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前編
第1話 勇者の一目惚れ (全年齢)
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これから、大学生活を謳歌しようというところで、ある女神に強制的に、この世界の勇者として転移させられてから幾星霜。
なんとか魔王を倒した後、住んでいる国の国王から娘を貰ってくれと言われたり、遠い東にある帝国から将軍の地位をくれてやるとお誘いいただいたり、はたまた地元の冒険者ギルドからギルド長になってくれないかといったお誘い全てを断って、ずっと故郷である日本を想えるものを作ろうと、王国の首都から西に馬で5日程の町にある研究所に引きこもっていた。
今いるのは、町の郊外西、すぐ横には鬱蒼と茂る大森林がある場所
今、僕と目の前にいる二足歩行する兎型の種族、ラーラム族の女植物学者イルルーシヤの二人は、目の前にそびえ立った小さな桃色の花をたくさん咲かせる巨木を、目をキラキラと輝かせながら見つめている。
「うわぁ…すっごい綺麗ですね!え?これ一週間くらいで散り始めちゃうんですか!?」
真っ白くもふもふとしていて長くピンっと立ったウサギ耳を、ぴょこぴょこと動かしながら、イルルーシヤが驚きの声を上げる。
異世界には無く、日本に想いを馳せるためにイルルーシヤと一緒に作り上げた…そう、桜の巨木が目の前にあった。
春のぽかぽかとした日差しが差しながらも、ジャケットは羽織りたくなるやや冷たい風に吹かれ、桃色の花びらがひらひらと舞っていく。
異世界の魔法と植物をかけあわせながら、世界を支える世界樹の精霊イディアマモムルにお願いして、世界を救った報酬として下賜されたイディアマモムルの分体を宿らせ完成させたその桜は、王国の田舎町の郊外に植えると、そこはさすが魔法の世界、一週間もしないうちににょきにょき背を伸ばし始め、あっという間に高さ20m、幹の太さも直系3mとなった。
「大体全部散るので二週間くらい…そんな潔さに俺の世界の人間たちは惹かれ愛したんだ。でも、花が散ったから何も楽しみがないというわけではなくてだな」
「あっ!もしかして!」
「そう、果実が甘酸っぱくて美味いんだ」
「へー!この花がすぐ見れなくなるのは惜しいけど、その果実も早く食べてみたいわ!」
「なかなか、歯ごたえもあってだな…」
イルルーシヤにさくらんぼの美味しさを説明しかけたところで、何か視線を感じてその方向に目をやると。
「綺麗だ…」
その存在に一瞬で心を奪われた。
まず目に入ったのは、日の光に照らされて、美しく宝石のようにきらきらと輝く青いちょっと潤んだ瞳。
ちょっと近寄りがたさを感じてしまう凛とした佇まい、それでいて、その表情は小さな子供のようにきらきらと輝かせながら、桜の花々を見つめている。
あらためて、頭の上から眺めると、きっと、必死に抑えてはいるのだろうが、頭の上にある狼のような獣の耳はぴくぴくと動き、お尻のもっふもふの尻尾は興奮を抑えきれないようにばっさばさと揺れていた。
瞳の色に合わせたであろう深みのある青いシルクのドレスは、身体によくフィットしていて、きゅっとしまった腰や、大きすぎず小さすぎない胸のふくらみを惜しげもなく主張させ、白く透き通るような美しい肌は、僕を転移させた女神も羨むのではないかというほどだった。
時折、強めの風が吹いて、視界一杯に桜の花びらを舞い踊らせる。それに合わせて、鴉の濡れ羽色という表現がふさわしい彼女の黒い長い髪が、さらさらと揺れて、桃色の花弁が髪飾りのようにからみつくが、彼女はそれを指でつまむと愛おしそうに潤んだ瞳で見つめていた。
