東京ネクロマンサー -ゾンビのふーこは愛を集めたい-

神夜帳

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第4章 主人公

第50話 あの日 ②

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 2月の肌寒いひやりとした風が頬を叩いていく。
 大きいショッピングモールの外苑部。
 目の前には、真っ白な床を赤く汚す人の腕。

 目の前に飛んできた人間の片腕。
 引きちぎられたであろう肩のつけ根からは、白い骨とミンチのようにぐじゅぐじゅとした赤い生々しい肉の裂け目が見えている。

 そこから、滴っていく赤い鮮血。

 大神と桜がゆっくりと飛んできたであろう後ろを振り返ると、愛もつられてその方向へ振り返った。

 太陽のさんさんとした光が、ショッピングモールの白い床や各ブースの壁に反射して、どこか白飛びした写真のようにその対象を映し出す。

 茶色いミディアムヘアーの20代くらいの女性が、側面を刈り上げ頭頂部をパーマでウェーブがけたツーブロックの若い男性の首元にがっちりと噛みついている。

 じわじわと首元から血がにじみ出て、男性は何が起こったか分からないといった様子で顔面を蒼白させ、わなわなと唇を震わせている。
 右の肩から先はなく、血が噴き出していて、飛んできた腕がこの男性のものであることをわからされた。

 あまりに非現実的な映画のような光景に、他の買い物客たちも驚きの表情を浮かべたままピクリとも動かなかった。

 やがて、女性は男性の首の肉を噛みちぎると、ゆっくりと味わうように咀嚼する。
 首からびゅうびゅうと噴き出る血。それと共に、静かに膝から崩れ落ち床にうつ伏せに横たわる男性。

「きゃぁあああああああああああああああああ!」

 誰かが叫んだ。

「け、警察! 警察を! 誰か!」
「誰か―! 警備員を呼んで―!」
「それより救急車!」
「ばかっ! それより逃げるぞ!!」

 誰かの叫び声をきっかけに、凍ったように立ち止まっていた人々が一斉にその場から走り出そうとする。

 しかし——

「あれ? なんで?」

 誰かが言った。
 愛が声の方に視線を走らせると、黒いコートを着た男性とベージュのダッフルコートを着た女性の足元に血の池が出来ていて、よく見れば、トラウザーのお尻の部分が真っ赤に染まり、やがて、耳から、目から血を噴出させた。

「ねぇ! なんかやばいよ! 逃げよう!」

 桜が大神の袖口を引っ張って、逃げるように促しているが、大神は呆然とその様子を見ていたかと思うと、口元をにやりと綻ばせた。

「ちょっと! 何を喜んでるのよ!」
「美しい……」
「はぁ!?」
「綺麗だ……」

 大神は恍惚とした表情を浮かべてその場から動こうとしない。

(美しい……?)

 愛はあらためて最初の女性に視線を送る。
 もう、元の色がわからないくらい赤黒く染まった衣服は、真っ白に血の気を失せさせた女性の肌を際立たせている。
 そんな力がどこから湧いてくるのか、華奢そうな女性が人間の身体を簡単に引き裂いているその姿は異様だ。
 氷のような冷たい無表情に、まるで夢遊病者のような虚ろな瞳、やがてその瞳は上等なルビーのように幽玄にぼんやりと赤く輝く。

 これは過去に起きたことの映像だろうというのに、まるで焼けた鉄のような血の匂いが漂ってくる心持だった。

 大神は桜に引っ張られているのを意に介さず、一歩、また一歩とその女性に近づいていく。

 それを気にも留めずに一心不乱に男の身体を引き裂いて、やがて、腹から腸を引きずり出すと、長々と這いだされたそれを口で噛み千切り、手ごろな大きさにすると口の中へ送っていった。

 空は僅かな雲があるものの、状況には似つかわしくない快晴で、上から降り注ぐ日の光は、女性をまるで神々しいもののように照らす。

 女性の虚ろな紅い瞳が、そばで動いた大神の方へゆらりと向く。

 口にくわえた腸をぽとりと落とし、視線は大神に向いたまま、ゆっくりと立ち上がる。

「やだ、ねぇ、襲ってくるよ。襲って来るって!」

 桜が大神の動きを咎めたが、大神は見入っている様子で意に介さない。

 血に染まった女性が、大神の方へ気怠そうに一歩、足を踏みしめたところで、唐突に男の左手が伸びてきて、女性のシャツを引っ張り地面に倒した。

 ごしゃっと頭部を床に打ち付ける女性。
 伸ばされた腕の主は、今まさに食べられていた男性だった。
 腹から長々と腸をこぼしながら、首と右肩からびゅうっと血を噴出させ、ボロボロになった衣類の向こうから熟れたザクロのように引き裂かれた肉の断面を晒しながら、女性を自分の元へと引っ張り、手繰り寄せる。

