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第4章 主人公
第53話 カルト
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「もう我慢する必要がない?」
大神が右手に収まったナイフを眺めながらボソッとつぶやいた。
「えぇ、そうですよ。見ればわかるでしょう? あのTV画面に映っている世界は現実です。今日、今、世界は終わりました。法律も今までの価値観も倫理も何の意味を成しません」
狐目の男が頬を抑えながらゆらりと立ち上がると、ふらついて後ろに倒れ込む。
「もう人の顔色を気にする必要はないのか……? 輪からはみ出し孤立するデメリットを恐れる必要はないのか……?」
「いててて……。ははは。どうにも格好がつきませんね。そうですね。孤立するデメリットは今後はもっと強くなるでしょう。ただ、価値観は今、変わったのです。さぁ、どうしましょう」
大神と狐目の男が話していると、武が怒鳴りつける。
「なにをボソボソしゃべってやがる!!」
その声をきっかけに、大神は狐目の男の胸倉を掴むと、そのまま武に投げつけた。
細いとはいえ、大の大人の男が軽々と投げ飛ばされ、狐目の男は投げつけられているというのに嬉しそうに笑った。
「ははは。凄いな。火事場の馬鹿力かな? いいですね。そうこないと」
狐目の男のひょろ長い体が武の視界の全てを覆ったとき、大神はさっとその横を走り抜ける。
大神の視線の先には、突然のことに目を見開いている美咲の顔。
その様に愛は動揺した。
(え? そっち?)
大神はそのまま美咲の首を左腕で締め上げたうえで、ナイフを首元につきつける。
「おい! たけしとかいうやつ!! その場で跪け!!!!」
武が、ひょろ長い狐目の男を乱暴にどかした先に見た光景は、自分の大事な存在の首元にナイフがつきつけられている姿。ナイフはほんの少しだが首に刺さっていて、血の雫が細い軌跡を残しながらしたたり落ちているところだった。
「てめぇえええ!!! ふざけるなぁあああ!!!! 卑怯だぞぉおお!!!!!!」
「お前が言ったんだ。自由な世界がきたってな。自由なんだろ? えぇ!?」
「自由……じゆうといったって、それは違うだろぉおお!」
「何が違う!? いいからその場に跪け!!! でなければ……!!!」
「やれるのか!? えぇ!? お前が美咲を殺したら、まっさきに貴様をバラバラにしてやる!!」
ふぅふぅと荒い息を吐きながら、肩を上下させる武。その顔は真っ赤にそまり、鬼のような形相をしている。
数秒。
ほんの数秒の間、静寂が訪れる。
にらみ合う二人。
TVの画面は真っ赤に染まっていて、音声もいつの間にか流れていなかった。
チッ。
静寂の中だからころそ、大神の心底いらだった舌打ちの音が響いた。
次の瞬間。
大神のナイフは、美咲の右手の小指を斬り落とした。
美咲は低く呻く声を漏らし、額に縦皺を寄せ、苦悶の表情を浮かべる。
「あぁ! あぁ!」
武の今にも泣きそうな怒鳴り声。
「お前が跪かない限り、一本ずつ指を落していく。全部の指を落としたら、足を斬り裂いて、はらわたを引きずり出し、目玉をえぐり、最後に首を掻き切ってやる。いいか! これがお前の言う自由だ!! 満足だろ!? えぇ!??」
「やめろ……。やめてくれ……。人でなし! 人殺し! なんで、そんな酷いことが出来るんだ!!!」
武の嘆きに女子高生が冷たくつぶやく。
「お前が言うなよ……」
女子高生の呟きも憎しみのこもった視線もお構いなしに、武は叫び続け、声は枯れ、せき込んだところでその場に正座の形で座り込んだ。
「やめてくれ……。俺の唯一大切な人なんだ……。だから、やめてくれ……」
「そうか……。おい、誰かそいつを縛り付けろ!!」
周りの人間があまりの光景にあっけにとられて、顔を左右に振るのがやっとのところで、狐目の男がのっそりと動き出す。
「うーん。ロープの類は見当たらないから、これでいいね?」
狐目の男が手に取ったのは、ガムテープ。
大人しく座り込む武の身体を何重にもガムテープを巻いていく。