「珍しい。黒狼族がこんなところで姿を見せるなんて、しかもあれ一族の中でも高貴なお嬢様じゃないかしら?」
イルルーシヤが珍しいものが見れたと、感嘆のため息をつきながら、彼女が黒狼族というこの町の西に広がる森をテリトリーとした種族であることを教えてくれた。
黒狼族。
強さこそがこの世のすべてだ!と言わんばかりのバリバリの戦闘狂の一族。
昔、それこそ神話の時代では巨大な狼だったそうだが、自分より強い者の血をいれていくうちに今の人型となり、魔物寄りの思考もどんどんと人間寄りになり、前回の魔王との戦いでは、ついに人間側に全面的に加担してくれ、その驚異的な戦闘力でこの町の防衛に貢献してくれたそうだ。
「そんな一族がいたとは知らなかったな」
「まぁ、あなたは魔王討伐の最前線にずっといたわけだし、こんな片田舎の一種族のことなんて知らないでしょうよ」
「そんなに、強いなら魔王戦にも来てほしかったなぁ」
「あーだめだめ。彼らはこの森から離れることはしないの。魔族がこの町に襲ってきた時は協力してくれたけど、基本的には森から出ないわ」
「そうなんだ…じゃあ結婚するね」
「…えっと、文章が繋がってないのだけれど?」
「彼女と結婚する」
「…はぁ…?」
「人間に協力してくれたんだろう?強さが全てなんだろう?じゃあ、可能性十分あるって!」
そう言って、僕は彼女の元へ走っていった。
距離にしてはそんなに離れていなかったと思う。森の木々の陰から、木に手をやって少し体を預けていた彼女に一気に近寄る。
時間にしては1分もしなかったであろうその時間ですら、悠久の時間のように感じた。
急に強い気配が近寄ったせいか、彼女がびくっと身震いしたあと、ばっとその顔を凄い勢いで僕に向けた。
彼女の美しい青い瞳が僕をとらえる。
きらきらと輝くその瞳に吸い込まれそうになりながら、彼女の目の前で急停止した。
彼女は、僕の頭から足元まで視線をすべらせると、踵を返して走り去ろうとした。
あれ?おかしいな?それなりに爽やかなイケメンのはずなのになぁ。
「待って!桜!って言うんだ!あの樹!」
彼女が物凄い勢いで走り去ろうとしたが、急停止する。
ゆっくりと僕の方へ振り向いた彼女は、目に警戒の色を浮かべながらも、興味が絶えないのだろう。このまま走って逃げ去ろうか話を聞こうかと葛藤しているように見えた。
時折、ぎゅっと目をつぶって、何か一生懸命思案しているように見える。
「あの桜!僕とイルルーシヤで創ったんだ!僕の故郷の樹なんだ!」
「…故郷?どこ?」
彼女は、僕の方に向き直り、その小さく可愛らしい口から綺麗なソプラノの音を紡いだ。
「僕、日本ってところから来たんだ。この世界の住人じゃない。でも、綺麗だろ?だからこの世界で見たかったんだ」
「日本?この世界?」
「異世界人なんだ。この世界では勇者として魔王と戦ったんだ」
「勇者様?本物?なんでこんなところに?」
僕は、会話にのってきてくれた彼女を見て嬉しくて嬉しくて飛び跳ねたくなる衝動を抑えた。ここで本当に飛び跳ねたら、きっと彼女は怯えて今度こそ逃げ去ってしまうだろう。
「魔王を倒したら、色々な人に色々な面倒ごとを押し付けられそうになって…逃げてきた!」
「勇者なのに逃げてしまったの?」
「だって、力で組み伏せるわけにはいかないだろ?味方なんだから?」
「私達は、そういったときは決闘する。勝った者の言う事は絶対」
「うん。シンプルでいいね。でも、単純な力だけではどうにもならないのが人間の世界なんだ」
「そう。…よくわからないけれど、力比べだけで決まらない…そう、面白いのね」
もっと脳筋な考えかと思ったが、あっさりとこちらの考えをくみ取ってくれている気配がある。人間と協力したことである程度価値観が共有できているのだろうか?
