフがいて対応してくれるかもしれない。
(仕事は……えぇーい! 皆勤賞なのだ! たまには遅刻してもいいんだろう。腹が痛かったとか適当に理由をつけよう)
大地は、優しく黒猫を抱きかかえると、スーツに血がつくのも構わず、動物病院へと向かった。
家から駅までの道、いつも歩いているルートとは別のルートを辿れば、途中にあったはずだ。
しかし、歩くたび、どんどんと冷たくなっていく黒猫。
(あぁ……。だめか。死んでしまう……)
気がついたら走っていた。
はぁはぁと息をきらしながら、黒猫を胸に抱えて、全力で走ったのなんて何年ぶりだろうか?
しかし、動物病院が遠くに見え始めたところで、黒猫の呼吸は止まってしまった。
黒猫から何かが抜け落ちた感覚がした。
すっと、黒猫の体が急に重くなったように感じる。
抜け落ちたのに重くなるとはどういうことか。しかし、大地にはそう感じられた。
確かに生きていた者が、ただの物に――物体になってしまった。
ボサボサの毛並みに首輪もしていないそれは、野良猫だったことがうかがいしれる。
動物病院にたどり着いたとき、念のためにチャイムを鳴らしてみるが反応はない。
大地は、動物病院をあとにして、更に先にある公園へと向かう。
公園の片隅に誰か子供が忘れて行ったのか、小さなスコップがあったため、それをつかって穴を掘って埋めてやった。本来は、やってはいけないことなのかもしれないが、そのまま放っておくこともなんだか気が引けた。
その日、大地は社会人人生で初めて遅刻をした。
②
「結局、君は誰なんだい? いや、ごめん! 聞いたのかもしれないが、覚えてないんだ……言い訳はしない。最低だろう。だが、すまないとしか言いようがない」
リビングのテーブルを挟んで、大地と女の子が食席についている。
目の前には、女の子が作ってくれた朝食、ご飯、目玉焼き、たこさんウィンナー、そして味噌汁が置かれている。
全て美味しそうな匂いを放っている。
「そんな……初めてを捧げて……一晩中旦那様の求めに応じたというのに……」
女の子はわざとらしく、その細い指で目の涙をぬぐうような仕草をするが、特段零れるものもないため嘘泣きである。
「あ、いや。その、ごめん。申し訳ございません!」
「はぁ。覚えてないのはとても残念です。大事な大事な初夜だったのに」
「……」
「それは、さておき」
女の子は姿勢を正しその愛らしい目で、大地の狼狽える目を真っすぐに見た。
「私の名前は、三宅 縁(みやけ ゆかり)です。あの時の黒猫でございます」
「あの時の黒猫?」
「あの時、旦那様は優しく抱きかかえて助けてくれようと力を尽くしてくださいましたね」
「2カ月前の黒猫のことを言っているのか? だとしたら、俺は何もできなかったよ。埋めてあげたのが精々だ。それに……死んだ猫が人間になる?」
「異類婚姻譚という言葉をご存じですか?」
「いや、聞いたことがないが」
「あれです。鶴の恩返しや、雪女、狐が人間に嫁ぐといった話です」
「はぁ」
「恩を感じた獣が、人間に化けて恩返しのためにお嫁さんになるというものです」
「いやいや、この場合、俺は何も出来ていないし、君は一度? 死んでしまったし」
「私は猫から人間になりました。旦那様の優しい匂いに一目ぼれして押しかけてしまいましたが……ダメですか? 私は旦那様の好みに合わないでしょうか?」
ゆかりはうるうると瞳に涙をためて、懇願するように大地を見つめる。
大地は、あらためてゆかりを見る。
頭の上の猫耳はあるものの、正直、可愛い。とても綺麗で可愛い女の子だ。
幼さを少し残した可愛い愛らしい顔立ち、優しそうな目、小さな口、スレンダーな体つきながら、ワンピース越しにもしっかり主張する胸、きゅっとしまった腰は、正直、劣情を抑えるのが大変だ。
「正直、可愛い。それも、とても……。まて、君は一体今何歳になるんだ?」
「ゆかりと呼んでください。歳ですか? 何分、2カ月前までは猫でしたので……ただ、翁は身体はちゃんと大人だと言っていました!」
「翁?」
「はい。私に人間社会で暮らしていく最低限の教育をしてくれた方です」
「はぁ。そういう存在がいるのか」
「なんでも、猫が人間になるのは300年ぶりと言っていましたね」
「え。過去に事例があるの!?」
「異類婚姻譚は、実際にあったことも混じっているみたいです。その子孫もいるみたいですよ」
「えぇ……にわかには信じられない……」
「私の猫耳、また撫でますか?」
「うっ。信じられないが、その耳は本物としか思えない」
「もちろん、本物です」
ゆかりが自慢げに胸を張る。
「えっと、その翁というのが、君……」
大地が君と言いかけたところで、ゆかりがキッと怖い顔で視線を飛ばしたので大地は言い直した。
「ゆかりに、白無垢と今着ている服を与えて、俺の住所を君……ゆかりに教えたということか?」
「そうですね。行く当てがないと私は好事家に売られてしまうんだそうです」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
放課後の保健室
一条凛子
恋愛
はじめまして。
数ある中から、この保健室を見つけてくださって、本当にありがとうございます。
わたくし、ここの主(あるじ)であり、夜間専門のカウンセラー、**一条 凛子(いちじょう りんこ)**と申します。
ここは、昼間の喧騒から逃れてきた、頑張り屋の大人たちのためだけの秘密の聖域(サンクチュアリ)。
あなたが、ようやく重たい鎧を脱いで、ありのままの姿で羽を休めることができる——夜だけ開く、特別な保健室です。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる