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第3話 話を聴く

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あれから一週間、2回目の訪問を未だに行けないでいる。

あの日、帰ろうと施設の玄関をくぐろうとすると、どこからともなく施設長だと名乗る男が走ってきて

「いやぁ。今日はありがとうね。助かったよ。また、いつでもいいから。来てくれると嬉しいな」

と、爽やかな笑顔で言った。
施設長は歳は40代くらいだろうか。随分と筋肉隆々でボディビルダーのような体をしていて、髪型はスポーツ刈りに顎髭を生やしていて、目は細く顔もいかついため、黙っているとそれだけで威圧感を感じてしまいそうな風貌だった。本人もそれをわかっているからだろう、いつもややオーバー気味に爽やかに優しそうに接してきてくれるのだった。

「いえ、俺では大して役に立たなかったように思います」

「いやいや、そんなことはないよ。砂金さんの相手を3時間もしてくれただけで十分だ。この仕事の適性があるんじゃないか?前に来てくれた子は1時間もしないで帰って、そのまま連絡がとれないよ。はっははは」

急に人が来なくなるというのは、日常茶飯事であると言いたげに、大したことないように笑う施設長。
でも、気持ちはわかる。あんだけ怒鳴られ続け、しかも定期的に記憶がリセットされ、また同じことを延々と怒鳴られ、もう一人の老人にはほとんど相手にされず、他の人に至っては顔の見分けすらつかない……。
まぁ、すぐに帰りたくなるわな。

「また、来れたら来ます」

それだけ言って、玄関をくぐろうとするが、ドアが反応しない。

「離設がないようにね。誰かがカードキーかパスコードで解錠しないと開かないんだ」

施設長が小さな名刺サイズの四角い箱にカードキーを近づけると、ドアが左右に開いた。
解錠するために走ってきてくれたわけだ。

「待ってるからねー」

そう言って笑って手を振る施設長に会釈して、ドアをくぐりぬけたところで、ふと振り返ると、施設長と森川が仕事の話だろう、何か色々と話し込んでいる。しかし……。

「なんだか……。妙に距離が近いじゃないか……」

二人の身体の距離が随分と近いように見えた。ただ、そう言う風に見えただけかもしれないが……。

森川に対してチャンスがまだあるんじゃないかという淡い想いが、打ち砕かれ……いや、勝手にそう思っているだけの可能性もあるが……。一気にモチベーションがなくなる俺。
全く自分の知らない世界を垣間見れただけよしとしよう。

そう、俺はちょっと社会科見学をしただけなのだ。

森川は諦めよう。
大学に入ってからろくに連絡もとっていなかったのだ。
アプローチすら諦めていた状態だったのに、向こうから連絡があった途端に現金にもまたアプローチしようなどとはむしが良すぎたわけだ。
スマホでブラウザに「ソープ おすすめ」と検索窓に入力して実行する。

行ったことがないけど、これを機に経験してみるのもいいかもしれない。
失恋記念、いや、そもそも失恋にすらなってない。というか、勝負にすらなってない。
だが、それでもいいだろう。
お金を出して女の子に慰めてもらおう。
俺は、おすすめにあがってきたお店の口コミを一軒一軒調べつくして、お財布とも相談しお店を決めた。

そして。

今、俺はソープを目指して家を出て、初めての経験をしようと不安一杯、わくわくいっぱいで歩き出したはずだ。

だが、気づけばあの老人ホームの前にいた。

窓から俺が見えたのか、施設長が満面の笑みで手を振りながら玄関ドアから出てきた。

そして、今、また俺は砂金という爺さんの目の前にいる。もちろん、砂金の居室で。
俺を見ると砂金は

「誰だ?君は?」

とぶっきらぼうに言ったが

「菊川といいます」

としゃがみこんで椅子に座っている砂金と目線を合わせて名乗ると

「そうか。そうか。またきたか」

と言った。

俺は、あれだけボケきっている爺さんなのだから、俺のことなど一週間も空いているし覚えていないだろうと思っていたから意外だった。

「覚えていますか?」

「覚えているよ!そんなに僕はぼけてないよ!?」

あれだけボケきっているのに、妙なところはしっかり覚えている……。不思議なものだ。

「あの日はよく眠れましたか?」

「夜はちゃんと寝てるよ!」

そういう砂金に、まだ俺の後ろにいた施設長がぼそっと

「あの日以来ね…夜寝るようになったんだ」

と耳打ちした。
どうも、俺の頑張りは無駄ではなかったらしい。
他のスタッフも喜んでいるとのことだった。

「今日は何をしにきたんだ?」

「えっ…えーっと、実は、大学の課題で戦時中の文化を調べていて…なんか、こう何をして遊んでいたとか…そういったものがあんまり出てこなくて……」

俺は咄嗟に嘘をついた。しかし、俺に勉強をしろと怒鳴ったこの爺さんなら、勉学の為という理由で話を振れば、意外にも色々と話をしてくれるのではないかという打算があった。

「僕はねぇ!ラグビーをやっていたんだよ!」

「えっ!?ラグビーですか!確かに肩がしっかりしてますね。でも、ピアノがあるから音楽系なのかと思いました」

「ピアノはねぇ!最近、弾き始めたんだ!」

「えっ!?そうなんですか?」

「あぁ…!あぁ!妻にね。聞かせたかったんだよ」

「奥さんのためですか。すごいですね」

「荒城の月をね!練習してるんだけどね!」

「はい」

「間に合わなかった…。妻にね。聞かせたかったんだけど」

「そうですか……」

ぎょろぎょろとした神経質そうな目が、深い悲しみをたたえてぼぉっと何もない斜め下を見つめている。

「奥様とはお見合いですか?」

「違うね!」

「恋愛結婚ですか!?当時はお見合いばかりかと思いましたが」

「そうだね!お見合いは多かったね!」

「そんななか、恋愛結婚って、それはそれは大恋愛だったんじゃないんですか?」

「そうだね。僕はね。戦争にはいかなかったんだ」

「はぁ」

「微生物をね。研究しててね!それでね!いかずにすんだんだ!」

「微生物ですか」

「あぁ……そうなんだ。うん」

てっきり自分の功績の自慢が始まるかと思いきや、急に元気なく口を閉ざしてしまう砂金。
あまり触れてはいけないことなのかと思い、俺は話を変えることにした。

「それで、奥様とはどんな風に出会われたんですか?」

「はははは。そんなこと言わすなよ……恥ずかしいだろ」

急に顔を赤面させて、ちらりちらりと僕の目を見る砂金。
なんだ。随分と可愛い一面もあるじゃないか。

そう思っていると、ドアがとんとんとんとノックされ、

「いさごさーん。お風呂のお時間になりました」

そう言って、歳は50代くらいの女のスタッフが顔を出した。
車椅子を持ってきていて、そのハンドルを手に持っている。

「僕はねぇ!歩けるよ!歩いて行けるよ!」

急に怒鳴り始める砂金。しかし、女スタッフも負けじと

「砂金さん、長湯するでしょ!?ふらふらになるんだから、車椅子で行ってくださいな!」

と応戦する。

「上にね!言っておくれ!僕は歩けるんだから!」

「はい。じゃあ、上にはちゃんと報告いたしますから、今回はこれで行きましょう」

そう言いながら、女のスタッフは目配せで僕に他にいきなと合図したので、僕はそっと砂金の居室をあとにした。

しばらく、他の老人たちに声をかけてみる。
あいかわらず、といってもまだ2回目なのだから、当然といえば当然なのだが、みな同じ梅干しに見えてしまって、顔が全然見分けがつかない。

しかも、まるで植物のようにそこに存在していて、俺が声をかけてもまるで反応がない。
ボケ……いや、この場合認知症と言った方が適切か……が、進行すると最期は植物のようになってしまうのかもしれない。

困ったな。話を聴こうにも反応がないのではなぁ……と思っていると、砂金の怒鳴り声が聞こえてくる。

「こらぁ!こんな風呂場でうんこしちまうようなじじぃを!僕に近づけるなぁ!!!」

「砂金さん!そういうことを言ってはだめでしょ!?」

「こんなくそじじぃだらけの中に僕を入れるなぁ!!」

何やら、お風呂場で激闘が繰り広げられているようだが、施設のスタッフでもない俺が、勝手に行っても良い場所ではないだろう。スタッフも大変だなぁと他人事のように受け止めていると、森川がまたどこからともなく現れて

「砂金さんねぇ。自分よりできない人のことを罵るのよねぇ」

と困ったなぁといった表情でつぶやいた。

「なぁ、森川」

「ん?」

「森川は施設長とできてるのか?」

「はぁ?」

「いや、なんか距離が近いなって思ってさ」

「それさぁ、今の話の流れで聞くこと!?」

いつもニコニコしている森川が、般若のような顔をして怒鳴った。
狸顔のたれ目の美人が、目を吊り上げて怒る様は……うん。迫力負けしました。

「ごめん」

自分でもなんでこのタイミングで聞いたのかよくわからなかった。それだけずっと胸にもやもやがあって、早く……1分でも早く楽になりたいという想いがあったのかもしれない。
しかし、こんなに怒るとは思わなかった。軽い感じで「馬鹿な事いうな」って受け流すように言って終わりかと思った。
こんだけ、激怒するって……それって、答え合わせしているようなものじゃないだろうか。
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