手首、腕ごと身体を、そして、膝、足首を何重にもガムテープで巻きつける。口も喋れないようにしっかり塞ぐ。
途中で、女子高生が手伝いはじめ、それを見て周りの人間達も協力していく。
休憩室にたまたまあったガムテープを3ロール使い切って、芋虫のようになった武を見て、ようやく大神は美咲を解放した。
その場にへたりこむ美咲を娘や周囲の人々がそっと囲んで、その場にあるもので手当てをしていく。
「本当に指を斬り落とさなくても……」
ぼそっと名前も知らぬ女の声が聞こえてくる。
大神が振り返ると、美咲を囲んだ人々は怯えた表情で、しかし、目にはしっかりと強く軽蔑の色を浮かべてじっと見つめていた。
(そりゃそうね……。みんな、新しい暴君の誕生を恐れてる……)
好意を持つ愛でも心は引いてしまったのだから、大神に何の愛着もない他人が軽蔑と嫌悪を覚えるのは当然だろう。
そんな周囲の反応を気にかけてか、かけないでか、大神は桜に「もう、帰るぞ」と言うとドアのノブに手をかける。
「ちょっと待った!」
狐目の男が制止する。
「ゾンビ達は、感覚器官は人間と変わらないのでしょう? それなら、暗くなってからの方がいいんじゃないかな?」
「それだと、こちらもゾンビを見つけづらくなるし、同じじゃないか?」
「いやいや、相手の知能は著しく低い。君、ここが地元?」
「あぁ……」
「なら、知恵と土地勘がある君の方が有利だろう。そうじゃない?」
「せっかくのアドバイス、申し訳ないが早く家族のもとへ帰りたい。それに、俺には消えて欲しいだろう。ここの人たちは」
大神はそう言って、再度ドアのノブに力をこめると、後ろから美咲の声が飛んできた。
「あなたを責めるつもりはありません! 本当は私が止めないといけなかった! 私が全部悪かった! こんなことで済んだのですから、私はあなたを責めません! 私が悪いんです……」
美咲の声は最後は涙声となっていた。
周囲の人間が美咲を同情的に見つめる中、大神は振り返ることなくドアを開けて出て行く。
慌てて追いかける桜。
ギィー……バタンっ!
休憩室のドアが閉まる金属音が響くと、しばらくの静寂。
人々の吐息の音だけが生々しく聞こえてくる。
(この人、なんか気になるけど、もう行かなきゃ……)
愛が二人を追いかけようと、休憩室のドアを開けようとするが、ドアは開かない。
(そうか。これ映像だから……)
愛は身体をそのまま開かないドアに押し込むと、その先には何も見えない闇が広がっていた。
(え? 追いかけられない? 映像はここで終わりなの?)
しかし、後ろから、狐目の男の声がした。
「さぁ、みなさん! 落ち着きましょう! 深呼吸しましょう! ね? ほら? すーーー! はーーー! すーーー! はーーー!」
愛が降りかえると、狐目の男の指揮にしたがって、深呼吸する人々。
うつむきながら右手を左手でおさえている美咲、不安そうに美咲にしがみつく女の子、そして、ガムテープでぐるぐる巻きにされながら床に寝かされている武。
バラバラの位置に立ったり座ったりしていた人々は、気づくと3人を真ん中に円を描いていた。
「皆さん、不安でしょう? 怖いでしょう? でもね。大丈夫です。大丈夫じゃなくて大丈夫。そう思わなきゃ。絶望に飲まれたら、助かるものも助かりません。さぁさぁ、皆さん隣の人と手を結んでください」
首を傾げる人々に狐の男は、にっこりと微笑む。
「他人って怖いですよね。なんで怖いんでしょう? それは、知らないからです。どういう人間なのか。だからイメージしてしまう。最悪の事態を。でも、それは悪いことではありません。だって、そうやって人間は生き残ってきたんですから。こんなわけのわからない事態に巻き込まれれば当然です。だからね。ね? まずは安心したいじゃないですか? だから、お互いを知りませんか? 手を握ってみてください。隣の人は、敵じゃないことが、そして、自分と変わらない血の通った人間であることがきっとわかります」
狐目の男に促されて、円陣を組んだ人々が両隣の人たちと手を結んでいく。
照れくさそうに笑う男。気まずそうに微笑む女。乱暴されかけた女子高生は気持ち悪そうに男を睨んでいる。
「こんな状態で正気? 私、犯されかけたんだけど!? 他の男達もまた豹変するかもしれないじゃない!? どうせ、男なんてち〇こにしか脳みそつまってないのよ!」
涙を流しながら鼻息荒く怒鳴りちらす女子高生に、狐目の男は優しい声色で応えた。
「そうですね。不安ですよね。あなたの怒りはとてもごもっともです。不安になるも仕方ありません。そうですね。じゃあ、こうしましょう。みんなで、この武くん……? でしたっけ? を殺しましょうか?」
「いいわね! そうしてよ!!!」
「では、皆さん、この武君を殺しましょう。それで、ここは平和な世界となるのなら、そうましょう。なーに、警察なんて機能なんてしてません。もうわかるでしょう? 世界は終わったんです。私達はたまたま生き残った奇跡の子たち。私たちが仲良く過ごせなければ、世界は本当に終わってしまうかもしれません」
狐目の男の言う事に、一人の男が弱々しく小さく手を上げる。発言の許可を求めている。
「はい、そこのあなた?」
「あっ。はい。えっと、殺すのは賛成です。こいつは人をあっさりと殺したし、これからも殺すかもしれない。今は、ガムテープで抑えられていても、そのうち、その馬鹿力で引きちぎるかもしれない。そもそもゾンビになってしまうかもしれない。だったら……。でも、どうやって?」
「そうですねー。あぁ、ナイフは彼にあげてしまったんでした。まぁ、でも、こんな無防備な状態です。殴ったりけったりし続けてもいい。それに……」
「あのー」
狐目の男が言い終わらないうちに、老人が申し訳なさそうに手をあげる。
「はい? どうされました?」
「わしは……、レジ袋ならあるんだが……」
「あぁ、いいですね。では、それで窒息死させましょう」
一連の流れを見ていた武は、しばられミノムシにのようになっている身体を必死に身じろぎさせる。
バタバタと床を無様に跳ねて、膝を動かして肩を左右に揺らして、円陣から逃れようとする。
ガムテープでふさがれた口から声にならない声のような音が漏れ出る。
「私がやります」
小指の痛みがつらいのか、青白い顔となった美咲がゆっくりと立ち上がると老人からレジ袋を受け取って武に歩み寄り、頭からかぶせた。
「ムゥー! ムフゥー!! ウウウゥウー!!!!」
鼻息荒く首を左右に必死に振りながら何かを懇願する武。
無表情で、時折痛みにより顔を歪めながらレジ袋のとってを首にまきつけしばりつける美咲。
「あぁ……もっと早くこうしていれば……。あなたが寝ている時にこうすればよかったんだ。私を汚すだけ汚して、無神経にぐーすか横で眠っている時に、こうしていれば……」
武が必死に鼻から呼吸するたび、白いレジ袋はひっぱられて、鼻の形にぴったりと張り付き呼吸を妨げる。
このまま放っておけば、袋内の酸素は減っていき、やがて死に至るだろう。
そんな様子を見ていた狐目の男が大声を上げる。
「やぁ、みなさん! これから家族になるみなさん! いいんですかこれで!? 美咲さんに全てを背負わせて、のうのうと生きていくんですか!? 武の脅威はみなさんにも振ってくる可能性があったというのに、その脅威を取り除く罪を、美咲さん一人に背負わせていいのですか!?」
どよどよと動揺する人々。
「ど、どうすれば……?」
力なく声をあげる人々に、女子高生がばっと躍り出て、武の股間のものを思いっきり蹴り上げた。
「!!!!!!!!!!!!」
声にならない悲鳴を上げる武。
「こうすりゃいいんだよ! ここまできて、手を汚さないなんて許されるもんか! 人が一人目の前に無残に殺されたのよ! わたし、犯されかけたのよ!! 世界は終わったんだよ!?!?」
女子高生の訴えに、人々の目つきが変わった。
「お前のようなやつがいるから! いつまでも平和にならないんだ!」
「お前のようなやつが! お前のような奴が!!!」
「子供を返してよ!!!」
口々に、最早武とは関係のない恨み言をぶつけて殴ったりけったりしていく人々。
それを、静かに微笑みながら見つめるきつめの男。
愛は吐きそうになった。
強烈な嫌悪感が胃の底から湧き上がってきて、今実体であったら、間違いなく嘔吐している。
(わたしは、一体……何を見せられているの?)
人々の武への暴行は、永遠とも思えるくらい長い時間行われた。
ピクリとも動かなくなった武の身体を、動かなくなってもなお代わる代わる暴行し続け、気づけば時計の針は午後4時を指していた。
最後は、皆泣いていた。
泣きながら、円陣を組んで両隣の人間の手をしっかりと握りしめている。
「私達は同じ罪を抱えた家族です。この混迷した世界を生きる強い絆で結ばれた家族です。さぁ、胸の内全てを吐き出しましょう。本当の家族になりましょう」
「私は……」
美咲が最初に口を開いた。
「私は、この人とは大学時代に付き合っていたいんです。ちょっと、粗野なところはあったけれど、面白くて私には優しかったから、寂しかった私はころっといっちゃったんです。でも、段々とその愛がちょっとずれているというか、重いというか、怖くなってきて、別れを切り出しました……。そしたら、ストーカーされて……警察にも相談して、少し収まったかと思ったら、夜道で暴行されて……。助けてくれたのが夫でした。それから娘が……この子が生まれて、やっと幸せになれたと思ったら……」
嗚咽を漏らして泣きはじめる美咲。
周囲の人間も泣きながら美咲を代わる代わる抱きしめる。
(なんだろう。この茶番は……。弱った人間は、こんなおかしな状況の寒々しいシナリオに簡単にのせられてしまうのだろうか……。私に何を見せたいの? 何を知って欲しいの? もういいわ。本当に吐きそう。あの人を追いかけさせて……)
映像はやがて歪み、闇の向こうへと消えていく。
——これだって愛でしょう?——
愛が次の映像を待っていると、暗闇のどこかからか幼い男の子の声が聞こえた気がした。
(さぁ? わからないわ。私はね。私は自分が生きるためにあの人を知りたいの。それだけよ)
大神が右手に収まったナイフを眺めながらボソッとつぶやいた。
「えぇ、そうですよ。見ればわかるでしょう? あのTV画面に映っている世界は現実です。今日、今、世界は終わりました。法律も今までの価値観も倫理も何の意味を成しません」
狐目の男が頬を抑えながらゆらりと立ち上がると、ふらついて後ろに倒れ込む。
「もう人の顔色を気にする必要はないのか……? 輪からはみ出し孤立するデメリットを恐れる必要はないのか……?」
「いててて……。ははは。どうにも格好がつきませんね。そうですね。孤立するデメリットは今後はもっと強くなるでしょう。ただ、価値観は今、変わったのです。さぁ、どうしましょう」
大神と狐目の男が話していると、武が怒鳴りつける。
「なにをボソボソしゃべってやがる!!」
その声をきっかけに、大神は狐目の男の胸倉を掴むと、そのまま武に投げつけた。
細いとはいえ、大の大人の男が軽々と投げ飛ばされ、狐目の男は投げつけられているというのに嬉しそうに笑った。
「ははは。凄いな。火事場の馬鹿力かな? いいですね。そうこないと」
狐目の男のひょろ長い体が武の視界の全てを覆ったとき、大神はさっとその横を走り抜ける。
大神の視線の先には、突然のことに目を見開いている美咲の顔。
その様に愛は動揺した。
(え? そっち?)