 よく見てみれば、男性の目もぼんやりと赤く輝いている。

 ガリっ
 ゴリッ

 男が左腕一本で軽々と女性の身体を地面に倒れこんでいる自分の身体に密着させ、大きく口を開けたかと思うと、女性の頭を、それこそてっぺんから、頭蓋骨など意に介さない様子でかみ砕き食べ始めた。

 女性の綺麗な茶髪は赤黒くそまり、やがていくらかの毛の塊が頭皮ごと剥がれ落ち、頭蓋骨が顔を覗かせたと思えば、あっさりと男にかみ砕かれ、中の脳みそを周りにこぼす。

 女性は白目をむき、死に際の昆虫のように手足をでたらめにバタバタと激しく動かしたが、男性はカマキリが獲物を捕食するかのように、たった左腕一本で女性をしっかりと固定して、ひたすらに補食した。
 半分ほど頭を食べられたところで、女はビクンと激しく一度身体を痙攣させ、やがて糸が切れた操り人形のように、だらんと身体を脱力させた。

 男はそのまま女を床を背に寝かせると、上から覆いかぶさるように重なって、女の衣類を引き裂き、露になった白い透き通るような肌の乳房に噛みつくと、そのまま引っ張り上げ、乱暴に引きちぎっていく。

 壮絶な絵面だ。

 頭を半分失った血まみれの女を、腹から内臓をこぼし、右腕を失った男が正常位で犯しているかのごとく、肌を密着させ捕食している。

 ぬらぬらとしたその動きは、ナメクジの交尾を思い起こさせる。

「いい加減にしろっ!」

 桜の渾身のローキックが大神のスネにヒットして、大神はやっと桜の顔を見た。

「周りを見て!!」

 大神が左右に首を動かし、やっと状況を把握する。

(状況は最悪ね……)

 愛がつぶやく。
 大神と桜を中心に、逃げまどっていた人々もまた、自身の穴という穴から血を噴出させながら隣人を貪り喰っていた。

「ひぃぃぃ!」

 各店舗から無事な人々が転がりながら飛び出してきたが、道のその凄惨な様子を見て、口から泡だった唾液を吐き出しながら、人のいない方へと逃げ去ろうとする。

 しかし、隣人を捕食していた老若男女様々な人々が、逃げ出そうと動き出す人々に、信じられないスピードで駆け寄ると、あっさりとその身体をバラバラにしていった。

 血の雨。

 太陽は穏やかに輝いているというのに、真っ赤な血の雨が青々とした空から降ってくる。

「ねぇ、早く逃げよう?」

 桜が目に涙を浮かべながら大神を見つめ、流石の大神もその瞳に応えて、桜の手を取りその場を去るために駆ける。

(あっ……)

 愛が二人の背中を見送っていると、最初の腸をこぼした男がゆらりと立ち上がって、その背中を追いかけ駆ける。
 まるで、人とは思えない驚異的なスピード。
 チーターのような獰猛な獣が獲物を仕留めにかけるように、猛然と駆けていく。

 嫌な予感でもしたのか、大神に手を引っ張られながら走る桜が振り返ると、もう目の前に大きく口を開けた血まみれの男の顔が映る。

「ひっ」

 赤い瞳が桜の怯えた顔を映した、その瞬間、無様に潰れたカエルのように床に倒れ込む。

「あんな体では、バランスは保てまい」

 大神が吐き捨てるようにつぶやいた。
 桜は、こんな状況でもやけに冷静な大神に腹が立って、眉を顰める。

 愛は二人を追いかけながら、映像の隅から隅までを目で追った。

 あらゆるところで、人々が瞳を赤く輝かせながら、まずは隣人を、大切な存在であるはずの隣人を貪り食おうとしていた。

 


 力の差なのか、男が一方的に女を食べている場合もあったし、男女がセックスのように絡み合って互いを咀嚼している場合もあった。同性同士の場合も、そのような場合もあれば、まるで、関心がないように別々の方向へ歩み始めて、ゾンビ化していない人間を見ると、恐るべき速度で追いつき、追い詰め、バラバラにしている場合もあった。

(やっぱり、これは……)

 愛がもしかしてと思った、ゾンビ同士の共食いの条件に確信を持ち始める。

(愛する人を食べている……。でも、なんで? 愛しているから?)

 夢の中のようなものなのに、愛の瞳から涙が一つ零れ落ちた。

(酷いよ。自分より生きていて欲しいはずの人を食べさせるなんて……。それとも、一つになりたいから? 食べることで一つになろうとしているの?)

 大神と桜は、やがてスタッフ用の通用口を見つけると、そこに飛び込んだ。
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