「僕ね。仲間の力のお陰もあるけどね」
「はい」
「魔王を倒したんだ。だから、強いと思うよ」
「はい。そうなんですね」
なんだこの会話は…。まるで、小学生の子供のようで、口説き文句としては最低だ。
しかし、彼女を目にするとかぁっと顔が、頭が、いや、そんなところよりも最早、体中が熱くてあつくて…言葉が全然出てこない。
きっと、首や額から汗をぼたぼた垂らしているだろうが、その感覚すらわからない。
「…えっと、だから…僕と結婚してください!!」
「はい?」
自分でも失敗したなぁと思った。それも、とてつもなく致命的な失敗を。
きょとんとした彼女のなにがなにやらわからないといった表情、頭の狼のような耳もぺたんと伏せていて、桜を見ていた時揺れていた尻尾もぴくりとも動いていない。
「えっと…つまり…どういうことなのでしょう?」
彼女が、困惑しながら僕に問いかける。
あぁ…。失敗した…。失敗した…。失敗した…。
でも…でも…どうせ失敗なら、ちゃんと最後まで伝えなければ…。
えーい、玉砕してなんぼよ。
いいじゃないか。別に。魔王との戦いとは違う。失敗したって死ぬわけじゃない。
「つまり…貴女に一目惚れしました!…好きです!結婚してください!」
僕はその場に跪き、地面に片膝をつけ左手を胸に、右手を彼女に差し出して目をぎゅっとつぶって答えを待った。
やっちまったぁといった冷や汗を感じながらも、言ってしまったぞ。
言ってやったぞという謎の高揚感で最高に気持ちが良くなってしまって、何やら勇者として残っていた重荷全てをここに捨てることができた思いだ。
僕の左の腰に差している聖剣がうっすらと輝く。
僕の危機が迫った時にしか本当の力を発揮しない聖剣デュランダル…。その聖剣がうっすらながら輝くということは、結構僕の人生の重大な分水嶺というわけだ。
「聖剣デュランダル…?えっ…本当に勇者様?…えっ?私のことが好き?えっ?えっ?」
つぶっていた目を開けて、彼女を見ると、耳と尻尾は天に向かってぴーんと直立不動し、その美しい瞳はかっと見開かれたままま、瞬き一つせず、体全てがかちこちに固まっている。
「…はい。突然で申し訳ございませんが、好きなんです。貴方様が。本当に」
「はっ…えっ…いえ、私なんて…勇者様に見初められるよう…な…ぶべっ」
彼女が首を左右に振りながら、あわあわと両手のひらを横に振る。
余程動揺したのだろう。セリフの途中で舌を噛んでしまい、あまりの痛みに悶絶していた。
口元を両手で抑えてぷるぷると震えて、手の隙間からすっと一筋血が垂れた。
垂れた真っ赤な血は、彼女の白い肌をより際立たせて、ドレスにぽったと垂れると、ほんのわずかに赤いシミを作った。
「あっ!しまった!怒られちゃう!」
そう言って彼女はシミをごしごしと手でこするが、余計にシミは大きくなってしまう。
「あぁ…ちょっと待って。僕のせいだ。えっと、クリーン」
クリーン。魔法のトリガーワードを放つ。放たれる魔法は僕が汚れと認識したものを綺麗にして、対象を本来の状態に戻す。
何気にかなり魔力の緻密な制御を求められる難易度の高い魔法で、うっかりすると汚れと感じてしまった、本来消してしてまっては困るものも消してしまう可能性があるため、魔法の術式に高レベルに制御できない者が使うと失敗するような強制停止術式が混ぜ込まれている。
だって、血を消そうとして相手の血液全て消してしまったら困るじゃない?