大神はそのまま美咲の首を左腕で締め上げたうえで、ナイフを首元につきつける。
「おい! たけしとかいうやつ!! その場で跪け!!!!」
武が、ひょろ長い狐目の男を乱暴にどかした先に見た光景は、自分の大事な存在の首元にナイフがつきつけられている姿。ナイフはほんの少しだが首に刺さっていて、血の雫が細い軌跡を残しながらしたたり落ちているところだった。
「てめぇえええ!!! ふざけるなぁあああ!!!! 卑怯だぞぉおお!!!!!!」
「お前が言ったんだ。自由な世界がきたってな。自由なんだろ? えぇ!?」
「自由……じゆうといったって、それは違うだろぉおお!」
「何が違う!? いいからその場に跪け!!! でなければ……!!!」
「やれるのか!? えぇ!? お前が美咲を殺したら、まっさきに貴様をバラバラにしてやる!!」
ふぅふぅと荒い息を吐きながら、肩を上下させる武。その顔は真っ赤にそまり、鬼のような形相をしている。
数秒。
ほんの数秒の間、静寂が訪れる。
にらみ合う二人。
TVの画面は真っ赤に染まっていて、音声もいつの間にか流れていなかった。
チッ。
静寂の中だからころそ、大神の心底いらだった舌打ちの音が響いた。
次の瞬間。
大神のナイフは、美咲の右手の小指を斬り落とした。
美咲は低く呻く声を漏らし、額に縦皺を寄せ、苦悶の表情を浮かべる。
「あぁ! あぁ!」
武の今にも泣きそうな怒鳴り声。
「お前が跪かない限り、一本ずつ指を落していく。全部の指を落としたら、足を斬り裂いて、はらわたを引きずり出し、目玉をえぐり、最後に首を掻き切ってやる。いいか! これがお前の言う自由だ!! 満足だろ!? えぇ!??」
「やめろ……。やめてくれ……。人でなし! 人殺し! なんで、そんな酷いことが出来るんだ!!!」
武の嘆きに女子高生が冷たくつぶやく。
「お前が言うなよ……」
女子高生の呟きも憎しみのこもった視線もお構いなしに、武は叫び続け、声は枯れ、せき込んだところでその場に正座の形で座り込んだ。
「やめてくれ……。俺の唯一大切な人なんだ……。だから、やめてくれ……」
「そうか……。おい、誰かそいつを縛り付けろ!!」
周りの人間があまりの光景にあっけにとられて、顔を左右に振るのがやっとのところで、狐目の男がのっそりと動き出す。
「うーん。ロープの類は見当たらないから、これでいいね?」
狐目の男が手に取ったのは、ガムテープ。
大人しく座り込む武の身体を何重にもガムテープを巻いていく。
手首、腕ごと身体を、そして、膝、足首を何重にもガムテープで巻きつける。口も喋れないようにしっかり塞ぐ。
途中で、女子高生が手伝いはじめ、それを見て周りの人間達も協力していく。
休憩室にたまたまあったガムテープを3ロール使い切って、芋虫のようになった武を見て、ようやく大神は美咲を解放した。
その場にへたりこむ美咲を娘や周囲の人々がそっと囲んで、その場にあるもので手当てをしていく。
「本当に指を斬り落とさなくても……」
ぼそっと名前も知らぬ女の声が聞こえてくる。
大神が振り返ると、美咲を囲んだ人々は怯えた表情で、しかし、目にはしっかりと強く軽蔑の色を浮かべてじっと見つめていた。
(そりゃそうね……。みんな、新しい暴君の誕生を恐れてる……)
好意を持つ愛でも心は引いてしまったのだから、大神に何の愛着もない他人が軽蔑と嫌悪を覚えるのは当然だろう。
そんな周囲の反応を気にかけてか、かけないでか、大神は桜に「もう、帰るぞ」と言うとドアのノブに手をかける。
「ちょっと待った!」
狐目の男が制止する。
「ゾンビ達は、感覚器官は人間と変わらないのでしょう? それなら、暗くなってからの方がいいんじゃないかな?」
「それだと、こちらもゾンビを見つけづらくなるし、同じじゃないか?」
「いやいや、相手の知能は著しく低い。君、ここが地元?」
「あぁ……」
「なら、知恵と土地勘がある君の方が有利だろう。そうじゃない?」
「せっかくのアドバイス、申し訳ないが早く家族のもとへ帰りたい。それに、俺には消えて欲しいだろう。ここの人たちは」
大神はそう言って、再度ドアのノブに力をこめると、後ろから美咲の声が飛んできた。
「あなたを責めるつもりはありません! 本当は私が止めないといけなかった! 私が全部悪かった! こんなことで済んだのですから、私はあなたを責めません! 私が悪いんです……」
美咲の声は最後は涙声となっていた。
周囲の人間が美咲を同情的に見つめる中、大神は振り返ることなくドアを開けて出て行く。
慌てて追いかける桜。
ギィー……バタンっ!
