すあま 短編集

すあま

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殺人助手とまだ見ぬ小さな手

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 20xx/09/某日

「おめでとうございます。妊娠出来てますよ」

 不妊治療を越えて漸く聞けた、医師からの言葉に楠井夫婦は感動に涙した。

「カスミ! よくやった」
「うん……うん!」
「お義父さん達に早速報告しよう」
「あ、それは、安定期に入ってからの方がよろしいかと思います。何があるかわかりませんからね」
「え、はい。わかりました」

 二人は新しい命に期待する話をしながら、本当に幸せそうに家路に着いた。

 ◆

 20xx/12/初旬

 安定期に入り、少しお腹が目立って来た。父母への報告は済ませ、名前の候補をみんなで考えた。その中から画数の良いものを選び抜き男の子と女の子の一つずつの候補に絞り出された。

 20xx/12/中旬

 夫の職場にもインフルエンザなどの猛威が訪れた。夫はかかったが、家の中でもマスクや手洗いを徹底していたので、母子ともにやり過ごせた。

 20xx/12/24

 嫁の父母と食事会。このまま行けば順調に男の子が生まれるはずだった。

 ◆

 20xx/12/30

 嫁の父、雅人(55)は、サラリーマンである。何処にでもいるおじさんの典型を地で行く彼はそこそこ丈夫さを誇っていた。大きな病気一つなく健康で風邪を引いても熱は大抵三日とかからない。そんな理由で豪語はせずとも健康的だと思い込んでいた。

 その枕元に胎児が浮かんでいた。

「……」
「なんだ? ……子供?」
「アンタがマサト?」
「喋った!?」
「まぁ、アンタの夢だしな」
「何者だ」
「アンタの孫のアキラだよ」
「な、に? 私に孫はまだ居ない。ま、まさか、その姿は」
「あぁ、アンタの娘の中に居た赤児だ」
「会いに来てくれたのか!!」
「そりゃ、アンタに殺された様な物だからな。それを知って欲しくて来た」

 雅人は一瞬何を言われたのか理解出来なかった。

「なに?」
「もう、あの身体はアンタが持ち込んだウィルスに汚染され切った。助からない」

 孫が会いに来てくれたと喜んだのもつかの間、最悪な報告をする悪夢に雅人は気付けば叫んでいた。

「ウソだ!」
「そう思うんなら、それでも構わないさ。アンタは、あの日、熱のあまり出ない風邪をひいていた。心当たりはないか?」
「風邪? そう言えば、同僚が体調を崩していた……私がそれにかかっていたと言うのか!」
「アンタが食った肉を使ってアンタの喉で増えたヤツらが、手を経由して母さんに乗り込んで来たんだよ」
「そんなバカな! だいたい風邪などで死ぬ訳が」
「胎児の身体は絶えず細胞分裂を繰り返し大きくなっているのは分かるな?」
「なにを急に」
「アンタが風邪と思ってるのは、正しくは林檎病だ。そのウィルスが胎児の発育時の細胞を乗っ取った。細胞内で俺の体を作るはずの代謝機能はウィルスを作り続けた。一週間だ。一週間も作り続けたから大増殖した。俺は体の成長が止まったまま……」
「ウソだ!」
「そう思うなら、そう思ってなよ。現実は変わらない。母さんは赤児を宿した時、体内の赤児を攻撃しない様に免疫力を下げる。それが抗体産生を早めに作れないことにも繋がってしまった。不妊治療を母さんは頑張ってたよ」
「ウソだ!」
「残念だよ。ジィジ。じゃぁね」
「ウソだー!」

 赤児は諦観の目で雅人を見つめる。

「頼む! ウソだと言ってくれ! 頼む!」
「一つだけ、アンタの日頃の行いに神様が奇跡を起こしてくれるってさ。次はちゃんとウィルス感染しないで会ってやってよ。今度こそ、さよなら。ジィジ」
「ま、待てっ! 行くな!」

 赤児は翼を生やして光の粒になりながら見えるはずのない光差す雲間へと消えながら飛び去った。無駄だと直感的に理解しながらも雅人は手を伸ばさずには居られなかった。

 ◆

 雅人は、目を覚ました。天井に向かっている手が虚しく空を掻いた。寝汗で全身がグッショリと濡れ、不快極まりない。まだ明け方といってもいい時間だ。それから寝られずただ朝を待つしか出来なかった。