そのため、便利魔法ではあるが、使える人はほとんどいない。
みるみるドレスの汚れが落ちていく様を見て、彼女は驚きのため息をつきながら、きらきらと好奇心にあふれた瞳で僕を見る。
桜に見とれるくらいだ。きっと好奇心旺盛な娘なんだろう。
「ごめんね。傷も治すよ」
続いて、傷ついた舌を治すため彼女に近づく。
舌を治すためだからと言って彼女の顔に近づく。ずいずいと近づく。
もうちょっと近づければ、唇を重ね合わせられるくらい近づいたところで、いきなりやりすぎだとはっと我に返って1歩後ろに下がる。
彼女のきりっとしながらも優し気な目元、長いまつ毛に目を奪われながらも、彼女の口元に手をかざして初級の回復魔法をかけてやる。
「…はぁ。人間って器用なんですね。私達は魔法は使えないから」
彼女の魔法が使えないとは恐らく勘違いだろう。彼女の身体には薄いが強力な魔力の膜で覆われている。
これはつまり、人間のような攻撃魔法や防御魔法、生活魔法のように、体の外に放つ魔法が使えないというだけで、生まれつき無意識に魔力を身体強化に使っていることを意味している。魔法が使えないとは、目に見えて派手なものを使えないというだけで、生まれてからずっとバフ魔法を自分にかけ続けているようなものだ。
「人間の身体は弱いですから。生き残ろうとしたら色々やっていかなきゃなりません」
「…強さ。それが人間の強さなのですよね」
「認めてもらえるのですね?もっと、こう直接的な力しか認めないのかと思いました」
「ふふ。そうですね。きっと私以外の者達は、いまだに目に見える力を盲信している節がありますが…勇者様が切り開いた未来を皆見て、ちょっとずつ変わっていってる気がします」
「そっか。それは嬉しいなぁ」
「…あの、本気ですか?」
彼女が、顔を伏せがちに上目遣いでもごもご言った。
かわいい。
「本気です。なんなら、その証拠にこの聖剣…あなたに預けましょうか?」
「えっ!?えぇ…そうですね…それなら話が早いかもしれません…いいんですか?本当に?」
「それで貴方様と一緒になれるなら…」
そう言って僕は、聖剣デュランダルを鞘ごと腰から抜くと彼女に差し出した。
「ありがとうございます。これならお父様たちを説得するのも簡単だと思います。事が終わったらちゃんとお返ししますね」
そう言って、彼女は僕の手から聖剣を受け取った。受け取る時に、ほんのわずかな時間だが、彼女のしっとりとした手が僕の手に触れる。
その感触は僕の頭を、魔王の放った決死の一撃よりも強い衝撃でつらぬき、腰が抜けそうになりながらも威厳を保つため、自分にバフ魔法をこっそりかけながら、必死に立ち続けた。
彼女の手の感触だけで、これならば…結婚したらどうなってしまうんだ?!
彼女は受け取った聖剣を両手で大事そうに抱えて、お辞儀をしてから森の奥へ走り去った。
さすが黒狼族。
その走る速度は凄まじく、あっという間に見えなくなってしまった。
「はぁ…凄いことになった…」
自分でやらかしておきながら、自分に起きた出来事に驚いてしまう。
この後、イルルーシヤのもとへ帰ったが、一連のことを話すと、めちゃくちゃ怒られた。
聖剣をそんな簡単に手放すとはどういうことかと。
でも、いいじゃないか。世界の危機は終わったのだし、そもそも僕に危機が訪れなければ、あの剣は普通の大量生産品の剣と性能は変わらない。
ならば、奪われて誰かに使われたとしても、大したことにはならないはずだ。
もし、第2第3の魔王が仮に現れたとしても、僕はその頃はお爺ちゃんだ。新しい勇者がどうにかしてくれ。
帰りの馬車の中で、ずっとイルルーシヤのお小言が続いたが、僕の耳には馬耳東風。
イルルーシヤの言葉は何も頭に入って来ない。