休憩室のドアが閉まる金属音が響くと、しばらくの静寂。
人々の吐息の音だけが生々しく聞こえてくる。
(この人、なんか気になるけど、もう行かなきゃ……)
愛が二人を追いかけようと、休憩室のドアを開けようとするが、ドアは開かない。
(そうか。これ映像だから……)
愛は身体をそのまま開かないドアに押し込むと、その先には何も見えない闇が広がっていた。
(え? 追いかけられない? 映像はここで終わりなの?)
しかし、後ろから、狐目の男の声がした。
「さぁ、みなさん! 落ち着きましょう! 深呼吸しましょう! ね? ほら? すーーー! はーーー! すーーー! はーーー!」
愛が降りかえると、狐目の男の指揮にしたがって、深呼吸する人々。
うつむきながら右手を左手でおさえている美咲、不安そうに美咲にしがみつく女の子、そして、ガムテープでぐるぐる巻きにされながら床に寝かされている武。
バラバラの位置に立ったり座ったりしていた人々は、気づくと3人を真ん中に円を描いていた。
「皆さん、不安でしょう? 怖いでしょう? でもね。大丈夫です。大丈夫じゃなくて大丈夫。そう思わなきゃ。絶望に飲まれたら、助かるものも助かりません。さぁさぁ、皆さん隣の人と手を結んでください」
首を傾げる人々に狐の男は、にっこりと微笑む。
「他人って怖いですよね。なんで怖いんでしょう? それは、知らないからです。どういう人間なのか。だからイメージしてしまう。最悪の事態を。でも、それは悪いことではありません。だって、そうやって人間は生き残ってきたんですから。こんなわけのわからない事態に巻き込まれれば当然です。だからね。ね? まずは安心したいじゃないですか? だから、お互いを知りませんか? 手を握ってみてください。隣の人は、敵じゃないことが、そして、自分と変わらない血の通った人間であることがきっとわかります」
狐目の男に促されて、円陣を組んだ人々が両隣の人たちと手を結んでいく。
照れくさそうに笑う男。気まずそうに微笑む女。乱暴されかけた女子高生は気持ち悪そうに男を睨んでいる。
「こんな状態で正気? 私、犯されかけたんだけど!? 他の男達もまた豹変するかもしれないじゃない!? どうせ、男なんてち〇こにしか脳みそつまってないのよ!」
涙を流しながら鼻息荒く怒鳴りちらす女子高生に、狐目の男は優しい声色で応えた。
「そうですね。不安ですよね。あなたの怒りはとてもごもっともです。不安になるも仕方ありません。そうですね。じゃあ、こうしましょう。みんなで、この武くん……? でしたっけ? を殺しましょうか?」
「いいわね! そうしてよ!!!」
「では、皆さん、この武君を殺しましょう。それで、ここは平和な世界となるのなら、そうましょう。なーに、警察なんて機能なんてしてません。もうわかるでしょう? 世界は終わったんです。私達はたまたま生き残った奇跡の子たち。私たちが仲良く過ごせなければ、世界は本当に終わってしまうかもしれません」
狐目の男の言う事に、一人の男が弱々しく小さく手を上げる。発言の許可を求めている。
「はい、そこのあなた?」
「あっ。はい。えっと、殺すのは賛成です。こいつは人をあっさりと殺したし、これからも殺すかもしれない。今は、ガムテープで抑えられていても、そのうち、その馬鹿力で引きちぎるかもしれない。そもそもゾンビになってしまうかもしれない。だったら……。でも、どうやって?」
「そうですねー。あぁ、ナイフは彼にあげてしまったんでした。まぁ、でも、こんな無防備な状態です。殴ったりけったりし続けてもいい。それに……」
「あのー」
狐目の男が言い終わらないうちに、老人が申し訳なさそうに手をあげる。
「はい? どうされました?」
「わしは……、レジ袋ならあるんだが……」
「あぁ、いいですね。では、それで窒息死させましょう」
一連の流れを見ていた武は、しばられミノムシにのようになっている身体を必死に身じろぎさせる。
バタバタと床を無様に跳ねて、膝を動かして肩を左右に揺らして、円陣から逃れようとする。
ガムテープでふさがれた口から声にならない声のような音が漏れ出る。
