「クズ夫と愛人にざまぁを。嫁が選んだのは“義父”でした」

木桜 春雨

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19 「桜川は死んでいない」

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  「その日、英太郎は行動に出た。
 女から聞き出した墓が、本当に存在するのか確かめるためだ。
 女の話は、疑おうと思えばいくらでも疑えた。
 なのに英太郎は、最初から疑いもせず、確かめることもしなかった。
 鵜呑みにしていた自分の甘さを、今さら悔やんだ。

 寺の門をくぐると、空気が変わった。
 街の音が薄れ、湿った土と古い木の匂いが鼻に残る。足元の砂利が、やけに大きく鳴った。
 墓地の奥で、目当ての墓石を見つけた。
 荒れている。
 花立ては空で、線香立てには雨水と枯れ葉が溜まっていた。
 (……本当に、ここが?)
 英太郎は持ってきた花束を見下ろした。
 場違いに鮮やかな色が、逆に心細い。
 背後で、小さな咳払いがした。
 振り返ると、住職らしい老人が立っていた。
 背は低く、皺が深い。年齢のせいか、目だけが妙に鋭く見える。
 「すみません。この墓の方について」
 英太郎が名前を口にしかけた瞬間、住職の目がわずかに動いた。
 ほんの一瞬。だが、見逃せない反応だった。
 「……え? なんと?」
 聞こえなかったふりをしているのか。
 英太郎は息を整え、もう一度言った。
 「この墓の“桜川”について、お聞きしても」
 住職は、軽く首を振った。
 否定でも拒絶でもない。ただ、そこで話が終わると告げる動きだった。
 「……昔から、うちは、いろいろあってねぇ」
 視線が墓から外れる。
 質問そのものを避けているのだと、英太郎は思った。
 これは駄目だ、言葉を足せば足すほど、はぐらかされる。
 いや、逃げている。
 英太郎は花束を握り直した。
 少しでも何かわかると思って、ここまで来たのに。
 ここに来た意味さえ、最初から意味がない、そう思えた。
 
 住職が去ったあと、英太郎は手元の花束を見下ろした。
 供えるはずだった。だが、指が動かない。
 荒れた墓石。空の花立て。雨水の溜まった線香立て。
 ここに花を置くことさえ、許されていない気がした。

 そのとき、背後で小さな音がした。
 英太郎は振り返った。
 女が立っていた。黒っぽいコートを着て、髪はきっちりまとめられ、乱れがない。

 「あなた、誰」
 女は墓石と英太郎を交互に見て、言った。
 「桜川の知り合いじゃないでしょう」
 「君は誰だ」
 女はわずかに首を傾げた。
 警戒も戸惑いもない。そこが逆に怖い。
 「……少し、話さない?」

 英太郎は言葉を選びながら、これまでの経緯を話した。
 事実だけを並べたつもりだった。
 「お節介な人間がいたものね」
 「俺だって、そんなつもりはなかった。ただ――」
 言いかけたところで、女が小さく息を吐いた。
 「亡くなったのは男の桜川よ」
 女の言葉に、英太郎は息を呑んだ。
 「勘違いしているわ。その女、調べても何も出てこないわよ」
 声は落ち着ききっている。
 言い切る強さが、逆に現実を押しつけてくる。
 この女は、どこまで知っている。
 いや、何者だ。どうしてそこまで断言できる。
 「君は、誰だ」
 英太郎は、もう一度同じ質問を繰り返した。
 「あたしが、桜川本人よ」
 英太郎の呼吸が止まった。
 脳が拒否する。ありえない、と反射で思う。
 だが女の目は揺れない。冗談の温度が、どこにもない。
 “死んだ桜川”は、墓の中ではなく、英太郎の目の前に立っていた。
 「この墓は男の桜川。勘違いしているのよ」
 その言葉で、英太郎の中の何かが音を立ててズレた。
 女は英太郎の顔をじっと見ていた。
 だが、その表情が少しずつ変わった。
 「あなた、もしかして遠藤君?」
 英太郎は言葉を失った。
 「……俺を、知ってるのか」
 女は小さく笑った。
 「レポート、わからないって。教授からダメ出しもらってたでしょう」
 英太郎は返事ができなかった。
 思い出そうとした瞬間、古い映像がゆっくりと蘇った。
 提出期限だけが迫ってきて、頭の中が真っ白になった夜。
 たった一度、けれど、はっきり覚えている。
 親しかったわけじゃない。
 飲みに行ったことも、連絡を取り合ったこともない。
 それでも、あのときの“手を差し出される感じ”だけは忘れられなかった。
 英太郎は、まじまじと女の顔を見た。
 目元、口元、声の響き。
 記憶の中の輪郭と、今の顔が重なりそうで重ならない。
 女は困ったように笑った。
 「実はね、事故で怪我したの。整形ってほどじゃないけど……顔、変わったかも」
 英太郎は言葉を失ったまま、視線を逸らせずにいた。
 桜川と名乗った女の顔を、もう一度、確かめるように見つめる。
 違う部分がある。
 でも、どこかで一致するものがある。
 胸の奥で、驚きが静かに形を持ち始める。
 本当に、この女は桜川なのか。
 女は静かに笑った。
 その言い方だけで十分だった。
 桜川は生きている。
 ならば、誰が、何のために“死んだこと”にされたのか。
 
 桜川は生きている。
 そしてこの話は、ひとりの生死の勘違いではなく、“誰かが隠したかった何か”へと繋がっていた。

 
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