ずっと、彼女の艶やかな容姿を…回復魔法をかけたときに凝視した彼女の美しい瞳を、まつ毛を、奪いたくなる赤い小さな唇をずっと思い浮かべていた。
「あっ!」
「なっなに!?」
突然大声を上げた僕に、イルルーシヤがびくっと体を震わせる。
「彼女の名前…聞いてない…」
「あんたばかぁ?」
バカだったな…本当にそう思った。
なんとか魔王を倒した後、住んでいる国の国王から娘を貰ってくれと言われたり、遠い東にある帝国から将軍の地位をくれてやるとお誘いいただいたり、はたまた地元の冒険者ギルドからギルド長になってくれないかといったお誘い全てを断って、ずっと故郷である日本を想えるものを作ろうと、王国の首都から西に馬で5日程の町にある研究所に引きこもっていた。
今いるのは、町の郊外西、すぐ横には鬱蒼と茂る大森林がある場所
今、僕と目の前にいる二足歩行する兎型の種族、ラーラム族の女植物学者イルルーシヤの二人は、目の前にそびえ立った小さな桃色の花をたくさん咲かせる巨木を、目をキラキラと輝かせながら見つめている。
「うわぁ…すっごい綺麗ですね!え?これ一週間くらいで散り始めちゃうんですか!?」
真っ白くもふもふとしていて長くピンっと立ったウサギ耳を、ぴょこぴょこと動かしながら、イルルーシヤが驚きの声を上げる。
異世界には無く、日本に想いを馳せるためにイルルーシヤと一緒に作り上げた…そう、桜の巨木が目の前にあった。
春のぽかぽかとした日差しが差しながらも、ジャケットは羽織りたくなるやや冷たい風に吹かれ、桃色の花びらがひらひらと舞っていく。
異世界の魔法と植物をかけあわせながら、世界を支える世界樹の精霊イディアマモムルにお願いして、世界を救った報酬として下賜されたイディアマモムルの分体を宿らせ完成させたその桜は、王国の田舎町の郊外に植えると、そこはさすが魔法の世界、一週間もしないうちににょきにょき背を伸ばし始め、あっという間に高さ20m、幹の太さも直系3mとなった。
「大体全部散るので二週間くらい…そんな潔さに俺の世界の人間たちは惹かれ愛したんだ。でも、花が散ったから何も楽しみがないというわけではなくてだな」
「あっ!もしかして!」
「そう、果実が甘酸っぱくて美味いんだ」
「へー!この花がすぐ見れなくなるのは惜しいけど、その果実も早く食べてみたいわ!」
「なかなか、歯ごたえもあってだな…」
イルルーシヤにさくらんぼの美味しさを説明しかけたところで、何か視線を感じてその方向に目をやると。
「綺麗だ…」
その存在に一瞬で心を奪われた。
まず目に入ったのは、日の光に照らされて、美しく宝石のようにきらきらと輝く青いちょっと潤んだ瞳。
ちょっと近寄りがたさを感じてしまう凛とした佇まい、それでいて、その表情は小さな子供のようにきらきらと輝かせながら、桜の花々を見つめている。
あらためて、頭の上から眺めると、きっと、必死に抑えてはいるのだろうが、頭の上にある狼のような獣の耳はぴくぴくと動き、お尻のもっふもふの尻尾は興奮を抑えきれないようにばっさばさと揺れていた。
瞳の色に合わせたであろう深みのある青いシルクのドレスは、身体によくフィットしていて、きゅっとしまった腰や、大きすぎず小さすぎない胸のふくらみを惜しげもなく主張させ、白く透き通るような美しい肌は、僕を転移させた女神も羨むのではないかというほどだった。
時折、強めの風が吹いて、視界一杯に桜の花びらを舞い踊らせる。それに合わせて、鴉の濡れ羽色という表現がふさわしい彼女の黒い長い髪が、さらさらと揺れて、桃色の花弁が髪飾りのようにからみつくが、彼女はそれを指でつまむと愛おしそうに潤んだ瞳で見つめていた。