「私がやります」
小指の痛みがつらいのか、青白い顔となった美咲がゆっくりと立ち上がると老人からレジ袋を受け取って武に歩み寄り、頭からかぶせた。
「ムゥー! ムフゥー!! ウウウゥウー!!!!」
鼻息荒く首を左右に必死に振りながら何かを懇願する武。
無表情で、時折痛みにより顔を歪めながらレジ袋のとってを首にまきつけしばりつける美咲。
「あぁ……もっと早くこうしていれば……。あなたが寝ている時にこうすればよかったんだ。私を汚すだけ汚して、無神経にぐーすか横で眠っている時に、こうしていれば……」
武が必死に鼻から呼吸するたび、白いレジ袋はひっぱられて、鼻の形にぴったりと張り付き呼吸を妨げる。
このまま放っておけば、袋内の酸素は減っていき、やがて死に至るだろう。
そんな様子を見ていた狐目の男が大声を上げる。
「やぁ、みなさん! これから家族になるみなさん! いいんですかこれで!? 美咲さんに全てを背負わせて、のうのうと生きていくんですか!? 武の脅威はみなさんにも振ってくる可能性があったというのに、その脅威を取り除く罪を、美咲さん一人に背負わせていいのですか!?」
どよどよと動揺する人々。
「ど、どうすれば……?」
力なく声をあげる人々に、女子高生がばっと躍り出て、武の股間のものを思いっきり蹴り上げた。
「!!!!!!!!!!!!」
声にならない悲鳴を上げる武。
「こうすりゃいいんだよ! ここまできて、手を汚さないなんて許されるもんか! 人が一人目の前に無残に殺されたのよ! わたし、犯されかけたのよ!! 世界は終わったんだよ!?!?」
女子高生の訴えに、人々の目つきが変わった。
「お前のようなやつがいるから! いつまでも平和にならないんだ!」
「お前のようなやつが! お前のような奴が!!!」
「子供を返してよ!!!」
口々に、最早武とは関係のない恨み言をぶつけて殴ったりけったりしていく人々。
それを、静かに微笑みながら見つめるきつめの男。
愛は吐きそうになった。
強烈な嫌悪感が胃の底から湧き上がってきて、今実体であったら、間違いなく嘔吐している。
(わたしは、一体……何を見せられているの?)
人々の武への暴行は、永遠とも思えるくらい長い時間行われた。
ピクリとも動かなくなった武の身体を、動かなくなってもなお代わる代わる暴行し続け、気づけば時計の針は午後4時を指していた。
最後は、皆泣いていた。
泣きながら、円陣を組んで両隣の人間の手をしっかりと握りしめている。
「私達は同じ罪を抱えた家族です。この混迷した世界を生きる強い絆で結ばれた家族です。さぁ、胸の内全てを吐き出しましょう。本当の家族になりましょう」
「私は……」
美咲が最初に口を開いた。
「私は、この人とは大学時代に付き合っていたいんです。ちょっと、粗野なところはあったけれど、面白くて私には優しかったから、寂しかった私はころっといっちゃったんです。でも、段々とその愛がちょっとずれているというか、重いというか、怖くなってきて、別れを切り出しました……。そしたら、ストーカーされて……警察にも相談して、少し収まったかと思ったら、夜道で暴行されて……。助けてくれたのが夫でした。それから娘が……この子が生まれて、やっと幸せになれたと思ったら……」
嗚咽を漏らして泣きはじめる美咲。
周囲の人間も泣きながら美咲を代わる代わる抱きしめる。
(なんだろう。この茶番は……。弱った人間は、こんなおかしな状況の寒々しいシナリオに簡単にのせられてしまうのだろうか……。私に何を見せたいの? 何を知って欲しいの? もういいわ。本当に吐きそう。あの人を追いかけさせて……)
映像はやがて歪み、闇の向こうへと消えていく。
——これだって愛でしょう?——
愛が次の映像を待っていると、暗闇のどこかからか幼い男の子の声が聞こえた気がした。
(さぁ? わからないわ。私はね。私は自分が生きるためにあの人を知りたいの。それだけよ)
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