 酷い夢見の所為か、喉がいがらっぽく渇いた。台所でポットに入った湯を飲みながら、普段見ない様なグーグルサイトで林檎病を検索した。気分は罪状を言い渡されるのを待つ容疑者のごとく、どうにも落ち着かないのだ。

 林檎病の項目にはこうあった。

『「リンゴ病」と呼ばれることがありますが、実際には典型的な症状ではない例や症状が現れないケースもあり、様々な症状があることが明らかになっています』

 この文面を見て、感染しても軽い症状で雅人は少し安心した。しかし、次の文からはとんでもない事が書かれていた。

『感染後約1週間で軽い感冒様症状を示すことがありますが、この時期にウイルス血症を起こしており、ウイルスの体外への排泄量は最も多くなります。』

 つまり、熱は軽度でちょっと関節が痛い程度の風邪と思って行動している時期が一番ウィルスをばら撒いていると書いてあるのだった。雅人は青くなる一方だった。しかし、このページには更に恐ろしい事が書かれていた。

『妊婦が感染すると、胎児水腫や流産の可能性があります。妊娠前半期は、より危険性が高いといわれていますが、……』

 大人にとって軽度の風邪が、安定期に入ったとしても前半であれば流れる可能性があると記されている。もしあの時、林檎病であったなら、無自覚なまま殺人助手マーダー・アシスタントとして街中を徘徊していた事になる。背中を嫌な何かが走る。気分は一気に、死刑実施を待つ死刑囚だ。

 その時、目覚ましの音が鳴り、雅人は、心臓が飛び出そうな程、驚いた。

 ◆
 
「あら、貴方。いくら喜ばしくてもこんな朝早くから起きてるなんてまるで小学生の遠足みたいですよ」

 最愛の妻の姿を見て思わず抱締める雅人。自分はきっと取り返しのつかない罪を犯してしまったと。許されざる事だと。目に涙を溜めて懺悔の言葉を言おうとするが、口が動かずどもるばかり。

「何です? 可笑しな人ですね。せっかく早起きしたのですから支度をして下さい。今日はカスミ達と食事でしょう」
「!?……今日に食事の約束だったか?」
「クリスマス・イブですもの。タップリと精のつくものをカスミと支えてくれたカズオミさんに食べてもらいましょうって決めたでしょう?」
「クリスマス……そうか! レイコ! マスクを頼む! 私はシャワーを軽く浴びてくる」
「あらあら、珍しい。寝てる時もマスクなんて煩わしいって言ってましたのに」

 雅人は体を洗い、嗽をし、大凡考えつく除菌洗浄を行う事を決意した。アキラはまだ今なら間に合うかもしれない。そんな思いに駆られての行動だった。

 マスクをして、消毒用アルコールジェルを購入し念入りに自らをシーリングし、カスミには近づかないようにし過ごす事に決めて食事会に臨んだ。

 ◆

 娘夫婦達との楽しい食事会を終え、前の食事会と同じく名前をどうするのか聞いてみた。

「まだ、男の子か女の子かも分からないのに」

 カスミがあどけなく笑う。本当に幸せそうだカズオミ君には今は感謝しかない。雅人は、そんな事をちらっと思いながら娘の次の言葉を待つ。

「男の子なら、アキラ。女の子ならハルカ。だよ」
「きっと男の子だ」
「ほんとー?」
「お父さんの予言当てにならないから、分かんないわよ。ねぇ?」

 妻のレイコが茶化す。憮然としながらも雅人は言い切る。

「絶対、男の子だ」

 翌日病院へ行くと風邪かも知れないが一応検査を受ける事になった。

結果は林檎病だった。

 ◆

 20xx/01/某日

  レイコの携帯にカスミからラインで連絡があった。

 女の子だったと言う。

「そんな、ではアキラではないのか?」
「ハルカに決まりましたよ」
「そんなはずはない」
「そんなに男の子が良かったのですか? 可笑しな人ですね」
「い、いや、そうではない」

 雅人はレイコに夢のことを話した。

「きっとその子が奇跡を起こしてくれたんですよ。良かったじゃないですか。ハルカを失わずに済んだのですから」



 後日、仏壇に位牌が一つ増えることとなった。この世に生まれることのなかった魂の為の位牌が。
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