「珍しい。黒狼族がこんなところで姿を見せるなんて、しかもあれ一族の中でも高貴なお嬢様じゃないかしら?」
イルルーシヤが珍しいものが見れたと、感嘆のため息をつきながら、彼女が黒狼族というこの町の西に広がる森をテリトリーとした種族であることを教えてくれた。
黒狼族。
強さこそがこの世のすべてだ!と言わんばかりのバリバリの戦闘狂の一族。
昔、それこそ神話の時代では巨大な狼だったそうだが、自分より強い者の血をいれていくうちに今の人型となり、魔物寄りの思考もどんどんと人間寄りになり、前回の魔王との戦いでは、ついに人間側に全面的に加担してくれ、その驚異的な戦闘力でこの町の防衛に貢献してくれたそうだ。
「そんな一族がいたとは知らなかったな」
「まぁ、あなたは魔王討伐の最前線にずっといたわけだし、こんな片田舎の一種族のことなんて知らないでしょうよ」
「そんなに、強いなら魔王戦にも来てほしかったなぁ」
「あーだめだめ。彼らはこの森から離れることはしないの。魔族がこの町に襲ってきた時は協力してくれたけど、基本的には森から出ないわ」
「そうなんだ…じゃあ結婚するね」
「…えっと、文章が繋がってないのだけれど?」
「彼女と結婚する」
「…はぁ…?」
「人間に協力してくれたんだろう?強さが全てなんだろう?じゃあ、可能性十分あるって!」
そう言って、僕は彼女の元へ走っていった。
距離にしてはそんなに離れていなかったと思う。森の木々の陰から、木に手をやって少し体を預けていた彼女に一気に近寄る。
時間にしては1分もしなかったであろうその時間ですら、悠久の時間のように感じた。
急に強い気配が近寄ったせいか、彼女がびくっと身震いしたあと、ばっとその顔を凄い勢いで僕に向けた。
彼女の美しい青い瞳が僕をとらえる。
きらきらと輝くその瞳に吸い込まれそうになりながら、彼女の目の前で急停止した。
彼女は、僕の頭から足元まで視線をすべらせると、踵を返して走り去ろうとした。
あれ?おかしいな?それなりに爽やかなイケメンのはずなのになぁ。
「待って!桜!って言うんだ!あの樹!」
彼女が物凄い勢いで走り去ろうとしたが、急停止する。
ゆっくりと僕の方へ振り向いた彼女は、目に警戒の色を浮かべながらも、興味が絶えないのだろう。このまま走って逃げ去ろうか話を聞こうかと葛藤しているように見えた。
時折、ぎゅっと目をつぶって、何か一生懸命思案しているように見える。
「あの桜!僕とイルルーシヤで創ったんだ!僕の故郷の樹なんだ!」
「…故郷?どこ?」
彼女は、僕の方に向き直り、その小さく可愛らしい口から綺麗なソプラノの音を紡いだ。
「僕、日本ってところから来たんだ。この世界の住人じゃない。でも、綺麗だろ?だからこの世界で見たかったんだ」
「日本?この世界?」
「異世界人なんだ。この世界では勇者として魔王と戦ったんだ」
「勇者様?本物?なんでこんなところに?」
僕は、会話にのってきてくれた彼女を見て嬉しくて嬉しくて飛び跳ねたくなる衝動を抑えた。ここで本当に飛び跳ねたら、きっと彼女は怯えて今度こそ逃げ去ってしまうだろう。
「魔王を倒したら、色々な人に色々な面倒ごとを押し付けられそうになって…逃げてきた!」
「勇者なのに逃げてしまったの?」
「だって、力で組み伏せるわけにはいかないだろ?味方なんだから?」
「私達は、そういったときは決闘する。勝った者の言う事は絶対」
「うん。シンプルでいいね。でも、単純な力だけではどうにもならないのが人間の世界なんだ」
「そう。…よくわからないけれど、力比べだけで決まらない…そう、面白いのね」
もっと脳筋な考えかと思ったが、あっさりとこちらの考えをくみ取ってくれている気配がある。人間と協力したことである程度価値観が共有できているのだろうか?
「僕ね。仲間の力のお陰もあるけどね」
「はい」
「魔王を倒したんだ。だから、強いと思うよ」
「はい。そうなんですね」
なんだこの会話は…。まるで、小学生の子供のようで、口説き文句としては最低だ。
しかし、彼女を目にするとかぁっと顔が、頭が、いや、そんなところよりも最早、体中が熱くてあつくて…言葉が全然出てこない。
きっと、首や額から汗をぼたぼた垂らしているだろうが、その感覚すらわからない。
「…えっと、だから…僕と結婚してください!!」
「はい?」
自分でも失敗したなぁと思った。それも、とてつもなく致命的な失敗を。
きょとんとした彼女のなにがなにやらわからないといった表情、頭の狼のような耳もぺたんと伏せていて、桜を見ていた時揺れていた尻尾もぴくりとも動いていない。
「えっと…つまり…どういうことなのでしょう?」
彼女が、困惑しながら僕に問いかける。
あぁ…。失敗した…。失敗した…。失敗した…。
でも…でも…どうせ失敗なら、ちゃんと最後まで伝えなければ…。
えーい、玉砕してなんぼよ。
いいじゃないか。別に。魔王との戦いとは違う。失敗したって死ぬわけじゃない。
「つまり…貴女に一目惚れしました!…好きです!結婚してください!」
僕はその場に跪き、地面に片膝をつけ左手を胸に、右手を彼女に差し出して目をぎゅっとつぶって答えを待った。
やっちまったぁといった冷や汗を感じながらも、言ってしまったぞ。
言ってやったぞという謎の高揚感で最高に気持ちが良くなってしまって、何やら勇者として残っていた重荷全てをここに捨てることができた思いだ。
僕の左の腰に差している聖剣がうっすらと輝く。
僕の危機が迫った時にしか本当の力を発揮しない聖剣デュランダル…。その聖剣がうっすらながら輝くということは、結構僕の人生の重大な分水嶺というわけだ。
「聖剣デュランダル…?えっ…本当に勇者様?…えっ?私のことが好き?えっ?えっ?」
つぶっていた目を開けて、彼女を見ると、耳と尻尾は天に向かってぴーんと直立不動し、その美しい瞳はかっと見開かれたままま、瞬き一つせず、体全てがかちこちに固まっている。
「…はい。突然で申し訳ございませんが、好きなんです。貴方様が。本当に」
「はっ…えっ…いえ、私なんて…勇者様に見初められるよう…な…ぶべっ」
彼女が首を左右に振りながら、あわあわと両手のひらを横に振る。
余程動揺したのだろう。セリフの途中で舌を噛んでしまい、あまりの痛みに悶絶していた。
口元を両手で抑えてぷるぷると震えて、手の隙間からすっと一筋血が垂れた。
垂れた真っ赤な血は、彼女の白い肌をより際立たせて、ドレスにぽったと垂れると、ほんのわずかに赤いシミを作った。
「あっ!しまった!怒られちゃう!」
そう言って彼女はシミをごしごしと手でこするが、余計にシミは大きくなってしまう。
「あぁ…ちょっと待って。僕のせいだ。えっと、クリーン」
クリーン。魔法のトリガーワードを放つ。放たれる魔法は僕が汚れと認識したものを綺麗にして、対象を本来の状態に戻す。
何気にかなり魔力の緻密な制御を求められる難易度の高い魔法で、うっかりすると汚れと感じてしまった、本来消してしてまっては困るものも消してしまう可能性があるため、魔法の術式に高レベルに制御できない者が使うと失敗するような強制停止術式が混ぜ込まれている。
だって、血を消そうとして相手の血液全て消してしまったら困るじゃない?
そのため、便利魔法ではあるが、使える人はほとんどいない。
みるみるドレスの汚れが落ちていく様を見て、彼女は驚きのため息をつきながら、きらきらと好奇心にあふれた瞳で僕を見る。
桜に見とれるくらいだ。きっと好奇心旺盛な娘なんだろう。
「ごめんね。傷も治すよ」
続いて、傷ついた舌を治すため彼女に近づく。
舌を治すためだからと言って彼女の顔に近づく。ずいずいと近づく。
もうちょっと近づければ、唇を重ね合わせられるくらい近づいたところで、いきなりやりすぎだとはっと我に返って1歩後ろに下がる。
彼女のきりっとしながらも優し気な目元、長いまつ毛に目を奪われながらも、彼女の口元に手をかざして初級の回復魔法をかけてやる。
「…はぁ。人間って器用なんですね。私達は魔法は使えないから」
彼女の魔法が使えないとは恐らく勘違いだろう。彼女の身体には薄いが強力な魔力の膜で覆われている。
これはつまり、人間のような攻撃魔法や防御魔法、生活魔法のように、体の外に放つ魔法が使えないというだけで、生まれつき無意識に魔力を身体強化に使っていることを意味している。魔法が使えないとは、目に見えて派手なものを使えないというだけで、生まれてからずっとバフ魔法を自分にかけ続けているようなものだ。
「人間の身体は弱いですから。生き残ろうとしたら色々やっていかなきゃなりません」
「…強さ。それが人間の強さなのですよね」
「認めてもらえるのですね?もっと、こう直接的な力しか認めないのかと思いました」
「ふふ。そうですね。きっと私以外の者達は、いまだに目に見える力を盲信している節がありますが…勇者様が切り開いた未来を皆見て、ちょっとずつ変わっていってる気がします」
「そっか。それは嬉しいなぁ」
「…あの、本気ですか?」
彼女が、顔を伏せがちに上目遣いでもごもご言った。
かわいい。
「本気です。なんなら、その証拠にこの聖剣…あなたに預けましょうか?」
「えっ!?えぇ…そうですね…それなら話が早いかもしれません…いいんですか?本当に?」
「それで貴方様と一緒になれるなら…」
そう言って僕は、聖剣デュランダルを鞘ごと腰から抜くと彼女に差し出した。
「ありがとうございます。これならお父様たちを説得するのも簡単だと思います。事が終わったらちゃんとお返ししますね」
そう言って、彼女は僕の手から聖剣を受け取った。受け取る時に、ほんのわずかな時間だが、彼女のしっとりとした手が僕の手に触れる。
その感触は僕の頭を、魔王の放った決死の一撃よりも強い衝撃でつらぬき、腰が抜けそうになりながらも威厳を保つため、自分にバフ魔法をこっそりかけながら、必死に立ち続けた。
彼女の手の感触だけで、これならば…結婚したらどうなってしまうんだ?!
彼女は受け取った聖剣を両手で大事そうに抱えて、お辞儀をしてから森の奥へ走り去った。
さすが黒狼族。
その走る速度は凄まじく、あっという間に見えなくなってしまった。
「はぁ…凄いことになった…」
自分でやらかしておきながら、自分に起きた出来事に驚いてしまう。
この後、イルルーシヤのもとへ帰ったが、一連のことを話すと、めちゃくちゃ怒られた。
聖剣をそんな簡単に手放すとはどういうことかと。
でも、いいじゃないか。世界の危機は終わったのだし、そもそも僕に危機が訪れなければ、あの剣は普通の大量生産品の剣と性能は変わらない。
ならば、奪われて誰かに使われたとしても、大したことにはならないはずだ。
もし、第2第3の魔王が仮に現れたとしても、僕はその頃はお爺ちゃんだ。新しい勇者がどうにかしてくれ。
帰りの馬車の中で、ずっとイルルーシヤのお小言が続いたが、僕の耳には馬耳東風。
イルルーシヤの言葉は何も頭に入って来ない。
ずっと、彼女の艶やかな容姿を…回復魔法をかけたときに凝視した彼女の美しい瞳を、まつ毛を、奪いたくなる赤い小さな唇をずっと思い浮かべていた。
「あっ!」
「なっなに!?」
突然大声を上げた僕に、イルルーシヤがびくっと体を震わせる。
「彼女の名前…聞いてない…」
「あんたばかぁ?」
バカだったな…本当にそう思った。
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